第23話 ちょっと弱気な魔王様

 オイヴァが国王夫妻の私室に入って来た時、麗佳はイシアル語の教科書の今日習った部分を読み返しているところだった。


「勉強熱心だな、レイカ」


 からかうように言うその口調はどこか弱々しい。


「パオラに負けたら立場がありませんもの」


 冗談めかして言う。少しでもオイヴァの気分がよくなってくれるといいと思っての事だ。麗佳のその気持ちが伝わったのかオイヴァは小さく笑った。


 麗佳は数ヶ月前からパオラと一緒にウィリアムからイシアル語の授業を受けている。


 きっかけはパオラのイシアル行きだった。さすがにイシアルも、勇者でもないパオラをただで受け入れるわけにはいかない。それでどうするか話し合っていたところ、ウィリアムからイシアルの学園の騎士科に入学する事をすすめられたのだ。十代から二十代の学生とは別に社会人の為の枠があるそうだ。


 イシアル王国の首都ティーズベリーにある学園は、他国からの留学生を多数受け入れている世界各国から一目置かれている学校だ。外国人がここを卒業すればどこの国でもかなりの評価をされるらしい。

 元々、昔の国王が貴族の嫡男にいかに領地を治めるかを教えるために作った学校なので、イシアル貴族なら誰もがここに通った経験を持つ。ウィリアムはそこの首席だったようだ。なのでコネも結構持っている。今回はそれを使ったのだ。


 とはいえ、試験は必要だった。なので入学試験の用紙を送ってもらい、ウィリアムを監督として試験を受けさせ、みごと合格をもぎ取ったというわけだ。入学にはまだ何ヶ月かあるので、それまではこの国で暮らす事になっている。


 本当にパオラはよく頑張ったと思う。


 でもパオラの忙しさは変わっていない。入学前に必要な基礎教育を一年足らずで身につけなければならないので現在は勉強浸けなのだ。入試前に試験勉強としてある程度の学力を身につけたとはいえ、それだけでは足りない。


 こちらの世界でも義務教育というものはある。もちろん魔族の子供たちもきちんと教育を受けている。一体ヴィシュは何をしているのだろうと呆れてしまう。


 それでも、まさか麗佳までがイシアル語の授業を受けなければいけなくなるとは思ってはいなかった。


 学問が発達しているイシアルはもちろん専門書も多い。それらを読むためにはイシアル語の勉強が必須なのだとウィリアムに厳しく言われた。相変わらずあの教師は厳しい。


「パオラといえば昼間エルッキに剣の稽古つけてもらってたのを見たぞ」

「あら、よくベルタが許しましたね」

「他の騎士達も側にいたからな」


 それで納得出来た。そうなんですね、とつぶやき、麗佳は苦笑する。


 パオラの教育はイシアル語以外は主に元ヴィシュ出身の人たちが教えている。担当しているのは主にラヒカイネン男爵家の者達——ヨヴァンカの兄姉——だ。


 そう認識していたので指導にエルッキが加わっているというのは予想していなかったが、よく考えれば当然のことだ。エルッキはパオラの「先輩」。慣れた者が側にいるのは安心感に繋がる。

 だから去年、麗佳がこの国に住み始めた時、オイヴァがヨヴァンカを麗佳付きの侍女に推薦したのだろう。今もずっと麗佳の近くに控えてくれている友人が大切なものに思える。


「ところで、アーサーから手紙が来てるよ」

「え? アーサーさんから?」


 つい日本語になってしまった。それでもこれくらいは理解出来るようでオイヴァは苦笑ですませてくれた。二人きり――侍女は控えているが――という理由もあるだろう。


 アーサーが元の世界に帰ってから二ヶ月くらい経つ。オイヴァが失敗するわけがないので無事に帰ったのは確信していたのだが、それからはずっと心配だった。


 何しろ、アーサーは、『異世界に行って帰って来る』という普通の人ではあり得ない体験をしてきたのだ。マスコミに追い回されたりしていないだろうか、人体実験とか言って変な組織に攫われていないだろうか、と少しだけハラハラしてきたのだ。


「中身読んだ?」

「ああ、もちろん」

「アーサーさん、元気そうだった?」

「当たり前だろう。もし、SOSの手紙だったらもっと深刻な顔をしてるよ。大体、そんな事になってたら雑談から入るわけないだろう」


 そんな事を言いながら笑う。それでほっとした。


 ほら、と言いながら便せんを渡してくれる。

 オイヴァの言った通りアーサーは元気そうだった。最初は同僚や上司、それに彼女にいろいろ問いつめられたりしたそうだが、それも少しずつ落ち着いて、今はある程度普通の生活を送れているようだ。


 ひとまずほっとする。これからは頻繁に近況報告するそうなのでそう言う意味でも安心だ。


「よかった……」


 しみじみとつぶやいていると隣のオイヴァが呆れた目をした。


「まだ終わってないからな」

「分かってる」


 もちろん麗佳だってそんな事くらいは理解している。あれだけアーッレ王を挑発したのだ。オイヴァなど画面越しに馬鹿にして見せていた。今頃はかなり怒りを溜めているだろう。そのついでに次の召喚に使う魔力も溜めているかもしれない。


 これからも麗佳達は勇者を助けていく事であの男に抵抗していかなければならないのだ。


 でもこれからは冬が始まる。オイヴァによると、真冬や真夏は寒さや暑さで気づかないうちに体力を消耗し、その影響で大きな魔術がうまくいかなくなる——魔術が苦手なヴィシュ王国限定だが——らしい。なので召喚は大体春か秋にされる。


 一昨年は冬に召喚をした事があったらしい——麗佳のすぐ前の勇者——が、そんな事は稀なのだそうだ。珍しく暖冬だったから出来た事だろう、とオイヴァは言っていた。


 とはいえ、先代魔王を殺すために最近はたくさん召喚していたので、それにもう慣れてしまっているだろうとの事だった。一年に一度ペースはあると思った方がいいだろう。


 それでも、今は一時だけでも喜んでいたい。勇者とその仲間を、誰も殺す事なく助ける事が出来たのだ。

 そしてそれが誰のおかげなのかも麗佳はちゃんと分かっている。


「オイヴァ、ありがとう」


 小さな声で、でもしっかりと言う。オイヴァが驚いたように顔をあげた。


「レイカ?」


 その目が不安そうに揺れている。アーサーに帰還時の記憶について指摘されてから七ヶ月間くらいこうなのだ。いい加減腹が立つ。


「私はオイヴァにものすごく感謝してるんだよ。私一人だったら勇者をどうしたらいいのか分からなかったし、もしかしたら逃がす事すら出来なかったかもしれない」


 だから丁寧に話して聞かせる事にする。前にもきっとこういう話をするチャンスはあった。でもして来なかった。


 だから、今、オイヴァは不安になっているのだ。


 オイヴァが『記憶を消す』と言った事で麗佳を元の世界に帰りづらくさせてしまったのではないかと。そして、その事を麗佳が内心不満に思っているのではないかと。


「オイヴァが協力してくれたからアーサーさんの事も上手くいったんだと思う」

「でも、レイカ、お前は……」

「あれはただのきっかけだったんだよ。あれがなければ確かに私は家に帰ってしまってたかもしれない。でもそれって先代陛下の願いを無視する事になってしまうから」


 きっとそうしたら間違いなく後悔していただろう。生涯自分を責め続けていたかもしれない。

 そう言うと、オイヴァは目を見開いた。


「帰ったら後悔するのか?」

「そうだね。息子を殺されてもずっとあの部屋を残してくれていたお義父様の気持ちを踏みにじることになるから」


 本当はこの理由は話すつもりはなかった。そうするとオイヴァの傷に触れる事になる。だから黙っていた。


 予想通り、オイヴァは深いため息を吐く。


「やっぱりお前はお人好しだ」


 これを言われるのは三度目だ。麗佳は苦笑するより他はない。


「オイヴァだってそうじゃない」

「私が?」


 意外そうな顔をする。自覚はないようだ。


「だって私を殺そうと思えばいつでも出来たんだし、邪魔だったらさっさと送り返せばよかったでしょ。敵同士だったのに、いろいろ私の気持ちを考慮してたじゃない」

「私はお前を利用しているだけだ」


 わざと冷たい調子でそんな事を言う。でも麗佳はとっくにそんな事は知っている。


「私もそうだよ」


 だから即座に返してやった。オイヴァが驚いた顔をする。でも、それは一瞬だけですぐに表情を戻す。


「なら、お互い様か」


 そう言って深いため息をつく。さっきからオイヴァはため息をついてばかりだ。それだけ重い話をしているからだろう。


「レイカ、私はヴィシュ王国を、いや、ヴィシュ王を憎んでいる」


 麗佳は無言でうなずいた。


「それを知っていて私の報復に協力してくれるというのか? お前は暴力が嫌いなのに」


 最後に付け加えられた言葉は麗佳に深くのしかかる。そう。その理由でオイヴァはヴィシュ王国に本格的に攻め入る事が出来ないのだ。

 反射的に謝罪の言葉が出そうになるが、そうするとこの会話の流れでは変に解釈されるかもしれないので飲み込む。


「うん。そうだね。あの王家をなんとかしないとどうしようもないもんね。それくらいは私だってちゃんと理解してるよ。私のせいで心をばっきばきに折るしか出来ないけど。それは申し訳ないと思ってるんだけど……」


 心から申し訳なく感じてしゅんとうつむいてしまった。こんな面倒くさい女をよくオイヴァが受け入れてくれたものだと改めて思う。


 オイヴァはそんな麗佳の気持ちを察したのか小さく笑った。そうしていつも通り優しく頭を撫でてくれる。


「でも多分、そのおかげで将来私はヴィシュの民に憎まれないのだろうな」


 先程まで落ち込んでいたのはオイヴァなのに、なぜか今は麗佳が慰められている。正直自分が情けない。


 王を倒さなくても憎まれる可能性はあるだろう。それでもあえてそんなことを言ってくれるのだ。


「そういう考え方もあるんだね」


 だから素直にその言葉を受け入れることにした。


 そこで麗佳はオイヴァがいまだに立ったままなのに気づいた。国王を立たせて自分は座ったままというのがいかに不敬かはよく知っている。なのに失敗してしまった。


「オ、オイヴァ、あちらのソファーでお話しましょう」


 慌てて言う麗佳にオイヴァが吹き出した。


「私は別に気にしないが……そうだな。ゆっくりお話しようか。就寝時間にはまだ少しだけはやいし」


 そう言って手を差し出してくれる。麗佳はその手をとって立ち上がった。


 エスコートされるのはまだどこか気恥ずかしい。それも相手は自分の夫なのだ。


 ソファーに座るとすかさず侍女が温かいお茶を持って来た。そうしてそのまま席を外す。

 気をつかってくれているのが分かっていたたまれなくなってしまう。そんな麗佳を見てオイヴァはまた笑った。


 面白がられているのはちょっと不満だが、オイヴァの元気が出たのならそれでいいのかもしれない。


 でもきちんと自分の気持ちは話さないといけない。


「オイヴァ」

「ん?」

「私、勇者の件が解決してもずっとここにいるからね」


 さすがに『オイヴァの側に』という恥ずかしい言葉は言えなかった。それでも顔が熱くなるのだからどうしようもない。


「いてもらわなくては困る」


 そしてその直後に聞こえた言葉に顔の熱さが増す。オイヴァは当たり前の事を言っているはずなのに不思議だ。


「はい」


 それだけしか言えなかった。でもオイヴァは優しく微笑んでくれる。その言葉に入れた意味は伝わってしまったのだろう。


 それで会話は完成してしまった。


 言葉の代わりに優しく肩を抱き寄せられる。麗佳は大人しくその力強い腕に甘える事にした。

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