第19話 嘘か真実か

 パオラに読んでもらった本の内容に、アーサーはぽかんとするより他はなかった。


「魔王の大陸進出が嘘だって……?」

「そう、みたいですね。これによると……」


 パオラも信じられないのだろう。困ったような顔をしている。何しろこれまで考えていた事の全く逆の『事実』がこの本には語られているのだ。


 魔族は乱暴な種族ではない。むしろヴェーアル王国を侵略しようとしているのはヴィシュ王国の方なのだそうだ。

 それを知った元勇者は魔王をパトロンにし、こうやってこの部屋で後に続く勇者たちに警告を送っている。そう本には書いてあった。


——ヴィシュの王は私たち異世界人の事を魔王を倒す駒くらいにしか思っていません。私たちは自らの力でそれに対抗していかなければなりません。真実を見て下さい。そして自分で考えて下さい。もしこちらに逃げて来られたのなら、私たちは出来るだけの援助をしましょう。


 本の最後はその言葉で締められていた。


 かなり出来すぎた話だ。やはり罠を疑ってしまう。


 それでもそれが嘘だとは言いきれなかった。でもそうなるとまた気になる事が出て来る。


「あの男は本当に『魔王』なのか?」


 先ほどまで自分たちと対峙していた男の姿を思い出す。像が動いたか絵画から抜け出したと言えば十人中九人が『ああ……』と納得するような完璧すぎる容姿。それなのに彼の妻に対する態度は生き生きとしたものだった。


 あの美しさは確かに『人間離れ』はしていたが、アーサーが考えるそれではなかった。きっと『この方はこの世界の神様です』と言われても納得してしまうだろう。


 魔王というのは玉座に偉そうに座って『よく来たな勇者よ。ふはははは』とか偉そうに言うツノの生えた怪物なのではないのだろうか。アーサーは、ずっとそういう『魔王』の姿を思い浮かべていた。


 最初に見たのは東洋人らしき少女——彼女は自分が魔王の妃だと言っていた——に文句を言われながらも楽しそうにあしらう姿だった。だが、それで彼女がいじめられていると考えるのはおかしい。


 それに文句を言っているとは言っても『あなたは最低よ!』的なものではなく、『もうっ! 何をやっているのよ。しょうがないわねえ』的な軽いものだった。あしらわれるのを知っているけれど、とりあえず注意しておくというのが近かった。


 おまけに二人はとても仲が良いようだった。あの短い間で二人が本当に愛し合っているのかまでは分からなかったが、信頼し合っているのはよく分かった。


「だと思いますよ。綺麗な金色の瞳をしていましたし。大体あそこまで完璧な容姿を持つ『人間』などいないと思います」


 突然パオラが口を開いた。一瞬何の話かと思ったが、先ほどのアーサーの独り言に答えてくれたらしい。


 確かに魔王だと名乗る青年は金色の瞳を持っていた。そして魔族は『不気味な金色の瞳』をしている事は道中にエミールから何度も何度も聞かされた。その瞳からビームを出してそこらじゅうを焼き尽くすなんて事も言っていた。本当かどうかは分からないが。


 そういえばそのエミールはどうしているだろう。魔王は彼は生きていると言っていたが、無事なのだろうか。かなりきつい性格をしているので魔王を怒らせているかもしれない。


 それとアーサーにはもう一つ気になる事があった。自分にかけられた洗脳の事だ。

 確かに冷静になって考えれば『魔王は殺し、王妃は生け捕りに』という言葉が旅の間中、頭の中に響いていた気がする。

 この事をパオラとエミールは知っていたのだろうか。


「パオラさん!」

「アーサーさん!」


 パオラと声がかぶった。彼女もアーサーに何か言いたい事があるようだ。


「パオラさん、先に話していいよ」

「いいえ、アーサーさんからどうぞ」


 そしてお互い譲り合う。そのやり取りがどこかおかしくてアーサーは小さく笑った。

 ただ、譲られたので話す事になる。


「パオラさん、俺が洗脳? されてた事知ってたのか?」

「え? 本当に洗脳されていたんですか? あの女性の虚言では?」


 パオラはぱちくりと目を見開いて言う。


 虚言という事はないだろう事はアーサーがよく知っている。なので静かに今までの事を話した。


 だが、パオラは納得がいかないようでうなっている。


「ええー? だって魔族に嫁ぐような変人ですよ。虚言癖があったっておかしくないと思います」

「パオラさん!」


 慌てて彼女を止める。この会話は魔王が聞いているかもしれない。大事な妻の前に立ち、しっかりと守っていたあの青年がこの発言を聞いたら間違いなく気分を害するだろう。あれが演技でないとしたら、だが。


 でも少なくとも魔王の王妃だという少女は彼を素直に信じていた。あそこでとっさに『私は彼の妻です』という発言が英語で出て来たのがその証拠だ。発音に外国語訛りがあったから間違いないだろう。


 アーサーが信じ込んでいるのが分かったのだろう。パオラはため息をつく。


「多分、それはエミールさんなら知っているのではないでしょうか。エミールさんは魔術師ですし。自分で最強と言うくらいなのですから実力はあるでしょう」

「確かにそうだけど……ひどい目に遭ったりしてないかな? 生意気な事言ったりして」

「それは……」


 パオラもそこは口ごもった。それはエミールの性格を考えればすぐ不安に思ってしまう事だった。


 とにかく、魔王城には行かなければいけないだろう。魔王もきっとアーサーを待ち構えている。それが敵対心からか、本に書かれている通りアーサー達を助けるためかはわからないが。


 パオラも同じ気持ちのようなので安心する。ここで『イヤ! 逃げたいです!』なんて言われても困る。


 多分、これこそが魔族側の思惑なのだろう。勇者達が引き返せなくするための。そう考えるとぞっとする。


 本にも書いてあったではないか。『私には進む以外の選択肢はなくなってしまったのだ』と。この本の著者があの魔王の奥さんなのが少し不安だが。


 ただ、どうやって魔王城に行けばいいのだろう。この地方の領主は、ヴィシュ人が許可なく魔族の土地に行こうとすると海が荒れると言っていた。そうなると海から行くルートは無理だ。


「アーサーさん? どうしたんですか?」


 考え込んでいるとパオラが心配そうに尋ねてくる。アーサーは素直に今の問題を相談した。


「案外この部屋にあったりして?」


 パオラはそんな事を冗談めかして言う。でもそれは本当かもしれない。探す事にする。本棚の隣の壁やカーペットの下、椅子の間なども探してみる。

 だが、それは見つからない。最後は本の中を見てみる。何か暗号があるかもしれないと考えての事だ。四冊あるので一人二冊ずつ調べていく。

 ないな、と考えていると不意にパオラの脱力したような声が聞こえた。急いで駆け寄る。


「あった?」

「ありました。この本の最後のページに。『簡易の陣を用意しておきました。魔力も込めてあるので、ここに手を置くだけで魔王城に行けるようになっています。どうぞご利用ください。魔王 オイヴァ・ヴェーアル』」


 絶句する。明らかに向こうはアーサー達をおちょくっているとしか思えない。


 でも、やはり引き返せない。思い切って手を置いてみる。


 瞬間、軽い浮遊感を感じ目をつむる。目を開けるともう知らない場所に来ていた。


 まず目に入ったのが正面にある立派な二つの椅子だった。先ほど会った魔王とそのお妃様が座っているのでこれは玉座だろう。


 魔王は冷たく、でも満足そうに唇の端をあげ、王妃の方は優しそうに、にっこりとアーサー達に微笑みかける。


 アーサー達の側にはたくさんの人間が立っていた。金色の瞳をしていない者ばかりだから人間に間違いはない。魔王はいつの間にこんなにたくさんの人間を支配下に置いたのだろう。ぞっとしてしまう。


 パオラは大丈夫だろうかと心配になってそちらの方に目を向ける。彼女は呆然として周りの人間達を見ていた。


「……え? エルッキ先輩? ベルタさん? 何で……? ……え? ラヒカイネン侯爵閣下? え? え? ど、どういう事?」


 そんな事をつぶやかれてもアーサーにも意味が分からない。とりあえずパオラの知り合いがたくさんいる事だけは分かった。


 何のために魔王はパオラの知り合いを集めたのだろう。これが魔王の思惑なのだろうか。パオラを懐柔するためなのだろうか。


 玉座に座っている魔王を見る。魔王夫妻は満足そうにアーサー達を眺めていた。

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