第16話 異常事態

「海を渡れないとはどういう事でしょうか。この領は魔王退治の協力すらしてくれないんですか?」


 エミールがこの地の領主に食ってかかっている。口調は丁寧だが、その目は明らかに領主を見下している。身分差があるらしい世界なのに大丈夫だろうか。


 眼鏡を上げる仕草は様になっているが、見ていて気持ちのいいものではない。


 この男の性格はこの二日間でよく分かった。今は貴族相手なので大人しく敬語を使っているが、自分が格下だと判断した相手などには小さな事で怒鳴りつける。


 ちなみに彼にとって勇者であるアーサーも仲間の剣士であるパオラも格下なようだ。

 パオラは悪い子ではない。ただ少し気が弱いだけだ。なのに、エミールはその欠点を何度もつき、彼女をいじめるのだ。『弱虫の役立たず』という言葉をこの旅の中で何度聞いただろう。


「ヴィシュから船を出そうとすると海が荒れるのですよ。きっと魔族側がヴィシュ人を入らせないように対策をしているのでしょう」

「それを何とかするのが領主たるあなたの役目でしょう。それとも陛下の命令を無視すると? だったら陛下に言いつけますが」


 そこは『報告する』ではないのだろうか、と苦笑する。エミールはかなり子供っぽいようだ。


「それを言うのなら、その問題を何とかするのが勇者パーティたるあなた方の役目ではないのですか?」


 いい加減にしろ、という空気が領主から出ている。当たり前だ。頼み事も何もあったものではない。


 結局交渉は決裂し、何の収穫もないまま、領主の館を出る事になってしまった。


 エミールが部屋を出て行ってすぐに領主には謝罪した。『あなたも大変ですね』と言われたのは皮肉だろうか、それとも同情なのだろうか。


「何なんだよ! あいつは!」


 小道に出てからエミールが吠えた。さすがに大通りで領主貴族の悪口を言う勇気はないらしい。


 また始まった、とアーサーとパオラはそっと目を見合わせた。でも、エミールにそれを見られると、怒りの矛先がこちらに向くので気をつけておく。


 その時、アーサーの足下で何かが動いた。エミールもパオラも同じものを受けたようできょろきょろとしている。


「魔族か? ちんけな真似をしないで出て来い!」


 エミールが怒鳴る。でも、気配はそれを無視して、いや、嘲笑うかのように勢いを増した。


 それにしてもこれは何だろう。エミールの言う通り、魔族の攻撃なのだろうか。


 焦っているアーサーとパオラをよそに、エミールはもう呪文を唱え始めている。こうやって冷静な判断がくだせるのはすごいと思う。


 だが、アーサー達の期待も虚しく、エミールの呪文が終わっても、変な気配は消えてはくれなかった。


 どこかで女性の笑い声が聞こえる。何だか妙にわざとらしい。でもとても楽しそうな声だ。


 自分たちは間違いなく馬鹿にされているのだろう。そして間違いなく相手は魔族なのだ。


 頭の中に『王妃は生け捕りに』という声が響く。そしてそれにアーサーは違和感を感じなかった。


 その間もエミールは呪文を唱え続け、それはあっさりと無効にされ続けた。そしてその間も謎の笑い声は響いている。たまに疲れたのか止まったりするからライブ音声なのだろう。


「エミールさん!? 大丈夫ですか?」


 アーサーが笑い声に気をとられていると、パオラが突然悲鳴をあげた。そちらの方を見ると、エミールが真っ青な顔をして倒れている。一体、何があったのだろう。


 そう思った次の瞬間、エミールの周りに大きなつむじ風が巻き起こった。そうしてエミールを包む。


 パオラが頑張って剣で退治しようとしているが、つむじ風というものは剣で切れるものではない。あっという間にそれはエミールを攫っていった。


 その様子を見て、パオラががっくりと崩れ落ちる。


「そんな……エミールさんがやられてしまうなんて」


 顔面蒼白だ。アーサーだってどうしていいか分からない。ずっと強いと思っていたエミールが、こんな顔も見せない卑怯者にあっさりとやられてしまったのだ。


 パオラはついに泣き出してしまった。おまけにがたがたと震えている。


「パオラさん、しっかりして」


 アーサーは彼女を慰める事しか出来ない。


「まだ二人残ってる。エミールさんが魔王に連れ去られた事は間違いないだろう? 居場所は分かってるんだからどうにかして……助け出すのが……いいんじゃないかな?」


 最後は疑問系になってしまった。実際、アーサーはあまりエミールが好きじゃないのだ。

 正直に言えば見捨ててしまいたい。でもそれは『勇者』と呼ばれる者らしくないだろう。


「いざとなれば俺が魔王を殴って倒すから!」


 そう言いながら空突きをして見せると、ようやくパオラもほっとした顔を見せた。


「アーサーさん、筋肉すごいですもんね。きっと魔王を倒すために生まれて来たんでしょうね。素晴らしいです!」


 尊敬した顔で見られるが、別にアーサーは魔王を倒すために生まれて来たわけではない。そっと苦笑する。


「それで? これからどうします?」


 そう言われて現実に立ち返る。そう言えばさっきの問題は何も解決していない。エミールは攫われたし、アーサー達の足下にはさっきほどではないが、変な気配は漂い続けている。


「まず、ここから出れるかどうか試してみよう。そして出れたら……」


 どうしようと考える。すぐにいい考えが浮かんだ。


「情報収集だ! この街なら何か魔王に関する事を知っている人がいるかもしれない。それに資料だってあるかもしれない」


 いつも以上に頭が働くのは焦っているせいだろうかと思う。でも、すぐにそんなものは気にならなくなってくる。


「と、とりあえず資料を探しましょう! 確か、この近くに図書館か何かがあったはずです」


 とりあえずの目的が決まったからだろうか。パオラも結構張り切っている。


 それで二人は図書館に向かう事にした。いつの間にか不安や焦りが消えてなくなっている事に二人とも気づいていなかった。


 図書館に入り、司書に魔族関連の書籍の居場所を尋ねる。そうして指し示してくれた方角に歩いて行った。


「立派な場所ですね」


 パオラがつぶやく。確かに図書館は大きな建物だった。きっとこの領で一番大きいのだろう。


 そんな事を話していた二人は足が自然に一点に向かっている事に気づいていなかった。


 たどり着いた場所は小さいがしっかりした扉の前だった。札には『魔王と勇者の部屋』と書かれている。


 こんな目的ドンピシャリな部屋があるだろうか。パオラも息を飲んでいる。


「……こ、これ、罠、ですよね?」


 まさか! と笑い飛ばしたいが、それは出来ない。


 全部、魔王の手の内だったのだろうか。パオラのいう通りこれは罠なのだろう。


——何を物怖じしている? 入ってくるがいい。


 頭の中に若い男の声が響く。きっとこの先に魔族がいるのだろう。


「入るよ」

「はい!」


 パオラとうなずき合う。


 そうしてアーサーは扉の取っ手を掴んだ。

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