第5話 王女の婚姻問題

 あまりにも冷ややかな怒気に驚いて、麗佳は思わず足を止めてしまった。

 視線の先には四ヶ月前によく見た、冷酷な表情をしたオイヴァが立っている。


 怒気の相手は麗佳ではない。なのに、周りの人間や魔族を怯えさせるだけの力がそこにはあった。


 オイヴァの目の前にはこの国の筆頭公爵であるプロテルス公爵がいる。長年魔王家に仕えていてくれる家らしい。


 ただ、今はそうではない事は麗佳も知っている。麗佳やリアナに嫌みを言うのはそこの家の令嬢だからだ。そしてパウリナの調査で、そのバックに彼女の父親がいる事は分かっている。


「陛下、私は何も無茶を言っているわけではないのです。陛下やリアナ殿下の為を思って『助言』をしているのですよ」


 オイヴァの目が不機嫌そうに細められる。一体この男は何を提案したのだろうかと気になってしまう。


「あの国に伯母が嫁いだ結果、何が起こったのか、そなたも知っているだろう」


 どうやらこの男はリアナの婚姻話を持って来たらしい。それも他国に嫁がせる縁談をだ。


 馬鹿ではないだろうか、と思う。そんな愛妹が遠くに行ってしまうような縁談にオイヴァシスコン兄貴が本当に頷くと思っているのだろうか。


 でも、いつまでも盗み聞きをしているわけにはいかない。そろそろ助太刀するべきだ。


「陛下、どうなさいまして?」


 なるべく優雅な声を出して話を遮る。二人とも、今、麗佳の存在に気づいたようで——オイヴァの方は演技かもしれないが——驚いた顔をしている。


「レイカか。見苦しい所を見せたな」

「見苦しいだなんて。確かに空気が寒いと思いましたけれど」


 少しだけちくりと刺しておく。それから、今気づいたかのようにプロテルス公爵に挨拶をした。


「レイカ様! レイカ様からも陛下に一言言ってあげてください!」


 公爵の方は何を勘違いしたのか麗佳に助けを求めて来た。いつもは嫌がらせとか暗殺未遂をしてくるくせに、都合のいい時だけ利用して来るのだ。それが分かっているから麗佳の態度も冷ややかになる。


 本当に未来の魔王夫妻を敵にまわしてこの男はどうするつもりなのだろう。破滅でも望んでいるのだろうか。


「一言って何をですの? プロテルス卿」

「二人の時間が大事だからさっさとリアナ殿下を嫁がせろと。そうすればレイカ様も陛下を独り占めに出来ますよ」


 やはりこの男は馬鹿だ、と麗佳は素直に思った。どうやら公爵は麗佳がリアナを邪魔に思っていると信じて疑っていないらしい。子孫がこれでは、立派だった彼の祖先が可哀想に思えてくる。


 オイヴァからまた怒気が漏れてくる。普通なら板挟みになって困る所だ。

 でも何を言うかは決まっている。何度か同じ状況に落ちた事があるのだ。まあ、それはオイヴァの前ではなかったが。


「せっかく、義理とはいえ、妹が出来た事を喜んでおりましたのに、すぐに離ればなれになれと、公爵はそうおっしゃるのですか?」


 こういう時は、麗佳のたどたどしくゆっくりしたイントネーションの魔族語が役に立つ。心底困っているように響くのだ。ついでに静かに下を向いてみる。


 予想通り、公爵は麗佳の寂しそうな演技にたじろいだ。


「で、でも、とてもいい縁談なのです。この国の為にもなりますぞ。なのに、魔王陛下は頑固で話を聞いてもくれないのです。賢いレイカ様ならお分かりになるでしょう」

「どこにいる馬の骨なのか、わたくしには、まだ何も分からないのに?」

「馬の……骨……でございますか? レイカ様」


 公爵どころかオイヴァまでぽかんとしている。どうやら通じなかったらしい。この世界には『どこの馬の骨とも分からない』という表現はないようだ。たまにこういう事があるから困る。


 意味を説明するとオイヴァが訂正してくれた。こちらでは『どこから来たウグイスか知らない』という表現を使うらしい。托卵されるからだそうだ。


 こういう間違いがあると恥ずかしい。


「と、とにかくリアナが幸福になるかどうかも分からない縁談などわたくしが勝手に許可をするわけにはまいりません。陛下に詳しく伺って、陛下の指示に従う事にいたします」


 一息で一気にまくしたて、『行きましょう、オイヴァ。これから一緒にお茶をするのでしょう』と言ってからオイヴァの手を取る。嘘は言っていない。これからプチ会議の時間だ。


 そのまま、ぽかんとしたままの公爵を置いて、麗佳とオイヴァはさっさといつもお茶をする部屋に引っ込んだ。



***


「助かった」


 好物のジンジャーティーを口に運びながらオイヴァがため息を吐いた。


 麗佳はアッサムっぽい茶葉のミルクティーを飲んでいる。むっつりと黙り込んで座っているだけのオイヴァに替わって、麗佳がパウリナにお茶の指示を出す事になったのだ。指示の出し方が分からないので、『好みのお茶を』と言ってみたらお互いの好みのお茶をそれぞれ用意してくれたのだ。出来る使用人を持つと本当に助かる。


 ミルクティーは最近、城の中で密かなブームになっている。この様子では、そのうち王都でも流行るだろう。


 麗佳が来る前は、マイルドなお茶を飲む場合にはホイップクリームを入れていたようだ。これは飲んだ事があるから知っている。


 ミルク入りはクリーム入りのものより飲みやすいので女性には嬉しいようだ。魔王の婚約者が愛飲しているという噂も合わさって瞬く間にブームになった。一部の男性にも好評だと聞いている。ミルクティー好きの麗佳にはありがたい事だ。


 だが、今の問題はミルクティーではない。リアナの婚姻問題だ。


「ごめんなさい、なんか勝手にまくしたてちゃって」

「いや、面白かったからいい」


 思い出したのか、笑いながら言う。おまけに『馬の骨』か、と蒸し返される。正直恥ずかしい。


「外国語って難しいね」

「通訳魔術、使いたいか?」

「通訳魔術を使うような王妃なんてかっこわるいから魔族語を勉強しろと言って来たのはオイヴァじゃない! 頑張って勉強しますよ」


 最後は、口調が拗ねたようになってしまった。オイヴァがまたおかしそうに笑う。


 そのオイヴァの機嫌を自分はこれから少しだが損ねるのだ。それは怖いが、必要な事だ。


「ねえ、オイヴァ」

「何だ? あいつが持って来たリアナの縁談の説明か?」


 予想とは違い、オイヴァはそんなに機嫌を損ねなかった。麗佳に聞かれるのを予想していたのだろうか。


「うん。オイヴァが何で反対するのか私にはまだ分からないから」

「なのに、私の味方をしたのか?」

「だって、オイヴァが怒ってるのに、火に油を注いで私にメリットがあるわけないじゃない。下手したらその場でオイヴァに殺されちゃう」


 麗佳がそう言うと何故かオイヴァが頭を抱えた。不安になって声をかけると、呆れた目で見てくる。


「お前、『保護』の意味知っているか?」


 もちろん知っている。だから素直に答えたのに、まだオイヴァは呆れた目を崩さない。なんだかいたたまれなくなってくる。


「本当に知っている?」

「うん。危険から守る事でしょ?」

「そう。その対象を害してどうするんだよ。ヴィシュの思うつぼじゃないか」


 それもそうだ。かなり悪い事を言った。麗佳は素直に謝る。


「まあ、調子に乗るな、と叱りつけたかもしれないがな」

「やっぱり怒るんだ?」

「それはそうだろう。お前はまだ王妃じゃない。王妃になっていたとしても、私の方が身分は上。あいつの味方になっていたら、その場で怒鳴りつけていただろうな。『お前は何様のつもりだ』って」


 勇者様です。


 すぐに浮かんだテンプレっぽい回答はしっかりと飲み込んでおく。まあ、オイヴァならそんな回答は予想していただろう。でも、そうだったらなおさら言いたくない。


 オイヴァは口ごもった麗佳を見て小さく笑う。それから表情をひきしめた。


「リアナの話だったな」


 本題に入った。麗佳も同じようにしっかりと気持ちを引き締める。


「レイカはさっきの会話をどれくらい聞いたんだ?」

「えっと、プロテルス公爵がリアナに、オイヴァ達のおばさんが過去に不幸になった嫁ぎ先を用意してるって事……だよね?」


 合っているかどうか不安になって尋ねると頷く。


「で? それってどこなの?」

「アイハ王家」

「アッ……!?」


 驚きすぎてお茶を吹きそうになる。


 アイハと言ったらこの国の隣の大陸にある大国アイハしかないだろう。この世界の支配者である『長老陛下』がいるという国。


「それ断っちゃまずいんじゃ……」


 思わずそうつぶやくと、オイヴァが厳しい目を向けてきた。


「何だって?」

「あ……いや、その……外交的に大丈夫なのかなって。えっと……その……これからヴィシュに対抗していかなきゃいけないのに、アイハ王国を敵にまわしちゃまずいんじゃないかって……えっと……その……ちょっと気になっただけ……だから」


 そう。麗佳とオイヴァの目標はそれだ。だから麗佳はこの国に残っている。それは忘れていない。オイヴァの方はこの世界に関する基礎的な知識が足りないと、勉強とこの軽いプチ会議しかさせてくれないが。


 それにこの間の会話の事もある。それからは気まずくて大した話をしていない。

 でも、婚儀まであと二ヶ月。そろそろ真面目に取り組んだ方がいいだろう。たとえ、相手からの信頼がなくても。


 麗佳は、四ヶ月前のあの日、オイヴァと共に歩むと決めたのだから。


「向こうもこの婚姻話にそんなにいい感情を持っていないからいいんだ。むしろ、勝手に送られた話に驚いて、向こうが知らせてくれたのだから」

「オイヴァに隠れて公爵が連絡を取ってたの!?」


 信じられない話に目を見開く。


「ああ、私が王太子だった頃にな。それだけ、今、ヴェーアル王家は危機に瀕しているんだよ。私は基本的に勇者を倒すため、そして奴らの情報を集めるため留守がちだっただろう?」


 それはよく知っている。オイヴァは父王がきちんと統治していると信じて城を空けていたのだ。

 だが、実際は王は病に倒れていて、王女はまだ政治にはあまり関われない。おのずと臣下が政治を牛耳る事になる。

 それで王国は少しずつ腐敗していったのだろう。二十年はとても長いのだから。


「だから、今、オイヴァ以外の唯一のヴェーアル家の王族を他国に嫁に出すわけにはいかないんだね。それがオイヴァがこの婚約に反対する理由の一つって事?」


 そう締めくくると、オイヴァは満足そうに頷いた。


「分かっているんじゃないか」


 きちんと考えれば、オイヴァが信用してくれないなんていう周りから見ればささいな事で王の婚約者が拗ねている場合ではないのだ。麗佳はとりあえずその問題を脇に置く事にした。


 何故か、偉い偉いと頭を撫でられる。


「ねえ、オイヴァ。ずっと思ってたんだけど、私の事、子供扱いしてる?」

「女はそうすれば喜ぶんだろう?」


 どこからそんな情報を持って来たのだ、と麗佳は内心呆れた。間違いなく基準はリアナだ。このシスコンめ、とからかいたいが、その事情が事情なので、からかうにからかえない。


「母上も父上によく甘えていたし」


 どうやら参考にしたのは両親だったらしい。それでは仕方がないのだろうか。いや、それもどうなのだろう。


 リアナは母親似なのだろうか、と余計な事が頭をもたげる。


「だからお前も遠慮なく甘えていいんだよ」


 そんな事言われても困る。おまけにその間ずっと頭は撫でられ続けているのだ。さすがに恥ずかしい。


「え、えーっと。リアナの話だったよね!」


 慌てて話題を戻すと、オイヴァが呆れたようにため息を吐いた。


「今はリアナの話はしていない。私もアイハの王族も賛成していない婚約など結ばれるはずがないからな」


 声が少しだけ尖っている。オイヴァにとって、リアナの婚約話は相当辛いものだったのだろう。


「それより、今はお前の話をしているんだけど。いちいち話をそらそうとするな」

「え? えっと……その……?」

「お前は私を怒らせたいのか」


 麗佳が気づいた時には、オイヴァの鋭い金色の瞳が彼女の目をしっかりと貫いていた。

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