第4話 大きな代償
驚きの再会の後、エルッキ達と客人は、魔王とその婚約者と一緒にオイヴァのサロンで話をする事になった。さすがにあの小謁見室で話をするのは緊張するだろうと考えての配慮なのだが、エルッキ達はまだがちがちになっている。
無理もない。麗佳は彼らの移住がオイヴァの好意だと知っているが、元勇者パーティメンバーにとっては罠としか思えない光景なのだ。人質だとでも思っているのかもしれない。
「改めて、ヴェーアル王国にようこそ」
最初に魔王であるオイヴァが口を開く。当たり前の事だ。
「ありがとうございます」
そしてお礼の言葉を、パーティメンバーの家族の中で一番身分が高いラヒカイネン侯爵が言うのもちゃんと分かっていた。
「それにしても思い切ったな。パーティメンバーの家族全員の説得を一人でやってしまうとは。それもこんなにはやく」
「一人ではありませんよ。二人の息子も手伝ってくれましたし。一部、骨が折れましたがね」
ハンニの父親の方を見て笑う。確かに彼の誤解を解くのは大変だっただろう。ハンニの父親は恥ずかしそうに笑った。
「あの、オイヴァ、ラヒカイネン侯爵とずいぶん親しそうに見えるけど、知り合いだったのですか?」
とりあえず大事な事を聞く。この質問は膝に手を置いて固まっているヨヴァンカには出来ない事だ。
向こうもヴィシュ語しか話せないので、麗佳も日本語を使う事が許可されている。なるべく上品に聞こえるように話せ、という命令だけは下っているが、それは当たり前の事だろう。王妃の威厳がなくなったらどうしようもない。
「ああ。侯爵は、魔族がどういう生き物なのかも知っていて、理解もしてくれている。何度も、ヴェーアル王国とヴィシュ王国の橋渡しをしようとしていたようなんだが、ヴィシュの方が厳しくてな。まあ、私は反ヴィシュ派だったからほぼ関わっていなかったんだけど。ただ、顔は合わせた事だけはある」
オイヴァの答えは麗佳がもう知っているものだ。昼間聞いた話。でも、ここにいる人間達に説明するにはこうしなければいけないのだ。
「もう私は侯爵ではありませんよ、魔王陛下、レイカ様。私たちは亡命したのです。爵位などもう剥奪されているでしょう。今の私はただのヒューゴです。まあ、可愛い末娘を捨て駒にしようとする国など捨ててやるつもりでしたから惜しくもありませんけどね。実は陛下の手紙が届く前から密かに逃げる準備はしていたんですよ」
それは重い言葉だ。知っていたが、やはり麗佳を含む勇者パーティメンバーはヴィシュの王に騙されていたようだ。
ヨヴァンカが小さな声で『捨て駒……』とつぶやいている。だいぶショックを受けているようだ。無理もないと麗佳は思った。
『勇者』につけられるパーティメンバーは王国にとって取るに足らない者達なのだ。少なくともヴィシュ王はそう判断してメンバーを選んでいるようだ。
これは昼間、ヒューゴから聞いた。それを知っていたからこそ彼は勇者召喚に反対していたようだ。そして、そのために戒めとして末娘のヨヴァンカを勇者パーティの一員にされてしまったと言っていた。ヴィシュの魔術師としては強い力を持っているヒューゴがいなくなると困るから、だそうだ。
「それで……みなさんを説得に?」
ラヒカイネン侯爵、いや、ヒューゴはうなずいた。
「今代の勇者は戦いに慣れていないような少女でしたから、きっと当時の魔王であるアーケ陛下を殺さないでいてくれると信じておりました。そして、王都に逃げ帰って来た場合は真っ先に当家で匿おうと考えておりました。ヨヴァンカなら間違いなく、一度は我が領に寄るでしょうからそこで保護を、と」
「え?」
「ヴィシュの国王は……あなたに目を付けておられましたから」
それは気に食わないという意味だろうか。確かに、最初から俺様王の態度は悪かった。
——何だ。ただの小娘ではないか。
召喚された時に聞いた第一声がそれだった事からもよく分かる。そしてその一言で、麗佳も俺様王を嫌ったのだ。
逆らえないから旅には出たが、こんな男のために自分の信念を曲げてまで『殺し』なんかしてやるものかと固く心に誓っていた。
それを考えると、素直に帰還の話を信じていたのが馬鹿馬鹿しく思えてくる。今考えれば嘘に決まっているのだ。あの男なら適当な理由をつけて麗佳を城に閉じ込める事くらいわけもない事だ。
麗佳がそんな事を考えている間にもヒューゴとオイヴァの会話は続いている。
「はっきり言って最低だな。あの男は」
おまけに何故かオイヴァの機嫌が悪くなっている。恋愛感情などないただの同盟相手とはいえ、婚約者を貶されたら嫌な気持ちになるのだろう。
どこか心がむずがゆい。でも嫌な気分ではない。今までに感じた事のない感情が麗佳の中を駆け巡っていた。
「お父様、魔王陛下もいい加減にして下さい!」
その落ち着かない気持ちを突然ヨヴァンカがぶった切った。
「どうした、ヨヴァンカ。魔王陛下に失礼だろう?」
「どうしたではありませんわ! レイカ様は元の世界ではまだ子供なんですのよ! そういう教育は受けていないでしょう。知っていたとしてもそんな話は気分が悪くなるものです。少しは気を使ってくださいませ」
ヨヴァンカがそう言った瞬間、オイヴァが意地悪そうに唇を歪めた。
三ヶ月、オイヴァの婚約者をやってきたせいか、同じように冷たい笑みを浮かべていても、相手を警戒している時と、ただ単にからかっている時で微妙に表情が違うという事が麗佳にも分かって来た。そして今回は間違いなく面白がっている。
だが、ヨヴァンカには分からないようで、少しだけ怯えた表情をしている。
「ヨヴァンカ、お前は私達の話している内容が、レイカに悪い影響でも及ぼすとでも言うのか?」
「それは……でもレイカは……」
「レイカはこの国の王妃になるんだ。子供っぽいから何も知らないでいいわけがないだろう。大体、『見た目が子供っぽい』だけで、こちらの世界ではとうに成人している」
そう言いながら、今度は厳しい目でヨヴァンカを睨みつける。
オイヴァのいう事はもっともだと麗佳も思う。ただ、回想をしていて、話を聞いていなかった人間が言っても説得力はないのだが。
「子供っぽいなどとは言っておりません。元の世界で未成年だったと言っているんです。基本的に成人していない者はそんな破廉恥な話は聞いてはいけないのでしょう?」
それだけで麗佳には大体分かってしまった。つまり、あの俺様王は麗佳を囲い女の一人か何かにするつもりだったのだろう。
あんなおっさんの相手は嫌だな、と素直に思う。だが、口には出さない。
そんな事を考えているうちに麗佳に許可を取った上で話すという事が決まったようだ。
ヨヴァンカはまだ不満そうな表情をしている。それは分かるが、先ほどまでヨヴァンカを責めていたオイヴァまでどこか不安そうな顔をしているように見えるのはどうしてだろう。
それより二人とも『子供っぽい』と言い過ぎだ。もし、ここにいるのが五人だけだったら、盛大に文句を言っていただろう。
「レイカ、今の話の内容は不快か?」
「いいえ。大丈夫です。知っておかなければならない事なんですよね?」
でも麗佳は子供ではないので、大勢の人の前で、それも初対面の人たちの前でそんなかっこわるい事はするつもりはない。
オイヴァがもう一度分かりやすく話してくれたのは麗佳の予想通りの話だった。あの俺様王は麗佳を自分好みに育てて愛人の一人にするつもりだったらしい。
あんな魅力のない男に光源氏計画なんて絶対に無理。
話を聞いて、まず麗佳が思った事はそれだった。でもそんな事は言わない。無難に『ありえませんから』と言うだけに留めた。
「レイカはヴィシュの王を信じているのか?」
オイヴァは麗佳とは違う事を『ありえない』と言っていると思ったらしい。眉をひそめている。
「いいえ、全然」
そこは素直にそう答える。ただ、少しだけ腹は立っていた。
「私がそんな計画に乗るなんてありえないと言っただけです」
その声は麗佳自身にも冷たく響いた。
「でも無理矢理……という事もありますか……」
「お父様!」
ヒューゴが、麗佳が考えたくなかった事を口に出そうとする。それをヨヴァンカが必死に止めた。麗佳もこれは聞きたくない。予想してはいたが。
「ヨヴァンカ、大丈夫ですから。今の私達は魔王陛下に保護していただいているんですよ。もう心配はないんです」
そう言ってなだめる。本当の事だ。
「大体、そういう事をしようとするから、こうやって大勢の人に裏切られるんです。私も含めて」
最後の言葉はオイヴァに向かってはっきりと口にした。
麗佳が寝返ってから、オイヴァはずっと優しい。ただ、時々麗佳の事を信用していないのだ、と思う時がある。
新しい魔王陛下は勇者のご機嫌取りをしている、という陰口を時々聞く事があるが、麗佳もこれは同意見だ。もちろん表の態度ではきちんと国王らしく振る舞っている。でも、会話や仕草の端々でどこか麗佳の機嫌を損ねたくないというのが透けて見えるのだ。
まだ知り合って三ヶ月あまり。そういう不安もあるだろう。だから仕方がないとは思いながらも、どこか寂しい思いもする。
そして先ほどの会話でオイヴァは麗佳の事をまだ信用していないという事も分かってしまった。
ため息をつきたいのを、お茶を飲む事で押さえる。
隣からオイヴァの視線を感じた。麗佳が目を向けると優しそうに微笑んでくれる。
これはラブラブ演技の続きだろうか。とりあえず微笑みを返してみる。今度は苦笑が返って来た。一体何なのだろう。
よく分からないので、後で二人きりになった時に聞こうと決める。
「レイカのいう通り、お前達の安全は私が守ろう。そのかわり、この国の新しい民としての自覚をしっかり持つように」
「はい。ありがとうございます、魔王陛下」
「それからお前達の今後の身分だが——」
大事な話が始まった。これは未来の王妃として間違いなく聞いておかなければいけない話だ。神妙に耳を傾ける。
そんな麗佳をオイヴァがどういう表情で見ていたのか、話に集中していた彼女には知る由もないのだった。
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