第3話 サプライズ

「レイカ、レイカ」


 魔術の授業からの帰り道で、麗佳は彼女を手招きする魔王を見た。いつも麗佳を呼び出すときは使用人に任せているのにどうしたのだろう。


 麗佳が駆け寄ると、オイヴァはにこにこと笑いながら彼女の頭を撫でて来た。わたくしはリアナではありませんよ、という言葉を飲み込む。言っても無駄だからだ。


「どうしたのです? オイヴァ」

「これから時間はあるか?」

「ええ。ありますわ。どうしてですの?」

「じゃあおいで」


 それだけを言って麗佳の手を引く。麗佳はわけが分からないままに彼について行った。


 ヨヴァンカが付き添おうとしたのだが、オイヴァは手を振ってそれを止めた。それだけでヨヴァンカは引く。先週、リアナの事で引き留め役を頼んだ時、オイヴァが彼女を眠らせて強行突破した事を覚えているのだろう。だから助けられないのだと麗佳もヨヴァンカも分かっている。分かっているが、もう少しごねて欲しかった。


 それにしても、どうしてかこの男はご機嫌だ。何かいい事があったのだろう。でもそれが何か検討がつかない。


 何かあったの? と聞いても得意そうに笑うだけで何も教えてくれないのだ。きっと城の誰にも聞かせたくないのかもしれない。それとも逆に城の者に口止めをしたサプライズか何かだろうか。


 連れて来られたのはオイヴァの私室だった。その最奥の部屋に案内される。


 こんな部屋を麗佳は知らない。婚約者だからオイヴァの私室には何度も足を踏み入れている。なのに知らないのは変だ。もしかしたらオイヴァの秘密の部屋なのかもしれない。その証拠に使用人は誰もついてきていない。


「ねえ、ここどこ?」


 つい日本語で話しかけてしまった。だが、オイヴァはとっくに通訳魔法を発動していたようで、余裕の表情で笑っている。


「ここは、代々の魔王の魔法実験部屋だ。まあ、名前は実験部屋になってるけど、ありとあらゆる魔法の道具がそろっている場所だよ。魔術実験室の魔法版と言った方がお前には分かりやすいか?」


 それで大体分かる。麗佳も専用の魔術実験室を持っているからだ。開いている部屋にオイヴァが作ってくれた。魔術の授業は座学も含めてそこで行われている。ある程度の実力がついたら王国魔術師の称号も与えてくれると言っていた。


 オイヴァは麗佳の魔術の腕に期待しているらしい。だから、わざわざ麗佳の教師として、イシアル王国から魔導師——かなり力を持った魔術師で、いわゆるパワーアップアイテムである『杖』を持つ事が許されている——を呼び寄せてくれた事からもわかる。


 ちなみにイシアル王国とは喜助の言うところの『あいしある』だ。これはその『あいしあるの国』についてオイヴァに尋ねた時に分かった。


 やはり、イシアル王国はヴェーアル王国と友好国だったようだ。でなければこんな人間国宝レベルの魔導師をわざわざ送ってはくれないだろう。


 それより、今の問題はここで何が行われるのか、だ。


 目の前には何もない空間が広がっているだけだ。きっとオイヴァはこの場所で何かをする事を企んでいるのだろう。

 いい加減に教えて欲しい。そういう気持ちを視線に込める。


「何をせかしているんだよ」


 なのに、当の本人はすました顔をしてる。そして何故か腰に手を回された。よくやっているラブラブ演技が何故二人きりの時に始まったのだろう。


「誰かいるの?」

「今はいない。これから来るんだよ」


 首をかしげていると、オイヴァがいたずらっ子の笑みを見せる。そうして詠唱を始めた。現れたのはやけに大きな魔法陣だ。魔術の魔法陣は結構読み解けるようになったが、魔法のはまだあまり知らない。これは何の魔法だろう。


 背景がぼやけていく。そしてそれは少しずつ人の姿を形作る。魔法陣が消える頃には十人以上の男女がそこに立っていた。


「あ!」


 彼らを見て麗佳はつい喜びの声をあげてしまった。


 それは麗佳とオイヴァがこっそりと始めていたヴィシュ対策の第一歩が成功した証なのだった。



***


『え? お前らも魔王……陛下に呼び出されたのか?』

『はい。エルッキも?』

『そうそう。何なんだろうな』

『わたくし達三人がそろって呼ばれるなんて、一体何があったのでしょう。お昼間にはレイカも呼び出されていましたし……。まさか……』

『いやいやいやいや、なんで二人してぼくを見るんですか? ぼくは何もしていませんよ。「まじない師」? の勉強も真面目にしていますし。もしかしてエルッキの鍛錬態度が最悪とか……?』

『おい、何でおれに押しつけんだよ! ひでーだろ!』

『これでおあいこだと思います』

『あー! もー! わかったよ! それでいいよ! 今、仲間割れしてる場合じゃないしな』

『そうですわね。でも本当に何なのかしら』



 会話を聞きながらオイヴァの肩が揺れている。明らかに笑っているのだ。


 麗佳は呆れた様子で彼を見た。今まで『盗み聞き』されていた会話もこうやって笑いながら聞いていたのだろうか。


 オイヴァはそんな事を考えている麗佳を見て、ふふん、と意地悪そうに笑った。どうやら当たりのようだ。


「陛下!」


 少しだけ厳しい声で咎める。もちろん小声だ。使用人や騎士がいるので、国王相手に怒鳴るのはよくない。


「何だ? 何か私に文句があるのか? レイカ」


 なのに当のオイヴァはどこ吹く風だ。二人きりの時ならまだいいが、今はそうではない。


「後ろに人間がいるのですから」

「私が『聞かせる』わけがないだろう?」


 そんな事を得意そうに言われても困る。彼の事だ。きっと見えない防音壁でも張っているのだろう。


「それにしても……」


 オイヴァがため息を吐く。


 彼が何を言いたいのか麗佳にはよくわかる。どうして彼らはまだ魔王に対して怯えているのだろうという事だ。でも、彼らはずっと魔族は怖いものという事を常識として暮らして来た。そして、何があったのかは詳しくは知らないが、一度、今の魔王であるオイヴァと戦ってぼろ負けしたと聞いている。


「陛下があの時たくさん攻撃をしたのではありませんか?」

「簡単な衝撃派をハンニに食らわしただけだ」

「それで十分ではありませんか」


 即答するとオイヴァがうなだれた。すぐに麗佳に反感をもっているオイヴァの騎士達が麗佳を睨む。気持ちは分かるが、落ち着いて欲しい。


「まだ三ヶ月ですわ。何年もの疑いを晴らすのは簡単ではないでしょう。それに陛下だってまだエルッキ達を信用していないのでしょう? こうやってこっそりと話を聞いているのですから」


 自分に置き換えれば分かるでしょう、とまでは言わない。でもここまで言えば伝わるはずだ。


 とりあえず、睨んでくる騎士達が怖いので明るい話に戻す事にする。


「でも、今回の事で、ある程度誤解は解けるのではないかしら」

「だといいけどな」


 まだちょっと落ち込んでいるのかマイナス思考だ。大丈夫だろうか、と心配になる。


 だが、それで今、何をするべきなのか思い出したようで、エルッキ達を部屋の中に入れるように命じた。


 昼間は麗佳がサプライズされる側だった。でも今回はする側。

 彼らがこの呼び出しの理由を知ったらどういう反応をするのだろう。そう考えると何だかワクワクする。きっと昼間のオイヴァも同じような気持ちだったから上機嫌だったのだ。


 エルッキ達が緊張した様子で入ってきた。そして、オイヴァの隣に座っている麗佳を見て目を丸くする。


 だが、この国の国王であるオイヴァを無視して麗佳に話しかける事は出来ない。それは三人とも分かっていることだ。黙って膝をついた。


「よく来たな、エルッキ、ヨヴァンカ、ハンニ」


 オイヴァが優しく話しかける。ヨヴァンカが名前呼び捨てなのは、もう彼女が『侯爵令嬢』ではないからだ。


「私共に何か御用でしょうか、陛下」


 三人を代表してエルッキが尋ねた。


 オイヴァは唇に静かな微笑みを浮かべている。前に敵だった頃に麗佳達に向けていた笑みよりは穏やかに見える。だが、対する相手がリラックスするほどには優しくない。


 この笑みを見るたびに王様は大変だなと思う。でも、これは麗佳には他人事ではない。王妃になったら、公式の場で同じような笑みを浮かべなければならないのだろう。


「お前達に会わせたい者がいる」


 その言葉に三人はさらに緊張したようだ。全く見当がつかないのだろう。


「それはどういう方なのでしょうか?」


 ガチガチに緊張した状態で、ヨヴァンカが尋ねる。本当ならここで種明かしするべきなのだろう。


「それは会ってからのお楽しみだ」


 なのに、オイヴァはまだじらしている。


 もーっ! この魔王様は! という言葉を麗佳は必死で飲み込んだ。ある程度は雰囲気がくだけているが、ここは一応公式の場だ。感情はなるべく隠さなければいけない。これも王妃になる勉強の一環だ。


 だが、オイヴァの方が子供っぽい事をしていると思うのは気のせいではないだろう。麗佳は心の中だけで呆れのため息をついた。


 ハンニの魔力を感じる。何か魔術を使っているのだろう。最近勉強している『まじない師』特有の術だろうか。


 そう考えた直後、ハンニが何かに気づいたかのように目を見開く。そして『信じられない!』とでも言うようにサプライズが用意されている方向を凝視している。


「なんだ。気づいたのか」


 オイヴァが明らかにがっかりしたような声で言う。

 エルッキとヨヴァンカはまだ分からないようで困った顔をしている。麗佳としてはそれで十分なのだが、オイヴァには違うらしい。


「もう少しじらしてやろうと思ったが、気づいたのならこれ以上隠しておく必要はないな」


 オイヴァはそう言ってさっと手を一振りして姿隠しの魔法を解いた。エルッキとヨヴァンカの顔が驚きで見開かれる。


「……ベルタ」


 最初に声をあげたのはエルッキだった。彼の目はある一人の女性だけに吸い寄せられている。


 ベルタというのはエルッキの伴侶だ。そしてここにいる人たちが今、この魔王城にいられる最大の原因だ。彼女の存在に麗佳が気づかなかったら、彼女は真っ先に酷い目に遭わされていたかもしれない。なにせ、勇者パーティリーダーの最大の弱点なのだ。


 最初、その事に気づいた時はぞっとした。エルッキ達をおびき寄せるために、エルッキの伴侶に何らかの罪をかぶせてしまう事など、あの俺様王にはわけのないことだろう。


 オイヴァと婚約した次の日に、エルッキの耳に輝いている結婚イヤリングに気づいてよかったと思った。そのおかげでこうして元仲間の家族と再会させる事が出来たのだ。


 ただ、昼間、オイヴァに腰を抱かれたのが、ベルタのやきもち対策だったのには驚いた。エルッキは彼の妻に相当惚れられているらしい。パーティではみんなの保護者的立場だった、と言ったら安心していた。


「おとうさま……おかあさま……おにいさま……おねえさま……」


 ヨヴァンカもぼうっとした表情でそこにいる大切な人たちを呼ぶ。その目に涙がじわりと浮かぶのが見える。


 呼ばれたラヒカイネン侯爵家の男性達はあまりの大きな反応に苦笑している。女性達はヨヴァンカと合わせ鏡のような表情で涙ぐんでいるが。


 侯爵夫人が我慢出来なくなったらしく、ヨヴァンカに駆け寄ってその体を思い切り抱きしめた。


「ああ。ヨヴァンカ!無事でよかったわ。本当によかったわ! 本当にあなたなのね。生きているのね?」


 そんな事を言いながら何度も確認するようにヨヴァンカの顔を見ている。それを見ただけでもオイヴァと一緒に話し合いを頑張ってよかったと思う。


「おい、魔王! 一体どうして……!」


 興奮のためか、エルッキがオイヴァに敬称を使うのを忘れている。

 オイヴァの翻訳魔法がかかっているようなので、麗佳には日本語に聞こえるが、言葉もヴィシュ語に戻っているのは、エルッキが『魔王』とだけ呼んだ事からも分かる。まあ、無理もない。麗佳だって同じ状況に置かれればこうなる。


 オイヴァが一つため息を吐いた。


「嬉しくはないのか?」

「嬉しいよ! だからこそ、何でこんな素晴らしい事をおれたちにしてくれるんだ、と聞いているんだ!」

「お前達はもうこちら側なのだろう。そして未来の王妃の最大の味方だ。良い待遇を与えるのは当たり前だと思うが? それにこの者達を呼び寄せる事はこちらにもメリットがあるしな」


 オイヴァは少し素に戻っているようで楽しそうに笑っている。企みがうまくいってご満悦なのだろう。


「あ、ありがとうございます、魔王陛下」


 ずっと呆然としていたヨヴァンカはやっと我に返ったようだ。そしてそれでも礼儀を忘れないのはさすが貴族令嬢だと思う。


「私はそこまで何もしていないよ。お礼なら私の婚約者か、お前の父親にするんだな。最大の功績者はその二人だ」

「え!?」


 彼らの視線が麗佳とラヒカイネン侯爵にかわるがわる注がれる。あまりに居心地の悪い雰囲気に麗佳はどうしたらいいのか分からなかった。

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