第2章 魔王の妃として

第1話 魔王城での新しい生活

「ではまた明日お勉強しましょう」

「ありがとうございました、先生」


 国語の教師——魔族語と魔族文学を教えてくれる先生なので麗佳はそう呼んでいる——にきちんと挨拶をする。教師は優しそうに目を細めてから出て行った。彼は七百年近く生きているというので、麗佳が幼子のように感じるのだろう。


 教師が出て行くと麗佳は思いっきり伸びをした。


「レイカ様!」


 すかさずマナーの教師に叱られてしまった。そっと肩をすくめるとすぐにまた叱られてしまう。本当にこの親友兼マナーの教師ヨヴァンカは厳しい。


 麗佳がこの魔王城で暮らすようになってから早三ヶ月経った。この何部屋も続くだだっ広い私室で暮らすのも少しずつ慣れて来た。部屋をうつったばかりの頃は戸惑っていたのだが、これが王の婚約者、または王妃の私室と定められているので従うより他はない。確かに王妃が他の魔族より狭い部屋に住んでいたらある意味で問題だ。


 魔族たちは、『勇者』である麗佳が国王の妃になる事に当然ながら難色を示していた。


 特に、城で働く者や、出入りする貴族たちは、麗佳を目にすると嫌みや軽い嫌がらせを仕掛けてきた。


 酷い時には暗殺対象になった事もある。麗佳の食事に毒が入っていた事など一度や二度ではない。その度にオイヴァが厳しい態度で挑んでくれなければ、麗佳はとっくに死んでいただろう。


 もし、魔族の上級貴族の養女にでもなっていれば少しは違っていたかもしれない。

 だが、肝心の魔王の要求が『「勇者」として嫁いでくる事』だったので、麗佳は何の後ろ盾も持っていない。だが、それこそがヴィシュ王国への宣戦布告になるのだと分かっているので文句は言わない。


 その代わり、女官として元々麗佳付きになっていたパウリナを中心としたベテランの者達を、侍女として勇者時代の仲間で友人のヨヴァンカと魔王に忠実な魔族を沢山あてがってくれた。ヨヴァンカはマナーの指導も担当してくれている。

 エルッキは王妃付きの騎士になるために訓練を受けていて、時間が開いているときは麗佳の警護をしてくれている。

 ハンニは最近会っていないが、魔王自ら基礎的な魔術の特訓をしてくれていると聞いている。この間は実力がついて来たと褒めていた。

 そして、彼の得意とする魔術も将来的に伸ばす必要があるので、専用の教師を呼んだのだそうだ。それだけ期待されているのだろう。


 仲間がみんな元気にしていると麗佳も嬉しい。


 なるべく優雅に見えるように歩きながらいつも自室と呼んでいる書斎に戻る。大体、みんなはそこでは気を使って席を外してくれるのでリラックス出来るのだ。


 とはいえ、きちんと警備は外に控えていてくれているのはありがたい。もちろん、しっかりと魔王に忠実な者たちだ。もし、麗佳が襲われて悲鳴を上げたらすぐに駆けつけてくれるのだろう。


 最初は彼らも勇者である麗佳を嫌っていた。魔王陛下をたぶらかしているのだろう! と直接言われた事もある。だが、ずっと麗佳の様子を見るにつれ、態度が少しずつ変わっていった。


 これはありがたいが、麗佳の努力ではない。魔王兄妹に少なからず振り回されている麗佳に同情しているのだ。


 本当の事を言えば、たくさんの勉強をこなしたリ、こちらの宗教に改宗したりして、何とかこの国の風習になじもうと努力している麗佳を見て見直した、というのも彼らの態度が良くなった理由なのだが、麗佳は気づいていなかった。それは彼女にとって当然の事だからだ。


 ついでに言うなら魔王とその婚約者による『ラブラブ演出』が演技で、彼らが『魔王と勇者』の同盟らしきものを結んでいるだけだという事が彼らにはバレバレになっているという事も二人は気づいていなかった。気づいていたらお互いの下手な演技の責任を相手に擦り付けていただろう。


 まあ、警戒されないなら、麗佳にとっては問題が少なくなって安心だという事なので問題はない。


 それより今の麗佳には、そんな事を気にしている余裕はない。


 この後は婚約者同士の交流という名のプチ会議、そしてその後は魔術の授業が待っている。それまではのんびりしていたい。


 ウキウキと魔法の金庫に手をかける。魔力認証式になっていて、麗佳にしか開けられないものだ。


 中から分厚い封筒を取り出す。まだ一つしかないが、これからこの封筒は増えていくのだ。今日こちらから送った二通目をみんなは今頃読んでくれているのだろうか。そう思うとつい笑みがこぼれてしまう。本当にオイヴァには感謝するしかない。


 何度読み返したか知れない、大切な手紙だ。


 そっと封筒を抱きしめる。遠くにいる彼らを感じられるように。


「何をしているの? 義姉上あねうえ


 なのに、すぐに邪魔が入ってしまった。何もやましい事はしていないのに、つい手紙を金庫にしまってしまう。


 案の定、侵入者であるリアナは眉をひそめた。


「何を隠したの?」

「ここで何をしているのです、リアナ」


 厳しい声になったのは、リアナがこうやってこっそりと麗佳の部屋に来る時というのがどんな時なのか分かっているからだ。


 このまま放っておけば、オイヴァが駆けつけ、麗佳の部屋でまた兄妹喧嘩が繰り広げられるのは分かりきっていた。


 だが、麗佳が返答をしないで別の質問で返した事は未来の義妹の機嫌を損ねてしまったようだ。


「まずあたくしの質問に答えて!」

「魔王陛下が言うなって言っているから言いませ……言えません?」


 どっちだったっけ? と考えてしまう。まだ麗佳は魔族語はそこまで得意ではないのだ。おまけにリアナに『言う』ばっかりね、とつっこまれてしまった。


 日本語だったら『魔王陛下に口止めされてるから駄目』ですむのにな、とつい考えてしまう。


「義姉上、通訳魔術を使えば?」


 そしてそう言われてしまうのは分かっていた。


「いいけれど、多分オイヴァがすぐに飛行して来ると思いますわ」

「兄上が空を飛んで来るの!?」


 今度は通じなかった。こちらには『急いで来る』という意味での『飛んでくる』という表現はないらしい。


「空は飛んで来ないけど、オイヴァはわたくしが何の魔術を使うのか確認しているはずですから。通訳魔術を使うのを許すのはオイヴァとリアナしかいませんし」


 まあ、オイヴァなら許可する前に自ら通訳魔法を使ってくれるのだが、同じ事だ。


 リアナが困ったような顔をした。

 今、リアナは授業をサボった上に、侍女に隠れてここに遊びに来ている。それが知れてしまってはまたお叱りを受けるに決まっているのだ。


「『リアナ、またここでレイカに迷惑をかけているのか』『別にいいでしょ、兄上のケチ!』『ケチとかそういう問題じゃない! 大体お前はな……』」

「ちょ、ちょっと、レイカ! 再現しないで頂戴!」

「あ、話してたの? ごめんなさい」


 回想していたら口に出していたようだ。大体、いつも同じやり取りなので覚えてしまうのだ。それに最近は言葉の勉強のためにいろんな会話を覚えるようにしているせいもある。


 リアナは明らかに焦っている。麗佳の事を『義姉上』と呼ぶと決めたのを忘れてしまっているのがその証拠だ。


 すごく悪い事をした。麗佳はもう一度謝る。


「それで今日は何があったんですの? リアナ」


 リアナが授業をサボって麗佳の所に遊びに来るのはいつもの事だ。それでも彼女は普段は麗佳の事を『義姉上』とは呼ばない。まだリアナは麗佳の事を将来の義姉と認めていないからだ。そう呼ぶ時は大抵甘えたい時と決まっている。


 麗佳の予想通り、リアナはしゅんとうつむいた。それでも何も言わない。きっと我慢しているのだ。


「しょうがないなあ」


 日本語でひとりごちる。リアナが不思議そうな顔をするが、そのままにしておく。そして隣の部屋で待機していたヨヴァンカの所に行ってお茶の支度をお願いした。本当なら呼びつけなければいけないのだが、そこらへんはまだ慣れない。


 ついでにこっそりとオイヴァが来たらこの部屋で時間稼ぎをしておいて、と頼んでおいた。


 大丈夫? という目を向けられるが一応頷いておく。


 これでリアナが麗佳に甘えるのを邪魔する人も魔族もいないだろう。責任もお叱りも麗佳がかぶるつもりだ。


 大体、麗佳は、魔王の言いつけである『リアナを実の妹のように大事にしろ』という命令を忠実に守っているだけなのだ。まあ、こんな風に子供っぽい事をしてくる未来の年上の義妹が可愛く思えて来たのも本当なのだが。


 それより今はリアナが直面している問題を何とかしなければいけない。


 この様子だと、また、オイヴァ王に可愛がられている王妹が気に食わない貴族令嬢にねちねちと嫌みでも言われたのだろう。


 麗佳からしてみれば、彼女たちはただの馬鹿である。王の愛妹をいじめる事で、王の寵愛が得られると思う方がおかしい。


 ちなみに、オイヴァと三ヶ月後に結婚する麗佳も、彼女たちからいじわるを言われた事がある。大体は外見についての嫌みだったので、オイヴァに言いつけるぞ、と暗に警告したら黙った。もちろん表向きにはそんな酷い事は言っていない。国王陛下好みになるにはどうしたらいいか本人に聞いてみると言っただけだ。ついでに彼女たちから『アドバイスをいただいた』事も話す、と告げた。


 当然この話は『笑い話』としてオイヴァの耳に入っている。ちょっとだけ引いていたみたいだが気にしない事にした。その会話を聞いていたパウリナに、今、王都で密かに流行し始めている髪型を教えてもらったのでむしろ得した。


 この未来の義妹にはそれが出来ないのだ。だから落ち込んでしまう。


 それに関して麗佳が出来ることはこうしてお茶に付き合ってあげる事だけだ。


 ただ、その令嬢の中にはリアナを陥れて死なせようと考えた者がいる。ずっと考えていたわけではなくても、少なくとも一度は頭に浮かんでいたはずだ。それに関しては水面下で麗佳とパウリナが調べている。


 ただ、その者がいなければ麗佳は今頃投獄されていたはずだ。でもそれとこれとは違う。オイヴァの署名を知らせなかった愚かな行為は『罪』にあたる。そしてそれを許すほど『未来の魔王妃様』は慈悲深くはないのだ。


 これもオイヴァにも軽くだが話してある。麗佳が魔王城に来た時の事で気になる事があるから調べたい、と言ったら快く許可してくれた。


「義姉上?」


 そんな事を考えていると、リアナに呼ばれる。


「何?」

「どうしたの? ぼうっとしていたけれど」

「ここに来てからいろんな事があったと思って少し回想していたのよ」


 それだけを言った。すかさず『年寄りくさいわ、義姉上』と言われる。そうかもしれない。でもいろんな意味でそれ以上言えないのだ。


「最近と言えば、兄上が厳しくなって……」


 いつもの愚痴が始まった。最近、リアナは王の跡取りとしての教育を受けている。そしてしょっちゅうこうやってサボってはオイヴァに叱られている。今までのんびりと——病身の父がいたとはいえ——暮らして来たぶん大変なのだそうだ。


「義姉上は勉強嫌いそうじゃないわよね。慣れてる?」

「ここに来る前は学生でしたから。毎日勉強していたもの」


 そんな風に他愛もない話をする。今のような日常の愚痴からファッションの話、軽い噂話をする事もある。そうやって女子会でストレスを発散するのだ。


 だが、こういう楽しい時間は長くは続かない。二十分くらい経った頃、ドアをノックする音がした。リアナが息を飲んで、すぐに魔法で姿を隠す。麗佳は自分の使っていたティーカップを中央の読書テーブルから勉強机に移動させた。両方とも自分が飲んでいたというカムフラージュだ。


「はい」

「レイカ、リアナはここに来ているんだろう?」


 訪問者はオイヴァだった。いつもはリアナの侍女が先に探しに来るのにどうしたのだろう。


「いいえ。リアナは来ていませんわ」

「そう? じゃあリアナの魔力の気配がするのは?」


 後ろでドレスのサッシュを掴まれるのを感じる。麗佳は後ろ手でリアナの手をぽんぽんと軽く叩いた。義姉上がかばってあげますよ、というしるしだ。


「いいえ。リアナは来ていませんわ」

「入るぞ」


 麗佳の次の返答は無視してドアが開く。ヨヴァンカはどうやら勝てなかったらしい。


 入って来たオイヴァはすぐに麗佳の腰のあたりに目をやる。そしてため息を吐いた。


「姿隠しの魔法が私に通じると思っているとはな」

「陛下、それは幻影ではありませんか?」


 そう言いながらこっそりと魔術で重ねがけをしようと試みる。だが、オイヴァが魔力封じの魔法を麗佳にかける方がはやかった。


「あ……」

「リアナを甘やかすな、レイカ。罰として魔術の授業までこのままにしておく」

「……ええ。分かりましたわ」


 してやられた。おまけにリアナの魔法もしっかり解かれている。もっとはやめに重ねがけをしてあげるべきだった。


「ごめんなさい。リアナとお話がしたくてわたくしが呼んだのです」


 それでも諦めるつもりはない。先ほど庇ってあげると約束したばかりなのだ。


 オイヴァはそんな麗佳の様子を見てため息を吐いた。これも見抜かれているようだ。


「だったらこれからこんな事はないようにしてくれ。リアナも授業があるんだ」

「申し訳ありません、陛下。これから一緒の休憩時間にお茶をする事にいたしますわ」


 本当はお互いの休憩時間は大体ずれていて重なり合う事はない。つまり休憩時間を合わせてくれとお願いしているのだ。


「分かったのならいい」


 ため息を吐かれる。でも麗佳の言っている意味は分かったようで『仕方のない奴だな』とつぶやかれる。どうやら休憩時間を合わせるように検討してくれるようだ。


 だが、リアナがこれ以上授業をサボるのは許さないようで、さっさと彼女の侍女の手にゆだねられている。当たり前だ。


「リアナ、またお話しに来てね」

「はい。ありがとう、義姉上」


 自業自得なのだが、さすがに可哀想なので優しく見送っておく。ただ、リアナの『ありがとう』は余計だと思う。これでは麗佳の努力が台無しだ。その証拠にオイヴァの視線が麗佳に鋭く突き刺さる。


「レイカ」

「あ、はい。何でしょう?」

「お前は魔術の授業まで私の部屋にいろ。今度は何するか分からないから」


 突然日本語が聞こえてくる。どうやら通訳魔法を発動してくれたらしい。


 それにしても酷い言い草だ。まあ、そろそろリアナの問題をオイヴァに話さなければいけないからちょうどいい。


 国王とその婚約者の微妙な雰囲気が分かったのかオイヴァの従者が席を外した。それを視線で追ってからオイヴァはため息を吐く。


「ごめんな、妹が」

「ううん。誘ったのは……」

「猿芝居はもういいだろう」


 ばっさりと切られる。麗佳はそっと肩をすくめた。

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