第21話 耳に輝く契約の証
オイヴァが小箱を持って麗佳の部屋を訪ねて来たのは麗佳が残ると意思表示をした日の晩、それもそろそろ寝ようかと思っていたほど遅い時間だった。
「このお人好し」
そして彼の口から出た第一声に苦笑する。
「何がですか? 魔王様」
とりあえずとぼけてみる。ついでに彼が嫌がる敬語もプラスした。間違っても先ほどまで一人で泣きじゃくっていたなんてそぶりは見せるつもりはない。オイヴァの顔を見た途端、少しだけ恐怖が蘇ってきた事も。
自分はこれからその感情を押さえていかなければならないのだ。オイヴァへの恐怖心は少しずつ薄れてきているからいずれ消えるだろう。彼自身は『敵対しなければ』そんなに恐ろしい存在ではないのだ。
ただ、案の定、オイヴァは眉をひそめた。
「お前、分かって言っているだろう」
もちろん麗佳は分かって言っている。でもそれくらいはさせてもらいたい。
昨日、オイヴァは何もかも見透かすような顔で笑い、冷たく言い放ったのだ。
——私に決めさせようとするな。自分で決めろ。
と。
きっとオイヴァは麗佳がしようとしてた質問を分かって言っていたのだ。
——これでもオイヴァは私を元の世界へ帰そうと思う?
あれは卑怯な質問だった。しなくてよかったかもしれない。
だから自分で一日ゆっくり考えて決めた。そしてそれを今日の夕食の時に態度で示した。それだけだ。
オイヴァは、麗佳が昨日はずっと塞ぐだろうと考えて、そろっての晩餐を今日にしたのだろうか。だったらその通りだった。でもそこまで見透かされたのはあまりいい気がしない。
選んだ選択には後悔はしていない。でも家族を見捨てるようで悲しい。それでも、記憶をなくして、大勢の命がなくなるかもしれないのを見捨てるよりはまだ穏やかな気持ちでいられるはずだ。
麗佳の記憶がなかったとしても勇者は次々と召喚されてしまうのだ。あの俺様王とその子孫によって。
そして麗佳は元の世界で『行方不明者』のニュースを見るたびに理由も分からない心の痛みに苛まれるのだろう。それがたとえ召喚者ではなかったとしても。
そんなのは嫌だ。だから残る。それだけだ。
「いいんだな?」
「はい」
「この世界に残って私と結婚するんだな?」
「はい」
「『王妃』として」
「……はい」
最後のやりとりは余計だ。こういう時にからかうのはやめて欲しい。ただ、麗佳も先ほどからかったのでお互い様だ。
「どうして気が変わったのか聞いてもいいかな?」
そして急に真顔になるから困る。でもこの質問は重要だ。だから正直に答える。
「このお人好しが!」
なのに、先ほどと同じコメントが来るのは何故だろう。おまけにどこか怒っているように見える。
「レイカ、勇者はあちこちの国からくるんだぞ。間違いなく会った事もない奴の方が多いだろう。そんな奴のために自分を犠牲にするのか?」
麗佳は下を向いて小さく笑った。まさかその『命』の中に自分たちが入っている事など考えもしていないのだろう。失いたくない『命』はむしろそっちの方だと気づきもしないのだろう。
でもそんな事は言わない。言ったら彼のプライドを傷つける事になる。だから別の理由を話す事にした。
「オイヴァは、もし私が記憶を消さないまま帰って、たまにこっちに来て協力したい、なんて答えはお気に召さないでしょ?」
最初はそんな未来を思い描いていた。いや、思い描きかけていた。オイヴァの爆弾発言によってその可能性を壊されてしまうまでは。
今考えれば、そう簡単に往復など出来ないのかもしれない。
「そんな事を言われたら『中途半端な事をするな!』と怒ってさっさと記憶を消していただろうな」
言わなくてよかったと心から思った。
安堵の息を吐いていると、オイヴァが小さく笑う。
「話そう。座っていいか?」
そう言われて、お互いに立ったまま話をしていた事を思い出す。王を立たすなんて失礼にもほどがある。慌てて一番座り心地のいいソファーをすすめた。すぐに隣をすすめられるのは将来結婚する相手だからだろうか。少し気恥ずかしい。
「お前はそんなに後の勇者を助けたいか?」
「だって腹立つじゃない。私たち異世界人はヴィシュ王国のおもちゃじゃないのに」
「それは確かにな」
そう言いながらも、『会った事もない人間によくそんな優しい気持ちが持てるな』と呆れた声で付け加えるのは、完全に納得がいっていない証拠だ。
「それで? 私の協力がいるのか?」
麗佳は静かにうなずいた。オイヴァがため息をつく。
「『魔王』によくそんなお願いが出来るな」
「でも、そっちにもメリットがあるって昨日言ってたじゃない」
そこを指摘するとオイヴァは苦い顔になる。
「あるよ。協力して勇者の攻撃を防げるなら、それは同時にこの国を守る事になるからな。ただ……」
「弟さんの事?」
言葉を濁してしまったので確かめる。オイヴァは露骨に嫌そうな表情になった。
「辛い事を思い出させるな」
「ごめんなさい」
一応謝っておくが、反省はしない。麗佳が言ったのは重要な事だ。
「そんな人間は『助ける対象』には入ってないの。助けられるべき人間だけ助ける。全員助けるなんて、それこそ大変でしょ?」
麗佳の言葉にオイヴァは頷いた。
「ああ。それは追々考えていこう」
まずはその『部屋』の確認をしなければどうしようもない、と言う。それは当たり前の事だ。
オイヴァの予想では、その部屋は魔王城からも行けるようになっているだろうとの事だった。いちいちヴィシュに行って口を出すほど王は暇ではない。それは今、オイヴァが『魔王』であるからこそ言える言葉だろう。
それで、近いうちにその部屋を探す事で話がまとまる。
「ところで、オイヴァ」
そこまで話して、麗佳は大事な事を聞いていなかった事を思い出す。魔族の王妃になるには知らなくてはいけない事を失念していたのだ。知らなくても麗佳自身には問題はない。それで魔族への偏見が強まるとかそういう事はない。
「何だ?」
だからこそ呼びかけが軽く感じたのだろう。何でもないようにオイヴァも聞き返す。
「あの……魔族と人間ってどう違うの?」
麗佳がそう聞いた瞬間、オイヴァが文字通り目をまんまるく見開いた。
「お前、今頃何を言っているんだ」
「だって瞳の色以外何も変わらないように思うんだもん。でもオイヴァの婚約者になるなら知っておかないとって思って」
「ラヒカイネン嬢に聞かなかったのか? ……ああ、父上の外見すら知らなかった奴か」
「それは……」
最後にさらりと言われた厳しい言葉についつまってしまう。そういえば、オイヴァはラヴィッカでの会話を盗聴していたのだ。
「ごめんなさい」
つい謝罪の言葉が出てしまった。吐かれたため息の深さが、彼の呆れをしっかりと表している。
それでも話す体勢になるのはそれがいかに重要か分かっているからだろう。
オイヴァの説明によると、魔族というのは、麗佳のいたのとは違う異世界の生き物とこちらの人間の混血なのだそうだ。
その生き物も人間に近い外見なのだが、魔力の種類が違う、そして何千年もかけて混じり合った結果、今の『魔族』という新種の生き物に進化していったらしい。
「まあ、詳しくは歴史の授業を受ければ分かるだろう」
当然のように言われた言葉に麗佳は驚く。
「歴史!?」
「あと魔族語はもちろんの事、他国語、文字、算術、地理、経済、他にもいろいろ学んでもらわなければいけないな」
「そんなに!?」
「当たり前だろう。お前はこれから魔王妃になるんだ。ある程度の知識は持っていてもらわないと困る。近いうちに教師をつけるから」
「あ、はい」
それしか言えない。語学は通訳魔術があるから大丈夫だと思うが、いちいち魔術を使って会話する王妃なんて格好がつかないのだろう。
それにしても数日でいろんな事が起きた。一ヶ月前の自分に、あなたは魔族と共に生きる事になるのよ、と言っても信じなかっただろう。
オイヴァが訝しんだような顔をするので正直に話す。
「確かにそうだな。一ヶ月前の私もまさか『勇者』を娶るなんて考えてもいなかったからな」
即座に言い返される。麗佳とオイヴァは顔を見合わせて笑った。
ひとしきり笑って一息ついてから麗佳はまだ大事な事をオイヴァに言ってない事を思い出した。次に会ったら絶対に言おうと考えていたのにすっかり忘れてた。
「あの、オイヴァ」
「ん? また質問?」
困った子だ、というように笑う。そんな子供扱いされるのは嫌だ。
「そうじゃなくて! その……ヨヴァンカ達の事、ありがとう」
麗佳は昨日のうちに、ヨヴァンカ達の命の保証を頼んだ。そうでなければ三人はヴィシュで死ぬはめになっただろう。条件を飲んでくれてよかったと安堵する。ただ、麗佳のように家族と会えない状態になってしまうのは申し訳ない気もする。
「ラヒカイネン侯爵あたりは婚儀に呼ぼうか」
そう言ってくれるのはありがたい。
ありがとう、と重ねて言う。
「他ならぬ『可愛い婚約者』の為だからな」
そう言ってウインクするあたりずるいと思う。
「それからお前も……」
ぽつりとつぶやく。
麗佳も何だと言うのだろう。
今の話の流れで言えば、家族に会える可能性があるという事だと推測も出来るが、それは無理な話だ。
そんな事を考えている麗佳を見て、オイヴァは小さく笑った。
「レイカ、他国の王妃は結構積極的に母国と交流を持っているんだよ。それが時には国の後ろ盾にもなる」
それはいい考えかもしれない。でもそれは麗佳には当てはまらない。
「それで、そういう前例があり、異世界へ往復出来る魔法がある以上、お前も同じような扱いにしなければいけないと思ってるんだよ。結構魔力がいるから基本的には手紙のやり取りだけになるが、一、二年に一度くらいは一時帰還を許そう。来てくれるのなら婚儀にも来てもらえ」
信じられない言葉に麗佳は瞠目した。往復など出来ないと思っていた分、驚きも大きい。
「いいの?」
「妃に不遇を強いる駄目な魔王だと周辺諸国に陰口は叩かれたくないからな」
口調は渋々というように聞こえるが、口元は優しく緩んでいる。
「あ、ありがとう」
なのに、麗佳の口からはそんな簡単な言葉しか出て来ない。
これで文句はないな、と改めて確認される。文句どころか、どれだけ感謝してもし足りないくらいだ。諦めていた家族との交流すら許されたのだから。
「そのかわり、きちんと魔王妃としての仕事はしてもらうぞ。私はお前をお飾りにする気はないからな」
ここまで優しくしてもらって頷かないのはおかしい。何度も何度もうなずきまくっていると、オイヴァがおかしそうに笑った。確かに今の自分はこけしみたいだった。
「じゃあいいんだな?」
オイヴァはそう言って持って来ていた小箱の蓋を開ける。中には紫色の小さなピアスらしきものが二組入っていた。とはいえ、
「これ何?」
「婚約の証だよ。そっちではないのか?」
どうやら婚約指輪のようなものらしい。
麗佳がそう言うと、オイヴァは驚いていた。世界が変われば婚約の仕方も変わるらしい。お互いに感心してしまう。
つけるぞと言われ、頷くと、オイヴァはピアスのようなものを取り出し、麗佳の耳に当てる。三秒くらい経ってから手を離すと、もうピアスは耳に固定されていた。反対側の耳にも同様につけてくれる。
次は私の番、といわれ戸惑う。ただ耳飾りを当てて魔石に魔力を込めればいい、と言われたのでその通りにする。
それにしても魔力のない人間が婚約する場合はどうするのだろうか気になる。後でヨヴァンカにでも聞いてみようかと考える。
「じゃあ、これからよろしく、『勇者殿』」
改めて言われる。
「こちらこそ、よろしくお願いします、『魔王様』」
「レイカ、敬称つけるときは『陛下』な」
「……あ、はい」
まだまだ前途多難だ。まだ少しばかりくすぐったい耳をそっと撫でながら麗佳はそっと苦笑した。
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