第20話 麗佳の出した答え
レイカが元の世界に帰る。それは当たり前の事だ。なのに、ヨヴァンカはその可能性をすっかりと失念していた。
レイカ自身はまだ分からないと言っていた。だが、故郷に帰るという幸運を逃すはずがないだろう。
異世界から人を呼ぶ魔術ではない、異世界に行く為の魔術。まだヴィシュでは魔術式が上手く出来ていないと聞く。
それを何故魔族が作っているのだ、と不思議に思う。もしかしたら、魔族を倒した後、その技術を奪うつもりだったのだろうか。そう考えればつじつまが合う。
だが、今、レイカ達は魔王に捕らえられている状態だ。かろうじて牢には入れられていないが、城から出る事は許されず、魔王の庇護下という名の監禁状態に置かれている。
それはものすごい屈辱だ。
そんな弱い自分たちをあの新しい魔王は嘲笑っているのだろう。
——情けない。そんな風だから私につけ込まれるんだ。私が気まぐれを起こさなければ、四人ともこの手で始末されていただろうよ。
彼がまだ王子だった頃に言われた言葉が蘇ってくる。本当にその通りなのだ。
——この城で大人しくしているのなら命だけは保証してやろう。でもここは『魔王城』だという事、そして、今は私が『魔王』だという事を忘れるな。私に逆らったら今度こそお前達の命はない。
地下牢から出された時に脅された事も思い出す。いや、あれは脅しではなく本気の言葉だ。
「どうしたの? ヨヴァンカ。ぼうっとして」
なのに肝心の勇者であるレイカはのんびりとしている。隣でのほほんとナプキンを広げている姿を見るとため息をつきたくなる。何を能天気な! と叱りつけたいが、同じテーブルに魔王がついているのでそれも出来ない。
それもヨヴァンカが困っている原因だった。何故か今日の晩餐は魔王兄妹と一緒にとる事になってしまった。これは監視が強まってしまったのだろうか。レイカは『誤解は解けたから大丈夫! オイヴァはもう怒ってないよ!』と言っていたが、この様子では本当かどうか分からない。
ヨヴァンカが注意深く見れば、レイカの手が緊張で軽く震えているのが分かっただろう。だが、ヨヴァンカがそれに気づくには緊張度合いが強すぎた。
ただ、レイカが震えていたのは、こんな立派な正餐をマナー通り食べられるか不安、という理由からなので、やはり知っていたら叱りつける事になっていただろうが。
魔王がこちらを見て馬鹿にしたように小さく笑ったのは気のせいだろうか。お前は私には敵わないんだ、と言われている気がして嫌な気持ちがする。
そのタイミングで給仕がお酒の好みを聞きに来た。魔王は黒ファラゴアのお酒を、魔王の妹はお酒が苦手らしくジュースを頼んでいた。エルッキはいつもは麦酒派だが、正式なディナーの席ではまずいと思ったらしく、魔王と同じものを注文した。
「勇者様はお酒は飲まれますか?」
次はレイカの番だ。レイカはいつもはジュースを飲んでいる。彼女の住んでいた国の成人年齢が二十歳らしく、この世界でも前の世界のルールは守らないと、と言っていた。
だから今回もオレンジジュースか何かを頼むものだと思っていた。
「じゃあ……初心者にも飲めそうなお酒ってありますか? あるなら飲んでみたいです」
おずおずと切り出された言葉に、その場にいた魔王の妹以外の目が彼女に集中する。この様子だと魔王もレイカがお酒を飲まない事は知っているのだろう。
一瞬、魔王の表情が柔らかいものになった。どこか嬉しそうだ。だが、その直後にやはり一瞬だけ複雑そうな顔をする。
この表情の変化は一瞬の出来事だったから他の人には分からなかっただろう。
それにしてもレイカはどうしたのだろう。異世界最後の時くらいお酒を試してみようと考えたのだろうか。
「だったらオブメーラのスパークリングはどうだ? 軽い飲み口のものがある。度数も低いし、悪酔いもしないはずだ」
魔王は何事もなかったかのようにレイカにお酒を勧めた。レイカは素直にお礼を言ってそのお酒を頼んでいる。
その後、ヨヴァンカは炭酸水を、そしてハンニはブランデーをそれぞれ頼んだ。
給仕は魔王から順番にお酒を注ぐ。だが、エルッキの番になった時、魔王がそれを制した。そしてレイカに向き直る。
「レイカの酒は私が注ごう」
それで目を見開いたのはヴィシュの人間三人だ。
オブメーラという果物は心臓の形によく似ているので『愛の果実』と呼ばれている。それがいつから呼ばれているのかはヨヴァンカはよく知らない。少なくとも百年前くらいにはもう呼ばれていたという。
そして、身分の高い男性が、給仕でもないのに、未婚の女性にオブメーラの酒を注ぐのは『求婚』の意味を持つ。文字通り『愛を渡す』のだ。それで女がそれを飲めば承諾した事になってしまう。
まあ、魔王は魔族なのでそんなオブメーラの隠れた意味など知らないのだろう。ヨヴァンカ達が気にしすぎなのだ。その証拠に魔王の妹は落ち着いている。
レイカは他の人と対応が違う事に首をかしげていたが、少しだけ何かを考えた後に勝手に自分だけで納得してしまった。おまけにお礼まで言っている。なんて呑気な、と頭を抱えたくなった。
それにしても何故魔王はレイカにだけお酌をしたのだろう。もしかしたらお酒に何かを入れたのだろうか。でも、そんなそぶりは見られなかった。
レイカはいつも通りそっと手を重ね合わせ、小声で食前の祈りの言葉を口にする。異世界の祈りなので意味は知らない。でも食前と食後の祈りをかかさないのはそれだけ信心深いのだろう。
魔王がそんなレイカの様子をちらりと見たのが気になる。
それより驚いたのが魔王兄妹が当然のようにフレイ・イア教の食前の祈りを口にした事だ。不自然な所がないのは習慣になっているのだろう。
この食前の祈りはヨヴァンカは時々やっているが、エルッキとハンニはしない。ヴィシュ王国はフレイ・イア教を国教にしているとはいえ、あまり国民は信心深くはないのだ。
だからこそ、今回の魔王兄妹の行動には驚いた。
それぞれの祈りが終わり、食事が始まった。
レイカは美味しそうに料理を口に運んでいる。笑顔過多になる上に使われている主な材料などを聞いているので、気に入った料理が分かりやすい。
それにしてもレイカは能天気だと思う。もうちょっと魔族に警戒心を持って欲しい。どんな罠が張られているのか分からないのだ。
だが、ここは魔王城なのでそんな忠告も出来ない。ここでされた会話は全部魔王に筒抜けになっているはずだ。
ただ、緊張しているのはヨヴァンカだけに見える。みんなは何事もないように食事をしているだけだ。
魔王が彼の妹に魔石がどうとか話しているのが聞こえる。何の事か気になるが、何せ小声なのでよくわからない。貴重な情報かもしれないので聞こえないのがもどかしい。
「そうそう。お前達に言っておかなければならない事がある」
魔王が口を開いた。何を言われるのかと勇者パーティの四人は緊張をする。そんな固くならなくても、と魔王自体は苦笑していたが、そんなのは無理だ。
「前にも言ったが、私たちに危害を加えない限り、お前達の安全は保証しよう。ただ、この国の住人になってもらうという条件は最低限クリアしなければいけないが」
どうだ? と何故かエルッキ、ヨヴァンカ、ハンニだけの目を見て言う。レイカは無視だ。
そして何故かレイカまでもがこちらを見てくる。おまけに心配そうな目をしていた。何故自分たちの仲間であるはずのレイカが今回は魔王の側のような顔をしているのだろう。
「わかった。それ以外おれたちには選択肢がないんだろう」
そしてエルッキが降参宣言をする。ハンニも少し悔しそうに頷いた。
「ラヒカイネン嬢は?」
無視しようとしたが、さらりとふられてしまった。仕方ないので大人しく頷く。
レイカに聞かれないのは彼女が元の世界に帰ってしまうからだろうか。きっと魔王はそれを知っているのだ。
そう考えると寂しくなってくる。隣にいる本人は、何故か妙ににこにこした顔を向けてくるのだが。
「レイカ! そんなしまりのない顔をしないで頂戴!」
たまりかねて注意をすると、レイカが首をかしげる。だからそういう表情がいけないの! と叫びたくなってしまう。
魔王がおかしそうに肩を振るわせている。結構屈辱だ。
「確かにレイカは能天気な態度をよく取るよな」
さらりとそんな風に言われてしまう。おまけに魔王の妹までもが頷いている。さすがのレイカも不満そうな顔をした。
「と、いうわけだから、もっとびしびし言ってやっていいよ、ラヒカイネン嬢」
笑いながらそんな許可を出す。その余裕綽々の態度が腹立つ。
「オイヴァ……」
レイカが情けない声を出した。それを見て魔王はまた笑う。大丈夫なのだろうか、と心配になって来た。
それにしても魔王はとても楽しそうだ。自分の城だからリラックスしているのだろうか。
「レイカ、会ったときから気になっていたけど、兄上の事を呼び捨てにしているのね。仲がいいの?」
ついに魔王の妹に指摘されてしまった。だから言わんこっちゃない、とヨヴァンカは視線だけでレイカを責める。レイカは軽く肩をすくめてそれに答えた。
「最初は様付けにされていたんだが、私がやめろと言ったんだ」
「どうして? そのままでよかったじゃない。兄上って変な所にこだわるんだから」
「敵相手に様付けされるのも気持ち悪いだろう。だから早々にとってもらったんだ」
「私は別に気にしないわ」
「……お前はそうかもしれないけどな。それに、味方についたと言っても彼女はまだ勇者だ。それに今の彼女の表向きの立場は『賓客』だ」
隣のレイカの目が驚きで見開かれた。この事はレイカも知らなかったらしい。
「そうなんで……そうなの?」
「今、『そうなんですか?』と言おうとしたろ」
「ご、ごめんなさい?」
完全にレイカが魔王にからかわれている。少しだけ情けなくなって来た。
それにしても不思議だ。言いかけた言葉というのは、翻訳魔術を使ったとしても言った人の故郷の言葉そのままで聞こえてくる。完全に言葉になっていないからだ。
なのに、どうして魔王には分かったのだろう。魔族特有の術でも使っているのだろうか。
「話を戻すぞ。前にレイカ本人にも言った事だが、レイカの立場はヴィシュ王国への揺さぶりになる。『勇者が魔王側に寝返った』事など今までなかったからな」
レイカが何かを言いたげに魔王を見る。すぐに魔王はレイカを睨んで黙らせた。
エルッキの目が少しだけ厳しくなったのが見える。当たり前だ。どこからどう見ても魔王が勇者を脅したとしか見えない。
なのに、当の本人が苦笑して終わらせているのだからどうしようもない。ただ、少しだけ真顔になったのを見るとある程度は考えているのだろうか。
それにしても何か彼の言葉に引っかかりを覚えるのはどうしてだろう。あの言い方ではまるで、レイカがここに残るようではないか。
「……レイカ?」
思わず声をかける。レイカは穏やかな顔で一つだけうなずいた。
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