第18話 究極の選択
麗佳はぽかんとした顔でオイヴァを見ていた。
「……帰れるんですか?」
自分は相当間抜けな顔をしているのだろう。オイヴァが吹き出した。
「あれは私の冗談だと思ってた?」
そういえば、この城に来る直前にオイヴァとそのような話をしていた事を思い出す。
「あの時は『もしもの話』だって言ったよね?」
「……確かに言ったな」
でもあれは本当の話なんだよ。そう静かな声で言う。
「何であの時はぼやかしたの?」
「信用出来ない奴相手に、こんな大事なカードは完全には渡せないって事だよ」
だから軽くチラ見させて麗佳の反応を見てから引っ込めたらしい。イイ性格をしている。
「本当に帰っていいの?」
「もちろん。まあ、こちらとしては、この国に残ってくれた方がありがたいけど」
最後に冗談めかして付け加えた言葉は本音だろう。でなければ、わざわざ今こんな事を言ってくるはずがない。
「『勇者』が魔王城にいて、魔族に役に立つんですか?」
「そりゃあ、お前は実質こちらに『寝返った』のだからな。お前の存在はヴィシュ王国への揺さぶりになる」
その言葉は同時に『裏切ったら許さない』という意味もこもっているのだろう。
「とはいえ、お前自身は嫌だろうから強制はしない。ただ、選択の一つとして考えてくれればいい」
そんな事を言われても困る。
「ちなみに、そうなった場合、私の立場……魔族の中での私の立場はどういうものになるんですか?」
普通の質問をしたはずだ。なのに、オイヴァは気まずそうに目をそらす。その行動はとても怪しすぎた。
「答えてください、『魔王様』」
どこか責めすぎている気がするが仕方がないだろう。オイヴァは困ったような顔をしている。
「お前がこの国に残る場合、王家の一員になってもらう事になる。それがお前にとって一番安全な道だ」
よく分からない。それは麗佳がオイヴァの養女になるという事だろうか。そう尋ねると嫌そうな表情が返って来た。
「何が悲しくて、魔族の年齢に換算すれば妹とそう年齢の変わらない女を養子にもらわなければいけないんだ。それに、人間を後継者には出来ない」
最後の言葉で納得する。だが、そうなると麗佳の身分は何になるのだろう。
「それより、お前には後継者を産んでもらわなければいけないだろうな」
思い切ったように言われたその言葉に麗佳は目を極限まで見開いた。
「そ、それって側妃になれって事?」
慌てて確認すると、オイヴァが汚らわしいものを見るような目を向けてくる。
「『第二妃』ってどういう意味だ? 私がそんなものを娶ると思ったのか?」
思い切り睨まれる。だが、麗佳にはオイヴァがどうして怒っているのか分からない。
思わぬ反応に慌てている麗佳を見てオイヴァはため息をつく。
「レイカ、お前は知らないかもしれないが、この国はフレイ・イア教を国教としている」
「はい」
「そして一夫多妻など宗教上ではあり得ない事だ。信仰の対象である神が夫婦神だからな。お前の故郷ではどうだったのかは知らないが」
だからあまりよそでそんな事を言うなよ、と注意される。麗佳は素直に謝った。
何でそんな突拍子もない事を考えたんだ、と聞かれたので説明する。麗佳は日本にいた頃、異世界を舞台にした小説を読んでいた事。そこではよく『一夫多妻』の王族が出てきた事。だから『異世界』と言うと『一夫多妻』が浮かんでしまうという事。そして、庶民であり、元敵である麗佳が正式な王妃になれるなんて考えてもいなかったという事。
ついでに日本は一夫一妻の国だから、麗佳も『一夫多妻』には抵抗感がある。だからこそ先ほど確認したのだという事も付け加えておいた。
オイヴァは呆れたようにため息をついた。
「ならいいけど。ちなみにこの大陸のほとんどがこのフレイ・イア教を信仰しているから言動には気をつけた方がいいぞ」
「でもヴィシュはそうじゃないですよね?」
「は? ヴィシュもフレイ・イア教徒の国だが?」
「え? だってヴィシュの王様は綺麗な女の人をたくさん侍らせてましたよ!」
「……へぇ」
思い切り嫌悪感が丸出しだ。それだけ『ありえない』事なのだろう。
「『魔族みたいな化け物はフレイ・イアの世界に相応しくない』と勇者をどんどん送りつけてくるヴィシュの国王が女を侍らしているとは……」
思い切り声が低い。でもそんな理由なら嫌悪感を持つのも当たり前だろう。
「というわけでお前がここに残る場合、与える地位は『王妃』だから。そして他に妃を娶るわけがないから。安心するように」
話が戻る。
麗佳は困ってしまった。先ほどもオイヴァに言ったが、麗佳に王妃などいう高い地位がつとまるとは思えない。というか魔族の国民から反対意見は出ないのだろうか。
「本当に私を王妃にして大丈夫なんですか?」
「嫌なら帰ればいい」
さらっと吐き捨てられた。オイヴァの本心がさっぱり分からなくて困る。
「実際お前も嫌だろう。やっと『魔王との戦い』という緊張感から逃れられたのに、今度は新しい恐ろしい魔王によって召喚国への宣戦布告に使われる。私が同じ立場だったら『ふざけるな!』って激怒するだろうな」
オイヴァだったらそうだろう。
「だから、帰ればいい。こんなお前にとって最悪な世界の事なんか忘れて、何もなかったかのようにやり直す事が出来る。またご両親の元で幸せに暮らす事が出来るんだよ」
それはとても魅力的な話だ。両親も姉もとても心配しているだろう。『一体全体今までどこに行ってたの!?』と叱られてしまうに違いない。でも、それ以上に喜んでくれるだろう。麗佳だって家族と一緒にいられるのは嬉しい。
大学は退学扱いになっているだろうか。そうしたら、バイトをしながら勉強して、また受験しようかと考える。夢を諦めてしまうのは惜しい。前から取りたかった資格もまた目指す事が出来るかもしれない。
そしてもう一度元の世界での生活をやり直すのだ。
何だか未来が幸せな事のように思えてくる。
「ご所望ならこの世界にいた記憶も消してあげるから」
だが、オイヴァの次の言葉で麗佳の幸せに冷や水が浴びせられた。
「記憶を……消す?」
「そうだよ。さっきも言ったけど、この世界の事はお前にとっては最悪の連続だっただろう。とくに最後の数日間の事は悪夢のようだっただろう?」
「そんな事思ってなんか……」
「そうか? 突然見知らぬ恐ろしい魔族の男に脅されて、何とか彼を説得して魔王城に行ってみれば、その男が魔族の王子だと知らされ、おまけに城の中は彼の仕掛けた罠でいっぱい。それをくぐり抜けて魔王の事に行ってみれば、魔王は病身で。だから精一杯看病したのに、最後には誤解をした魔族の王子によって瀕死に追いやられる。おまけに新しい魔王になったその男によって、対ヴィシュの旗印にされそうになっているんだぞ。そして、魔王妃などという責任まで負わされそうになっている」
そんな事ない、と言いたかった。それはさすがに自分を卑下しすぎている、と。
でもそれは麗佳が彼の行動の背景を知っているからなのだ。とは言っても全部を知っているわけではない。ここまで麗佳の知らない苦労もあっただろう。
だから、魔王、いや、先代魔王は麗佳にオイヴァを託していったのだろうか。大きな責任を全部自分で背負い込んでしまう不器用な彼の息子を。
——何かしたいというのなら私より『未来』を……オイヴァとリアナを、そしてヴェーアルの国民を守ってくれ。
——レイカさん、オイヴァを頼んだよ。
先代魔王の言葉が蘇ってくる。
麗佳がこの世界に残れば何かが変わるのだろうか。
でもそうするのは家族に再会するのを諦めるという事にもなる。
「……てやる。そうすれば元通り……レイカ?」
オイヴァはずっと記憶を封じる事の良さについて話していたようだが、さすがに麗佳の様子が変だと気づいたのだろう。心配そうな目を向けてくる。
「どうした? 何を悩んでいるんだ? いい話だろう?」
オイヴァはそれが『いい話』だと疑ってない。麗佳はまともにオイヴァの顔が見られずにうつむく。
「そうなったら私はこの国を見捨てる事になりますね」
「だから、ただ巻き込まれただけのお前がそこまで背負う必要はないと言っているんだ」
「記憶を消さないという選択肢はあるんですよね?」
「あるけど……そんな思い出を持っていても辛いだけだろう。もうちょっと冷静になって考えろ」
そう言いながら何故か麗佳の空になったカップにまたお茶を注ぎ始める。正直、喉はしっかりと潤っている。
「さ、飲んで」
おまけに何故か積極的にすすめられた。何を盛られたのだろうと心配になる。
「変なものは入ってないから」
「変じゃないものは入ってるんですね!?」
「そりゃあ、これはフルーツティーだからな。ファラゴアとか他のベリー系の果物がいろいろ入っている」
そういう事ではない。戸惑っていると、また『どうぞ』とものすごい笑顔ですすめられる。
仕方がないのでカップを口に運んだ。お茶はまだしっかりと温かく、そしてほんのりと甘い。気持ちは落ち着けてくれるが、余計に冷静になってしまった。そして麗佳の本能は『この国を見捨てるべきではない』と言っている。
つまり、オイヴァがやった事は麗佳には逆効果だったのだが、そんな事は麗佳もオイヴァも気づかなかった。
どうしたらいいのか分からない。
黙って悲しそうにうつむく麗佳を見て、オイヴァはため息をつく。
「何も今すぐ決めろと言うわけじゃない。帰る場合、仲間との別れもあるだろう。時間はたっぷり与えてやる。その間は賓客扱いにしておくから。決意が固まったらパウリナを通して私に連絡しろ」
「はい」
「では今から魔力封印を解く。ここにいる間は魔術を使っても構わない」
それは、それだけ信用されたという事だろうか。でもこれで通訳魔術は使えるのだ。それに関してはありがたいと思う。言葉が通じないのは結構困る。
解くぞ、という言葉と共に麗佳の体を魔力が駆け巡り始める。
「ありがとうございます」
だから素直にお礼を言う。パウリナに教えてもらったお辞儀もした。
「まあ、私にこれ以上利用されたくなければさっさと決めるんだな」
麗佳が部屋を退出する直前にオイヴァはそんな事を言った。
***
どうしたらいいのだろう。麗佳は部屋のソファーの上で考え込んでいた。
パウリナは、今、席を外してくれている。とはいえ、控えの間では待機をしているのだろう。
彼女にも心配をかけてしまった。オイヴァとのお茶会からくらい顔をして帰って来た麗佳を見て、『陛下に何をされたのですか! デリカシーのない事でも言われたのでしょう。遠慮なく言いつけていただいていいのですからね! まったくあの方は相変わらず……』などと言われた。その剣幕に苦笑して、何でもないと答えたが、あれは実際に『何でもなくはない』事だった。
オイヴァが言い出したあの提案は、間違いなく彼なりの親切だったのだろう。それとも、宗教関係で麗佳が無知をさらしたから怒っているのだろうか。
ため息をつく。
もし、麗佳がここに残ってオイヴァと結婚すると言ったら、何を本気にしているのだと呆れられるのだろうか。
あのプロポーズが麗佳に惚れてやったものだと考えるのは間違いなくうぬぼれになるだろう。これは魔王と元勇者の政略結婚なのだ。
「『政略結婚』かぁ……」
こんな上流階級しか関係のない言葉を麗佳が現実として考えるとは思っていなかった。
ただ、まだ結婚すると決まったわけではない。だが、あの様子だと麗佳が帰ると言ったら問答無用で記憶を消されそうだ。それは麗佳に与えられた選択肢の中で一番嫌なものだった。帰るとしても記憶は消されたくはない。今までのいろんな人や魔族の思い出と想いを消すなんて麗佳には耐えられない事だった。
それに、もし麗佳が帰ったら、あの本はどうなるのだろう。また闇に埋もれるのだろうか。彼らが求めていた勇者の救済の可能性が減ってしまう。
もしかしたらまた
あの俺様王に好き勝手をされてオイヴァ達が苦しむかもしれないのに放っておくなんて出来ない。
あの場所をそのままにしておいていいわけがない。
だからと言ってオイヴァに相談するのはどうなのだろう。麗佳の予想では、協力などしてくれないと思う。それどころか潰しそうだ。まあ、それも一種の解決法にはなるが。
でも、オイヴァに何も話さないで帰るのも間違っている気がする。あの救出部屋作戦を続けるにしても潰すにしても相談しない事には何ともならない。
あの部屋の、そしてあの本の事は麗佳しか知らないのだ。
まだ帰れない。帰っていいわけがない。少なくとも、
麗佳はそっと目の奥に決意の光を宿した。
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