第17話 新魔王との茶会

「よく来てくれたな、レイカ」


 静かに微笑むその『魔王』を見た瞬間、麗佳の動機が激しくなった。

 恋愛の意味ではない。恐怖の方だ。


 何度も命を狙われていたから当たり前なのだが、麗佳はその理由が分からなかった。ただただ、オイヴァが恐かった。そして、そう思っている事が申し訳ないとも思った。


『ほ、本日はお招きありがとうございます、魔王陛下』


 パウリナに教えてもらいながら何度も練習した魔族の王族への挨拶をする。震えながらも上手くはいった。だが、オイヴァは苦笑している。


「……かしこまった場が嫌だったから茶会にしたんだがな」


 ぽつりとつぶやかれる。麗佳に聞こえるぎりぎりの音量だ。つまり独り言ではなく、聞かせているのだ。

 座れ、と命じられ、素直に従う。用意しておいた質問は出来そうにもない。会うだけでこんなに恐怖が沸いてくるなんて思ってもみなかった。これではきちんとお喋りが出来るかも分からない。


 オイヴァは小さく笑う。そして手ずからお茶を注いでくれた。傍らには美味しそうな焼き菓子が数種類ある。どこからどう見ても焼きたてだ。


「毒は入っていないから安心して食べるといい」


 先にお茶を口にしてみせてから、どうぞ、とすすめられる。とはいえ、麗佳のカップだけに毒を入れられている可能性もある。


 どちらにせよ、麗佳には選択肢はない。ここで殺されるならそれまでのことだ。思い切って口に運ぶ事にする。


 お茶はどことなくベリー系の味がした。フルーツティーなのだろうか。


 次にまだ温かいクッキーを手に取った。口に入れるとほろりとした甘さが口いっぱいに広がる。


 味の感想を聞かれたので美味しいと答える。本当の事だ。オイヴァは明らかにほっとした顔をした。女性の好みそうなものが分からないので、とりあえず妹の好きなお茶とお菓子を選んでみたらしい。


 そこまで気を使われるのは申し訳ない。麗佳は素直にお礼を言った。


「ありがとうございます、オイヴァ様」


 そんな麗佳には、彼女のお茶に魔王特製の精神安定の魔法薬が加えられている事など気づきもしなかった。お茶を飲んで一息ついたからリラックスしたのだ、としか思っていなかった。


 何にせよ。オイヴァが怖くなくなったのは良かったのだから問題はない。


「ところで、レイカ」

「はい」

「何度も言っているだろう。敬語はやめて、呼び方は『オイヴァ』でいいと」

「……王族なんですよね? ていうか王様なんですよね?」


 思わず突っ込んでしまった。オイヴァはそんな麗佳にため息をついている。


「王族だよ。でもかしこまった口調は基本的に嫌なんだ。特に敵対していた人間相手に敬語を使われるのはとても気持ちが悪い」


 心底うんざりしたようにそんな事を言われる。


「でも……」

「やめなければ、お前の仲間に何をするか分からないぞ」


 出て来た脅しに麗佳は目を見開いた。


「みんなは無事なんですか!?」

「無事だよ。お前と約束したからな」

「約束、守ってくれたんだ……」


 思わず一人ごちるとオイヴァが吹き出した。だが、すぐにすまなそうな顔をする。


「それに今回の事は私も悪かったと思っている。真実確認もしないで怒りのままに攻撃したのはいけない事だった。……お前の性格を考慮せずに身勝手な魔術対決を挑んだ事もな」


 オイヴァはお茶を一口飲んでため息をついた。そうして静かに顔を上げる。その目は真剣で、麗佳もつい緊張してしまう。


「レイカ嬢、いや、『勇者』レイカ、魔族に害をなすはずの『勇者』でありながら、瀕死の先代を看病してくれた事に感謝する。お前のおかげで、父は『孤独病』でありながら『孤独』に死なずにすんだ。死に顔は安らかだったよ。ありがとう」


 その口調は優しく、麗佳はどうしたらいいのか分からなかった。というか魔王の病名が『孤独病』だという事も、今初めて知ったのだ。


「なのに、私はこの国の王になっていながら、お前にとんでもない誤解をして攻撃をしかけた。これは許される事ではない。お前も許してくれなくていい」

「そんな……私は大した事はしてません。それに……」

「ん? 父上に何かしたのか?」


 オイヴァの目つきが鋭くなった。その恐ろしさと、あの時の後悔が一気に押し寄せ、また涙が出てくる。


「……にも……」

「ん?」

「なにも……できなかった……」


 涙が後から後からこぼれてくる。


「ごめん……なさい……」


 それだけしか言葉が出て来ない。


 オイヴァは呆れたようにため息をついた。


「リアナから『治療魔術をかけようとしてた』と聞いたが」

「はい。でも、それは……」

「まあ、多少の延命治療にしかならないからな。父上も早く逝きたかったのだろう。二十年近くも闘病していたと言うし」


 だから気にしなくていい。そう言ってオイヴァは優しく微笑んだ。


「大体、魔族の『魔法』でもどうにも出来ない病気を、ただの人間であるお前がどうこうしようと考える方が間違っている。そういうのを『傲慢』って言うんだよ、レイカ」


 そうきっぱり言われると、麗佳には反論のしようもない。オイヴァは寂しそうに小さく笑ってお茶のお代わりを淹れてくれた。


「あの……」

「何だ?」

「あの妙に豪華な待遇は何なんですか? あれは客室型の牢屋とかじゃないんですよね?」


 気になった事を聞いてみるとオイヴァが吹き出した。何がつぼにはまったのか机に突っ伏して大笑いをしている。


 思ってもみなかった反応だ。どうしたらいいか分からないので静かに見ている事しか出来ない。


「客室型の牢屋って何だ! せめて貴族用の牢と言え!」


 そんな事を言いながら目尻の涙を拭っている。涙が出るほどおかしかったらしい。あまりいい気はしない。


「使用人や護衛を置けば見張りになるし、お前らの命を守る盾にもなる。そのためには上等な客室が必要だ。そう思って用意しただけだ。……あと、詫びの意味もある」

「お詫び?」

「お前を殺しかけてしまったし、お前の仲間達は一度地下牢に放り込んでしまった。その詫びだ。素直に受け取ってくれ」


 どうやら麗佳以外の三人にも同じような待遇にしたらしい。


「いいんですか?」

「『魔王』の私がいいって言うんだからいいんだよ」


 さらりと澄まし顔で言われる。そう言われると『分かりました』と言うしかない。


 ついでに、『殺しかけた』という言葉が気になって尋ねると信じられない答えが返って来た。どうやら麗佳はオイヴァの攻撃で五日も生死の境をさまよっていたのだそうだ。


 改めて謝られる。とっさに『気にしていない』と返した。本当はものすごく『気にしている』が、こう答える以外、何が言えただろう。


「だから、敬語は使わなくていい」


 改めて言われる。敬語を使ってもらう資格なんかないし、と小さな声でつぶやいている。よほど気にしているらしい。


「でも……なんか変じゃない?」

「何が?」

「王女様のリアナ様には敬語を使って王様のオイヴァにはため口なんて……」

「私が許可してるんだから問題はない。文句がある奴がいたら黙らせる」


 あっさりと言われる。


「それに、リアナはこの城から出た事がないから、敬称付きで呼ばれるのを当たり前だと思ってるんだ。勇者を倒すためにちょくちょく外出している私とは違う」


 リアナが外に出た事がないのは前魔王父親現魔王に守られていたからだろうという事は麗佳にも分かる。


 重い話だ。だから麗佳は深く踏み込まないようにした。これは『勇者』のせいなのだから。


「分かった。じゃあなるべく敬語を使わないように努力してみる」


 それだけ言った。オイヴァは困ったように苦笑した。麗佳が飲み込んだ言葉が分かったのだろう。


 オイヴァはゆっくりとカップを口に運ぶ。


「敬語といえば、最初の挨拶、相当練習したんだな」

「え? は……えっと、うん。パウリナさんに教えてもらって……」


 首をすくめられたのは、『はい』と言いそうになった事に気づいたからだろう。


 上手く出来ていた、と褒められる。頑張ったので嬉しい。


「そういえば魔族語の勉強もしているんだって? 勉強熱心なことで」

「どこぞの魔王様が通訳魔術を禁じたので」


 わざと口を尖らせて抗議する。オイヴァが吹き出した。


「どうしてあんな事したの?」

「ある程度信用出来るまでは、お前と仲間の接触を禁じようと思ったんだよ。偶然廊下で会って密談なんかされたらたまったものじゃない。大体、この城の使用人の大体が、ヴィシュ語が通じないんだ。パウリナも含めてな」


 そんな事は知らなかった。だが、よく考えてみればこの国の魔族にとってヴィシュ語は他国語なのだから当たり前なのだろう。


「私も執務があるし、リアナも授業があるからな。四六時中見張っているわけにはいかないんだよ」

「そうなんですね」

「そう。代替わりしたからな。私もリアナも大変なんだよ。特にリアナはただの王女から次期国王に立場が変わったからな。勉強する事がたくさんあるって毎日嘆いてる。はやく解放してくれとせがまれるんだよ」


 まったく。仕方のない子だ、とオイヴァは笑いながら言った。


 つまりまだオイヴァには子供がいないのだろう。結婚はしているのだろうか。


 まあ、麗佳には関係のない話だ。


 そういえば、自分はこれからどうなるのだろうと不安になってくる。まだ勇者に反感を持っている魔族はたくさんいるだろう。


 もちろん、ヴィシュに行くわけにはいかない。麗佳は魔王を『討伐』はしていない。行ったところで喜助の二の前になるのが落ちだろう。


 ため息をつきたいが、それではオイヴァに心配をかけるだけだ。だからお茶を飲む事で必死に押さえる事にした。


 オイヴァはそんな麗佳の様子を静かに眺めていた。一度だけ小さく笑う。


「そういえば、まだお前の帰還について話してなかったな」


 オイヴァの口からでた信じられない言葉に麗佳は極限まで目を見開いてしまった。

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