第15話 新魔王が知った真実
レイカがあの数の騎士達に敵うはずがない。そんな事を考えながらオイヴァは宿のバルコニーで唇を歪めた。
きっと今頃、彼女は殺されているか、捕らえられているかしているだろう。そのためにパウリナに細工付きの手紙を送り、城の中にいる妹にも『危険な勇者が来ている』という知らせを送ったのだ。妹の方は伝書鳩の魔法まで使ったから危機はきちんと伝わっただろう。
ただ、心のどこかで、彼女が父と『話し合い』をして和解をしてくれたらいいな、とも願っていた。
レイカ・カトウという少女は、『勇者』という立場を取っ払えば、ただの考えが甘い子供なのだ。本来なら妹より明らかに小さな少女を手にかけたくなどない。
ヴィシュはそれを見越してあんな幼い少女をこちらによこしたのだろうか。そう考えると不愉快になる。
彼女が残虐な性格をしていればためらいもなく殺せただろう。なのに、あれだけの魔術の実力がありながら、彼女はオイヴァに敵意は見せなかった。怯えているそぶりも見せなかったのが少し悔しいが。
部屋の奥では彼女の仲間達が眠っている。本来ならオイヴァも眠っている時間だ。だが、敵だらけのこの部屋で眠れるはずがない。だったら彼らに寝台を譲ってでも寝かせた方が安心出来る。そして自分は寝ずの番をするのだ。
目を閉じると弟の悲痛な叫び声と、騎士が自分を守るべく拘束している感触が蘇ってくる。『離してくれ! あいつを倒して弟を助けるんだから!』と叫ぶ自分の声、そして自分に振り下ろされかけた剣の事も。
オイヴァはそれを忘れるわけにはいかないのだ。
だから今やっている事は間違ってない。
家族を守るためなら小さな少女の命など消しても問題はない。そう自分に何度も何度も言い聞かせる。
それでもどこか納得はいかない。どうして自分ばかりが、という黒い思いが溢れてくるのだ。
父は二十年ほど前から自分の前に姿を見せなくなった。命令などはある。報告書も読んでくれる。でも、会ってはくれないのだ。
自分はあの穏やかな父に愛想をつかされたのだろうか。そうだとしても理由が分からない。
でも、父に認められたいから勇者を殺しているわけではない。これは家族を守るためなのだ。
だから問題ない。
一つ息を吐いて気持ちを切り替える。その時、オイヴァは感じるはずのないものを感じた。
むせかえるように強い魔力だ。それがオイヴァの中に入ってくる。
入って来てすぐに分かる。これは父から受け継ぐはずの魔力だ。『魔王』しか持っていない特別な魔力。
これは現魔王が死なない限り受け継げないもののはずだ。
つまり、父は死んだのだ。
オイヴァは静かに怒りに震えた。
何が『魔王は殺さない』だ。白々しい約束をして、おまけにあっさりとそれを破った愚かな女に憎らしさと殺意が沸いてくる。
だったら新しい魔王が消してやるしかない。
オイヴァは部屋に戻り、彼女の仲間を一人ずつ起こした。
「な、何があったんですか?」
怒りのあまり、とんでもなくこわい顔をしているのだろう。ハンニが怯えた声で訪ねてくる。
「魔王陛下が亡くなった。お前達、きちんとあれの尻拭いはしてくれるんだろうな」
三人を見渡し、厳しい声でそう告げる。ハンニがびくりと震えてラヒカイネン侯爵令嬢にしがみついた。情けない奴だと思う。
「死んだのは確かなのか?」
エルッキが何故か確認してくる。オイヴァは静かに頷いた。
「……でもレイカがやったとは思えないな」
「何だと?」
この男は何を言っているのだろう。今更命乞いだろうか。不機嫌を隠さないで睨んでやってもエルッキは動じない。
「だからレイカが魔王を殺したとは思えないと言ってんだ」
きっぱりと言うエルッキに怒りがわいてくる。残りの二人がおろおろしているのが見える。どう考えてもエルッキの方が不利なのだ。
「そんなに『勇者様』を守りたいか?」
「守る守らないの問題じゃない。レイカは誰も殺してない。殺せるような子じゃない」
「根拠はあるのか?」
「あるよ。お前も聞いただろ。『私は魔王を殺す気はない』って言葉。あの時の目に嘘はなかったと思う」
オイヴァはひそめた眉を直さなかった。逆に深くなっているだろう。
ただ、腹が立っていた。レイカに。そして彼女を庇い立てするエルッキに。
本当なら話なんか聞かずにすぐ愚かな勇者と仲間を殺してやりたいくらいだ。
「それに最初の頃、『決闘で相手を殺さないで負かす方法はあるか?』と聞かれた事があるんだよ」
「そんなの初耳ですよ!」
ハンニが会話に割り込んでくる。
「そういえば魔術でも防御とか術の跳ね返しとか守る事に特化したものを覚えたがっていましたわね」
ラヒカイネン侯爵令嬢がぽつりとつぶやいた。
ただ、そんな弁解は意味がない。実際に父は死んでいるのだ。そして魔王城にはレイカがいる。それがオイヴァにとっての『真実』だ。
「もし、本当にレイカが父上を殺してたらどうする?」
「そうなったらおれから先に死んでやるよ! そのかわり、死んだ原因がレイカじゃなかったら、レイカに頭を下げて謝れよ。わかったな!」
オイヴァは冷たく唇を歪めた。一体、この男は誰に物を言っているのか分かっているのだろうか。
「エルッキ。それはさすがに……」
ラヒカイネン侯爵令嬢が心配そうにエルッキに小声で話しかけている。
「新しい魔王だとかそんな事は関係ない。これは譲れない。リーダーとして皆を冤罪で殺させるわけにはいかないんだ」
エルッキの言葉にハンニが息を飲んだ。どうやら彼はオイヴァの正体に気づいていたらしい。
確かにオイヴァは二度ほど口を滑らせて、家族との関係を喋りかけてしまった。だが、レイカの呑気な態度から、ラヒカイネン侯爵令嬢以外、オイヴァの正体など気づいていないと思っていた。
そんなオイヴァの内心など知らず、男二人はオイヴァの正体について話している。やはりエルッキがオイヴァの正体を知ったのはあの時らしい。
「でも一番の容疑者はあの勇者だからな。それを忘れるな」
きっちりとそこは釘を刺しておく。そうして移動の魔法で魔王城の地下牢まで転移した。牢屋番にわけを話して、まだ殺すなと前置きした上でレイカの仲間を閉じ込める。
ついでに父の居場所を尋ねた。牢屋番は一瞬口ごもったが、正直に教えてくれる。
どうやら王宮の南端の小屋のような離宮にいるらしい。
何故そんな所に父がいるのだろう。あそこはあまり話題にのぼらない上に、昔からあまり近寄ってはいけない場所と言われていた。
とにかくそこに行けば分かるはずだ。オイヴァはさっさとそこに向けて転移魔法を展開した。
だが、何故かその魔法は弾かれてしまった。結界でも張ってあるのだろう。王の魔力を持つ者も弾くとは、かなり警戒厳重だ。
石畳にぶつけられた尻が痛い。
「いって……」
反射的につぶやくとエルッキが小さな声で吹き出した。睨んで黙らせる。
今度は少し手前に座標を定める。そして一気に転移した。今度はうまくいったようで、オイヴァは城の庭に立っていた。
それにしても妙だ。地下牢にいた時から気になっていたが、この城中に浄化の魔術がかかっている。魔族は基本的に『魔法』を使うので、間違いなく術者はレイカだ。
「魔族は邪悪だから浄化してやる、というつもりか。愚かな女め」
怒りを込めてつぶやく。レイカに会ったらこの件も問いただしてやるつもりだ。
さっさと離宮に向かって歩く。途中で結界をすり抜けた。先ほどオイヴァを拒んだものだと分かった。でも歩いて通るなら通してくれるようだ。
離宮の方から泣き声が聞こえてくる。オイヴァは慌ててそこに向かった。
妹だ。供も連れないで、こんな所で何をやっているのだろう。父の死を知って悲しんでいるのだろうか。
慰めようと思ったが、離宮の中からさらに大きな泣き声が聞こえて来てオイヴァの神経を逆なでする。ここ二日間よく聞いた声。
お前に泣く権利なんかない。そう心の中でつぶやく。そうして足をすすめ、声が聞こえる扉を開けた。
レイカは確かに泣いていた。それも『慟哭』と言えるほど。
彼女の姿を、そしてベッドの上で目を閉じている父を見た途端、オイヴァの中で最大級に怒りが膨れ上がった。
音で気づいたのだろう。レイカが振り向く。真っ赤な目が驚きで見開かれた。まさかオイヴァが来るとは思わなかったのだろう。
唇の動きだけでオイヴァ、と呼ばれるが、こんな愚かな嘘つきの人間に名前など呼ばれたくはない。
「お前はさぞかし満足なんだろうな、レイカ」
静かに問いかける。レイカの目が絶望に染まった。
『討伐』は終わったようだ。泣いていたのは自分の罪深さに気づいて後悔しているからだろうか。
だったらオイヴァが罰してやればいい。幸いここはヴェーアル王国。そして自分はこの国の新しい王だ。
「いや、『勇者殿』」
その言葉と共に、強い攻撃魔法を放つ。だが、それが届く直前にレイカは床に崩れ落ちた。
倒れ込んだレイカをオイヴァは冷たい目で見ていた。さっさとこの女も地下牢に放り込もうと決める。ただ、触れたくなどないので侍僕を呼ぼう。
そんな事を考えていた時、表の扉が乱暴に開かれた音がした。
続いて廊下を走る音がする。
「待って! 待ってください、兄上!」
飛び込んで来たのは表で泣いていた妹だった。全速力で走って来たのか、髪が少し乱れている。
「リアナ、お前は王女なのだからもっとおしとやかにしなさい」
「兄上、レイカを殺してしまったのですか?」
床に転がっている勇者を見ながらリアナが心底心配そうに聞いてくる。兄の注意は全然聞いていないようだ。
妹までこの勇者を庇うのはどうしてだろう。でも現実は教えてやらなければいけない。これから魔王家は二人兄妹でやっていかなければいけないのだ。
「リアナ、この女はあんな害のなさそうな顔をしているが、恐ろしい『勇者』なんだぞ。優しい気持ちを持つのはいいが、敵には厳しくなくてはいけないよ。分かるね?」
よしよし、と頭を撫でながら説明する。
可愛い妹。もうオイヴァの家族はこの子一人だけになってしまった。
だが、リアナは悲しそうに顔を歪める。
「違うの、兄上。父上は『孤独病』で、お医者様は今夜か明日あたりが峠だろうって言っていて……」
「何だって!?」
そんな事は初耳だ。
『孤独病』は魔族だけがかかる病気だ。早期に発見されれば、治療薬を数ヶ月飲む事で治せるが、ひとたび深刻な状況になれば、何年も苦しんで死んでしまう恐ろしい病。
そして、感染力の強い伝染病なので、家族をはじめ誰も近寄らない。医師も最低限の接触しかして来ない。そして患者は孤独と寂しさの中で死んでいくのだ。そしてその死に顔は悲しみに満ちている。だからこの病を『孤独病』と呼ぶのだとオイヴァは授業で教わった。
でもそれとこれとは別だ。
「リアナ、何故勇者を庇う?」
「だって感染も恐れる事なく父上に最期までついていてくれたのよ! 治療魔術をかけるとまで言ってたわ。……父上は拒否されたのだけど」
「勇者が……魔王に……治療魔術を?」
呆れて物も言えない。だが、どこかでレイカらしいとも思う。
よく見てみれば父の背にはクッションなどが敷き詰められているし、父自身も苦悶の表情などはしていない。『孤独病』特有の辛そうな表情もなかったが。
父が穏やかな表情で死んだのは、レイカが話し相手になってくれたからだろうか。
「馬鹿でしょう? 本当にお人好しの馬鹿な……」
そこでまた我慢が出来なくなったらしく、号泣を始めた。優しく抱きしめ頭をなでる。
それにしても離宮の外で何故そんな会話が聞けたのかと不思議に思う。そして尋ねると、盗聴魔法をかけていたと返って来た。
王女が王の部屋を盗聴する。本来なら厳しく罰してやらなければいけない問題だが、今日くらいはいいだろう。何事にも例外はある。
「どうしよう」
「ん?」
「レイカに『孤独病』がうつっていたらどうしよう」
私のせいだ、と妹は泣いた。この病は人間にはうつらないのだが、リアナは知らないらしい。
「どうしてお前のせいになるんだ?」
「私が案内したから……その……愚かな勇者に病気がうつって死んでしまえばいいと思って……」
「リアナ!」
鋭い声で妹を咎める。リアナは落ち込んだらしくうつむいた。
「リアナ、『兄上』の話は聞けるか?」
静かに問いかけると妹は頷いた。
だからオイヴァはきちんと諭した。彼が手紙で命じたのは、城の中にいる警備兵を集めて、外の騎士と一緒に勇者を囲い込んで捕らえる事だと。決して一人で対峙などしてはいけないと。
「おまけに父上の部屋に案内するなんて。もし、レイカが病身の父上を暗殺していたら、私はお前を国王の暗殺補助で罰しなければいけなかったんだぞ」
「ご、ごめんなさい、兄上」
リアナは素直に謝った。なので叱るのは終わりにする。
「この浄化の魔術はレイカが?」
「はい。父上の命令で……」
「なるほど」
それで納得する。浄化の魔法や魔術は『孤独病』の感染予防に効くと言われている。当然父も知っているはずだ。
ものすごくつじつまが合う。とはいえ、まだオイヴァはレイカへの警戒を解いたわけではない。彼女側の話も聞きたい。
「起きろ、レイカ!」
声をかけてみたが、レイカは動かない。蹴ってみたり、軽い雷魔法を食らわせてみたりしたが全く反応がない。ただ、生きている事は確認出来た。
「まったく。能天気に気絶しやがって。尋問したいのに……」
「……兄上が気絶させたんですよね?」
ぶつぶつ文句を言っていると、妹が責めるような視線を向けてくる。
「レ、レイカが勝手に倒れたんだ」
「では兄上の攻撃の光が見えたのは何なのですか?」
さらに責められる。攻撃が届く前に倒れたんだ、という話は信じてくれないようだ。まあ、倒れた後に攻撃を食らっていたからダメージはあったはずだ。本当に彼女が無実なら悪い事をした。
だが、レイカに頭を下げるなどプライドが許さない。でも約束したからにはそうしなければいけないのだろう。
「これからどうするの?」
「レイカとその仲間はとりあえず客人扱いにする。とはいえ、見張り付きにする必要はあるだろうがな。勇者の体調が落ち着いたら非公式の場で詳しく話を聞くつもりだ」
そのへんは追々決めて行かなければいけないだろう。
それよりまずは城の者達に国王が死んだ事を知らせなくてはいけない。オイヴァが『王』としての魔力を受け取った事も。
やる事はいろいろある。
気が重いなどとは言えない仕事だ。オイヴァは一つ深呼吸をしてしっかりと顔を上げる。そして呼び鈴を手にとった。
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