第14話 魔王の「強さ」、勇者の「弱さ」

「安心しなさい。この病は人間にはうつらんから」

「そういう問題じゃありません!」


 とっさに言い返しながらも、どこかほっとしている自分に自己嫌悪する。魔王はそれを見透かすかのように小さく笑った。


「いいのだよ、安心しても。それこそ『普通』の事だ」


 それでも何だか悪い気がする。


「私もな、本音を言えば子供たちに会いたい。もう二十年近くも会ってないからな。……でもあの子達が私のように苦しむ姿など見たくはないんだ」

「はい」


 それだけしか言えなかった。どれだけ彼は苦しんで来たのだろう。


 ヴィシュの勇者召喚がここ数十年で増えたのは魔王の病気のせいだろうか。だったら酷い話だ。


 そこまで考えて疑問点が浮かぶ。確か、城の扉を守っていた騎士たちは、『この国には強力な結界が張ってある』と言っていた。だったらヴィシュ王国のスパイはヴェーアル王国に入る前に弾かれるはずだ。


 嫌な予感がする。


「どうした? 勇者殿」


 魔王が訝しげな声で聞いてくる。


 病人が抱えるには重い問題を背負わせてしまっていいのだろうか、と考える。だが、彼はこの国の王だ。間違いなく知っておくべき問題だろう。だから素直に話した。


「間者か。余もそれは危惧していた」


 魔王も、オイヴァから勇者に関する報告は受け取っていたらしい。とはいえ、魔王は会う事が出来ないので、魔法で書類を直接送るようにさせていたそうだが。


 そして、勇者召喚の間隔が短い事は気になっていたようだ。


「オイヴァに調べさせれば一発で分かると思うが。あいつは感がいいし、結構有能だからな。ただ、命令を無視して勝手に動く所がたまに傷だが」

「……それ一番問題だと思いますけど」


 冷静に返すと魔王は笑った。笑いとともにまた咳が出て来たので背中をさする。


「悪いが、もう一杯薬を飲ませてくれないか」

「はい。わかりました」


 薬の間隔が心配だが、魔王がいいと言うので瓶からコップに薬を注ぐ。魔王によると、これは咳止めの薬で、病自体に直接効くわけではないらしい。


「本当に子供たちがすまないな」


 薬を飲み終わってため息をついてから、魔王がぽつりとつぶやいた。


「いえ、私の方が迷惑とかかけていますから」

「そうか?」

「はい。魔王様に会いたいから魔族の……ヴェーアル王国に行きたいとオイヴァ様には我が儘を言いましたし、リアナ様にはここまでの案内をお願いしてしまいましたし……」

「でもオイヴァはそなたに何かをしただろう?」


 びくりと震える。魔術式を書いた紙が入っているのとは逆側のポケットに入っている例の手紙は見つからないようにした方がいいだろう。


「い、いいえ。オイヴァ様は私の事情を分かってくださいましたから」

「そうかな? ではそなたが先ほどから気にしている左ポケットの中には何が入っているのだろうな」

「え!?」


 さらりと言い当てられ顔が引きつる。魔王は楽しそうに笑った。


 見せなさい、と有無を言わさぬ声で命じられ、麗佳はポケットから手紙を出す。魔王はそれを読んでため息をついた。


「……あいつも卑怯な事を。おまけにこんなどこからどう見ても無害な少女に……。まったく。仕方のない子だ」


 そう吐き捨てるように言う。おまけに、息子がとんでもない事をしてすまない、と謝られてしまった。いや、あなた魔王ですよね? と突っ込みたくなる。


「それだけオイヴァ様は家族を守りたかったんだと思いますよ」


 フォローするが、魔王の眉は潜まったままだ。


「だからってただの少女をこんな恐ろしい目に遭わせていいわけがない」


 その通りかもしれないが、『ただの少女』なんて言われるのはあんまり気分がいいものではない。


 不満そうな顔をしていたのだろう。魔王がおかしそうに笑った。だが、突然その顔はゆがみ、先ほど以上に激しい咳が出てくる。


「ま、魔王様?」

「く、く……ごほっ……り……ぐ……きかな……く……っほ! げほっごほっごほっ!」

「魔王様!」


 背中をさするが、魔王の咳は止まらない。ならば薬を持ってこようと思ったが、魔王に止められる。曰く、『もう効かないだろう』だ、そうだ。


「さい……ぐ……う……のに……あえ……て……」

「嫌です、魔王様! しっかりしてください! 死なないで!」


 自然と涙があふれてくれる。『最期にそなたのような者に会えてよかった』なんて遺言めいた言葉など言わないで欲しい。


 こんな辛そうな姿は見ていられない。


 どうして自分はヴィシュの『勇者』などやっているのだろう。


 大体、何故こんな優しくてお人好しな『魔王』が死ななければいけないのだろう。こんな事をしている間にもあのヴィシュの俺様王は酒池肉林にいそしんでいるのだろう。そう考えると腹が立ってくる。


 でも麗佳は諦める気はない。最後まであがくつもりだ。幸い自分は『魔術師』としての力が強い。使える力は最後まで使わせていただく。主に魔王を助ける方向で、だが。


「魔王様、すぐに回復魔術をかけますね」


 どうして今までこんな大事な事をしなかったのだろう。もしかしたら一発で回復してしまうかもしれない魔術をどうして使わなかったのだろう。


 でも、今は反省している時間はない。魔王の体に手をかざす。そうして魔術式を構築しようとした所で術が弾かれた。


「……よい」


 魔王が静かな声で麗佳を諭す。先ほど術をかき消したのも彼なのだろう。


「でも……」


 諦めたくない。こんな事を許すつもりも認めるつもりもないのだ。


 もう一度そっと魔術式を構築しようとする。だが。


「いらんと言ってるのが分からんのか!」


 明らかに怒りを込めた声がそれを遮る。麗佳は驚いて後ろに下がってしまった。


「私は愚かな王だ。いらぬ不信感を子供に抱かせる事しか出来ぬ」


 魔王は寂しそうにそうつぶやく。


「そんな事……」


 おまけに『そんな事ない』という麗佳の言葉は魔王の弱々しい手に遮られる。


「そうなのだ。そして私は長くない。勇者殿。最後に頼みたい事がある」

「な、何でもします! 何ですか?」


 麗佳は勢い込んで尋ねた。嘘ではない。この優しい魔王の為なら何でもするつもりだ。


「では私が死んだら浄化の術をこの城全体にかけて欲しい。そなたの魔力の大きさからみても出来るだろう」

「な、何言っているんですか!」


 これが冗談ではないという事はその真剣な目からわかる。と、いう事はもう魔王に未来はないという事だ。


 これは麗佳が魔王を見殺しにしなければいけないという事ではないか、と尋ねると、あっさりと『そうだ』と返される。あまりにも残酷な『頼み』に麗佳は唇を噛む事しか出来ない。


 それにしてもこんな難しいお願いを初対面の人間に任せて大丈夫なのだろうか。と、いうか、魔王はどうして麗佳が浄化の術の魔術式を知っている事を知っているのだろう。


「頼む、勇者殿。あの子達にこの病をうつすわけにはいかんのだ。何かしたいというのなら私より『未来』を……オイヴァとリアナを、そしてヴェーアルの国民を守ってくれ」


 こんな時にまで他の者を優先する。そんな魔王の姿がとても悲しく思える。


 でも、麗佳は先ほど『何でもする』と約束したばかりだ。だから静かに頷いた。魔王は嬉しそうに微笑んだ。小声で『ありがとう』と伝えられる。


 不意に魔王が驚いた目をする。だが、その目は麗佳を見てはいない。その方向に目をやってみたが何もない。

 魔王が目を閉じて小さく笑った。


「……も」


 魔王の唇が動いた。だが、小さすぎて何を言っているのか分からない。


「神もとんでもない者を送りつけてくれる。勇者殿、いや、レイカさん、オイヴァ……を……」


 その後に唇の動きだけで『頼んだよ』と言われる。


 それきり魔王は静かになった。


「魔王様?」


 声をかけてみたが魔王は返事をしない。


「魔王様! 魔王様!」


 揺さぶってみても反応はない。それがどういう意味なのか麗佳にはよくわかった。


 本当はすぐにでも泣き出したかった。でも、まだ魔王とした約束がある。


 例の『カンペ』の一枚を見ながらゆっくりと丁寧に魔術式を構築し、魔力を注ぐ。すぐに光のかたまりが現れ、粒子化して建物の外に出て行く。出て行かなかった光はこの部屋の中をくるくると回った。


 光の粒子はしばらくここにとどまるようだ。


 普通の状態で見れば、『綺麗』とつぶやいたそれは、麗佳に何の感動ももたらさなかった。


 ただ、『浄化の魔術』が成功した事はよくわかった。そう考え、『浄化』という言葉でこれは魔王の病気を広げるのを防ぐためなのだと実感する。


 でも、魔王が生き返る事はない。そう思うと自然に涙があふれてくる。一度それが流れると止まらなくなってしまった。後から後からぽろぽろぽろぽろ、ぼろぼろぼろぼろとこぼれてくる。


 もうあの優しい魔王はこの世に存在しないのだ。麗佳は助ける事が出来なかった。


 確かに『殺さなかった』。でも生きてはいない。


 オイヴァやリアナ、そしてこの国の魔族達はどれだけ悲しむだろう。もちろん麗佳も責めは受けるつもりだ。


 頭の中がぐちゃぐちゃでどうしたらいいのか分からない。自分のこの感情が何なのかすら麗佳には分からなかった。


 ただ泣いた。ただただ泣いた。それしか出来ないのだ。それ以外の行動を体も心も求めていない。


 それからどれくらい経っただろう。ドアが開く気配がした。麗佳はゆっくりと振り向く。そして息を飲んだ。

 来るかもしれないとは思っていた。でもこんなにはやく気づくとは思っていなかった。それとも、それだけ時間が経ったのだろうか。


 唇だけで、オイヴァ、と呼びかける。すぐに彼にすがりついて泣きたかった。敵とかそんな事は考えられなかった。


 だが、オイヴァの表情はきつい。それが麗佳の動きを止める。


「お前はさぞかし満足なんだろうな、レイカ」


 彼の言う通りだ。オイヴァからの信頼も、麗佳の命運も完全に終わってしまった。魔王を助けられなかった麗佳には生きる資格などない。


 麗佳はうつろな目で彼を見上げた。


 オイヴァが冷たく唇を歪める。だが、目はそれとは逆に怒りに燃えている。


「いや、勇者殿」


 普段なら結界を張って防げたその魔法を麗佳は防ぐ事が出来なかった。


 一瞬で目の前が黒く塗りつぶされた。

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