第13話 待ち続けていた「希望」

 魔王は麗佳を厳しい表情で見ている。とはいえ、合間に何度も咳をして苦しそうだ。


 目線だけで返事をうながされる。


「は、はい、麗佳・加藤と申します。初めまして、魔王様」


 少し噛んでしまったが、きちんと挨拶をする。


「そうか……」


 ふと、魔王の目が少しだけ優しくなったように見えた。だが、それもつかの間、辛そうに咳をする。麗佳は慌てて魔王の背をさすった。


 それにしても魔王が病気なんて、オイヴァからもリアナ王女からも聞いていない。どうして二人は黙っていたのだろう。


「大丈夫ですか?」

「ああ。わ……ごほっ、げほっげほっげほっ!」


 咳のせいでちゃんと喋れないようだ。魔王が指をさす方を見ると、カップがあった。その中にはいかにも苦そうな緑色の液体が入っている。隣には同じ液体が入った瓶がある。これは薬だろうか。


 カップを指差し、魔王に確認の目線を向けると頷く。

 ただ、この体勢では飲みにくいだろう。麗佳はソファーからあるだけのクッションをかき集め、魔王の背を支えた。


「どうぞ」


 カップを魔王の口に運ぶ。魔王はゆっくりとそれを嚥下した。そして一つ息をつく。


「少しばかり気分がよくなった。しばらくは持つだろう。ありがとう、勇者殿」

「いいえ」

「改めて名乗ろうか。余の名はアーケ・ヴェーアル。このヴェーアル王国の国王だ。他国からは『魔王』と呼ばれている。以後お見知り置きを、『勇者』レイカ殿」


 そう言って茶目っ気たっぷりにウインクする。


「よろしくお願いします、『魔王』アーケ様」


 麗佳も改めて挨拶をした。


 オイヴァからは『魔族の国』としか聞いていなかったが、この国の正式名称は『ヴェーアル王国』というらしい。


 彼が国名を隠していたのは自分が王族である事を隠すためだったのだろうか。この世界の王族は、大体国名と同じ苗字を持っているとヨヴァンカから聞いた事がある。

 最初は苗字を名乗った事で魔族の王子だと示したつもりだったのかもしれない。だが、麗佳は何も知らなかった。だから隠す事にしたのだろう。それともこれは軽い意地悪だろうか。


「それにしても息子はどうした? 余の見た所、そなたは殺戮に向いていないように見える。あの勇者嫌いをどうやって説得した? 待ち伏せしていただろう?」


 オイヴァのあれは『勇者嫌い』どころの騒ぎではないと思うのだが、言わないでおく。魔王だってそれくらいは分かっているだろう。

 それにしても、麗佳を一目見ただけでオイヴァが生きていると判断したこの男はすごいと素直に思う。


「私が魔王様と話をしたくて、オイヴァ様には無理を言ってしまいました。気分を害したのなら申し訳ございません」

「仲良くなったのか? オイヴァが勇者に心を許すとは思えないが……」


 絶対にあいつなら罠を用意しているに決まっておる、と魔王はつぶやいた。その通りなのだが、素直に喋るのは言いつけるみたいで気分が悪い。


 それにしても魔王のオイヴァに対してのこの酷い言い草は何だろう。これではオイヴァが魔王に信頼されているのか、されていないのか分からない。


「まあ、良い」


 もごもごと口ごもっていると魔王が苦笑した。


「勇者殿、そなたは本当に余と『話をしに』来たのか?」

「え? はい」


 素直に答えると魔王は満足そうにうなずく。


「わかった。では話をしようか。余も『勇者』に会うのは久しぶりだからな」


 座りなさい、と近くにあった椅子を勧められる。麗佳は素直に従った。


 そうして始まった質問は、麗佳の出身から始まり、日本の様子、召喚されたときの状況、そしてパーティメンバーとの訓練の事、彼らの性格など、盛りだくさんだった。


 後で考えれば、魔王のこの質問攻めは麗佳の情報をしっかりと抜いていたのだが、質問されている間は全く気にならなかった。それだけ魔王の話の仕方が巧みだったのだ。おまけにニコニコしながら楽しそうに聞いているので、麗佳の方も気分がいい。


 だが、ラヴィッカの居酒屋の話に入った時、魔王の表情が曇った。


「オイヴァがラヴィッカの街にいた? それは本当か?」


 思い切り詰め寄られ、麗佳の方が面食らう。


「え? ま、魔王様の指示じゃないんですか?」


 興奮したせいか、魔王の咳が復活したので背中をさする。


「まさか! 魔族の王子であるオイヴァがヴィシュ王国に入るのは危険だ。そんな事はあいつも分かっているだろうに。あの馬鹿め。また勝手な事を……」

「魔王様、落ち着いてください! オイヴァ様は魔法で目の色を変えていましたし、大丈夫ですよ」


 多分、と心の中だけで付け加える。病気の時は気が弱くなるものだ。余計な心配をかけない方がいい。


 魔王が『そういう問題ではない』とつぶやいた。彼の病気が治ったら、オイヴァはそうとう叱られるだろう。先ほど罠にかけられた軽い仕返しになるかもしれない。


「それで? そなたの剣はオイヴァに取り上げられたのか?」

「私の意思で置いてきました」


 きっぱりと言う。これで魔王に危害を加えに来たのではない事は伝わるはずだ。ただ、魔王は目をぱちくりさせている。


「そなたの……意思で? 何故だ?」


 当たり前だが、魔王は理由がさっぱり分からないようだ。でもあんな話をしていいのだろうか。それでも話さなければいけないだろう。あれは彼の命を危険にさらす物なのだから。

 なので、気分を害するかもしれないと前置きした上で簡潔に説明した。案の定、魔王は驚いたように目を見開いた。


「すみません。嫌な事を話してしまって」

「問題ない。剣にかけられた魔術の事などとっくに知っているからな」


 魔王の静かな返事に麗佳の方が面食らってしまった。だったらどうして驚いた顔などしたのだろう。ふりだろうか。でもそんな事をして何になるのだろう。


 考え込んでいる麗佳を見て、魔王は穏やかに笑った。


「……読んだのか」

「え?」


 魔王が小さな声でつぶやく。上手く聞き取れず、麗佳は聞き返してしまった。


「レイカ嬢、そなたはラヴィッカの図書館に入ったのだな」

「……え?」


 それは質問というより確認だった。


 麗佳が頷くと、魔王は安心したように笑った。


 魔王は『ヴェーアル家』の当主だ。知っていてもおかしくはない。でも、どうして『魔王』である彼が喜助に協力をしたのかはさっぱり分からない。大体、先代魔王を倒した喜助が新しい魔王に助けを求めるのは図々しすぎやしないだろうか。

 厚顔無恥という言葉が頭に浮かぶ。


 そんな事を考えている麗佳を見ながら魔王は楽しそうに笑った。


「そなたは納得がいかぬようだな」

「当たり前です! どうして魔王様は大月さんに協力しようと思ったんですか?」

「どういう意味かな? レイカ嬢」

「だって大月さんが殺したのって……」

「ああ、余の父だな」

「じゃあ何で!」


 思わず怒鳴ってしまった。なのに魔王は楽しそうに笑っている。まるで気にしていないようだ。


「レイカ嬢、忘れてはいけない。キスケはヴィシュ王国の『被害者』だ。被害者同士が協力し合うのは当然の事だ」

「い、いや、魔族にとっては『加害者』じゃないですか」

「それもそうなんだがな……」


 麗佳の当然の疑問にも魔王は動じない。


「どうして許したんですか?」

「キスケは自分のした事を後悔しておった。あそこに本を設置するのに協力してくれたら父親の仇を討っていい。そんな事を言われてしまったら許すしかないではないか」


 何だか納得がいかない。この魔王は仏の化身だろうか、とまで思ってしまう。


「まあ、オイヴァなら嬉々として討つかもしれないが」

「いや、それ、オイヴァが普通だと思いますよ」


 ついつっこんでしまった。魔王がおかしそうに笑う。


「そなた達はまだ若いな」


 そういう魔王もそこまでは歳をとっていないように見える。せいぜい五十くらいだろうか。そこで魔族は長寿だという事を思い出した。きっとこの魔王もかなりの長い間生きているのだろう。


 そこで麗佳はオイヴァについて疑問に思っていた事を思い出した。


「そういえば、あの部屋でオイヴァが……いえ、オイヴァ様が弾かれたのはどうしてなんですか? あの本を一緒に見れば、少しは誤解が解けたと思うんですが」

「あそこは魔王と召喚された異世界人以外は入れないからな。そなたの仲間も弾かれるはずだ」

「はい!?」


 また面倒くさい事を、と思うが黙っておく。


「……実は、かなり諦めていた」


 ささやくように魔王が口を開いた。


「諦めてた?」


 麗佳は復唱する事しか出来ない。魔王が何を言いたいのか分からないのだ。


「オイヴァから聞いたんじゃないのか? 余の次男が愚かな勇者に殺されたのを」


 魔王の言葉に麗佳は唇を噛む。脳裏にまたオイヴァの厳しい声が蘇って来た。


「そいつもな、あの本を読んで来たらしい」

「はい……?」


 魔王の口から信じられない言葉が出て来た。


 その勇者は人でなしだろうか。いや、小さな王子を殺している時点で十分に人でなしだ。もしかしたら殺人狂だったのかもしれない。あの本にも心を動かされないのだから。


 でもどうして魔王は彼が本を読んだと確信しているのだろう。


「レイカ嬢、そなたは本の内容は覚えているか?」


 穏やかにそう聞かれる。麗佳は頷いた。あれは今日の昼間の事だ。まだ読んでから十二時間も経っていない。


「こういう話があっただろう。キスケが父上を誤って殺してしまった後にヴィシュに戻ると、ヴィシュの王の使者が王子も殺して来いと言ったのを」

「それで大月さんはそれが彼が魔族を絶滅させない限り続く。これはヴィシュから魔族への侵略だったのだ、と知って断った、という事でしたね」


 きちんと覚えている。その発言で使者は態度を変え、喜助を殺そうとしたのだ。

 でも、それがあの王子殺害にどうやって繋がるのだろうと疑問に思う。


「あれは誰も殺してはいけないという警告だと私は受け止めたのですが……」

「余も同じように思った。でもな。奴は違ったらしい」


 わけが分からない。麗佳がきょとんとしていると、魔王は苦笑した。


「あの後、奴の仲間を尋問したんだ。その時に奴が図書館に寄った事を聞いた」

「でも、だからって……」

「『あの部屋に入ったかは分からない』。そなたはそう言いたいのだろう?」

「はい」

「それから奴の様子が変わったと言っていた。魔王でなくて王族を全滅させねば、と」


 だから、それが何故かが分からないのだ。


「『そうすれば、ヴィシュの王は俺を歓迎してくれるだろう』と言っていたと」

「はぁ?」


 さすがの麗佳もいい加減に分かった。分かったが、共感は全く出来ない。


 ふざけんな! と怒鳴りたくなる。魔王が怒るのも当たり前だ。そんな身勝手な解釈で、守ろうとした人間に裏切られたのだから。


「それを知ったから余は協力するのをやめたのだよ」


 どうやら、あの本が出来上がってから何十年かはラヴィッカの信用出来る者に頼んで勇者を図書館に誘導していたらしい。魔王について詳しい蔵書があるよ、などと言えば勇者達は喜んで図書館に入って行ったそうだ。とはいえ、設置したばかりの頃はイシアルの王太后の影響で勇者召喚自体がなかったそうだが。


 当時はそれで救われた者もいたらしい。イシアルに逃亡した勇者も何人かいた、と魔王は幸せそうに言った。


 そういえば、あのリストに『行方不明』という記述が何人かあった。それは喜助の計画が上手くいっていたせいらしい。備考には魔族に殺されたかもしれないと書いてあった。つまりヴィシュ王家側は何も知らないのだろう。でなければこの計画は上手くいかない。


 それが、第二王子殺害事件で全てが壊れた。魔王側はもう協力しない旨をイシアルにいる喜助に手紙で送り決別をした。その頃、ラヴィッカでも領主が代替わりして、なあなあになってしまったらしい。


「老年にさしかかっていたキスケには悪い事をしたと思っている」


 そう締めくくり、魔王は悲しそうにうなだれる。麗佳は何と声をかけていいのか分からなかった。


「まさか二百年近くも経ってそなたのような者が現れるとは思っていなかったよ」


 しみじみと言われても困る。ただ、この魔王が麗佳の命を救おうと——一時はやめていたと言っても——してくれた者達の中の一人である事は確かだ。

 なので素直に、そして丁寧にお礼を言った。魔王はもう一度優しく微笑む。


「そなたがオイヴァに殺されなくてよかった。最初にそなたを見た時は『こんな幼い少女に魔王殺しをさせるなど!』と憤りそうになったからな」


 魔王は笑いながら言っているが、麗佳はどう反応していいのか分からない。


 こんな事情なら、オイヴァは何も知らないのだろう。だからラヴィッカで勇者を待ち伏せて攻撃するなんていう事が出来るのだ。


 でも、今からでも間に合うかもしれない。今すぐオイヴァに連絡を取るのだ。麗佳が魔族側に着いたと知ったら彼も安心するだろう。詳しい事は魔王が知っているので問題はない。パーティメンバーは麗佳が責任を持って説得するつもりだ。四人そろって殺されるよりはずっといい。


 そう魔王に提案する。だが、魔王は悲しそうに首を横に振った。


「それは出来ん」

「え? どうしてですか?」

「オイヴァはこの部屋に入ってはならんのだ」

「そんな意地悪を……」

「意地悪じゃない。オイヴァは次期魔王だ。死なれたら困る」


 いきなり『死』などという恐ろしい単語が出て来た。でも麗佳は魔族を殺す気などない。では、どういう事なのだろう。


「余がかかっているのは伝染病だ。それも手遅れになったら必ず死ぬという恐ろしいものなんだ。オイヴァにうつすわけにはいかないんだ」


 魔王は重々しい態度でとんでもない事を言った。

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