第10話 説得と約束

 コンソメ風の味付けをされている洋風チャーハンを食べながら、麗佳はそっと目の前に座っている魔族の男を見た。なるべく刺激はしたくない。でもこうやって二人の話し合いの場を作ってくれた以上、きちんと話さなければいけない。


「何だ?」


 食べていたローストチキンから顔を上げ、オイヴァが訝しげに尋ねる。少し刺激してしまったのだろうか。


「オイヴァは……」


 そこまで言って止める。どうやって話せばいいのか分からない。


「私は……何だ?」


 得意そうに、でも意地悪そうに唇を上げてオイヴァは尋ねる。まるで麗佳が何を話すか分かっているようだ。


「ねえ、オイヴァは今でも『勇者』だというだけで私を警戒してるの?」

「どういう意味だ?」


 でも麗佳が聞いたのはオイヴァが予測してた質問ではなかったらしい。訝しげに眉を潜められる。


「正直、あんなのと一緒にされて不愉快だって言ってるの」

「お前もあの勇者が悪い奴と思うか?」

「その男を『勇者』って呼んで欲しくないくらいには」


 冷たく答える。オイヴァは小さく笑った。


 今、麗佳はあの居酒屋のテーブルを借りてオイヴァと食事をとっている。とは言っても借りているのは席と食器類だけだ。食事は屋台で買って来た。


 おかずとして買った串焼きをほおばる。どこかバーベキューソースのような味がする。


 最初誘われた時は夕食の買い物と称してこっそりと殺されるかと思った。でも、実際はこうやってきちんと一緒に夕食の席を囲んでいる。


 エルッキ達にもきちんと買って来た。オイヴァは少しだけ不満そうな顔をしていたが、私たちだけ食べるなんて、と押した麗佳に根負けしたのか買う事を許してくれた。上の階に置いて来たので今頃は三人も食事中だろう。


「レイカ」

「はい?」

「それ美味しいのか?」


 それ、と言ってオイヴァが指差したのはチャーハンだ。気になったのは間違いなく麗佳のせいだ。

 懐かしい米に思わずテンションが上がってしまって、『チャーハンだ! ねえ、オイヴァ! チャーハンがあるよ!』とはしゃいでしまったのだ。本当に屋台で夕食を買うという目的だったのにほっとしたのもあるかもしれない。オイヴァは間違いなく呆れていただろう。


 あの時、オイヴァは『これは何だ?』と不思議そうな顔をしていた。どうやら米を見るのは初めてだったらしい。


「美味しいよ。こっちでは米料理って食べた事なかったけど」


 チャーハンというよりはピラフを食べている気分だが問題はない。小さく切られた野菜もいいアクセントを出している。


「故郷ではよく、そのオリーシャとやらを食べたのか?」


 この世界では米の事をオリーシャと呼ぶのだそうだ。これは屋台のおじさんから聞いて知った。こういう細かい所まで気を使ってくれるので通訳魔術は便利だ。


 チャーハンの事は『オリーシャ炒め』と言うらしい。漢字でも『炒飯』と書くから意味は一緒だ。


「うん。ほぼ毎日主食として。こうやって炒めてはいなかったけど」

「いわゆるパンの代わりってことか?」

「そうそう。あと、お米を炒めるのは隣の国の料理なんだよ」


 白いご飯を何ヶ月食べてないだろう。家族と一緒に囲んでいた食卓が懐かしい。ため息をつきたくなる。

 そんな麗佳の気持ちはオイヴァにはお見通しだったようだ。どこか微笑ましそうな、でもどこか意地悪そうな小さな笑いが彼の口から漏れる。


「レイカは元の世界に帰りたいのか?」

「そりゃ帰りたいよ。向こうには家族がいるし」


 でも帰れないだろう。帰還する条件の魔王殺しを麗佳が拒否している状態では。


 最初は、魔王にヴィシュ侵略をやめて欲しいと説得をして、それでもうまくいかなかった時の最終手段として決闘を考えていた。その場合でも魔王を殺す気はなかった。降参させればいいと思っていた。そしてヴィシュにはもう侵略の心配はないという事で納得してもらうつもりだった。


 なのに、魔族の侵略が『嘘』で、あんな卑怯な剣を持たされていたと分かった今、魔王を『降伏』などさせたらヴィシュが魔族に何をするか分からない。


 そして麗佳はヴィシュの『期待』を裏切るのだ、元の世界になど帰してもらえるわけがない。


 それに、あの本を読んだ時、嫌な予感がしたのだ。喜助が帰してもらえなかったのは帰還の魔術が当時なかったからではないのか、と。


 もうヴィシュの国王の言った事の何もかもが信じられない。全部嘘だと思った方が楽かもしれない。


 そっと唇を噛む。目の前でオイヴァが冷たく笑う声がする。


「レイカ、残念だけど、ヴィシュ王国には異世界から人間を呼ぶ術の知識はあっても、返す術は知られていないと思うよ。開発もされてないだろう」


 オイヴァの言葉が先ほどの麗佳の考えを肯定する。とはいえ、あの本は二百年くらい前のものだ。でもオイヴァの話が本当ならまだ開発されていないのだ。


「もし魔族が異世界間移動の術を知っていたとしたら……」

「えっ!?」


 思いがけない言葉に麗佳は思わずオイヴァの顔を見てしまう。オイヴァは麗佳のその反応を見て満足そうに唇の端をあげる。どうやら彼が仕掛けた釣り針に思いっきり引っかかってしまったようだ。


「お前は……こちらに寝返る?」


 飲み物は十分に取ってるはずなのに喉が渇いてくる。試されていると分かった。


「それ、本当の話なの?」

「さあ? 私がしたのはもしもの話だよ」


 どうする? と目だけで問いかけられる。


 そんな事を言われても困る。麗佳も少しではなく心が魔族側に傾いては来ている。とはいえ、寝返るか決めるのは魔王に会ってからだという事も決めている。ただ、それは元の世界に帰れるのとは関係がない。どちらが信用出来るかが問題なのだ。


 そう話すと、オイヴァは難しい顔をした。


「つまり、まだ私が信用出来ないと?」

「そういうわけじゃないけど、少なくとも王族と約束しておかないと、後で反故にされそうで怖いというか……」


 麗佳がそう言うと、何故かオイヴァがぽかんと口を開けた。目が明らかに『何を言ってるんだ、こいつは』と言っている。


「え、えーと……その……オイヴァが信用に足らないって言ってるわけじゃないの! ただ、私は安全を確保したいだけで……」


 オイヴァはものすごく深いため息をついた。


「レイカ、お前は馬鹿だったのか」

「え? 何が?」


 何を馬鹿にされているのか分からない。麗佳は何か変な事を言っただろうか。きょとんとしていると、また呆れたようにため息をつかれる。


 少し厳しすぎただろうか。あの本にはヴェーアル家に頼れと言っていたが、オイヴァはヴェーアル家と喜助がしたであろう約束の事を知っているのだろうか。そうなら本を見た事を話してもいいだろう。


「ねえ、オイヴァ」

「ん?」

「大月喜助さんって知ってる? あ、いや、そっち風に言えば喜助・大月さん、かな?」


 オイヴァが首を傾げた。という事は知らないのだろう。


「そいつが何か魔族と勇者の事に関係があるのか?」


 今度は麗佳がうなずいた。


 話せ、と言われるが困ってしまう。こんな大事な話を麗佳の独断で話してしまっていいのだろうか。ヴェーアル家当主しか知ってはいけない事だったら大変だ。


 ただ、喜助が元勇者で、ヴェーアル家の当主との間で何か勇者に関する約束事があったらしいという事だけは話した。そして当主しか知ってはいけない事だったら勝手に話しては駄目だと思うから許してくれ、とも付け加える。


「父上しか知らない秘密か……」


 オイヴァがそう言って考え込む。


「だから魔族の国に行きたいの。魔王だけじゃなく、オイヴァのお父さんにも話がしたい。あの国にはここで知った重要な事の最後のピースがある気がするんだよね」

「魔族に攻撃はしないんだな?」

「あちらから攻撃されたら防御くらいはするかもしれません。でも自分から攻撃はしない。それはここで約束します」


 だから魔王城に行かせてください、とお願いをする。きっと許してくれない事は分かっている。


 案の定、オイヴァは冷たい目で麗佳を見ている。


「信じられると思うのか? そんな都合のいい話を、私が」

「あ、うん。そうだよね」

「お前がこの場で寝返ると言うのなら、そして私に服従を誓うというのなら行かせてやらなくもないが? 話もつけといてやろう」


 そう言って得意そうに笑う。これは、そうしなければ殺すと言われているのだろう。

 それほどオイヴァの傷は深いのだ。


「だから私は魔王を殺さないよ!」


 しっかりと言うが、オイヴァは警戒態勢を崩さない。


「今までの勇者は私が魔族だと分かるや否やすぐに襲って来た」

「でも私はそんな事しなかったでしょ」

「今まではな。でもお前が私の隙をうかがっていないとは言い切れない。捕らえられてるから大人しくしているだけ、という可能性もある」

「私、丸腰なんだけど」

「魔術があるだろ。私の術を解くほどの魔術を使う実力が」


 それではあの時、やはり麗佳が使った術はオイヴァに効いていたのだ。


 それにしてもこれでは堂々巡りだ。ただ、麗佳にはオイヴァの出した『服従』という言葉が引っかかる。


「ねえ、服従って事は一生オイヴァに仕えるって事なんでしょ?」

「何だ、仕えてくれるのか?」


 楽しそうに、でも意地悪そうに、にやりと笑う。


「私は元の世界に帰る事を諦めたくないからその条件は飲めないよ」


 はっきりと目を見て言う。オイヴァはため息をついた。


「そういう理由か」

「ごめんなさい」


 自然と謝罪の言葉が口をついて出た。


「なら、あの三人をこのまま私が見張るのはどうだ? 人質として。約束を破ったらお前の目の前で殺すっていう」


 それも結構きつい条件だ。あの三人は麗佳がこちらにきてからずっと支えてくれたのだ。いないと不安だ。

 でも、そうしないとこの場でみんな殺されてしまうのだろう。これでもオイヴァはかなり譲歩している。


「ちゃんとみんなの命は保証してくれるんですか?」

「もちろん。お前が魔王陛下を殺さない限り、私もあの三人を殺さない。お前が心配なら私の血にでも誓ってやる。そのかわり、お前も魔王陛下を殺さないとお前の血に誓え。わかったな?」


 それなら安全かもしれない。


「分かりました。皆がいいと言ったら、という条件付きですが、お願いします」


 あっさりと許可を出すとオイヴァの方が面食らったように目を丸くする。


「いいのか?」

「いや、しなきゃ殺されるんでしょ。私たち四人とも」


 唇の端をあげるのが肯定のしるしだ。


「おりこうさんだね、レイカちゃん」


 頭をなでられた。思い切り子供扱いをされる。まあ、何百年か生きているのであろうオイヴァには、麗佳など小さな小さな子供にしか見えないのかもしれない。


 ただ、その『子供』を恐れるというのが麗佳にはよく分からない。もしかしたらずっと試されていたのだろうか。


「あ、そうだ」


 オイヴァは小さくそうつぶやくと、どこからか紙とペンを取り出し何かを書き付ける。そして指笛を吹いた。

 何事かと麗佳が訝しんでいると、目の前に二羽の美しい鳥が現れる。これは伝書鳩だろうか。


 伝書鳩など初めて見た。さすがは異世界だ。麗佳は心の中だけで興奮した。


「伝書鳩は珍しいか?」


 でもオイヴァにはお見通しだったらしい。こんな事で嘘をつく必要はないのでうなずいた。


「確かに珍しいかもしれないな。こっちでもそろそろ廃れ始めてるし」

「そっちでも珍しいの?」

「ああ、最近はよほどの緊急事態にしか使わないし」


 その緊急事態に使う伝書鳩を今使っていいのだろうか。そう尋ねると、オイヴァは皮肉げに笑った。


「『勇者が魔王城に向かおうとしている』のは緊急事態だとは思わないのか?」


 それもそうだ。ただ麗佳としてはあんまり大事にして欲しくない。というか襲撃するわけではないのに緊急事態なのだろうか。


「誰に送るの?」

「私の家族に。それから城の兵に。そうすればお前も入りやすいだろう。あと何人かに瞬間送信の手紙を送っておく」


 そう言ってからオイヴァはささっと手紙を鳩の足に括り付け、短い呪文を発する。鳩はくるくるとオイヴァの周りを回って消えた。


「すご……」


 ついそうつぶやくと、オイヴァは苦笑する。


「すごいか? 本物の鳩じゃないぞ、あれ」

「それって魔術で具体化させたアイテムって事!?」


 思わず詰め寄ってしまった。オイヴァがどこか引いているように見える。きっと麗佳ががっかりすると思ったのだろう。

 でも魔術がない世界からきた麗佳にはそういう魔力を使ったもの全てが新鮮なのだ。


「『魔術』でなくて『魔法』だ」

「どう違うの?」


 そういえばよくオイヴァは『魔法』という言葉を使っていた。


「全然違うものだ。まあ、無事に帰って来れたら教えてやる」


 そんな事を言うから意地悪だ。でもこれで何としても魔王と話し合ってみんなの安全を勝ち取ろうという意思が固まった。とはいえ、それにはオイヴァの提案通り、麗佳が魔族側に『寝返る』必要があるのだろう。


「楽しみにしてます」


 そう答えるとオイヴァは冷たい笑みを見せた。


「私の信頼を裏切るなよ。もし裏切った場合、私はお必ず前を殺しに行く」

「分かってます。魔族は殺しません」


 ここまで念を押さなければいけないほどオイヴァは魔王を殺される事を恐れているのだろう。


 大丈夫。麗佳はオイヴァに向かってそう心の中でつぶやいた。

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