第4話 勇者リストと謎の書物
オイヴァは魔王の幹部だった。それは目の前の彼の金色の目が証明している。
麗佳がぽかんとしながらオイヴァの目を見ているのを見て、彼も気がついたようだ。しばらく瞬きをしていたが静かにため息をついた。
「まさか私の幻惑魔法を破るとは……さすがは勇者殿と言うべきか」
心底悔しそうにそんな事を言う。心なしか目つきが厳しくなったように見えるのは麗佳を警戒しているからだろう。
「オイヴァ、魔族だったの?」
オイヴァは黙ってうなずいた。
なんだか申し訳ない気持ちになる。麗佳がオイヴァの魔術を解いてしまったのだ。ここの棚の近くには麗佳とオイヴァ以外の人はいないので大丈夫だが、そこから出たら大変だ、と心配になってくる。
突然慌て始める麗佳にオイヴァは苦笑した。
「そんなに心配しなくてもいい。魔法は私の目にかけてある。それがお前に効かなくなっただけだ。それから防音をかけてるから私たちの会話は他の人には聞こえない。安心して喋るといい」
「そうですか」
ほっとする。オイヴァはまだ呆れたように、でもおかしそうに笑っていた。
「変わった娘だな。普通、勇者は魔族の心配なんかしないのに」
その言葉に苦笑する。確かにそうだろう。酷い人なら『人気の多い場所でその金色の目をさらしてリンチされるといい!』とか思いそうだ。麗佳は絶対にそんな事は思わないが。
「ところで読まないのか? はやく読まないと閉館になるけど」
「あ、そうですね」
「敬語はいらない」
「……はい」
再度注意され、苦笑する。これは勇者とその命を狙う魔族の会話らしくない。
本当に魔王討伐の旅らしくないほどおだやかな生活だ。そしてそれが続いて欲しいと思っている自分がいる。本当に自分は勇者らしくない。麗佳は下を向いて小さく笑った。
その間にオイヴァは棚から一冊の本を抜き出して差し出してくれる。
「これは歴代勇者の情報を集めた本。最新版だ」
「何でそんなものがあるの!?」
「ヴィシュの国王が毎年発行してる」
「何の為に? 国税もったいなくない?」
「そんなこと私が知るわけがないだろう」
それもそうだ。大体、魔族であるオイヴァには知った事ではないだろう。苦笑して本を開く。
「多!」
思わずそんな言葉が出てしまう。
ヴィシュは何百年間勇者召喚をやっているのだろう。ざっと見た所で今までに五十人近くは召喚されている。
そして『討伐失敗』という言葉が多い。というか討伐成功など一人しかいない。これは魔族がいかに強いかを示していた。
失敗した理由まで書かれている。大抵は魔族に倒されたと書かれていた。具体的な死体の様子まで書いてある所まであった。きっと魔族がいかに恐ろしいかという事を教えたいのだろう。
分かってはいたが、この真実を突きつけられると結構重い。
目の前でやけに大きな足音が一つ響いた。明らかに戦い慣れをした指が伸びて来て本のページをめくる。そうしてあるページを指差した。
「ここから最後の奴までの二十八人は私が倒した」
その言葉に背筋がぞくりとする。オイヴァは別に麗佳をいじめようとして言ったわけではない。ただ、真実を教えてくれただけだ。だからこそ恐ろしい。
「ちょっとでも変な事をしたら、私が二十九人目になるということですか?」
「そうだ」
現実がすとんと降りてくる。麗佳はもう何も言う事が出来なかった。
「言いたい事は終わったから私は行くよ」
オイヴァがそう言って緊張感を緩める。正直ほっとした。あのまま脅され続けるのは心臓に悪い。
「あ、そうそう。レイカ」
オイヴァが去って行く足を止める。麗佳は思わずびくりと震えた。
「な、何でしょうか」
「私は最初に会ったあの居酒屋の上階にある宿に泊まっている」
「はい?」
突然何の話をするのだろう。何が何だか分からなくてぽかんとしてしまう。
「私に用があるのなら宿の主人を通して呼び出せ。話し合いくらいには応じてやる」
それだけを言うと、オイヴァはさっさとその場から離れて行った。
「ありがとうございます」
見えないだろうが、きちんとお辞儀をしてお礼を言う。予想通り、オイヴァは振り返らなかった。
「さてと!」
小さな声でつぶやいて気持ちを切り替える。まだあの本は討伐が成功したか失敗したかしか読んでいない。
そしてページを繰って違和感を抱いて行く。
「最近の召喚ペース、はやくない?」
ついそうつぶやく。どう考えてもおかしいのだ。つい数十年前までは長い場合で百年、短くても十年か二十年単位で召喚されていたのが、ここ最近ではだんだん召喚ペースをあげている。前の勇者と麗佳の間など四ヶ月しか開いていない。
これはオイヴァも大変だ、と苦笑してしまう。前の勇者がオイヴァに殺されてすぐに麗佳が召喚されたのだろう。
召喚魔術の為の魔力は大丈夫なのか、と余計な事を考える。まあ、そんな事は麗佳が心配する必要は無いだろう。
でも気になってしまうのだ。明らかに戦いに慣れていない麗佳が召喚されて来た時、国王に魔術師が責められていたのを見てしまったせいだろう。
それにしてもどうして召喚ペースがあがったのだろう。前だったら魔族の侵略がきつくなってきたから、と結論を出していた。でも今はそうではないと分かる。
オイヴァがあれほど怒ったのだ。魔族の国はヴィシュを狙ってなどいない。
とは言っても麗佳が確かめられるだろうか。オイヴァに『余計な事をしたら殺す』と釘を刺されたばかりだ。とりあえず一度話し合いの機会をオイヴァに作ってもらおう、と考える。それしか選択肢がないとも言える。
歴代勇者の本を書棚にしまう。他に何かいい本はあるだろうかと書架の間を歩いてみる。気になった物は取り出してめくってみる。
そして奥まで行った時に、麗佳の目は一つの扉に吸い寄せられた。
これは何だろう。本棚の隣に狭い扉がある。職員の部屋だろうか。その割には『関係者以外立ち入り禁止』の札が無い。それにこんな所に作る意味が分からない。作るなら貸し出しカウンターの後ろだろう。
それでも気になって仕方がない。本来なら関わらずに立ち去るべきだろう。だが、扉が開けろと麗佳を呼んでいるような気がするのだ。
これは罠だろうか。それでもその向こうにあるものは気になる。
麗佳は思い切って扉を開けてみる事にした。
扉には鍵も何もかかっていなかった。おまけに入り口がどこか広くなったような気がする。
中に入ってみてまた首をかしげる。
変な部屋だ。本棚の中には一冊しか本が入っていない。おまけにそれがまた麗佳を呼ぶのだ。
その時、後ろで扉が開く音がした。慌てて振り向く……間もなく侵入者が吹き飛ばされたような大きな音が響いた。
「うわぁっ!」
同時に悲鳴が聞こえる。その直後に扉が閉まった。
その声に麗佳は息を飲んだ。明らかにこれはオイヴァの声だ。
何故彼がここに来たのだろう。
慌てて扉越しに、オイヴァ! と声をかけてみるが返事は無い。
ドアを開けて確認しようとするがドアノブが動かなかった。危険! 出るな! という声が聞こえたような気がする。
とんでもない部屋に入ってしまった。自分の顔が青ざめていくのが麗佳には分かった。
でもせっかく入ったからには用事を終わらせるしかない。そうすれば出られるかもしれない。
麗佳は恐る恐る本に手を伸ばす。本を手に取ったと同時に、どこからか椅子が現れた。用意周到すぎるのがまた恐ろしい。自分は誰かに監視されているのだろうか。部屋からどこか逆らえない圧力のようなものを感じる。
だが、監視されているとしたら誰にだろう。密かにオイヴァ以外の魔族がいるのだろうか。
それでも気にしてばかりはいられない。どちらにせよ麗佳はこの部屋からは出られないのだ。ピッキング魔術があればいいが、そんなものは知らない。
思い切って椅子に座り本を開いてみる。
最初にあったのは見開きの絵だった。
とても良く出来た絵だという事はプロの絵描きではない麗佳にも分かった。かなりの技巧が施されている。この画家はかなり腕がいいのだろう。
だが、問題はその絵に描かれているものだった。
正確にはそこに描かれている人物達の行動だ。
床に倒れ込んでいる男性に無理矢理瓶の中の何かを飲ませようとしている貴族風の衣装を着た男。歯を食いしばって飲むまいと耐えている鎧の男、そして、瓶を持っている男を大きな花瓶で殴りつけようとしている魔術師のローブを着た男。
これは何かの事件だろうか。どうしてこの貴族は鎧の男を毒殺しようとしているのだろうか。
それにしても、どうしてこの絵を麗佳が見なくてはいけないのだろう。
大体、こんな鎧の男を麗佳は知らない。
とりあえずページをめくってみた。画集でもない限り文章があるはずだと思ったからだ。
だが、その文章はまた麗佳を呆然とさせた。
「え? 何これ?」
思わずつぶやく。
そこに書いてあったのは明らかに日本語だった。でも麗佳には読めない。
崩し字だろうか。丁寧に書いてある事はあるが、さっぱり内容がわからないのだ。きっと昔の文章なのだろう。
どうしよう、と本を持ちながら呆然とする。
突然変な部屋に閉じ込められ、よくわからない絵を見せられ、おまけに文章は読めない。
どうして自分はこんな部屋にいなくてはいけないのだろう。それでも読まなければいけない、と本能が言っている。
というか、何故ここに昔の日本語で書かれた本があるのだろう。
もしかして勇者関連だろうか。そういえば鎧の男はよく見ると日本人っぽい顔をしている。そういえば先ほど読んだリストでも、日本人名の勇者は何人かいた。
そうなるとやはり自分に関係があるのだろう。
とりあえず文章を読むのは後回しにして絵に戻る。文章は、後で翻訳魔術を使って読むつもりだ。
物が大きく見える魔術の魔術式を思い浮かべて魔力を注ぐ。麗佳が密かに『ルーペ魔術』と呼んでいる術だ。
ちなみに麗佳は魔術式は基本的に丸暗記をしている。魔術式はきちんと規則に乗っ取って作られているのだが、そこまで学ぶには時間が足りない。なので奥の手としての丸暗記をとったのだ。少しずるをしている気がするが仕方がない。
「うん。やっぱり日本人顔だ」
鎧男の顔を拡大してから素直な感想を述べる。
だが、まだ疑問はある。何故この日本人の勇者かもしれない男は殺されようとしているのか、そして、後ろで壷を振り上げている男は何なのか。
とりあえず壷を持ち上げている男の顔にルーペ術を当ててみる。
そして麗佳は息を飲む。
「ヨヴァン……カ?」
そう言ってしまうほど、この男はヨヴァンカに似ていた。もしかしたらラヒカイネン家の先祖なのかもしれない。
彼は勇者の仲間なのだろうか。ヨヴァンカのようにパーティメンバーとして同行していたのかもしれない。
そうなると、ますます残った男が気になる。これは何の戦いのシーンなのだろう。
麗佳はごくりとつばを飲み込む。そうして彼の目に魔術を当てる。
拡大された瞳をじっくりと見る。どう考えてもこれは金ではない。緑だ。
この貴族風の男は魔族ではない。
その意味は明白だ。つまりは
勇者は
麗佳はしばらくその場から一歩も動けなくなってしまった。
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