第3話 図書館

 エルッキにも来てもらえばよかった。百科事典なみの分厚い魔術書を閲覧の為の個室に運びながら、麗佳は心の中でそっとため息をついた。


 いや、十三歳も年上のパーティリーダーを荷物持ちに使う勇者がいるならそれはそれで問題かもしれない。


 それが表情に出たのだろう。隣ではヨヴァンカが呆れている。


「浮遊魔術で浮かせてしまえばよろしいのに」

「え? 図書館で魔術って使っていいの?」

「禁止事項には書いてなかったわ。運ぶのに使うだけなのならいいのではなくて?」


 それを早く言ってよ、と文句を言いたかったがやめておく。教えてくれただけでもありがたいものだ。そのヨヴァンカはもうすでに魔術を使って本を運んでいる。


 早速浮遊魔術の魔術式を構築する。この重さなら二のレベルの浮遊術で十分に持ち上げられるだろう。


 魔術はその種類によって細かくレベル分けがされている。学習はしやすいが、ゲームみたいだなと思わなくもない。とは言っても麗佳はあまりゲームをした事がない。時々近所に住む従兄弟達と遊ぶくらいだ。

 その魔術式で本をぐるぐる巻きにする。そして魔力を注げば本が浮く。


 それにしても魔術式を出すのにも魔力を使うのだ。二度手間じゃないのかな、と麗佳は密かに思っている。


 そんな事をしているうちに閲覧室についた。浮遊魔術に付け加え、ゆっくり降下させる魔術をプラスする。それから浮遊の魔術を解く。そうすると本がゆっくりと机の所に降りてくる。机にたどり着くと魔術式は自然に消える。そういう術なのだ。


 いろいろとややこしいが、『魔術』という複雑なものを操ってるのだ。これくらいの苦労は必要だろう。結局は慣れの問題なのだとヨヴァンカも言っていた。


 呪文を使えばもっと簡単だが、ここは図書館だ。私語は少なめにした方がいい。


 二人でそれぞれが持って来た本をめくる。


 しばらく静かな時間が流れた。


「うーん。ないなぁ」


 ぽつりとつぶやく。


「こっちもよ」


 ふぅ、とヨヴァンカもため息をつく。その仕草も上品でうらやましくなる。麗佳だったらどう転んでもそんな色っぽいため息はつけないだろう。


 その後もいくつもの本を見て、時には中に書いてある魔術を試したりしてみたが成果は上がらなかった。


「付き合わせてごめんなさいね。レイカも読みたい本があるでしょう? それを読んでも構わないのよ。元々わたくしの不注意で起きた事なのですから」


 麗佳は考え込む。確かに先代勇者や魔王の事は調べるべきだ。元々そのために図書館を訪れたのだから。

 でもヨヴァンカと離れていいのだろうか。彼女は魔族に狙われているのだ。麗佳が席を離れた途端に襲われたら大変だ。


 ただ、そんな事はヨヴァンカには言いにくい。彼女はヴィシュ王国で一、二を争う魔術の名家の出身で、彼女自身も優秀な魔術師なのだ。対して麗佳は魔術に関しては完全に初心者。心配だなんて言ったら一笑にふせられるだろう。


 そこまで考えてぞっとする。そのヨヴァンカにあんな恐ろしい魔術をかける事の出来る魔族と自分は近いうちに対峙するのだ。すぐに退治できたらいいのだが、難しいだろう。大体、自分が戦えるのだろうか。


「レイカ?」


 ヨヴァンカが心配そうに声をかけてくる。麗佳は笑ってなんでもないとごまかした。


「じゃあちょっとお言葉に甘えて行ってくるね」


 ついでに結界魔術の練習がしたいと言って部屋に囲いをしておく。レベル四のものだ。麗佳が今作れる最大のもの。ヨヴァンカが褒めていたので上手く出来たのだろう。


 出て行く直前に『ありがとう』と伝えられる。つまり麗佳の考えはヨヴァンカにはお見通しだったようだ。


 でもここで『どういたしまして』と言うのはどうだろうと考え笑顔だけを見せる。


 そうして閲覧室を出て行ったのはいいが、本の場所が分からない。きっと異世界風に区分分けはされているだろう。


 歴史だろうか。それとも文化人類学系だろうか。いや、魔族は人間ではないから文化「人類」学はあり得ない。だとしたら生物系だろうか。とりあえず歴史のコーナーを探そうと足を踏み出す。


「レイカ? レイカじゃないか」


 突然後ろから声をかけられ少しだけびくりとする。でもその声が聞いた事のあるものだったので少しだけ安心する。


「こんにちは、ヴェーアル様」


 きちんと礼儀正しく挨拶する。なのにオイヴァは呆れたようにため息をついた。


「オイヴァで構わないよ」

「わかりました、オイヴァ様」

「『様』もいらない」

「でもオイヴァ様はおきぞ……」


 反論しようと思ったがやめた。前にヨヴァンカから『この国の貴族の「許可」はほぼ「命令」』だという事を聞いていたからだ。そういえばその時に出された「許可」も呼び捨てしていい、敬語も使わないように、だったな、と思い出す。


「分かりました、オイヴァ」


 素直に返事するとオイヴァは苦笑する。予想通り敬語もいらないと言われたのでそうする。


「で? 何をしてるの? 何か探し物? 手伝ってあげようか?」


 そう聞かれうろたえる。百パーセント好意で言ってくれているのだろうが、今の麗佳には困った事だった。今さら魔王の情報を調べているなんて情けないことは知られたくない。


「別にいいんだよ。君の趣味にとやかくは言わないし、誰だって息抜きくらいは必要だろう」


 勝手に休憩だと決めつけられてしまった。麗佳はむっとしてオイヴァを睨みつける。


「息抜きじゃありません!」


 思わず怒鳴ってしまってからここは図書館だという事を思い出した。慌てて周りを見るが、他の人はこちらを見てもいなかった。ひとまずほっとする。


「じゃあ調べもの? 何を知りたいの? 魔王の事?」


 ずばり言い当てられる。当たり前だろう。麗佳が勇者だという事はオイヴァはよく知っている。


「う、うん」


 いろいろと調べたい事はある。


「魔王領の事とか」

「魔王?」


 オイヴァが『領』という言葉に力を込めて聞き返した事に麗佳は気づかなかった。


「うん。そう。魔王領の状態とか知りたいの」

「知ってどうするの? そんな事」


 馬鹿にしたように言われ、むっとする。これは本当に大事な事だ。


「そうすればどうして魔王がヴィシュ王国を侵略したいのか分かるかなと思って。そうすれば……」


 言葉を続ける事は出来なかった。オイヴァが信じられないくらいの怒気を放って来たからだ。


「オ、オイヴァ?」

「魔族が……ヴィシュを侵略しようとしている?」


 地の底から響くような低い声が彼の口から出てくる。どうしてか分からないがオイヴァは相当『キレて』いるようだ。


「だ、だから私が呼び出されたんだと思います。オ、オイヴァ様だって言ってたじゃないですか。最近よく勇者が召喚されてるって」


 正直怖い。でもこういう怒気に慣れなければ魔王を倒すどころか交渉も出来ないだろう。大体麗佳にはこの街で魔王の幹部と話すという目標もある。


 不意にオイヴァが口角をあげた。その横顔に浮かんでいるのは冷酷な笑みだ。


「……そうだな」


 そう言うと同時に怒気も消える。麗佳はそっと息を吐いた。何しろ怒気を放たれている間、満足に呼吸も出来なかったのだ。


 その様子を見てオイヴァは優しい笑みを見せる。まるで小さな子供を見ているようだ。馬鹿にされているようで悔しい。


「魔族や勇者についての本はこっちだよ」


 それだけ言ってすたすたと歩いて行く。麗佳は小走りでついていった。


 どうやら『勇者と魔族』というコーナーがあるらしい。さすがは魔王領の近くの街だ。


 そう感心して言うと、オイヴァはため息をついた。


「レイカ、さっきから魔王領、魔王領、って言ってるけど、魔族はあの土地を自分たちの『国』だと認識してる。この街に魔王の幹部がいる事は知ってるだろう。そういう言い方は相手を怒らせるだけだ。言うなら『魔族の国』と言え。これは私からの忠告だ。分かったな」

「あ、はい」


 その言い方にかすかに違和感を覚える。今までの街では魔王領で通じていたし、魔王に反感を持っている者は大抵軽蔑を込めて『魔王領』と言う。オイヴァは、魔王がヴィシュを侵略しようと考えている話をしたら怒っていたので魔族を憎んでいると思っていた。


 でも今の発言はまるで魔族を擁護しているようではないか。


 それかオイヴァ自身が……。


 ふと、麗佳の頭にとんでもない考えが浮かんだ。まさかとは思う。でも否定は出来ないのだ。


 その時、麗佳の目の前でオイヴァの体に変化が起こった。

 彼の瞳の色がゆっくりと変わっていく。

 漆黒だった目の色が段々薄くなっていく。次第にそれは光を帯びた。驚いて瞬きをする。次に見た彼の瞳の色は純金だった。


 それは麗佳の考えていた事が間違いではなかったという何よりの証拠だった。



 オイヴァは、魔族だ。

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