第28話(愛海編 後編)


「あちゃー……」

 まだ暗い部屋の中、目を細めながらスマホを覗いたらそんな声が出た。思ってた以上に起きる時間はまだ遠い。

 平日の早朝に目が覚めてしまった。もっかい寝ないとまずいぞともう一度目を瞑ってトライしてみる。

「……」

 あーダメだ。

 頭の中に美穂さんの顔が浮かび上がってくる。昨日の夜ずっと彼女のことを振り返っていたせいだ。

 ……続いて砂羽さんの顔が出て来る。二人は同級生で大親友で私と同じ国木出身の――。

 ああ、これはだめだとため息。

 もう諦めることにする。思考が止まらない。

 スクッと起き上がってスマホを動かす。砂羽さんに『いますか?』と連絡すると『いない』と5秒で返ってきた。

 ――いるな。

 ささっと着替えた私は家族にバレないようにこっそりと家から出て行った。



「――いないって言ったはずなんだがな?」

 顔は笑顔だが明らかにキレ顔の砂羽さん。いつもの私ならこの顔だけで逃げてるけど、今日はそうならない。

「ゲームはもうクリアしただろ?」

 閉店作業中だったのかビデオゲームやスロットの電源は落とされてある。閉店するのは12月と1月だけにするって言っていた気がするけど期間を伸ばしたのだろうか。店内は話声さえなければ自販機のウーってなる音ぐらいしかない。すごく静か。

「ちょっと聞きたいことがありまして」

「なんだよ?」

「……美穂さんのことで」

 少し驚いた顔をして私を見る。私の口からその名前が出るとは思っていなかったからだろう。

「どうした急に?」

「色々ありまして」

「なんだよ色々って」

 その色々を話すのはちょっとムズイ。

 どう言えばいいかなと思っていると、砂羽さんはイートインコーナーの椅子に座った。

「何が聞きたいんだ?」

 顔を合わせたときはめんどくさそうな顔をしていたけれど話してくれるようだ。お言葉に甘えようと私もテーブルを挟んで彼女と向かい合う形で座る。

「砂羽さんは美穂さんのお友達だったんですよね?」

「今もこれからもずっ友だよ」

「……」

「なんだよその目は?」

「いえ、タイプ違うから。どうやって知り合ったのかなーなんて」

「そんなこと聞いてどうすんだ?」

 どうするんだと言われても。何もする気はない。

 ただ、美穂さんのこと思い出しながら寝たら早くに目が覚めて。それでまた寝ようとしたら美穂さんの顔が浮かんでその次は砂羽さんで……。

 それで初恋の人が私と同い年ぐらいの頃はなにやってたんだろーって思ったぐらいのことなのだ。

「……」

 何も言わない私に砂羽さんはそれ以上つっこまなかった。黙って立ち上がると自販機で何か買って戻ってくる。今度は私と向かい合わず私の隣に座った。ゴンッと私の前にホットココアの缶が置かれる。

「……ありがとうございます」

「どういたしまして」とプシュっと砂羽さんの缶が開く。今日の彼女はホット烏龍茶を選んだ。

「美穂とは高二の頃に知り合ったんだよ」

 国木時代にねと付け足す。二人が私の大先輩(この言い方をすると砂羽さんはキレる)でおじさんとも同級生だとは知っていたけれど高校時代からの付き合いだったのは初めて知った。

「美穂は当時からすごいモテてたんだ」

 ま、あたしほどじゃなかったけどなーと言われ、そっすかと棒読みで返事。砂羽さんあるある発言はこんなときにも出てきてしまうのか。

「でもモテすぎてちょっとした事件起こったんだ」

「事件?」

「今では珍走団っていうのかな。当時は暴走族って呼ばれてたアホ連中が美穂に会いに来たことがあったんだよ」

「へ?」

「当時県内では一番勢力の大きい暴走族の総長――その中で一番偉いやつのことな。そいつが美穂に惚れ込んでさ。それで手下連れてバイクで国木まで乗り込んできたんだ」

 ――え。なんか漫画みたいな話が始まったんですけど。

「なにそれ怖っ」

「ほんとそいつら全員大バカでさ。校門のところで待ち構えて美穂を発見するなり男数人で詰め寄ってきたんだ。女の子一人にだぞ? そんなことすれば嫌がられるのなんて当たり前なのにしつこくぐいぐい行きやがったんだよ」

 想像すると昔の話とはいえ怒りが湧いてくる。

「そうしたらその現場を見たとあるヤツがブチ切れてな――」

「――もしかしておじさん!?」と話を遮ってまで予想をあげる。

 そうだとしたらかっこよすぎるぞおじさん!

 そう期待に目を輝かせていたのも束の間。砂羽さんは両の人差し指でブー! とバツを作って否定した。

「孝宏が正面から助けに行くわけないだろ。あいつは必殺仕事人みたいに夜中にこそこそ一人ずつ背後から吹き矢とかで始末するようなタイプだよ」

「……」

 ごめんおじさんと心の中で謝りながら無言で椅子に座り直す。砂羽さんのそれに納得してしまい一切の反論ができなかった自分を許してほしい。

「でまあそいつが手下含めて全員病院送りにしてさ」

「一人で数人を?」

「ああ。たしか五人送ったんだよ。あたしは直接見てないから詳細は知らないんだけど瞬殺だったらしいぞ。病院送りにされた本人達からも聞いたし、周囲のやつらも同じこと言ってたから全部ほんとのことだよ」

 ――本人達から聞いた?

 それに疑問を感じたところでドアが開く。雄二さんだ。

「お? どうしたお前?」

「酒飲んだって聞いたから迎えに来たんだよ」

「今日はちょっとだけだから心配ないよ」

「そう言って昔田んぼに落っこちただろ」

 そして私を見て「酔っ払いの相手させちゃってごめんね。愛海ちゃん」と挨拶する。お店閉めてからわざわざこっちまで迎えにきたようだ。ほんとお姉さん思いの人だな。

 ――などと思っていた私に衝撃が走る。

「ちなみにその暴走族の総長だったのがこいつな」

 笑いながら砂羽さんが雄二さんを指差したので「え!?」と驚く。

「その話愛海ちゃんにしないでくれるか?」と雄二さんはバツが悪そうな顔をする。どうやら本当の話みたいだ。

「昔こいつすげーグレてたんだよ。おまけにバカで身の程しらずでさ、どうみたって釣り合わねーのに美穂に近づいて。それでさっき言ったやつに病院送りにされたんだ。で、翌日あたしが失礼を働いた弟の代わりに美穂に謝りに行ったことが知り合ったキッカケ。そこから美穂とつるむようになってさや香とも遊ぶようになったんだ」

 あり得な過ぎて笑えるだろ? アッハハハ! と砂羽さん一人だけが笑っている。

 ……すごい出会いだな。

 現代JKで同じような出会い方した人いないんじゃないだろうか。昭和ヤバイ。

「昭和って魔界だったんですね」と率直な感想が漏れる。

「はぁ? なんだそれ」

 いえ、別にと元魔界の住人から目を逸らして雄二さんの方を見る。

 まさか雄二さんが不良だったとは。

 確かに強面ではあるけれど今までの物腰からは全然想像がつかなかった。

「――そういうときもあったんだよ」と私の視線を避けるように雄二さんは横を向く。これ以上は触れてほしくないようで早く出るぞと砂羽さんを急かした。

「まだ話終わってねーよ。おねーちゃんが心配ならそこら辺座って待ってろ」

 雄二さんは缶コーヒーを買うと渋々と外に出ていった。車の中で待つみたいだ。外でバタンとドアが閉まる音がした。

「出会いはそんな感じかなー」

 他に何が聞きたいと言われ、浮かんだものを片っ端から口に出してみる。

 当初は面倒臭そうな顔してた砂羽さんも割とすんなり話をしてくれた。

 そして話を聞いたことで自分が思ってた以上に美穂さんのことを美化していたことがわかる。

 見た目大人しそうに見えて実は結構男勝りなところがあったこと。

 体弱くて学校は休みがちだったけど、気は強くて砂羽さんとは何度か言い合いのケンカをしたことがあったとか。

 ちなみに美穂さんのげんこつは結構痛いらしい。

 そんな美穂さんのことを聞いても少しもショックはない。むしろかつて好きだった人のことを知れて嬉しかった。おじさんとのやりとりも含めて笑ってしまうようなことも多かったし。

「――美穂さんってそのときからおじさんと付き合ってたんですか?」

 そして最後におじさんと美穂さんのことを聞いてみることにした。

「いや、高三の夏までは別のやつと付き合ってたよ」

 え。と思わず声が漏れる。

「孝宏と付き合い始めたのは高三の終わりの方だな」

 意外。てっきりおじさんが初めての彼氏でそのまま結婚まで行ったのかと思ってたのに。

「孝宏と付き合うようになったって聞いたときは私も他のやつらもすげー驚いたんだよな」

「え、なんで?」

 そんなに驚くことなのだろうかと思っていると砂羽さんは急に気まずそうな顔をし出す。

「あーまあその、孝宏はさ。顔はいいんだけど奇行が目立つやつだったからさ」と、普段おじさんのことを話すときとは打って変わって珍しく言い難そうだ。

「そのせいかモテないタイプだったんだアイツ。見た目いいから近づく女はいたけどその大半が中身を知ると逃げてくパターンでさ」

 ……確かにおじさんはちょっと変わってる。でも小学生の頃の記憶を振り返ってみても見た目的には美穂さんと釣り合わないとは思わなかったな。

 ……なんか砂羽さんが焦っているように感じるのは気のせいだろうか?

「じゃあおじさんの前に付き合ってた人って、そんなに美穂さんにピッタリだったの?」

「やめよう」

「え?」

「その件についてはこれ以上やめようか」

「なんで!?」

「つい昔のことだから話しちゃったけど、いろいろと触れちゃいけない部分だったの思い出したわ」

 とりあえずやめやめ。この話はやめだと言われる。もうそれ以上は話さないと両手でバツを作る。追求したい気分ではあるけれど砂羽さんを本気で怒らせる可能性もあるので我慢した。

「ところで愛海さ――」と言って砂羽さんは急に私の顔をじっと見出す。

「……」

「……」

 話題を無理矢理変える為なのかと思ったが、そうではなさそうだ。

「!?」

 急に砂羽さんが真隣まで接近してくる。

 今日は薄いメイクの彼女から甘い香りがしたと思ったら、更に顔をずいっと近づけてきたのでびっくりした。

 これ……外から見たらキスしてるように見えちゃうんじゃ。

「……な、なんですか?」

「前から思ってたんだけど、お前美穂の病院に何回か来てただろ?」

 ゆっくりと顔を元の位置に戻す彼女に「……志穂と一緒に何度も行ってました」と答える。何回どころか両手で数えられないほど来ていた。

「やっぱりか」

「え?」

「美穂の病室で何度か見たよ。志穂と一緒にいたあのときのガキだなって」

「……もしかして私なんかしちゃってた系ですか?」

「いや全然。むしろ大人しくてすごいお利口さんだった」

 何人か美穂さんのお見舞いに来ていた人がいたことは憶えているが、それが砂羽さんかどうかは全く憶えていない。

 でも砂羽さんの言うことに心当たりはある。それは間違いなく美穂さんが目の前にいたからいい子ぶってた私だ。

「いやー笑っちゃうな」

「え、なんで?」

「だってお人形さんみたいに大人しかったあのときの子が『ぬあー!』とか言いながらここでレトロゲームするような騒がしい子に育ってんだからさ」

 アハハと笑われ、少しカチンと来る。

 でも声を出して笑った後、砂羽さんは急に言葉を消して私の目だけを見つめてきた。

 じーっと、薄い微笑みを添えた彼女に見つめられる。

 その瞳に体が固まる。

 そして吸い寄せられたかのように砂羽さんの顔だけを見ていた。


「――お前は美穂が好きだったんだな」


 唐突だ。

 唐突にそっと深層に触れてくる。

 その声が弾いたかのように雑音は消えてなくなる。

 問い詰めるような顔ではない。

 むしろその逆で、普段見せない大人の女性らしい穏やかな微笑みをたずさえて私を見ている。

「……」

 何も言えなくなった時点で肯定だと言っているようなものだった。

 でもきっと、嘘を吐いてもこの人は何も言わない。


『ああ、そうなんだ。ごめんあたしの勘違いだったわ』


 それだけで済ませてくれるだろう。

 この人は拒めばそれ以上を踏み込まない。

 ――だからかな。

 心の中でこの人に文句を言うことはたくさんあっても、なんだかんだでこうして会いに行ってしまうのは。

「――そうです」

 間は置き過ぎたけど誤魔化さず正直な声を出す。

 砂羽さんが静かにまた微笑むのを見ると、全然似ていないのに美穂さんが昔そんな風に笑ってくれたのを思い出した。

 それについ目が逸れて……下を向く。

「それをずっと忘れようとしてました」

 でも口は逸れない。

 ごまかすこともしない。

 心の奥底にある本心を涙を堪えながら、ポツリポツリと打ち明けていく。 

 美穂さんが好きだったこと。

 好きだったのに告白できなかったこと。

 その全てを、恋したこと全てを忘れようとしていたこと。

「――なんで忘れようとしたんだ?」

 私の隣に座る彼女が俯く私の横顔をみながら尋ねる。

 その問いに目を向けられなくとも、口を閉ざす気持ちは少しもない。

「志穂が泣いたんです」 

 だから話した。

 葬式が終わってからの数日後のこと。

 突然志穂が泣き出したあのときのこと。

「もう美穂さんはいないのに。志穂はずっと追ってたんです」

 私もそうだった。

 死んだって聞いて大泣きして、お葬式のときも少し泣いて。それから日常に戻っても常に美穂さんのことを考えていた。

 志穂はそれだけじゃなかった。

 私以上に志穂は……ずっと美穂さんのことを追っていた。

「泣いている志穂を見て。追い続けてちゃいけないんだって思ったんです」

 志穂にそれをやめさせて、私もやめるようにした。

 もう追わない為に、恋したことも忘れなきゃって……。

「――」

 言い終えて沈黙が部屋の中で鳴る。

 互いに無言の中だった。

 思い出してしまったせいで、今にも手足が震えそうになる。

 沈黙を追い出したくてなにか言おうと思ったけど、なんて言えばいいのかわからなかった。

 段々と手足が震えてきている。涙も一気に溢れそうになる。

 ああ、ダメかも……。

 そう思ったところで私の頭が砂羽さんに引き寄せられた。

 いつの間にか砂羽さんが腕を回していたのだ。

 砂羽さんの手によってゆっくりと動かされた私の頭が彼女の肩にのせられると、砂羽さんの頭が密着して彼女と寄り添う形となった。

 視界の中に彼女の髪が微かに入る。ゆっくりとあやすように私の髪が撫でられる。

「そんな大事なこと。忘れようとするな」

 柔らかい声が頭の上で鳴る。

 また甘い匂いがする。

「はい――」

 その中で鼻を啜りながら頷く。目頭が熱い。

 その通りだ。

 そんなことしなくてもよかった。

 それなのにあの頃の私は忘れることだけを考え続けた。

 大事な恋だった。

 紅い夕焼けのようにキラキラと輝く大切な思い出だった。

「美穂は絶対憶えててほしいって思ってるよ」

「はい」

「大事にしてあげてくれ。じゃないと美穂がかわいそうだ」

「はい」とまた頷く。砂羽さんは軽くため息をついた。

「美穂が死んだ影響は強すぎたな」

 そう言った彼女の声がいつもより小さく。悲しさを含んでいるのがわかる。

「お前や志穂だけじゃない。大人のあたし達でもあれは辛すぎた。孝宏もあたしもさや香もしばらくショックが抜け切らなかったんだ」

 日常に戻るのが大変だったのは美穂さんを好きな誰もがそうだったことを話す。

「……中でも一人大きく変わっちゃったやつがいてな」

 それからある人の話を始めた。

 誰のことかわからない。でも不思議とその人の話に聞き入る。

「間の悪いやつでさ。美穂の葬式に行けなかったんだ。国木に帰った頃にはもう美穂は骨になってて、見送ることができなかったことを大分後悔してた。それから神経質になっちゃって、おまけに気に病む必要なんてないのにそのときのことをずっと気にして、勝手に気まずさ感じてあたし達からも距離を置くようになった」

 その人が美穂さんのことをとても大事に想っていたこと。

 みんなの中心だった美穂さんがいなくなったことで周囲がバラバラになってしまったこと。

 それらを話す彼女の声はいつもと違って静かで悲しさを感じる。

「もしあのときそいつのことほっといてたら、今頃あたし達は他人になってたんだろうなって思うよ。だからそうならないように行動して良かった」

「……どう動いたんですか?」

「無茶苦茶な理由を付けてあたしとだけでも関わるようにさせた」

「無茶苦茶?」

「うん。月いちでバッティングセンターに来るようにって約束させた」

「それは確かに……」

 むちゃくちゃだ。

 砂羽さんも我ながら無茶苦茶だと笑う。

「でもあいつちゃんとそれを守ってきたんだよ。10年近くも」

「それはすごいですね」

「だろ?」

「……成果はあったんですか?」

「あったよ」と即答。今度は元気な声が返ってきた。

「お前たちのおかげだ」

 私の頭を撫で続けていた手が止まって頭のてっぺんがぽんぽんと叩かれる。

「愛海と志穂がバッティングセンターに来てくれたおかげで、引き伸ばしていただけの状況が変わった」

 私と志穂が何をしたのだろうか。

 言っている意味がわからない私に砂羽さんは答えを示すように話す。

「感謝してるよ。志穂がバイク買わなかったり、愛海がホームラン目指そうとしなかったらきっとあいつが孝宏やさや香と繋がることなんてなかった。久しぶりにあの二人とご飯食べたり話すようになってくれたのはお前たちの行動が大きかったんだって今でも思う。絶対にあたしだけの力じゃ、ああはならなかった」

 そう聞いてああ、あの人のことかとようやく理解する。私に綺麗なバッティングフォームを見せてくれたあのレスラーみない人。

 ――っていうか感謝してるのは私の方だ。

 砂羽さんがあの人に教えてやれって言ってくれなかったら、あのあとで私はホームランを出せなかったかもしれないのだから。

 美穂さんと約束して。

 その後ホームランを達成できたから。

 だから私は綾に告白できた。

 ――うん。だからつまり……そうか。

 絶対ホームラン出してやるって、あのとき決意して良かったんだ。



 それからしばらくは互いに何も話さなかった。

 ぴったりくっついたままでも気まずさなんてなく、むしろあったかくて、自販機の音をBGMにしながらぬくぬくぼんやりとしていられた。

 温かすぎたせいか「ふわわわ……」と砂羽さんのあくびが鳴る。

 考えてみれば寝てないのは彼女だけだ。さすがにこれ以上のわがままを聞いてもらうのはダメだ。

「――今日はその、ありがとうございました」

 店を出た後、車に乗り込んだ砂羽さんに頭を下げてお礼を言うと「珍しく礼儀正しいじゃないか」と言われた。

「でもそこまでかしこまることないぞ。夜仕事やってると聞き上手になってくるんだ」

 職業病だというけれど、それだけじゃないのはわかってる。

「あたしの胸で泣けて癒されただろ?」

 車の助手席からニッと笑われ、赤くなってしまった。

 でもそうなってしまったのを素直に出し切れなくて。隠したくて「はい」と言おうとした口を寸前で止める。そんな私を見て砂羽さんは頭の上にクエスチョンマークを咲かせる。

「……き、気をつけて帰ってください」

 目を逸らしてそう言ってけど顔面真っ赤なのはバレバレだった。雄二さんからアッハハハと笑われ、砂羽さんからもアッハハハと笑われてしまう。

「素直じゃねーな。さや香みたいだな」

 くー! 悔しい! って思った。二回り以上も年上の人なのに、まるで同級生とのやり取りみたいだ。

 それから彼女の車を見送った後、火照った顔を冷ましながらのんびり真っ直ぐと家へ帰った。

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