第27話(愛海編 前編)
小さい頃の私は両親の背が高い方なのだと勘違いしていた。
毎日二人を見上げる日常を送っていればそうなってしまうのも当然かもしれない。それが違うんだってわかるようになるのは自分の体が成長して親を抜くか、他の人と並んだときに頭のてっぺんを見比べて気づくかのどちらかだ。
私の場合は後者でわかった。
小学校の入学式。美穂さんと出会った日。悲しいことに両親は二人供平均より低かったことが判明する(そして将来の私もそうなってしまった)。
美穂さんはお母さんより大きいお父さんをあっさりと追い越していた。そして娘の入学式に遅刻して慌ててやってきたおじさんが並べば更に違いがはっきりする。当時の私にはそんな手足の長い二人が遠い別の世界からやってきた人に思えてならなかった。
もちろん身長だけじゃない。美穂さんは周囲の視線を集めるような存在感を持っていた。ただ顔が良いだけじゃない。独特の
だから出会って初日で見惚れていたのは私だけじゃなかった。
みんな美穂さんを見て驚いた顔をして少しの間見惚れる。それから周囲に悟られないように慌てて顔を背けて見て見ぬふりをする。そしてその多くが遠くからチロチロと美穂さんの方を盗み見するのだ。
私も盗み見っていうと違うかもしれないけど、入学式の終わりまでずっと美穂さんのことばかりを見ていて、家に帰れば彼女の姿が少しも頭から離れなくなった。
当初はそれが恋だなんてすぐに気づける聡明さはなかった。徐々に徐々に時間を掛けてゆっくりと自分の感情に気づいていった。
これが恋なのだと気づいても、幼い私は一切の疑問も抵抗も感じることはかった。
年上の女の人に恋? おかしくない? などと考えたことが一切なかったのは、自分の本能に正直に従うタイプだからだろう。猪突猛進なんて言われるとイラっとくるし認めたくはないけれど、それが私を表す四字熟語だと言われれば間違いないんだと思う。それくらい私は自分の好きに正直に従っていた。
だから少しも気にしなかったしお母さんに相談しようとも思わなかった。そんなことよりも頭の中は好きな人に会いに行くことだけしかなかった。
それだけに志穂の家に行く回数は数え切れないほど多かった。おまけにお母さん曰く中々帰らないで志穂のお姉ちゃんになるとか言って大分迷惑をかけていたらしい。
クラスに好きな男の子なんていなかった。
全部嘘。美穂さんに会いに行く為の口実。恋愛相談とかなんとか言って適当な男の子を選んではその子に恋してるとか美穂さんに言ってたけど、実際クラスの男子の存在なんて少しも記憶に残ってなんかない。
当時の志穂との関係は今と同じくらいだったと思う。学校でも放課後でも一緒に楽しく過ごしていた記憶はある。
でもその関係は私の下心で始まったんだと思う。もし誰かに美穂さんが目当てで仲良くなっただろと問い詰められれば、正直なところ否定はできなかった。
……改めて、振り返ってみて思う。
当時の私ってほんとうに嫌な女の子だった。
好きな人のことばかりを追って周りを一切見なかった。
頭の中はその人のことだけ。
それだけで真横にいた志穂のことなんてあまりよく見てこなかった。
――だからだ。
だから美穂さんが死んだ後、私は後悔したのだ。
美穂さんが入退院を繰り返すようになったときは志穂と一緒に何度もお見舞いに行った。
入院先はいつも同じ病院。新設されたばかりの綺麗な病棟だった。何度も入ったことがあるせいか病院内の設備が地図を見なくても把握できるほどになっていた。
美穂さんは窓側のベッドにいることが多かった。入り口側になったこともあるけれど、私の記憶している限りではほぼ窓際だったと思う。その窓を背景にして椅子に座るおじさんと二人笑い合っている光景を何度も見た。
病室には高確率でおじさんがいた。
ほぼ毎日のように来ているおじさん以外の人がいたこともあったけど、誰がいたかとかの正確な記憶はない。でも美穂さんがいろんな人から大切にされていたことは当時の私でもよくわかった。
早くよくなりますように。
私もみんなもそう願っていた。志穂と一緒に近くの神社や教会へ何度もお願いしに行った。
そしてそんな小さな私達の願いは届いているものなのだと思っていた。
だって病院のベッドの上にいる美穂さんは家にいるときと変わらなかったし。願えばすぐに退院して家に戻ってきてくれたから。
だからまた入院したなんて聞いても、きっとすぐに良くなると思い込んでいた。
生きている美穂さんを最期に見たのは夕方の病院だった。
学校が終わってお母さんと買い物に行った帰り。急に思い立った私は一人だけで彼女に会いに行った。
当時の私はお母さんに図書館かどこか(正確になんと言ったかは思い出せない)に行ってくると嘘を吐いていた。
好きな人に会いに行くのが本音なのに実の母親に対してもそんな噓を吐いたのは、当時の私はよっぽど美穂さんが好きなことを知られたくなかったんだと思う。
きっと志穂にも誰にも知られたくなかった。でもきっと志穂以外のみんなには気づかれていたと思う。周囲から見ればバレバレだったと思うくらい隠すのが下手だったし、あれで気づかれてないなんて思い込んでいた当時の私は本当に子供だった。
早く帰ってきなさいよ。そう言われてお母さんと別れてからの私は走った。少しでも長く美穂さんといられる時間を増やしたいから。子供の足ならどんなに走ったってそんなに時間なんて変わらないのに、それでも病院への最短ルートを休むことなく駆けて行った。
病院に辿り着いて息を整えながら遠くの空を見上げ、雲一つない青い空にある陽を確認する。沈むのにまだ時間があることがわかっただけで嬉しくなっていた。
病室を覗くと美穂さんは見知らぬ女性と話をしていた。
志穂とおじさんはもう帰った後みたいで、私は二人が楽しそうに話しているのを廊下で覗き見してた。
楽しそうに話していたせいか中に入ることをためらってしまう。
どうしようかと考えながら美穂さんと向かい合う女性の背中を見る。
とても真っ直ぐな背筋を持つ人だった。
その背中を見過ぎてしまったせいか、女性が私の視線に気づく。
後ろを振り返って。私と目が合った瞬間その人がフッと笑ったのを見た。
美穂さんに何か言いながら立ち上がったその人は私に中へ入るように手招きする。少し戸惑いながらもおそるおそる中へ入った私は二人にぺこりと頭を下げた。
それからその人は私の背中を押して美穂さんの前へ立たせてくれた。
その際、私の背後に立つその人から不思議な香りがしたのを憶えている。
何の匂いかはわからない。でもそのときの香りは今の私にも残るほどの印象を持たせ、その人の記憶を頭の中に張り付けている。
でも、その顔にはなぜか
あのときの私はその人の顔を確かに見上げていたはずなのに、肝心なその顔は思い出せず、その不思議な香りのことしか記憶には残らなかった。
それから入れ替わるようにその人は病室に残らず帰って行った。きっと私に気を利かせてくれたんだと思う。
『大事なお友達』
美穂さんは微笑みながらそう答えるだけだった。
それだけで名前とかどんな人なのかは教えてくれない。それにちょっとだけムッとしたけれど、そのときの美穂さんの笑顔は夕日の眩しさに負けないほどの綺麗さがあって、それを見ただけで私はもういいやって思えるようになっていた。
それから僅かな時間を一緒に過ごした。
手を繋いで一緒にお庭を散歩したり。待合室で一緒にジュースを飲んだりした。
私にとってみれば小さなデートだった。
一緒に歩いてるときも。顔を合わせて話しているときも。燃えるように胸がドキドキしていた。目の前で美穂さんが頷いたり笑ったりしてくれるのを見ていたせいか、走ったときにあった火照りが復活していた。
でも帰らなければならない時間はすぐにやって来る。
それが嫌だった。
名残惜しかった。
ずっと美穂さんといたかった。
そう思ったから美穂さんを病室に戻した後、さよならを言う前。私を見下ろす美穂さんに言おうとした。
――あなたが好きだってこと。
でも言えなかった。
美穂さんの顔をじっと見たら照れてしまって、別の日にしようって逃げたのだ。
それから数日後。美穂さんは死んだ。
次に会ったのは葬式の会場で彼女は棺の中で安らかに眠っていた。棺の前に立った私は家で散々泣いた後だったせいか涙はあまりでなかった。
代わりに酷くぼんやりとしていた。
そっと彼女の胸に花を添えたのは憶えているけれど、それが何の花だったかは思い出せない。
きっと美穂さんの顔をずっと見つめていたからだと思う。
ずっと目を閉じたままの彼女は光を失った後でもそれくらい綺麗だったのだ。
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