第23話(志穂編)


 いつもより早くに目が覚めてしまったのは、時計を見なくともなんとなくわかった。

 首を動かして壁の時計を確認して、ああやっぱりと思う。予定がなければ大概昼まで寝ているのが私の日朝にちあさだというのにまだ9時半。

「……」

 仰向けにしばらくぼーっと天井を見つめる。二度寝の襲来はやってくるかと待ってはみたものの来そうにはない。

 数分かけて頭の中からぼんやり感が抜けていった。スッキリする頃にはあるものを思い出して枕の上の方に手を伸ばす。左右に振って手の甲にヒットしたそれを掴んで目の前まで持ってくる。

 天井を背景に梅の宿の招待状が現れた。

 両手にしっかりと握られたこの長方形は私のではなく愛海の。

 ――つまり。まだ渡せていない。

 今日中に渡そうと思って朝の配達帰りを狙ってみたけれど、会えるかと思って覗いたオアシスハウス望月には砂羽さんしかいなかった。バス停のところにも行ってみたけど姿はなく今朝は諦めた。(冬だと愛海の出現率は低い)

 愛海の家のポストに入れようか一瞬だけ考えたけどそれはやめた。できれば直接会って渡したい。

 正直。これを渡すだけでも緊張する。逃げたくなる。

 でも告白の前からそんなことでビビッてどうするんだとも思う。

 ようやく決意したわけだし、これぐらい堂々と渡したい。

 それに――そうしなければ愛海が本当に来てくれないような気がするのだ。

「……」

 招待状を元の位置に戻し、目を瞑って一昨日の出来事を振り返る。


 愛海からお礼を言われてチョコを渡されて。

 私も昔のことでお礼を言ってチョコを渡した。

 そして帰り道。別れる寸前。


 あのとき唐突に――言えるかもって思った。


 ずっと様子見してたけど、もう告白できるんじゃないかって。

 でも踏み出そうとしたら自分の足が震えていることに気づいて。言えるかもって思った気持ちは一瞬で崩れてしまった。

 これじゃダメだ。このまま向かい合っても……きっと口が思うように動かない。ちゃんと伝えられない。どうしよう。どうしたら。

 なんてことを考えてたら、唐突にちーちゃんの顔と梅の宿が頭に浮かんだ。


 なぜかその日なら大丈夫な気がした。

 ちーちゃんが私を綺麗にしてくれるその日なら。自信が持てるからちゃんと愛海に伝えられるって……。

 絶対緊張するのは間違いない。でも今の自分よりは堂々としていられる。


 そう思ったら目を瞑って深呼吸して。愛海を誘え! ってなった。それで愛海の方に向かって震えた足で歩いてった。

 手を掴んで。緊張しながら梅の宿で会ってほしいって言った。

 そして愛海が頷いたのを見た途端に限界が来た。頭の中が真っ白になって、焦ることもないのにすごい焦って慌てて帰った。

 帰り着いた玄関で「うわー!」とか言って。同時に夜の部は招待状なきゃ入れないんだー!何言ってんだ私―ってなって頭抱えて「Noooooooooo!」とか言ってた。

 でも招待状を持っている人のお友達とかなら一緒に入れるとかなんとか郁美が言ってたのを思い出し、慌てて郁美へ電話した。けど繋がらなくて(マナーモードにして鞄の奥深くに放置していたらしい)祈りながら真帆に電話。案の定傍にいたから話は通った。

 すると郁美が愛海の招待状を準備するとまさかの提案。その代り自分で愛海に渡せと言われ、お願いしますと言った私はそれを取りに藤沼家へ向かったのが昨日の夕方。

 その際、郁美が会場で告白できるように人目を避けた場所を用意してくれると言ってくれた。


『――だから当日は何も心配することないぞ』


 私の肩を叩いて『自信もって行けよ』って言われた。

 あまりの頼もしさと嬉しさのせいか、いつの間にか郁美をハグしていた(『それはサバ折りだ! いでぇー!』と宙に浮いた郁美が悲鳴を上げていた)

 後は愛海にこれを渡して、当日会場で会うだけ。

 ――起きるか。

 目を開けて起き上がってスマホを開く。あれから愛海とのやり取りはない。まるで死んでしまったかのように愛海は沈黙状態。招待状ないのに夜の梅の宿でどうやって会うんだよ? みたいなツッコミとかは全くなかった。

 それだけに不安になる。もしかしたら私の言ったことが伝わってない説が浮上。

 でも梅の宿で会ってほしいって言ったら頷いてたよなあいつ……。

 いやでもあいつのことだから志穂が何言ってんのかさっぱりわからんけど、とりあえず頷いとこみたいなノリだったかもしれない。

 でもそれなら後で『あれってどういう意味だったの?』なんて聞かれてもおかしくないはずなのにな。

 いや、でも――と愛海との噛み合わない過去が多すぎるせいか悶々とする。

 ええいやめよう! 直接会って聞いた方が早い! どっちにしろあれは渡さなければならないんだし!

 まずは連絡だとスマホを動かす。

『ちょっとでいいから今日会えない?』をサササッと入力し、パッと送信ボタンを押すとスマホを放り投げてうつぶせになって枕に顔を埋めた。

「……」

 返信を待つこと体感で5分。

「…………」

 体感で10分。

「………………」

 体感で15分。

 遅い。返信ない。気づいてない?

 日曜の朝でこの時間帯ならもう起きててもおかしくない気がするんだけどな。

 投げたスマホを拾って画面を開く。実際の時間は送信してから五分しか経ってない。そして私の送信した文が丁度既読と表示されたのを見た瞬間慌てて画面を閉じた。

 返事が来る!

 そう構える――だがこない。長文作成中か?

 まだこない。まさかの既読スルー? 告白する前から終わってたってこと!?

 押し寄せて来るマイナス思考は止まることを知らない――と思ったら着た。


『ようじあるからそれおわってからならいいよ』


 時間掛かった割には短い文だなと思いながらとりあえず了解と最速返信。


『なんじになるかわからない』

『オワッタラレンラクスル』


 今度は早い返信。おまけにひとつはひらがなでふたつはカタカナ。

 ……なんか冷たく感じるのは気のせいか?

 避けられてる? いや、返事きたんだから避けられてはないだろ。何言ってんだ私。いやでもさと頭を抱える時間が始まりそうになる。

「――やめだ。出かけよ」

 部屋に閉じこもっているせいだ。バカなことばかり考えてしまう。

 ウジウジ考えるな。こういう気分はバイクでのんびりお散歩してたら吹っ飛ぶもん。

 用事って何かわからないけど愛海は今忙しいだけ。だからひらがなでカタカナなんだ。既読スルーなわけじゃないんだから怖がることなんて何一つない。

 そして会ったら会ったでいつも通りのちゃらんぽらんな愛海が現れる。それで無駄に緊張していた私は能天気な愛海の顔見てドヘーとか息吐いて脱力するのだ。

 そうだ。そんな感じになるはず。だから余計なこと考えるなと着替えて部屋から出る。家の窓から覗いた今日は寒いけどいい天気ではある。出掛けなきゃ損。

「志穂――」

 バイクウェアに着替えて玄関でブーツを履いていると父さんが現れた。

「出掛けるならついでに使い捨てカイロ買ってきてくれ」

「猫さんのやつ?」

「20個入りのつま先用のやつもな」

「了解」と外に出てまず先に近所のホームセンターへと向かう。私の場合先に頼まれた物を買っとかないと高確率で忘れて帰ってしまうので先に済ませる。

 茶トラと白の二匹の猫が抱き合ってうっとりほっこりしている絵が描かれたカイロを購入して店を出る。

 バイクに跨る前にスマホを開くが愛海からの連絡はない。さっきも確認したけどマナーモードになっていないか着信音はちゃんと鳴るかまでもう一度確認する。

 ……ダメだな。神経質になってる。

 えーい。気にせずどっか行け私とバイクに跨りパァーっと走り出した。

 適当に大通りを走りながらこれから何するか考える。

 みんなは今日どうしているのか。

 そんなことを考えていると一昨日の学校での昼休みの会話を思い出す。

 確か陽菜と綾は今日街に行くとかなんとか言っててー。

 郁美は家の手伝いでー。

 真帆は家で雀多摩じゃんたま(確かネット麻雀のこと)やるとか言ってたー。

 みんな楽しい休日(郁美を除いて)を過ごしていて、一人私だけが悶々としている。これはよくない。

 連絡来るまでは今日を満喫してろ。

 そう自分に言い聞かせる。寒いとはいえ風は穏やかだ。日帰り温泉行くのもあり。



「――お、一人なんて珍しいな」

 とか思いつつも結局は近場を選んで砂羽バッティングセンターへ来てしまった。すぐ近くを通ってたってのもあるけど、愛海関連のここを選んでしまっている。

「今日ちょっと暇だったんで……」

「そっか。まあとりあえず一回打ってきな」

 そう言われ、あまりやりたくはないけど打つことにした。

 結果、全然打てなかった。

 以前に軽々とかっ飛ばしている愛海をみたせいか私にも簡単にできそうに思えたけどダメダメだった。

「愛海みたいにホームラン目指して明日も来いよ」

 そう言われ、目指さないから行かないッスと心の中で言いながら砂羽バッティングセンターを後にする。

 さてどうすっか……。

 愛海のことは連絡来るまで頭から離そうと、お次は近くの映画館へ移動してみる。

 そしてタイミング良くレディースデイ!

 時間潰せるしなんか観ようと本日の上映スケジュールを見上げる。

 ……今から観れそうなのはアニメ映画の『巣立すだちとしまうま』か。天然女子高生のしまうまというあだ名が特徴的な女の子とその子に恋して束縛してしまう巣立という女の子の百合コメディ。確か原作はラノベだとか聞いた記憶がある。

 もう開場してるけど今はまだ予告だから本編は始まってない。十分間に合う。

 これにするかとチケットと小腹が空いたのでポップコーンを買って会場入りする。結構な人が入っている。退席しやすいように出入口に近い端っこの席を選んで正解だった。

 そしてポップコーン片手に丁度始まった本編に集中すること二時間。

 感想はすげーおもしろかった。

 百合ジャンルは初めてだったけど、コメディ要素が強いせいか普通の恋愛コメディにしかみえなかった。あっという間の二時間だったとスタッフロールが流れたと同時に退席する。帰りが混むのが嫌なので基本このタイミングで私は映画館を出る。

 お昼過ぎたが愛海からの連絡はまだ来ていない。代わりに父さんから街にいるなら電池買ってイヤホン買ってと追加が来たので近くのハナコ電機まで移動した。

 だいぶ食べ遅れたお昼をどうしようかと思いながら長い列を並んでようやく会計を済ませて店を出る。映画館の中で食べたポップコーンだけでは当然足りない。かといってその辺のラーメン屋や牛丼屋に一人で入ると変な目で見られるからどっかでテイクアウトして家で食べることにした。

 ……ペロンモール行くか。

 というわけで最後はペロンモールへ行き着く。どこで買おうかなと思って周囲を見回していると一昨日愛海と入った喫茶店が目に付いた。

「……」

 引っ張られるようにそこに入店する。そしているわけないのに店内を覗いてはやつの姿を探してしまう。

 当然いるわけがない。愛海と二人で座った席は同じくらいの年齢の女の子二人が使っていた。

 ――笑い合う二人の姿。やけにそれが目に付く。

「いらっしゃいませー。どうぞー」

 いつの間にか自分の番が回ってきたのでカフェオレとサンドイッチとドーナツをテイクアウト注文し店を出る。バイク置き場へと戻る頃にはもう日は落ちかけていた。

 それでも愛海からの連絡はない。長い用事だな。

 ――と思ってたところで返事が来る。


『ごめんようやく終わった』


 どうするか悩んだけど直接愛海の家へ行くことにした。一旦家帰って買ったものを食べてアレコレするから一時間くらいはもらうか。

『一時間ぐらいしたら行く』

 そう送信するとオッケーと返ってきたので、バイクに跨り一旦家へ帰った。



 一時間とちょっと後。愛海の家に着く。

 日が落ちるのがだいぶ遅くなってきたせいか、まだ空は明るい。

 そして『着いたよ』と送信するものの5分経っても返事はなかった。

 どうしたんだとインターホンを押してみる。誰も出ない。上塚家は全員不在なのだろうか。誰も出てこないままでまた少し待たされる。

 そしてようやくガチャッと家のドアが開く。愛海が出て来た。

「遅い」

 緊張しながらもいつもどおりを装って文句を言うと「ごめん」と静かな声が返ってきた。

 ――ん?

 意外。何か言い訳するかと思いきや素直に謝る。

 トコトコこちらに近づいてくる愛海の顔はどういうわけか魂が僅かしかないようなぼんやりとした表情をしている。

「……」

 足を止めて門を間にした彼女は私を見上げる。

 そしてそのまま無言でじーっと私の顔を見つめてきたかと思いきや、なんか申し訳なさそうな顔をして俯く。いつもの私ならちょっと愛海に見られるだけで赤面してしまうところなのだが、今はそうならない。おかしな様子が引っ掛かる。

 けれど何かあったの? とは聞けない雰囲気だった。誤魔化すように招待状を取り出して差し出す。

「……なにこれ」

「梅の宿の招待状」

 差し出されたそれを静かに受け取る愛海は「ああ、そっか」と気の抜けたような声を出した。

「……ワザワザありがとう」

「あのさ――」

 愛海の態度に少し不安になりながらも尋ねる。

 来てくれる? 

 そう言おうとしても、今の愛海を見ているとそれがスルッと口から出ようとしない。


『ごめん無理』


 あっさりと静かにそう言われるような気がして、体が引きそうになる。

 でも言わないと。

「――来てくれる?」

 一瞬強張ったものの、そう言えた。

 足が震えているのに気づかれただろうかと心配になりながらも返事を待つ。

「――絶対行くよ」

 少しの間があったものの愛海はそう返す。

 しっかりと私の目を見て言ったそれはさっきから感じるぼんやりとした調子ではない。

 今度の彼女の声は強かった。

「……」

 そしていい返事を貰ったはずなのに、彼女の声に圧されたように言葉に窮する。

 そんな私を放置するかのように愛海は視線を逸らして背中を向けた。

「もういい? 今日ちょっと疲れててさ」

 そうしてすぐに去ろうとする。

「……うん」

 引っ掛かるものがありながら、それを言えないまま頷く。

「ありがとね」

 そう言って彼女は去って行く。その背中に声をかけれないまま私も背を向けた。

 バタンと、愛海の家の玄関のドアが閉まる音が妙に強く響いて聞こえた。

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