第8話(志穂編)
「――アンタ。彼氏でもできた?」
焼き肉天国『ありえんなぁー』で泉さんから唐突にそれは言われた。
タイミングとしては最初の一口目として選んだバラ肉を口に入れた瞬間だった。油断していたところを隠しナイフで突然刺すような不意打ちである。
「――へ?」
泉さんと目を合わせると無言でじっと私を見る。耳の奥が肉のジュージュー音でいっぱいになった。
「その反応は違う」
「違……うね」
「じゃあ好きな人でもできた?」
追及はまだ続く。
「なんでいきなり?」
泉さんは鉄板の上にあるバラ肉をとって私のお皿の上に載せると、偶々近くを歩いていた店員さんに生ビールを大で頼んだ。
「え? 飲むの?」
「好きな人はできたみたいね」
私の質問は連続で無視し、鉄板の上で寝かせていたタン塩を取ってレモン汁につけてからモグモグする。
「お待たせしましたー」
ゴクンと肉を飲み込んだと同時にビールジョッキが置かれる。タイミングいいし早い。
あまり飲み過ぎないでよと注意する前にジョッキをぐいっとあおっていく。一気に半分近くを減らす飲み方は相変わらず女性なのにおっさんだ。
「ついにきたかー」とジョッキを置いて頭を抱え出す。
「まだ何も言ってないけど」
「わかるよ」と言って「わかるんだよ」とまた言う。当たっているのは間違いない
「……なんで気づいたの?」
だから素直に認める。好きな人がいることを否定するつもりはない。
ちなみにこの人はある時期からどういうわけか私が敬語を使うことを禁止してきた。さん付けもしなくていいとまで言われているのだが、小さい頃から知っているとはいえさすがにそこまではできない。
「雰囲気でわかるんだ」
……雰囲気?
そういえばと自分の髪に触れて郁美に言われたことを思い出す。
『――恋してるだろ?』
去年の夏休みの終わりに彼女の家の玄関でそう言われた。
言われて顔が熱くなったのは今でも憶えている。
「夏休み明けで急にガラッと変わるやつっていただろ? 全体的な雰囲気とかがさ。それと同じ」
「へー」と言いながら、そんなやついたっけと記憶を振り返る。思い出せねぇー。
「どんなヤツか知らんけどさ、付き合っても簡単に手出させるなよ? あんたいい女なんだからさ。自分を大事にしな」
――いい女。
そう言われ今日後輩君に告白されたことを思い出すとデヘヘと鼻が伸びる。いい女えへへーえへえへみたいな感じになる。そうして浮かれている隙に追加のビールを注文された。
おいちょっと待てと手を伸ばそうとしたそのとき。
「ハハハハ!」
聞き覚えのあるおっさんの笑い声が聴こえ、ピタッと私の動きは止まる。
あれ? この声……。
「んー?」と泉さんが天井を見上げる。
「どこのおっさん共か知らんけど盛り上がってんなー」と言うだけでそれ以上は触れなかった。もしかしてと思った声だったが気のせいだったか?
そして新しいビールが来てしまった。だから来るの早いって。
さすがにキャンセルなんて言えない。ここまできたらもう飲ませるしかなかった。
「話の続きだけどさ――」と泉さんは一口飲んでから続ける。
「――学生ん頃の恋なんて、大概ロクでもないからやめときな」
急に声のボリューム大きくなったな。
「あんたぐらいの
好きな人が男子にされているけど、まあいーか。
「それで大概の女の子を後悔させるんだ」
父さんも似たようなこと言ってたなぁと他人事で聞く。どこの親も似たようなこと言うのかな……。
泉さんは親ではないけど母さんの親友で親のように接してくれる人だ。
物心ついたときからこの人のことは知っていた。よく家に遊びに来ては私の遊び相手になってくれたのは記憶力の悪い私でも憶えている。
母さんが死んで誰よりも泣いて。その後も家によく来てくれる。
私の身の回りの世話をして、髪も切ってくれていた。だから泉さんからすれば私は実の娘みたいなものなのだ。
「……泉さんは後悔したの?」
泉さんはビールをぐいぐいしてから答える。
「当時のやつと付き合ったことは後悔してないよ」
でもね――と、まだ焼いていないカルビをトングで掴むと網の上にホイホイ乗せた。
「――別れたことは今でも後悔してるんだ」
いいヤツだったなーと言ってどこか遠くを見つめだす――かと思いきや、視線を私に向けジーっと見つめてくる。
「……」
なんだろうと思いながら無言で目を合わせてみた。早くも目赤くなってきたな。
「……」
「……」
まだ見てる。気まずい。
「――」
そして僅かなにらめっこの後、彼女の口が動く。でも僅かに動かしただけで何も言ってはいなかった。何か言おうとして、でもやめて口を閉ざした。そんな感じ。
「んー」と泉さんは顔を下げ、空いた左手で頭を抱える。右手はジョッキを握ったままだ。なんなんだとしばらく様子を見ていたが結局何もない。
「――あっ」
気づけば網の上が炎に包まれていた。
「カルビー!」と叫びながら六枚全部を救出しどんぶりごはんの上にのせる。ちょっと焦がしてしまったけど、まあ許容範囲内だ。泉さんはまだ何か悩んでいるけどほっといてどんぶりの一番上にキムチも載せてみる。志穂丼が完成した。
――宇宙一うまい!
丼を一気にかきこむとごはんがなくなってしまった。おかわりするかそれとも冷麺か。
「ごはんにしたら?」
心を読まれた。そうしたい気分だけどここは敢えて。
「冷麺にする」
「寒くない?」
「冷麺はお店でしか食べれないからさ。食べないとなんかもったいなく感じるんだ」
「……よく食べるのとそのカワイイ性格は昔から変わんないのにねぇ」
はぁっと軽くため息を吐かれる。
「とうとう恋する女になったか」
そしてまたはぁーっと今度は深く。
「中学の頃はそんな話まったくなかったから、てっきり男には興味ないのかと思って安心してたのに」
なんか悪いことが起こったみたいだな。
「そんなに私が恋愛するのだめなの?」
「いや、だめではないよ」と即答。野菜の盛られた皿に手を伸ばす。
「恋愛なんて人の自由なわけだからさ。私も孝宏も美穂だってとやかくいう権利なんてないよ」
「……矛盾してない?」
「そうだよ矛盾してる。それぐらいわかってるよ――」
網の上はなぜかタマネギばかりとなる。
「――でもそんなこと言っちゃうのは不安になるからなんだよ。大事な親友の愛娘には後悔してほしくないんだ」
あ、親友って美穂のことだよ? 孝宏は違うからねと否定を付け足す。そこまで言わなくてもいーじゃん。
「そんなこと言われてもねぇ――」
泉さんの心配はわかる。なんとなくそんな矛盾を起こしてしまうことも。
それでも、愛海に恋をすることが後悔に繋がるとは思えない。
実らないことが後悔になるかというと違うと思う。
実らなくとも私は後悔しない。
好きって、言いたいんだ。
「――恋するなっていう方が無理だよ」
そう言うと泉さんはじっと私を見た。そしてしばらくの間を置いてから小さく頷く。
「そうだね……」
心配や不安があって矛盾したことは言ってしまっても、最終的には自分の意見を押し付けたりするような大人ではない。
「人間いつの間にか恋するからなー」
でもそんな泉さんだけに不思議だった。私がバイクに乗ってバイトするのも免許取るのも文句ひとつ言わなかったというのに、恋だけは不安だと言う。
「時間が経つのって早いよね。私より背低くて小さかったのがつい最近のことのように感じるよ。そうだよねー、ふつー年頃の女になれば、男と恋愛のひとつやふたつはしたくはなるよね。そりゃそーだ」
「いや、ふたつもしないよ」
それに男に興味ないのは今でもだ。
けどそこは否定しないでおく。愛海が好きだなんて言ったらこの人もっと飲みそうだ――っていうかいつの間にか日本酒飲んでる!
「美穂の遺言でね。志穂を悪い男達から守ってやってくれって言われてるんだ」
「それは嘘だ」
「なんでわかるのよ?」
「母さんはそんなこと言わない」
「……なんでそうやってすぐ嘘を見破るのよ」と意味不明なこと言われる。酔ってるなぁ。
「これ以上飲まない方がいいんじゃない?」
「もう遅い」と、グラスを握っていない手をひらひらさせながらぐびぐび。これは間違いなく要介護状態になると暗黒の帰り道を予想した。
そういえば母さんで思い出した。以前から聞こうと思っていたことをすっかり忘れていた。
「――話変えて悪いんだけど。去年の10月母さんのお墓参りに来てくれた?」
「ん? 行ってないよ?」
「てことは別の人か」
「どしたの?」
「誰かがお墓参りに来てた。ばあちゃんじいちゃんじゃなかったから泉さんかなって」
「去年はお母さんのことで私国木にはいられなかったから、美穂のお墓参りは
「じゃあ誰だろ」
「美穂の親戚じゃない?」
だとしたら一言父さんに連絡がくる。父さんも思い当たる節がないと言っていたし誰なんだ? さっぱり見当がつかない。
帰り道は酔っ払いこと泉さんを連れてマイホームへと向かう。自力で家に帰れそうにないので泊めることにした。結構飲んだせいでふらふらと足がおぼつかない。いきなりぶっ倒れそうな予感がするので彼女の隣を慎重に歩く。
「おい――」
思った矢先にこれだと、ふらついた泉さんの肩を慌てて組む。しっかりしろい。
「……ごめん焼き肉で。駄菓子が良かったよね」と意味不明に謝られる。焼肉で全然嬉しかったんだが。
「悪酔いしてるね」
父さんいわくこの人モテるらしいけど、こういう悪いところが目立つせいか魅力がわからないんだよなとグッと支える。
「うー」と泉さんは唸る。寝てないだろうなと確認しながら家までの道のりを歩いていく。でもあともう少しが遠い。
電灯の光が当たる掲示板の前で足を止めた。いつの間にか寝てしまった泉さんが寝ぼけたのだ。足を止めて「おー
「おーい起きて―」
拳をグーにして頭をゴンゴン殴る。泉さん家にいる愛猫と間違われているみたいだ。めんどくせーなーとそのまま殴り続けた。
殴る度、跳ねるように泉さんの匂いが髪から飛んでくる。私が小さい頃は短かった髪はいつの間にか長くなって、今ではそれで定着している。昔の彼女を写真で見ると別人のように感じるほどだった。
「……」
起きねー。
支えながら、ふと背後の掲示板が気になって首だけ僅かに向ける。
『新日本プロレスA new Warrior has Enter the Ring!』
貼られたポスターの中で一番大きなそれになぜか目が吸い寄せられる。泉さんに揺らされながらも目にしたポスターの中には屈強な男達の顔が集っていた。近々国木総合体育館で開催されるイベントだ。
殴り続けながらもぼけーっとそれを眺めていると、キュピーンと頭の中の中心部が光を得た。
屈強な男達の顔ぶれ。
耳に入ってくる「かーんたろー」という情けない声。
その環境が起因したのか私の脳にひとつのインスピレーションを与える。
ここから架空彼氏を作ろう!
「ぬふふふふ」
不敵に笑いながらポスターの中にいる人達を一人ずつ吟味。
そしてある人物の顔を見て目が止まる。
『不屈のイケメンレスラー フェニックス川口』
この人がいい。ここから作り上げるぞと泉さんの肩を押して一旦引き離す。ポスターと向かい合って川口さんと目を合わせた。
――すいませんがお借りします川口さん。
彼の顔を記憶する為、腕を組んでじっと彼と見つめ合う。泉さんは私の背後で立ったままゆらゆらしている。
「かん……た、ろー……」
そんな声が聴こえたが今はそれどころではないと川口さんの顔を脳裏に焼き付けることに集中し続ける。
そして少しすると車のライトの光が迫ってきた。無視していたがパァッパーとクラクションを目の前で鳴らされる。
――なぜ目の前で停まる?
イラっとしながら振り向くと理解した。いつの間にか泉さんが仰向けに倒れていたのである。道路の真ん中に大の字なので完全通行の邪魔となった。
「あーすんません」とライトの眩しい車に向かってヘコヘコしながら泉さんの右足を掴んで持ち上げる。今日泉さんはロングスカートだけど夜だし人気のない住宅街だし大丈夫だろうと、裾が下がるのも気にせず引き摺って車が通れるようにしようとしたそのときだった。
「なにやってんだお前ら」と車の助手席が開く。父さんだ。
「ありゃ?」
そしてよく見ると運転席にいるのは戸田さんだった。泉さんを見ると慌てて戸田さんも車を降りてくる。
「……完全に潰れてるな」と戸田さん。
「ばかお前酒飲ましたのか?」と父さん。
「いろんな偶然が重なって止められなかった」
なんだそりゃと父さんは頭を悩ます。
「鈴木そっち持て。車に乗せるぞ」と戸田さんに言われ、二人は泉さんを持ち上げると車の後部座席へと入れた(最後は父さんが蹴って押し込んだ)
「泉は送ってくから鈴木は歩いて帰れ」
「いや俺も行くよ」
「お前の娘一人夜道歩かせるわけにはいかねーだろ」と私を一目見る。でも私と目が合うとすぐに逸らして車に乗り込んだ。
――ん?
なぜか知らんがそのときの目の逸らし方を見て後輩君を思い出していた。
「あー……悪い。じゃあ頼むわ」
「おう」と言って戸田さんは車を走らせるとさっさと行ってしまった。静かな住宅街で私と父さんは戸田さんの車を見送る。
「任せちまったけど大丈夫かな」
「え? 家知ってるんじゃないの?」
「知ってはいるけどあいつの同居人が勘違いするかもと思ってな」
少し遅れてそれを理解する。一緒に住んでいる彼氏さんのことだ。泉さんがここを離れている一年間はずっとその人に猫の世話などをお願いしていたらしい。一度も会ったことがないのでどんな人かは知らない。恥ずかしいからと写メすら見せてくれなかった。
確かに戸田さんが連れて行くと勘違いされるかもだけど、父さんと二人で行けばもっとややこしいことになりそうなので、これで正解のような気がした。
「まーなんとかなるか」
帰るぞと言って父さんは歩き出す。それに続いて二人で家へ向かった。
「にしてもなんで悪酔いしてたんだアイツ。なんかあったのか?」
「特に何も。恋愛するなって忠告されただけ」
「恋愛? え、そんな話してたの?」
驚いた後、首を傾げる父さん。
「進路の話とかはしてないの……かな?」
「なんのこと?」
「志穂が今年で三年だからどうするのか聞いてくる。女同士の方が話しやすいからって泉が言ってたんだが……」
「そんな話掠りもしなかったけど」
首を傾げる父さん。なるほど。今日いなかったのはそんな理由だったのか。
で、なんでこんなことになったんだ?
わからん。なぞだ。
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