第7話(戸田自転車商会編)

 バカ息子の様子がおかしい。

 魂が抜けたような顔をしながら帰ってくると晩飯いらないと言って、部屋に向かわず居間に座り込んだ。学校から帰れば晩飯まで部屋へこもるかバイクでどっか出掛けるかのどちらかだというのに、なぜか居間で止まっている。

「……」

 バカ息子は俺の視線に気づかないまま、何も映さない真っ黒なテレビの方を見ている。そのまま石像のようにじっと固まっているのかと思いきや、急に横になると頭を抱えて芋虫のようにうねうねしだした。

 なんで俺はあんなこと言ってしまったんだーみたいな動き。見覚えがあるせいでなんとなくわかってしまった。

 ――ありゃあ失恋だな。

 やっぱり親子だ。学生時代の俺も似たようなことをしたことがある。鏡を見ているみたいでこっちが恥ずかしくなってくる。

 バカ息子は昔っから女房似だ。高校生になっても上背は俺を越さないし、体も女房と同じく枯れ木のように細い。思春期を迎えてからは男っぽさを出そうとやんちゃな見た目にはしているものの、やはり本質から逃れることはできないのか今でも枝男えだおとこのイメージは拭えなかった。そんな軟弱体型を毎日目にしているせいか中身はあんたに似てるよと女房に言われてもいまいちピンと来なかった。

 しかしそれも今のバカ息子を見ることで納得する。なぜこんな変なところだけ受け継ぐのだろうかと首を傾げた。

 ――にしても全然気づいてねえ。

 こっそりと覗いているわけでもない俺の視線にいまだに気づかない。精神的に余裕がない証拠だ。

 やれやれと居間から去る。今日は何も言わずにソッとしておくことにする。

 ――晩メシどうすっかな。

 女房はいない。息子はいらないとなると浮かんでくるのは久々に外食するかという選択肢。寒いし焼き肉か鍋でも行きたい気分だ。

 ……誰か誘うか。

 一人焼き肉がブームとか随分前にテレビで観たような記憶があるが、それではいそうですかと一人で行けるようなタイプではないので砂羽の顔を思い浮かべる。焼き肉にでも誘ってみるか。

 そう思うと気の早い腹が鳴り始めた。急いで閉店してさっさと行くことにする。

 そして店仕舞いの前に砂羽へ連絡するかとスマホを取り出そうとしたところでいきなりスマホが音を鳴らした。

 まさか……。

 こういうタイミングの良さには心当たりがある。そのせいかおそるおそるポケットからスマホを取り出す。


『晩メシのご予定は?』


 予想が当たる。鈴木からだ。ほんといいタイミングで来たなと思いながら、まだ決まってないと返信。既読はすぐに表示された。

「そりゃあ良かった」

 その声に反応して動かした首は店の入り口で仁王立ちする人影へと向く。

「……いつからそこにいた」

「よっ」と、俺の質問に答えない挨拶は学生時代家に遊びに来たような懐かしさを感じさせる。

「今日は終わったのか?」と鈴木に近づく。店頭には愛車のPCXがないことから徒歩で来たようだ。

「早めに終わらせた」

 そう言う本人から一瞬サボりの匂いを感じた。

「なら寄り道してねーで娘の為にさっさと帰ってやれよ。家で一人なんだろ?」

「それがタイミング悪いことに今日は泉が娘と二人きりで話したいんだってよ」

 その名前を聞いて思わず鈴木の顔を見る。

「泉、帰ってたのか?」

「一昨日な。おふくろさんの症状が落ち着いたって」

「そうか……」

 隣県に住んでいる泉の母親が体調を崩し、ここ一年くらい国木から離れていたのは砂羽から聞いている。

 泉の家族は母親一人しかいない。父親は泉が学生時代にやった大ゲンカが原因で家を出てそれっきりだ。他に頼れる親戚もいないから母親の面倒を見れるのは泉しかいない。

 そんな泉だが鈴木の娘の世話係みたいなのもやっている。

 富岡が死んでからはずっとそうしているらしい。鈴木が頼んだからではなく、泉本人の熱い希望でやっているのだとか。

「二人で話って、なんかあったのか?」

「志穂が今年は進路考えなきゃならん年だからどうするのか聞いてくるんだとよ。だからお前はどっか行ってろって言われた」

 相変わらずとんでもない性格してるなアイツ……。

「……それは実の父親であるお前の仕事じゃないのか?」

「いや、女同士じゃないと話せないことかもしれないからって言われてよ。そう言われたら引き下がるしかねーだろ?」

「ああ……なるほどな」

 そういうことかと遅れて理解。

 こういうとき、娘を持つ男親は大変だと思った。

 実の子供とはいえ、性別の違いってだけで話しづらいことは俺が思っている以上にあるのだろう。

「……」

 もし富岡が生きていれば――。

 ふと、そんなどうにもならないことを考えようとしてハッとする。

 顔に出て気づかれなければいいがと思ったが、目の前にいたはずの鈴木はいつの間にかいなくなっていた。

「おーっす。こんばんわー」

 声のする方を見ると奥にいるバカ息子に挨拶していた。奥から「どうも……」とバカ息子の声が聴こえる。ここから聞いているだけでも今にも消え入りそうな声だと感じさせた。こちらへ戻って来た鈴木から「息子さん元気ないな? 炙った後のスルメみたいだぞ」と言われてため息を吐きたくなる。

「色々あったみたいでな」

 この様子じゃ晩飯だけじゃなく明日の朝飯もいらなさそうだ。

「ほう。そしてお前の愛する女房は?」

「その呼び方やめてくんねーか?」

「じゃあ絵美ちゃんは?」

女房アイツなら今は実家だ」

「へっ?」

「早とちりするな。あいつの兄貴がバイク事故起こしたんだよ」

 兄貴と聞いて腕組みをした鈴木は天井を見上げたり床を見下ろしたりする。記憶を探っているポーズだ。

「――思い出した! あの我らが川原先輩か。懐かしい。大丈夫なのか?」

「骨折だけで済んだらしい」

「骨折かー。腕?」

「いや両足」

「またレアな骨折だな。何もできねーじゃん」

「だからしばらく女房が世話しに行くことになったんだよ」

「お前んところも大変だな」

「仕方ねーだろ」

「にしても相変わらずよく怪我する人なんだな。昔はその度に占いとかお祓いとかやってたけど、そこんところも変わらないのか?」

 女房の兄貴こと川原先輩は昔からそういうのにのめり込むタイプの人だ。

 そして不思議なことにそうすればそうするほど怪我をするので、砂羽からは悲劇の人と呼ばれている。

「変わってないどころかむしろ深くなってるよ。今は若い女占い師にハマってるらしくてな。この前聞いてもないのにおススメされた」

「金をむしり取られる未来しか浮かんでこないな。大丈夫かよ」

「動画観た限りでは悪人ではなさそうだったぞ」

「動画?」

「ああ」

「占い師が動画投稿してるのか?」

「今のところ占いはおまけみたいなものでメインはメイク講座を中心にやってる人なんだ。なんでもメイクした人の未来を見ることができるんだとよ」

「そういうの観てるのかあの人。そもそもそういうのは男は対象外なんじゃないか?」

「それが今は男がメイクするのも普通らしい。スッピン見せたくない若い男がいるんだとよ」

「……川原先輩がメイクしてるのが想像できん」

「いや、メイクはしてないぞ。多分その占い師が好きで動画観てるだけなんだと思う。結構なべっぴんさんだしな」

「あーなるほど。それでお前も観てるわけか」

「どっちかっていうと興味本位だな。その占い師があの藤沼さんのお孫さんって聞いたら観ないわけにはいかないだろ」

「え? あの藤沼の婆さんの?」

「ああ。女房から聞いたんだが藤沼さんとは絶縁して好き勝手やってるんだとよ。藤沼家始まって以来の型やぶりなんだとか」

「全然知らなかった。お孫さんっていったら志穂の友達だぞ? そんな話全然聞いたことねーけどな」

「そっちは妹の方だ。俺が言っているのは姉の方」

 マジか、と慌てて鈴木がスマホを操作し出す。検索ワードにメイク占いと打てば出るはずだと言っておいた。

「――この魔女美化魔女流華マジョビカマジョルカちあきっ子のメイク講座ってやつか?」

「それだ」

 昔の暴走族みたいなチャンネル名だなと言いながら鈴木はわざわざイヤホンまで装着して画面に集中する。その間俺は閉店作業に取り掛かった。

 そして終わらせたのと同時に動画を観終えたのか、鈴木が顔を上げてこちらを見る。にんまりとした表情を見るに気に入ったようだ。

「随分と粋な人だな」

「そう思うか」

 鈴木の高評価はある程度予想していた。

 こいつは他のやつらと真逆なことを言うことが多い。藤沼さんのお孫さんのことを顔はいいけど残念な女と評するやつが多い中で鈴木だけは違っている。

 ――なんとなくだが、藤沼さんのお孫さんは将来大物になりそうな気がした。



 それから念のために聞いておいたが息子は晩飯いらないほっといてくれ状態。鈴木はいる俺もいるということなので、二人で近所の焼き肉屋へと向かった。バカ息子には帰りにコンビニでおにぎりでも買っといてやることにする。

 ちなみに誘おうと思っていた砂羽はほっとくことにした。

 車を走らせて10分ほどで着く焼肉屋『ありえんなぁー』は学生時代からある国木の有名店だ。二人で行くのは何年振りだろうかと思いながら混む前の早い時間から入店してさっさと注文する。30分もしない内にぞくぞくと他の客も入って来ると、BGMしか聴こえなかった店内がすぐに肉を焼く音でいっぱいとなった。

「早目に来て正解だったな」

「だな。食べるぞ」と鈴木の声をスタートにまずはタン塩から手をつける。鈴木はカルビからのスタートで続けてバラをほいほい口の中へ入れていく。相変わらず胃もたれって言葉を知らない動きだ。

「すいません。冷麺二つとビールひとつ」

 そして相変わらずよく食う。勝手に注文しているが俺の腹は昔とは違うぞ。

 俺より小さい(とはいえ180センチある)くせして俺より食うのは相変わらずだ。ちなみにビールを飲むのは鈴木で俺は運転があるから手元にある烏龍茶しか飲まない。酒は飲める方だが昔と比べてあまり飲みたいとは思わなくなった。

「――そういえばさっきチラッと目にしたんだけど。お前藤沼さんから招待されてたんだな」

 言われてすぐに店の作業台の上に放置していた封筒を思い出す。2、3日くらい前に藤沼家から届いたものだった。

「ああ……」

 中に同封されていた梅まつりの招待カードを見たときは誰と間違えたんだと首を傾げた。地方の小さな自転車屋をやってる店主がお呼ばれされるようなパーティーではない。

「お前があの婆さんと仲良くなってたなんてな」

「そうじゃねーよ。多分守屋さんつながりだ」

 去年に事故で亡くなった守屋さんは毎年招待を受けるほど藤沼さんとは仲が良かった。守屋さんの家に寄った際、何度か藤沼さんとは顔を合わせたことがある。

 とはいえ、そのときに交わした言葉は挨拶程度のものしかなかったはずだ。彼女と仲が良いかと言われれば違うと断定できる。最後に会ったのだって守屋さんの葬式のときだ。そのときだって挨拶ぐらいしかしていない。それ以上の話をする機会はいくらでもあったが、そうしようと思ったことはなかった。

 嫌いというと違う。わかりやすく言えば苦手としている。藤沼さんは鈴木の娘とはまた違った意味で苦手なタイプなのだ。

 学生時代にも何度か目にしたことはあるが、大人になった今でも相変わらず慣れない。いや、むしろ年食えば食うほど苦手になってきている気がする。

 常に周囲を黙らせるほどの威厳があり、近寄りにくい存在感を放っている。小柄なのに俺を見上げるその顔には逆に見下ろされているような違和感を与え、そこにいるだけで居づらい気持ちにさせてくる。

 これで中身は天然とかだったら笑い話なのだが、そんなところはカケラも持ち合わせていない。その聡明さは年齢問わず周囲に一目置かれている。

 そんな人が俺を梅まつりに招待した。それも昼じゃなく、今までに一度も正体を受けたことのない夜の部に。

 俺は梅の綺麗さがわかるような男でもない。だからどう考えたって守屋さん不在の穴埋めとしか思えなかった。守屋家の息子さん達はみんな大都会に住んでいるから今年は守屋さんと仲の良かった俺を代役として選んだとしか思えない。

 ――だとしても選ぶ相手を間違え過ぎている。他に相応しい人はたくさんいるはずだ。

「――それで?」

 鈴木の声が思考中の頭に割って入ってくる。

「行くのか?」

 目が合うと尋ねられた。自分の箸を止めてまで聞くほどのことなのだろうかと、鈴木の視線が引っ掛かる。

「いや、今日の朝本人に断りの電話を入れたんだ」と言いながらまだ一口も食べていない自分の冷麺に手をつける。鈴木の冷麺はもうスープだけになっていた。

「そしたら?」と続きを促される。わかっているような顔だ。

「当日気が向いたらくればいいって言われて電話を切られた」

「ハハ。あの婆さんらしいな」

「家族も友達も一緒に連れきて構わんと言われたけどなぁ。堅苦しいところは昔から苦手だからな」

 夜の部の雰囲気は学生時代に忍び込んだことがあるので知っている。遠くからでも堅苦しく見えた光景に当時の俺はうんざりしていた。

 ――ちなみにそのときに忍び込もうと提案した首謀者は今目の前で肉を食っている。

「昔と違って今はそんなことないぞ。おめかしして来るやつもいるけど、近所の公園に散歩しに行くようなカッコしてるやつもいるし、大分軽くなってるぞ」

「そうなのか?」

「お前が思っているようなところじゃないから気楽に行けばいい。梅も見れるし飯もタダ。おまけに着物を着た綺麗なお姉さん達に会える。もちろん手出すのはNGだが、お酒ついでくれるんだから行っとけって。滅多にねーぞそんなこと」

「おっさんくせえこと言ってんな」

「何言ってんだ?」

 そう言われ顔を上げる。また目が合った。

「俺達おっさんだろ?」

 ニマーっと笑うその顔を見たまま、少しかたまる。その間耳の中が肉を焼く音だけとなった。

「そういえばそうだったな」

 一拍置いてその空気を割るように声を出す。途端に「ハハハハ」と二人で笑い合った。

 そうだったそうだったと、心の中でも繰り返す。

 どうもこいつといると、自分がおっさんであることを忘れてしまう。

「行ってみろよ。気楽に行ける良いお祭りだ」

「そうだな」

 行ってみるかと気分が良いせいか今はそう思えた。ちょっと顔を出すくらいならいいかもしれない。

 ――こいつと話したせいだな。

 チラッと鈴木を一目見て、またすぐに目線を逸らす。烏龍茶を一口飲んで鈴木の育てたロースを箸で取った。にんにくダレをつけてから口に入れて咀嚼したそれは昔からよく食っているのにも関わらず、特別うまく感じる。

 鈴木は自分の肉を盗られたことに文句ひとつ言わず、またカルビを追加注文していた。

 ――そのときだった。


「――学生ん頃の恋なんて、大概ロクでもないからやめときな」


 肉を咀嚼していたアゴがピタッと止まる。どっかの客の声が入り込んできた。

 酒の入った女の声。鈴木も聴いたのか天井を見上げるようにしている。

「――どっかで説教始まってる感じか?」

「そうみたいだな」

「どこの若造が捕まったか知らねーけどかわいそーに。せっかくの肉が台無しだな」

 飯は楽しい話して食うのが一番だと言いながら、グイッとビールを飲む鈴木に心の中で同意。

 それから俺達は学生時代を思い返すように肉をたらふく食ってから店を出た。久々の男同士の会話と食事の費用は二人で2万オーバーだった。たっかい!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る