第38話(陽菜編)前編


「――あ、着いたって」

 隣を歩いていた綾がスマホの画面をこちらへ向けてくる。

 画面には『着いた』というメッセージの後にニワトリのスタンプが追加された。サングラスを掛けたニワトリが目を光らせながらこちらに向かって親指を立てている。

「ちょうどいいな」と二人で角を曲がると綾の家の前でいそいそと荷物を取り出す三人を見つけた。

「あれ? なんでそっちから?」と愛海。

「買い出し行って今帰って来たところ」とアタシ。

「あーなるほど」

「もっと早く帰り着く予定だったんだけど長くなっちゃって――ってなんかすごい荷物だね」

 綾が愛海のすげーパンパンに詰まったリュックを見て言った。確かに荷物が多い。

「困ったことにこれだけじゃないんだよー」と、愛海が傍でせかせか動く二人を見る。それを見た綾が「今開けるね」と、慌てて玄関の鍵を開けに行った。

「真帆。頼んでたお茶買っといてくれた?」と、バイクの荷台から降ろしたダンボール箱を抱えながら歩く志穂。隣の真帆は両手に重そうなビニール袋を下げている。

「えぇ? 私担当だったっけ? 愛海じゃなかった?」

「私だよ。志穂が言ってたやつなら二リットルサイズでちゃんと買っといたから」

「サンキュー」

 そうやりとりを交わす三人を見ていると、これからキャンプしに行くように見えるがそうではない。

「いらっしゃい。どうぞー」と玄関のドアが開き、ぞろぞろとみんなが家の中へ荷物を運び出す。

 そう。今日は綾の家で遊ぶ日だ。

 綾本人からの提案だった。当初はお泊り会の予定だったけど、突然のことだったのでアタシ、真帆、志穂の三人はタイミングが悪くて無理だった。

「――今日はよろしくお願いします」

 綾に向かってペコリと頭を下げる愛海。彼女だけが都合が良かったということなので、アタシ達三人は夜まで遊んで彼女だけがお泊りということになった。

「こちらこそ」

 そう言って綾が愛海に微笑む。


『みんなと楽しく過ごしてこの家と別れたい』


 みんなに提案する前。最初にアタシに話してくれたときに綾はそう言っていた。

 だから今日は思いっきり楽しんでやるぞと意気込んでいる。

「……」

 ――ちなみに。

 郁美は例の怖いおばあちゃんに掴まったせいか来れなくなってしまった。南無三。



 午後六時半。

 榎本家のリビングでは湯気とぐつぐつ音が充満している。

「……」

「……」

「……」

 この中でアタシ、真帆、綾の三人だけ何も喋らない。

 言葉を交わさず、代わりにお箸や食器を動かす音だけが会話音のように飛び交っている。

 なにか悲しいことがあったわけではない。

 話す言葉が見つからないわけでもない。

 そうじゃなくて、話すことを忘れてしまうほど食事に熱中し過ぎているのだ。

「――以前よりはちょっと辛くなってるね」

 会話しているのは愛海と志穂の二人だけ。

「今日は寒いって聞いたからちょっと上げてみた。どうよ?」

「全然オッケー。むしろこっちの方がいい」

「む、マジか。なぜ若い女は辛さを求めるのだ?」

「アンタも十代でしょ」

 二人だけはいつも通り。しかも慣れているのかアタシ達が何も言わないことを少しも気にした様子がない。

 女の子が五人も集まっているというのにここまで会話の少ない食卓は初めてだ。

 普通女子の会話なんてごはん4会話6みたいな割合で流れるはずなのに、そんなもん知るかと言わんばかりにアタシ達三人はこだわり女子の料理に吞みこまれていた。

 最後に言葉を交わしたのは最初の一口を食べる前。一口食べ終えたのを契機に「ん!?」と言ってまずは綾から。そして真帆が「んー♪」と同じようになってアタシもそれに続いた。

 それほどまでにこだわり女子の作ったほうとうは想像をはるかに上回るおいしさなのだ。

 アタシは料理をほぼしない、ほぼ食べる専門みたいなもんだから、他のほうとうと比べて何がどう違うのかを詳細に語ることはできない(そもそもほうとうなんて県外の名産なので初めて口にする)。単純においしいぐらいしか言えない。

 そんな自分の語彙力のなさを残念に思う――が、それでも最初の一杯目を口にしたときのことは伝えたい。

 まずは香りだ。

 できる前から部屋中を漂っていたこのほんわかする味噌の香り。微かに匂うだけでも人間の体内にやすらぎを与え、全身をほんわかとさせてくれる。疲れて家に帰ったとき、玄関で唐突にこれに触れるだけでその日のつらい出来事など全て吹き飛ぶ。

 よくラベンダーとかの香りに癒し成分があるとか聞くけど、アタシは味噌汁の香りの方が効果があるように思えてならない。

 香りだけでもそれほどの効果をもたらすというのに、更にこのスープはニンジン、大根、白菜等の野菜供をスープの中でじっくりグツグツコトコトと踊らせ、彼らの旨みを吸収しているのだ。そうしたスープが香りだけ良くて味はまずいなんてことあるわけがない。

 ――でもいきなりスープからいくのは違うような気がした。

 まずは具材からだと麺に箸を伸ばす。調理中にチラッと見たときから神々しいオーラを発していたこの麺。素人目のアタシでもそんじょそこらで売ってるものじゃないなと思わせる光がある。

 その予想は当たった。なんと県外のお店からわざわざ取り寄せたものらしい。

 水にこだわって製造されているという麺は簡単に言えばコシのあるもちもち食感。歯応えがよく咀嚼そしゃくするのが楽しい。麺ばかりに集中し過ぎるとすぐにお腹が膨れてしまい他の具材が食べられなくなるので避けた方がいいような気もしてくるが、その意識はあってもこの食感を味わいたいという欲求の方が勝つ。

 他の豚肉、油揚げ、煮込まれた野菜もおいしいというのに、それでもこの鍋の中での主役に匹敵しない。彼らは皆脇役でありほうとうの主役は間違いなくこの麺とスープなのだ。

 小皿に盛られた具材を食べ終え、ようやく残った味噌スープの出番がやってくる。

 さて、どんなものかともうひとつのメインをググっと飲み込む。

 ――うおっ!

 カッと目が大きく開く。

 匂ったときに感じていた優しさとほんわか感。それが舌の上に来て去って行ったかと思いきや、後から迫ってくるほどよい辛さ。

 激辛ではない。味噌を大事にする程度に抑えたこの辛さ。それが体中を熱くさせて飲み干した後にプハァっと何かを成し遂げたかのような声を出させる。

 額に汗が出てきた。

 普段学校で汗なんて絶対搔きたくないと思っているのに、こうした形で汗を掻くことはなぜか快感がこみ上げてきてキモチイイのはなぜだろう(そしてこんなときでさえも綾は汗を掻かない)。

 そうして今述べたループを三回ほど続け、四杯目を愛海によそってもらったときのことだった。

 あれ? と、お皿に盛られた具の中に今までに見たことのない存在があることに気づく。

 ――かぼちゃなんてあったっけ?

 そう思いながら、なんの考えもなしにひょいっとそれを口に入れた瞬間、脳内で夏の夜に咲く大輪が打ち上がった。

 ――違う!

 他の野菜や肉とは明らかに一線を画している。

 この鍋のメインを務めているのは麺やスープではないのか!? と思わず疑ってしまうほどのこの威力。

 それはメインに匹敵するほどの光だった。

 口の中へ入れたときの存在感が他の野菜とは格別で、この甘さやほくほく感は麺やスープと同様これだけをひたすら食べたいと感じさせるものがある。

 ……か、影の主役……か?

 もっと食べたい。

 そう思うものの愛海の意図なのか、それともかぼちゃの高騰化なのかよくわからないが悲しいくらい偶にしかその姿を現してくれない。しかもかぼちゃだけを探してようやく見つけたときにはもう遅い。ほら、今志穂がサッととったように大概とられてなくなる。さっきは真帆にやられた。

 ……どうやらみんなわかっているようだな。

「ほれ真帆。皿空いてるよ。どんどん食べなー」と、お母さんみたいな声を出して愛海が真帆の小皿をとってよそう。

 その横で「ごちそうさまです」と最初の脱落者が箸を置く。

 綾だ。どうやらお腹いっぱいになるのを抑え、腹八分目で終了させたようだ。賢明な判断だと思う。

 ――でもアタシには無理だ!

 わかっていても。それでもどうしても……限界まで食べたいという気持ちの方が勝つ!

 もう後のことなんて知るもんか。

 そう腹を括ったと同時に愛海が箸を置く。「今日もおいしく作れたな」と、出来栄えに満足している。

 これで残るはアタシと真帆と志穂の三人。

 ――しかし終わりは思いの外早くやってくる。

「もうだめー」と言って真帆が脱落。その10分後にアタシと志穂が全てを平らげる形で終わらせたのだった。

「誰かお茶を……」

「こっちもお願い」とアタシ達の声に綾がお茶を入れ、最後の締めにそれをグイッと飲み干して同時のタイミングでアタシ達は空っぽのコップをカンっと置いてお腹をさする。

「大満足」

「食べた食べたー」

「おー綺麗に食べたね」と、愛海が空っぽになったお鍋を覗き込む。

「愛海。このレシピ教えて。我が家の食卓に混ぜたい」と真帆が手を上げる。「――そして辛さを倍にする」

「いいけど。味噌は自家製だから市販のやつってどれがいいかわかんないんだよ。とりあえずマイコメ味噌で試してみてくれ」

「え!」と志穂以外の全員が驚く。

「これ自家製なの!?」

「そうだよ。去年ぐらいから作ってたやつ」

「……将来飲食店でも始めたらっていうかやってくれ」と本気で提案。でも本人はそこまで乗り気じゃないのか「その気になれたらねー」と返すだけだった。



 食事の後、みんなのお腹が落ち着いたところで真帆が借りてきたホラー映画を観ることになった。

 序盤はみんなシーンとしていたけれど、中盤で愛海の怖さが限界を超えたのかいきなり隣にいた志穂にしがみつく。そのせいか志穂が鹿のような悲鳴を上げた。それがアタシと綾を驚かせた。真帆だけは笑っていた。

 結果的に映画の内容は雰囲気だけで怖いものじゃなく、むしろ志穂の声が怖かったというオチだった。

 観終わった後はみんなでのんびり話しながら後片づけ。

 そしてその途中、突然真帆のスマホが鳴り出した。

「あれ? 郁美からだ」

 なんだろうと真帆が電話に出ると、スマホからギャーギャーと騒ぐ声が鳴り出す。真帆が笑いながら「みんな集まって」と呼び掛け、なんとなく事情を察したみんなは一旦手を止め真帆のスマホに集合する。

 郁美がライブ機能を使って今の状況を見せろと言ってきたらしい。「全員画面に映れだってさ」と、真帆のスマホの前で全員体を寄せ合う。画面の中には暗い部屋の中にいる郁美が映しだされていた。懐中電灯ひとつ持って押し入れの中へ隠れているらしい。

 淡い光ひとつとえんじ色の和服姿の彼女がこっちを見ているせいかホラー感がある。座敷わらしかよと志穂が笑う。

 髪色が黒でおかっぱ頭だったら間違いないけど、長い髪をいつもと違って綺麗に結ってまとめている彼女の見映えは小柄なせいもあってか、アタシ的には可愛らしさしか感じられない。

「お前ら正直に答えろ。あたしが辛い思いしてる間何やってた?」と郁美に言われ、全員顔を見合わせてから一人ずつ答える。

「愛海のほうとう食べてた」

「もちもちでみそみそでちょい辛辛からからでおいしかった」

「そのあとホラー映画観た」

「映画は怖くなかったけど志穂の声で心臓止まりそうになった」

「今は片付けしてたところ」

 順に説明すると「ふおー! お前ら全員くたばれ!」と言って郁美は電話を切ってしまう。なんでかけてきた?

 真っ暗になった画面に向かってヤレヤレポーズをとる真帆は「今度郁美が行きたいところにみんなで行こっか」と提案。

 みんな頷く。そうしなければ郁美の恨みが晴れないことはわかっていた。

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