第26話(陽菜編 前編 修学旅行編 二日目)


 散策し終えた中華街を後にして路面電車へと乗り込む。次の目的地へと向かう為にまずは4つ先の終点駅を目指した。

「――これから終点まで行ってどう進むの?」

 自由行動で同じ班メンバーとなった五木いつきスアレスが尋ねる。日本人の母とスペイン人の父親を持つハーフな彼女は見た目完全な外国人だが、日本出身の日本育ちなので外国語は全く喋れない。

「終点駅から少し歩いてエスカレーターに昇るだけ。そうすれば後はシュワちゃんご希望の楽なコースになるよ」

 今綾が言ったように愛称はシュワちゃんという。

 一年の頃も彼女とは同じクラスだったが、最初の頃はスーアとかスアちゃんとか呼ばれていたのにいつの間にかシュワちゃんになっていた(本人もそれをえらく気に入っている)。

「サンキュー綾。このお腹じゃあ下り坂コースじゃないとキツイから助かる」

 セリフだけ聞けばとんでもない勘違いを生みそうだ。

 でも本当なんだから仕方ない。

 ふーっと口をすぼめて息を吐くシュワちゃんに倣うようにアタシも綾もお腹をさする。

 午前中欲張っていろんな観光地へ行き過ぎたせいかお昼が大分遅れてしまった。しかも中華街でどこにするかで揉めて更に遅くなってしまい、ようやく決まったはいいがお腹が空き過ぎていたせいか三人供いつもより多めに注文してしまったのだ。

 その結果、お腹を抱えながら店を出ることになってしまったのがつい先ほどのこと。これから向かう観光地の楽なルートを綾が調べてくれたおかげで食後の運動はのんびりコースだけで済むから助かる。ただでさえ坂道の多い場所なのだからありがたい。



 乗車してからわずか10分ほどで終点駅を告げるアナウンスが響く。停止した電車を降りて横断歩道を渡りながら、乗っていた路面電車と合わせて周囲の景色を見渡す。

 オシャレで綺麗だな……。

 それでいてなんだかホッと落ち着くこの景色。

 陽も落ちれば、もっと目を惹きつけるほどの鮮やかさを見せるに違いない。ここに住んでいる人達が本気で羨ましいと思った。

 綾の言っていた斜行エレベーターは降りた駅から歩いてすぐだった。ここから目的地のある最上階まで一気に進んでくれる。これで無料。

 五階に辿り着き、下りてすぐ右側に行くと展望エリアがある。ちょっとした場所かと思いきや住宅街や山だけでなく港まで見えるといったすげー景色が備わっている。これも無料。

「――あ、船停まってる」

「ほんとだ、豪華客船っぽい」

 手摺の前で二人がはしゃぐ。

 そうなるのも当然だ。景色ヤバすぎ。これ絶対夜景も綺麗だよ。

「これから出発するのかな?」

「ぽいね」

 身長的なものが原因なのかよくわからないけど、三人で行動する際アタシは並んで話す二人の後ろにいつの間にか立っていることが多い。背高いやつあるあるなのだろうか?

 でもこれのおかげで、綾に気づかれない程度に彼女の様子を見守ることができるというのは数少ない利点ではある。

 写真を撮る綾の横顔は楽しそうにしているのでホッとする。最近いいことがなかっただけに心配だった。旅行中に体調を崩してしまわないようにと警戒していたけれど、事前に彼女から言われた通り心配はなさそうだ。

「……」

 でも――と、心の奥底で何かが呼び掛けてくる。


 根本的な解決には少しも近づいてはいない。


 そんな空気を読んでくれない声に口ごもる。

 引き込まれるな。今はやめろと自分に言い聞かせる。

 こういうときのアタシは顔に出やすい。このままでは綾に勘づかれる。

 それが一番ダメだと、気持ちを切り替えることにした。

「よし、絵になってるし撮るよー」

 スマホのカメラを起動し二人をファインダー枠に捉える。二人供男子みたいなノリで肩を組むポーズを取っていた。



 目的の観光施設は時期によって営業時間が違うのだという。日が沈むのが早い今の時期だと営業時間はもう残り二時間ほどしかない。ここを一周して最後に教会に寄れば、自由時間は帰りの時間しか残らない。

 あとはホテルに戻って休むだけ。そして明日は国木に帰還。楽しい時間はあっという間というわけだ。

 園内に入って最初にある建物と和大砲の方へ行くと愛海達を発見した。愛海と志穂にあともう一人はよくうちのクラスに遊びに来る寺田さんだ。

 三人は和大砲の前で写真を撮っている。

「……」

 ……何やってんだアイツら?

 愛海が銃の形を模した手で志穂を撃って、志穂は愛海に向かって不敵な笑みを浮かべながらピースサインを向けている。スマホを向ける寺田さんは「鈴木ちゃん! もっと嘲笑うようにしないと!」と、熱い指示を飛ばしていた。

「……志穂がピースで愛海の撃った弾を止めてるっていうことでいいのかな?」

 綾の解説予想。多分そうだ。

 ……コイツら和大砲と建物の存在完全に無視してないか?

 写真を撮り終えると最初に愛海がこっちに気づく。何事もなかったかのように「おーい」と手を振ってこっちへ来た。

「陽菜達もこっちに来てたんだね」

「今着いたところだよ。ここ行って教会行って帰るコース」

「じゃあ私達と逆か」

「ってことは坂を登って来たコースか。キツかった?」

 園内には入り口が二つある。ひとつはさっきアタシ達が利用した無料のエスカレーターを使って上から入場するコース。もうひとつは一番下から入場するコースだ。

「ううん。園内にエスカレーターあったからここまで来るのは結構楽だったよ」

「え? そうなの?」

 パンフレットの中を見てみる。どうやら愛海達は中に書いてある案内のまま進んできたようだ。

「おー五木ちゃんだ」と、寺田さんがシュワちゃんを呼ぶ。

「てーらちゃん」と二人でハイタッチ。クラスでよく見かけるやり取りだ。

 せっかくなので六人で園内を散策することにした。

 愛海は綾と。シュワちゃんは寺田さんと。アタシは志穂と肩を並べて二列編成で歩く。夏の花火大会のときと似たような構成となった。

 園内は名所だけあって他の観光客も多い。愛海達だけでなく国木の生徒とも何人か擦れ違った。郁美と真帆もいるかなと顔をひとつひとつ確認するが見当たらない。

「うおーすげぇ!」

 愛海が感嘆の声を上げる。庭園内のメインであり世界遺産にも認定されている日本最古の木造洋風建築へと辿り着いた。

「確かに写真で見るよりもすごいなー」

 おまけに周囲の景色もめっちゃいい。ここに住んでた人はどんだけすごい人だったんだ?

 一通り中を見終えて外に出ると、遠くで愛海と綾が注意深く地面を見下ろしていた。

「なにか落としたのかな?」と隣の志穂に尋ねる。

「ハートを探してるんだよ」

「ああーなるほど」とパンフレットにも載っていた地面にあるハート形の模様を思い出す。恋愛運がアップするとか書いてあったな。

「……」

 ぼんやりと、綾と一緒に地面を見下ろす愛海の横顔を眺めていたときだった。


 いつ――行動に移すのかな?


 そんなことがふと浮かんできた。

 あのホームランを見てから、それが近いような気がしてならなかったからだろう。


「――愛海は恋愛運とかそういうのに頼らないタイプかと思ってたよ」

「今はなんとなく探してるだけだと思うよ。普段は全然そういうのに頼らないから」

「そうなんだ?」

「うん。昔はいろんなところでそういうお願いしてたけど、全部失敗で終わっちゃったからね」

 そう言った志穂が目を細める。

 少し前のことを思い出しているようなその顔に、以前聞いた話を思い返す。

 志穂がずっと傍で見てきた、愛海の乗り越えられなかった失敗。

「――不思議だね。愛海って男子に人気あるのにさ」

 さっきも国木の男子と擦れ違ったとき、その内の何人かが愛海や綾を見ていた。

 学校でも噂は何個か聞いたことがある。それだけに今まで誰とも付き合ったことがないってのには驚く。

「うん、普通にモテる方だよ。告白だってされたこともある。でもいつも本命とは上手くいかないんだよ。中学の頃も好きな男子いたんだけど、奥手だったから全然行動できなくてさ、それで他の女の子にあっさりとられちゃったんだ」


『――あのときの愛海は全然ダメダメだった』


『本命とは上手くいかない』


 そう聞いて花火大会のことを思い出す。

 あのときの愛海には確かにそんなところがあった。

 綾を前に緊張して、ちょっと背中を押しただけで倒れて気絶してしまいそうな印象を持たせるほどのカチコチ感。

 でも今の彼女は――。

 綾と一緒に地面を見下ろす愛海の横顔。

 それが少し顔を上げ綾を見つめる。

 視線に気づいて綾も愛海を見る。

 そうして二人の視線が重なった瞬間、愛海が何か言って二人は笑い合っていた。

 自然に……恋する人と接している。

 そこからあのときのカチコチ感は少しも窺えない。神頼みとか恋愛運とか見えないものに頼らず、好きな人の為に動いてきた結果が目の前にある。

「――今の愛海は、ダメダメじゃないんでしょ?」

 そう確認して志穂は「うん――」と即答する。


「――ダメダメじゃない。もう手前まで来てるからね」


 その声に引っ張られて志穂の方を向く。

 視界の中にある、遠くの二人を見守る彼女の横顔。

 音を立てずに、長いポニーテールの先が風に揺れた。

「……」

 まただ、と思った。

 言葉の意味よりも強く、静かに流れる彼女の黒髪。

 夏休みが開けた頃から変化したそれに異様に目を引き付けられ、言葉を失わせる。

 気づいたのはアタシだけじゃない。きっとみんなも気づいている。

 もしかしたら気づいていないのは本人だけかもしれない。誰にも気づかれないほどの小さな変化だと思い込んでいるようなところが彼女にはある。

 その黒髪が――本心を隠す役割をこなしていることにも気づいていないのではないだろうか。

 一体何人がその黒髪が隠しているものに気づいただろうか?

 アタシは今、こうして彼女を目の前にしてようやく気づく。


 ――彼女は恋をしている。


 髪に隠される瞳の中に、愛海が綾に向けているものと同じものを確かに見た。

「あったよー!」

 彼女の視線の先にいる二人がこっちを向く。

 陽気に手を振っている本人に気づいた様子はない。きっと向けられた赤い光は、いつの間にか落ちていた日差しに遮られてしまっている。

「ようやく見つけたかー」

 何事もなかったかのように志穂は二人の所へ歩いていく。

「お、見つかったー?」と、アタシの背後でシュワちゃんと寺田さんの声がする。遅れてアタシも足を動かした。

「うお、確かにハートだ」

 なぜか寺田さんがホレホレと足で踏んづけている。確かにハートだけど、なんかありがたみを感じない。アタシだけだろうか?

「あと一個あるんだよ。暗くなる前に見つけられるかな?」

 そう言いながら腕を組む愛海を見ていると肩をトントンと叩かれる。シュワちゃんだ。

「二人にちょっとお願いが――」と声のトーンを低くしながらシュワちゃんは志穂と話をしている寺田さんの方をちょいと親指で差す。

「――寺ちゃんと一緒に行きたいところあるから、先行ってもいい?」

 照れ臭そうに頬を掻くシュワちゃんを見てアタシと綾は顔を見合わせる。

「二人供! 後生だからシュワちゃんと先に行かせてくれい!」と寺田さんの声も聞こえた。こちらは隠すことなく大声。シュワちゃんの顔が赤い。

 二人供残りの時間を一緒に過ごしたいようだ。何も問題はないのでアタシも綾も二つ返事でオーケーする。

「――じゃあホテルの前で集合ね」と、綾が言った後に寺田さんの「ヤター!」という声が聞こえた。向こうもオッケーを貰えたようだ。

「――それじゃあまた後で」

「行くぜ相棒」と二人はさっさと先へ進んで行く。これからどこへ行くのかわからないけど、二人共嬉しそうだ。

「じゃあ次に行こっか」と、綾を先頭にして残った四人で次の展望台エリアへと移動する。

 階段を降りて真っ直ぐ進んだところにあるそこは展望台といってもそこまで広くはない。景色は悪くはないけれど、愛海達と合流した最初の所の方が良かった気がする。

 展望台は長方形の柵で囲われていて、中にはベンチと色褪せた双眼鏡が一台置いてあるだけだった。双眼鏡は百円入れて使うタイプのものではないので覗いてみる。

「――民家の窓の奥まで覗ける?」と志穂が聞いてくる。

「犯罪だそれは」と言いながらも挑戦してみる。

 ダメだ。ある程度のところまでしか視えない。当たり前か。

 しかも重くて動かしにくいし。これ小さな子だと最初の位置以外見れないんじゃないかな。

「あんまり見えな――」

 顔を上げて志穂の方を向くと、彼女が何かを見て呆然としていることに気づく。

「……」

 何も言わない彼女の視線を追って、向かい合う綾と愛海を捉えた。

 少し離れた位置で話をしている二人を見て、双眼鏡から手を離す。


「欲羽山で――」


 二人の声に耳を傾けたおかげか、僅かにそれを拾えた。

 そこは明日の解散場所。

「――それじゃあね」と愛海が綾から離れる。

「行くぞ志穂」と言って、棒立ちの志穂の腕を掴むと引っ張って行った。

「ごめん陽菜、志穂と二人で先行くね」とアタシの前を横切っていく――でもそのまま消えずに一度足を止め、振り返る。

「綾――」

 呼ばれて顔を向ける綾も、なんだか少し茫然とした表情だった。


「――明日、待っててね」


 愛海が笑顔で言って、綾はコクリと頷く。

「……」

 彼女達が去って、アタシ達以外は誰もいなくなる。

 俯く綾に向かって足を動かした。

「陽菜――」

 けど、その声で止まる。

「明日ね……愛海が来るって」

 顔を上げた彼女。アタシを見ながら微かに笑っている。

 浮かんできた何かを、隠そうとしているように見えたのは気のせいじゃない。

「――正面から来て、少しも逸らさずに伝えてきたよ」

 隠し切れずに、震えた声が出る。

 綾はアタシに背を向けて遠くの景色を見る。

 彼女の視線の先、浮かぶ丸いオレンジがさっきよりも少し色を濃くして辺りを染め始めている。

 それが今の今までここにいた。柔らかな声と微笑んだ顔を思い出させた。


『――明日、待っててね』


 脳裏に焼き付いたあの光。

 もう一度頭の中で浮かべてみるとやはり同じ感想が出る。


「――綺麗だったね」


 届くように、静かに口から流す。

 綾にもきっと、アレが視えていたはずだ。


「……うん」


 応えた声に、まだ震えた感触が残っている。

 背中を向ける彼女が何かを拭うような仕草を見せた。

 彼女がこっちを振り向くまで、このまま待つことにした。

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