第25話(志穂編 修学旅行編 二日目)
「おおー真っ白。ザ・教会って感じ」
「なんだそれ」と愛海に言われながら見上げたそれは白い波動でも出ているかのように輝いて見える。
こういうのを神々しいと言うのだろうか。さすが観光地として名高いカトリック教会堂。国宝と呼ばれるだけの雰囲気が建物全体から滲み出ている。
「アニメとかの聖地になること多いんだってね」と寺ちゃんが言う。
「こんだけオシャレだとそうなるだろうねー」
「そういえば国木ってアニメの聖地になったところあるのかな?」と、渡されたパンフレットを見る。国木にはこんな洒落た観光地はない(と思う)。
「随分前にネットで調べたことあるんだけど、少しもそれらしきものはなかったよ」
「なんだ残念。そういうのあればいいのにね」
「でも国木のパンがバラエティとかによく取り上げられてるし、アニメとかの聖地じゃなくても話題性は十分あるからいいんじゃないかな」
確かにと私も愛海も納得。今年もテレビ局が学校の購買部へ取材に来ていた。
でも相変わらず製造している工場の謎は解けていない。おそらく私達が卒業してもその謎は解けないのだろう。
「混み合っておりますので、二列になって順番にお入りになってくださーい!」
教会入り口付近に立つ警備の人が声を上げているので愛海と寺ちゃんの後ろに私が並ぶ二列一列の編成を作った。さすが有名な観光地。平日にも関わらずお客が多い。
「そういえば上塚ちゃんが行きたいって言ってた教会って、ここじゃないんだよね?」
「うん。そこ船でしか行けない離島にあるんだよ。最近読んだ漫画のラストシーンに使われたところなんだ」
前にバイト先の店長さんから借りたジャズ漫画エモイとか舌出しながら言ってたけど、それのことだろうか? 毎週のように新しい漫画読んでるからどれかわからなくなってきた。
最近の愛海はライトノベルとかいうのにも手を出すようになっていた。
昨日飛行機の中でずっと読んでいたけど、漫画以外の本を読まないあの愛海が真剣な眼差しで読んでいたので驚いた。
そんなにおもしろいのかと少し読ませてもらったけど、あいにく活字ばかりの本を楽しめる脳みそは私にはなかった――っていうか、ラノベと普通の小説ってどう違うんだ?
本当は漫画の続きが読みたかったらしいけど、電子じゃないから持ってこれなかったのだという。なぜか知らないけど漫画アプリ的なものには手を出すなと店長さんから言われたらしい。
「離島じゃさすがにいけないね」
「聖地巡礼は大人になって行くしかないってことだ」
列が進んで行き、ようやく私達も中へ入れるようになった。先を歩く二人の背中を見ながらとぼとぼと歩く。
ふと、愛海の背中を見ていた視線が何も持っていない彼女の右手に移る。
……大人になったらか。
そのとき彼女は誰とそこへ行くのだろうかとボンヤリ考える。
その空っぽの右手を掴んでいるのは誰なのだろうかと。
「……」
どうにも私というイメージがわかない。
そんな未来はないと奥底に諦めの気持ちでもあるのだろうか。
……たとえ私だったとしても多分、友達としてなんだろうなぁ。
そう思ってすぐに我に返る。
いかん! こういうのやめよう!
喝を入れる為にパンっと両頬を叩く。いきなりそんなことをしたので前の二人がビクッと背中を浮かせた。
「どしたの?」と振り返った愛海の怪訝な顔。
「あ、いや、ちょっと眠気が襲ってきて……」
「ほほう。それなら――」と寺ちゃんがリュックの中を漁り始める。おそらく昨日からやたらとみんなにあげまくってるアレを出す。
「このすっぱすぎる飴ちゃんあげるよー」
やっぱり出た、と不自然なくらい黄色く見える飴玉(そもそも黄色が不自然に見えるってどんだけやばいんだよ)を取り出した。
なんかこれ食べるの抵抗あるんだよなぁ……。
でも咄嗟に出た嘘とはいえ、眠いと言ったんだから断る理由はない。なんかやたらと警戒してしまうものの所詮はただの飴なんだしと「ほい、あーん」と寺ちゃんに言われるままに口を開けた。
「君に届け」
昨日もやっていたように、寺ちゃんは取り出した飴をわざわざ指で弾き飛ばして口の中へと送る。真っ直ぐに飛んだ飴玉は狙い通りに私の口の中へと入った。ヒリヒリした両頬の内側をカラコロと歯に当たりながら転がり回った飴を舌の上で止める。
「どうよ?」
「……」
動きの止まった飴を舌の上でなめなめすると、サーっと何かが昇ってきた。
「ふおー! すげーすっぱい!」
サーじゃない。ジュワ―って感じ。小さい波から大きい波へとなって全身が震え、体中に喝を入れまくるこの爽快感。
これは本当に眠気を飛ばす。元々眠気なんてなかったけど体がシャキッとして元気が出てくる。今の状況では不必要なやる気さえ沸き起こってきた。なんか空も飛べそうな気がする。
「鈴木ちゃんふっかーつ」
ムフフと不気味に笑う寺ちゃんを見て「おかげで目醒めたよ。ありがとね」と言いながらスマホを取り出す。飴で暗い気分も吹っ飛んだし旅行に集中しよう。楽しまなければ損だ。
「にしても平日なのに人多いな。これじゃあ撮れないよ」
入り口付近では入場規制を掛けたのか警備の人達が少しずつ入るようにと指示している。人の熱がこもっているせいか室内はちょっと暑い。
「おおっと鈴木ちゃん。中は写真撮影禁止だよ」
「あぶな、撮ろうとしてた」
慌ててスマホをポケットにしまう。室内の至る所に写真撮影禁止って貼り紙があるのに全然気づかなかった。
「お、ステンドグラス」
愛海の視線の先、中央奥にある大祭壇が目に入る。上には貼り付けのキリストが描かれたステンドグラスがはめ込まれてあった。
「へー」
「神秘的だね」
「キレイ」
ステンドグラスは祭壇裏手にも大きな花っぽい模様のものがある。側廊と高窓にもあった。
教会の中は左右のステンドガラスに挟まれるようにして中央に木製の長椅子が二列で並んでいる。椅子と椅子の間には縦に線を引いたように通路があった。
長椅子に座っている人達がいたのでお祈りでもしているのかと思ったら違った。耳に入ってくる音声ガイダンスを聴いているようだ。
「せっかくだし、私達も聴いてみない?」
寺ちゃんの提案に賛成し適当なところへと並んで座る。人の波も多いし落ち着くまで待つことにした。
「――思ったよりも中は広くないんだね」
愛海がキョロキョロと中を見渡す。
「外からの印象だと広く見えるのに意外だよね」
音声説明が二週ぐらいすると人の波が落ち着いた。そろそろ中を見回ってみるかと室内を歩き回ったけど、10分もかからずに見終えてしまった。もし私一人だけとかだったら五分もかからないかもしれない
外に出ると「――あれ? 上塚ちゃんは?」と寺ちゃんが周囲を見渡す。いつの間にか愛海がいなくなっていた。
「あら? どこ行ったんだろ?」
ついさっきまで隣にいたのに。
「慌ててトイレにでも行ったかな?」
「その可能性はあるね」
「丁度私も行きたかったしそっち行ってみるよ。鈴木ちゃんは念のために中探しといて」
「りょーかーい」
見つけたら連絡してねーと、一旦寺ちゃんと別れて周囲を見渡す。どこ行ったんだアイツと再度中に入るとすぐに見つかった。愛海は誰もいない信徒発見のマリア像の前で腕を組んで見上げていた。
――っていうか睨んでる?
教会堂入り口から入ってすぐ右手にある
「おーい」と声をかけると「おー」と気のない返事。けど視線は鋭くジッとマリア像を見続けたままだ。
「……気に入ったの?」
「逆」
「なんで?」
「文句あるから」
……文句?
なんの文句だよと思いながらも、それを聞かずに像を見上げてみる。
こちらに向かって子供を抱いたポーズを見せる像は名前がマリアでキリストの母親ということしか私は知らない。実在したかどうかも知らなかった。
「――マリア様が見てる」
ぽつんと、人気の少なくなった教会内で微かにそれが響く。
「……」
確かにそう言ったそれは、私に向けた言葉だったのだろうかと彼女を見る。こちらを見ずに愛海は像と向かい合ったままだ。
「――知ってた? ここは女の子同士ってダメなんだってね」
今度は私に向けられた言葉を頭の中でぐるぐると回す。
「知ってたと言えば知ってたけど……」
でもそれはテレビかなんかで偶々知った程度だ。詳しいワケでもなんでもない。
「ここだけに限ったことじゃないけどさ……なんでダメなの?」
像に向かって向けられた声。
それを追うように私も顔を上げ、愛海と同じように見上げてみる。愛海の口はとっくに閉じているけれど、放った声はまだ周囲に漂っているように思えた。
「……」
でもそちらさんからは何も返って来ない。当然だ。その当然の反応に愛海はふぬーっと鼻息を鳴らす。
「――なんでダメなんだろうね?」と次は私に向けた。
「……自然に反するから?」と聞いたことをそのまま引き出す。
「人を好きになるのって自然じゃないの?」
「……多分、そういう意味の自然ってことじゃないんじゃないかな」
ふーんと、愛海は視線を逸らすと今度は大祭壇の方を見た。
「本当にいるんなら絶対聞こえてるよね」
そっちだって当然答えなんて返ってくるはずもない。
愛海は目を細めると「わけわかんない」と言って機嫌を損ねる。
「どうしたのよ?」
首をかしげる少しお怒り気味の愛海。こっちが首を傾げたくなる。
「ここに通う人達の中でさ、それを無理矢理守らされてきた人ってきっと多かったんだろうなって思うとなんかモヤモヤしてくるんだ」
周囲のことなど気にせずそんなことを言う。
「会ったことも、話したこともない大昔の人がこういう決まり作ったんだから従えーって言われても絶対本心は納得なんてできなかったはずだよ? なんで守っちゃったんだろうね」
「……」
「たとえどんなに気持ち悪いとかおかしいって言われたとしてもさ……好きな人のことを好きでいられなくなるのって、絶対辛かったよね」
少し面食らう。
今までにそんなことを口に出したことは一度もなかっただけに。
「ねえ志穂――」
でも、そうだよねと納得もする。
「――自分の気持ちを抑え込んでまでさ、答えを返さない大昔の人達が決めたルールとか常識なんて守る必要あるのかな?」
愛海は全力なのだ。
全力で、好きな人に好きだと伝えようとしている。
だからそんなルールがありますから言っちゃだめだよなんて言われたって……そんなこと愛海が理解できるはずもないし、実行なんて絶対にしない。
愛海の視線はもう大祭壇にも像に向けられていなかった。
尋ねる相手は私だけ。
おそらくもう……彼女は二度と像にも大祭壇にも尋ねない。
「……」
どうなの? という愛海の問い。
視線は逸らさず、像ではなく私を見上げる彼女の瞳を見ながら答えてやる。
世間の答えなんかじゃなく、私の言葉で。
「――守るべきルールはあるよ」
「……うん」
「でも要らないものもある」
ハッキリと像の前で言ってやる。
「人を好きになることを壊すようなルールは守る必要ないんじゃない」
私も同じだからねと、そこだけは心の中でポツった。
いつかは口に出して言うその言葉を、今はまだ吞み込んだままにする。
愛海は別に自分の行いの正誤を求めているわけではない。
協力者を求めているわけでもない。
例え私や愛海の家族がやめろなんて言ったとしても、彼女は自分の好きを最後まで貫く。
そうじゃなくて、愛海は自分の意志を示しているのだ。
像とかステンドグラスの中にいる人だけじゃなく、外にいるいろんなやつらに対してもこの場所で訴えている。
――絶対に言ってやるからなって。
「……」
私の言葉を黙って聞いていた愛海の唇が動く気配を見せる。
それを聞き逃さないようにと耳を傾けた――そのときだった。
「――くおら!」と、寺ちゃんが私達の間に割って入ってくる。
「二人して私を仲間はずれかぁ?」
ああん? と私達の首に手を回してガッチリ掴むとぐっと引き寄せる。私達の首が団子みたいに並んでいる。
しまった。発見したのに連絡し忘れてた……。
「ほら、いつまでここにいるんだ。けぇーるぞてめーら」とそのまま私達を引っ張りながら教会を出て行く。漫画によく出て来る酔っ払い三人衆みたいになってきちゃった。私身長あるから体勢がぐるじぃ。
「――上塚ちゃん。好きになったら猫にだって告白していーんだよ」
外に出た途端、私達にそう耳打ちする寺ちゃん。
「私なんか毎日うちのプリオに大好きって言ってるし」
どうやら話は聞かれていたようだ。ちょっと焦る。
ちなみにプリオとは寺ちゃんの愛猫(オス)の愛称で本名は寺田ディカプリオという。随分前に彼の写メを見たことがあるが、いつどの角度からでもムスッとした顔をするデブ猫だ。
「いや、猫はダメでしょ? ラブじゃなくない?」
会話を聞かれていたことに愛海は動じる様子を見せない。
「いやいやいや何言ってんだ上塚ちゃん。ラブだよラブ。家族愛だからラブだ。その証拠にプリオも大好きって手で返してくれてるし」
それは単なる猫パンチという名の攻撃では――おおっとっとっと。
即席の二人三脚のおかげで足がもつれる。危ない。
「互いが愛と認めたらそれが愛なのだよ二人供。それはどんなルールにも縛られることはないのだ。堂々としてればいーんだ」
そう鼻息を鳴らす寺ちゃん。なんだか本当の酔っ払いみたいだ。
「……」
「……」
でもそれが私と愛海にグサッとしたものを与えている。
互いが愛と認めたらそれが愛。
それ何事にも縛られることはない。
その通りだと愛海も思ったせいか、私と顔を合わせるとアハッと笑う。遅れて私もナハハと笑う。
「――そうだね」と、愛海と一緒によっこらせと態勢を立て直す。そしてこのまま次の目的地へと進んで行った。
「なにドヤってんだ寺ちゃんは」と愛海が軽く寺ちゃんを押した衝撃がこちらにも伝わってくる。いてぇ。
「ん? そういう流れじゃないの? 自分の好きな自分でいたいんだーって感じのアオハル的なノリのやつ」
「なんのセリフだよそれ」
「アッハハハ」
会社帰りのOLでもおっさんでもなく正真正銘の現役令和JK。そんな私達が二人三脚で歩くせいか周囲からの視線が半端ない。
――まあいっかと、私達は体力の限界が来るまでこのまま歩き続けた。
***
陽菜と擦れ違った後、愛海は真っ直ぐに進んで行く。好きな人の前に立つ為の最後の距離を縮めていた。
「……」
息を呑んで見守っていた私を拍子抜けさせるほどに、実にあっさりと簡単に歩いていく。
過去に何度も目の前にして、何度も逃げてきたのがまるで夢だったかのように、今まで乗り越えられなかった道のりを越え、好きな人の前へと立った。
――あとは伝えるだけだ。
足を止めた愛海が俯く。
どうしたのかと思えば、私達の前でもやっていたようにまた深呼吸をしていた。すぅーっと背中が吸って、はぁーっと吐いている。落ち着いていたように思えたけど、まだそれが必要なようだ。
『――大丈夫。怖くない』
『――私にはみんながいる』
バッティングセンターでも言っていたように、今も心の中でそう言っているのがなんとなくわかる。
不思議な気持ちだった。
愛海の考えなんてわかんないことの方が多いのに、今は確信できるほどにわかる。
『――そのときはいっぱい褒めてね』
あのときの声が蘇って目頭が熱くなる。
すぐに大馬鹿と心の中で自分を叱る。私を信じてくれているのに私が崩れそうになったらダメだ。しっかり前を向けと彼女の姿を見る。
綾が後ろを振り返って愛海と向かい合った。
そこで自分が愛海に一言もエールを送っていなかったことに気づく。
「……」
今から口に出してもそんなもの届くわけもなく、心の中で念じるように送るしかない。
いつも噛み合わなくて、気持ちが通じ合うことなんてなかった。
でも今は違う気がする。
ちゃんと届くような、そんな感じがした。
――頑張れ。
ちゃんと伝えないと褒めてあげないからねと、最愛の幼馴染に向かってエールを送った。
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