第19話(志穂編 前編)


 次の日が修学旅行ということで今日は午前中だけで学校が終わった。当然ながら放課後はみんな大はしゃぎ。明日までの時間をどう過ごすかで話し合う声が教室内でも廊下でも飛び交っている。

「志穂。帰るよー」

「はいよ」

 私と愛海はいつも通り――というと少し違う。いったん帰宅してから愛海と一緒に欲羽山ほしはやま公園へ向かうことになっている。他の女の子達みたいに旅行中に食べるお菓子を買いに行くわけでもなし、夕方までどこかで遊ぶというわけでもなかった。

 いったん帰宅して着替えてからバイクで上塚家へと向かうと、バイクのヘルメットを被った愛海が家の前で素振りをしていた。位置的に危ない。

「早かったねー」

「すぐに家出たからさ。それよりなんでまた素振りしてんの?」

 ホームラン出したからもういーやとか言っていたはずなのに。

「いや、なんか習慣化しちゃったみたいでさ。やらないと落ち着かないっていうかムズムズするっていうか」

「へー」

 これは愛海あるあるのひとつ。次に何か熱中できるものが見つからない限りずっと続いてしまうパターン。しかもただ続くだけじゃなく、彼女の場合は磨きをかけて更なる高見へと登ってしまう。こだわり女子のおそろしい生態のひとつだ。

「よし、行こう」とバットを玄関脇に立てた愛海は私のバイクの後ろへと跨る。

「欲羽山へゴー!」

「ゴー」



 欲羽山公園は明日から始まる修学旅行の最終日に利用される場所である。国木の修学旅行の締めはここで集まって解散するというのが恒例だった。

 愛海はここで綾に告白することを決めた。

 問題はどこでするかということで頭を悩ましていたが、郁美からいい場所を教えてもらったらしく前日の今になってから下見をすることとなった(本当は先週行くつもりだったのだが、愛海が忙しくて行けなかった)。

 そして郁美で思い出す。

 ちーちゃんは一体いつになったら私にメイクを教えてくれるのだろうか?

 以前に美容室で謎の美容師さんとちーちゃんがケンカを起こして以来、二人とは会っていない。ちーちゃんは髪のお手入れセットや見たことのない化粧水や乳液などを使い方を説明したメモと一緒に家のポストへ入れてくれるだけで、それ以上のことはしてくれなかった。

 怖いことにくれたものはどれも高そうだった。お金を払うと連絡したものの『いらん。ちゃんと使え。毎日使え。今すぐ使え』と言われ、その後は何度連絡してもなぜか既読スルー。電話にも出てくれないので後日郁美に話すとこんなことを言われた。


『志穂。それはちーちゃんの趣味であり生き甲斐だからいいんだよ。趣味にはなんでも金がかかるだろ? だからいいんだよ』


 と言われて終わらされた。よくわかんないんだけど、ほんとにいいの?

「多分こっちだ」

 公園内中央にある広場から蛇のようにくねくねうねうねと歩いていくと木に囲まれた通路に入る。小さな森になっているそこは昼でも少し薄暗い。このまま真っ直ぐだと、愛海は郁美から貰った地図を見ながら進んでいく。

 ――と、思いきや足を止めた。

「どした?」

「なんか違うっぽい」

 愛海は地図を逆さにしたりして見ている。ちょっと貸してといって地図をふんだくる。

「……」

 地図は市のホームページにある園内マップをプリント印刷し、それに郁美がマジックで書き込んだものだった。おそらく学校の図書室にあるパソコンとプリンターを使ったのだろう。

 園内北側には目的地を表す矢印の隣に『このへん』と書いてある。その近くにはバツ印やマルがふってあったりと、よくわからないマークがたくさんあった。

「――この時計マークはさっきみたでっかい時計かな……このバツは?」

「わかんない。郁美は行けばわかるって言ってたんだけどなぁ」

 全然わっからーん。これは本人に直接電話して聞くしかない。

「しまった。あいつ今日はおばあちゃんの家に行くって言ってたな」

 その場合の郁美の返信率は10パーセントにも満たない。どうしたものか……。

「なら真帆に聞こうよ」と愛海が電話を掛ける。すぐに出てくれた真帆に事情を説明して場所を尋ねた。

「――それでおっきな時計の前を通ったんだよ。そうそう。それで今は……えっと『ゴミとたばこの吸い殻は持ち帰りましょう』っていう看板の前にいる」

 それ公園内の至る所になかったか?

 これはライブ機能使った方が早いなと思っていたところで「――え? こっちに来てるの?」と愛海が驚きの声を出した。すぐにライブ機能を使えと言ったけど、真帆は電話を切ってしまう。

「今向かってるから、そのままそこで待っててだって」

「えぇ……なにもワザワザ来なくたっていいのに」

「真帆の家からだと自転車で15分くらい?」

「――ハズレ。2分ぐらいでした」と、真帆が背後からいきなり出てきたので愛海と一緒に「うわっ!」と驚く。

「え……ここにいたの?」

 真帆の家から2分でここまで来れるわけがない。

「そういうこと。さっきからずっと二人の目的地にいました」と、少しめんどくさそうな顔をする。私服なので一度家に帰ってからここへ来たようだ。

「一人?」

「うん」と頷く彼女。当然疑問は浮かぶ。私達の顔を見ると真帆は「はいはい、わかってますよー」と言って上着のポケットからなにかを取り出した。

「いずれ言おうと思ってたからね」と、手のひらにある煙草とライターを見せる。封は既に開けられていた。

「うおっ。何かあったのかねキミは?」

「なーんにも。前から興味があっただけ」

「いつからスパーしてたの?」

「まだ一度もスパーしてないよ。正確に言うとするか迷ってた。封が開いてるのは一本取って匂いだけ嗅いでたから」

「え?」と愛海と声が重なる。一本だけ匂いを嗅ぐって……なんだそりゃ?

「火付ける前の煙草っていい匂いするんだよ? 知らない?」

 聞けば真帆は小さい頃に何度も父親のを拝借しては火のついていない煙草の匂いを楽しんでいたらしい。どれどれと私も愛海も一本拝借する。

「――ほんとだ。確かにいい香りする」

「ラムの香りなんだって」

「へー、火付ける前はこんないい匂いするんだ――ってかよく買えたね」

「とある情報を頼りに尋ねたお店で買った。何事もなく買えたよ」

「煙草ってたくさん種類あるけど、これにしたのはなんで?」

「お父さんのと同じやつにした。まあそんなこといいから早く行こうよ」

 そう言って真帆は先へ行ったので、私達も後に続き少しだけ坂になった道を進んでいく。そして森を抜け、開けた場所へと出た。

「おお」と、愛海が声を出す。

 森を抜けた先に高台が見える。ここから一本道となっている高台までの距離は100メートルほどといったところだ。

「いい景色だね」

 高台の周囲は柵で囲まれているだけでベンチもなにもない。近づいて柵から先にある遠くの景色を見る。上から順に空、山、町、河川の風景が見渡せた。真下は河川敷に沿った道路があるくらいだ。時間帯のせいか車はあまり走っていない。

「公園の裏手って河川敷だったんだね」

「それぐらいでなんにもないところだよ」

「真帆はよくここへ来るんだ?」

「たまにだけどね。今日みたいに風がなくて一人になりたいなーってときとか」

 煙草といい今日は真帆の意外な一面を知る。家族と仲の良い彼女が一人になりたいときがあるとは思わなかった。

「――ここなら誰も来なさそうだね」と愛海。

「私達が来た方向からしか人は来れないから、私達があそこで見張っていれば邪魔は入んないと思うよ」

「そうだね」と真帆が指差した森の方を見る。そしてもう一度愛海は周囲をよく見て確認していた。ここに着いてからというものの真面目な顔をしている。

「……」

 ま、そりゃそうだよね。

 ここまで来たんだ。ちゃんと最後までハッキリと伝えたいだろう。告白の邪魔になるようなものがないか入念にチェックしとかないと、全てが台無しになってしまう。

「よし決めた。ここにする」

「え? もう決めるの?」

 園内全体を見て回るとか言ってたのに。

「うん。ここがいい。ここにする」

 ふんっと鼻息を鳴らす。決意は固いようだ。

「なんか住むところ決めたみたいだね」と真帆。「確かに」と愛海は笑う。真剣な顔から、今度は晴れやかな顔つきとなる。後はもうそのときを迎えるだけだといったような、そんな表情かおだった。

「……」

 ……愛海は変わった。

 夏休み前、綾を前にすると赤い顔をして慌てていたのは誰だったのだろうかと、そう思えてしまうほどに今の愛海は別人だ。

 綾の前でもいつも通りにしていられるし、告白を目前に控えても落ち着きがある。ずっと前に進み続けた彼女は三年前と大きく違っている。当日もこんな晴れやかな顔をして綾の前に立つのだろう。

 そうなればもう、私は遠いところから彼女を見守ることしかできない。

「……」


 そのとき――ちゃんとしてられる?


 頭の中に響いた声に体が固まる。

「――でも中央広場からだと結構距離あるね」

 すぐ近くにいるはずの愛海の声が遠くにあるように感じてくる。これはダメだと心の奥底で自分を叱った。

 そうじゃない。それは必要のないものだ。

 そんなもの振り払って、ちゃんと最後まで見届けろ。


 ――絶対に愛海の邪魔だけはするな!


「二人が遠回りしたからそう感じるだけだよ。広場からなら10分もかかんない」

「じゃあ道憶えないとなー。真帆、もっかい最初から教えてくれない?」

「憶えなくていいよ。当日は私が案内するから」

「お、いいの?」

「もちろん。私もちゃんと見届けたいしねー」

「おーありがとう。お礼に今度『んまい棒』一本だけ奢るよ」

「ハーゲンマッツの抹茶味楽しみー。やったー」と真帆がはしゃいだので「ひゃほー!」と私も便乗する。急に高らかに声を出したせいか、二人は少し驚いていた。

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