第18話(綾編)


 学校から真っ直ぐ家に帰らず、陽菜と寄り道をしている。

 場所はいつも別れる所からちょっと歩いたところにある公園。

 私から誘って陽菜は二つ返事でオーケーしてくれた。

 最近、お父さんは早く家に帰ってくれるようになったけれど、今日は帰りが遅くなると先ほど連絡があった。誰もいない家に帰る気になれず、つい彼女にワガママを言ってしまう。

 公園内はいつもならまだ子供がいる時間帯なのに不思議と誰もいない。陽菜はブランコに乗って、私はブランコの前にある柵に腰をおろして彼女と向かい合っている。当初は近くにある屋根付きのベンチに座ろうとしたけど、陽菜がなぜか嫌がった。

 引っ掛かったけどなぜとは尋ねなかった。言いたくないことなんだと思う。余計な詮索はしないで彼女とのおしゃべりに集中した。

 話題はそれなりにあった。今日の古文の授業中みんなとても眠たそうにしていたことや有名なアイドルグループが突然解散したニュース。修学旅行の話など小さいものから大きいものまで思いつくものは全て出した。

 そして時間はあっという間に流れ、辺りは暗くなっていく。

 空を見上げると夕日は山に入る手前ぐらいの位置まで落ちていた。オレンジ色の光がまるで山から逃げるかのようにして私の目に吸い込まれていく。

 そう夕日を目で追ったせいで会話は途切れてしまった。途切れる前に何の話をしていたのかさえ思い出せず、口は閉じたままになる。

「……」

「……」

 投げる言葉が見つからない私達。互いに少し俯く。

 落ちた日に照らされた地面が視界に映る。オレンジを一面に塗ったところへ柵の影を引っ張って伸ばしている。その一端を踏む自分の靴のつま先を見ていると、キィ、キィとブランコを揺らす音が鳴っていることに気づく。

 耳障りではない静かなそれをほったらかしにしたまま、何も話さずに過ごしているとスマホが鳴った。陽菜のだ。

「郁美からだ」と陽菜が画面をこっちに見せる。


『祝! 初ホームラン!』


 そんなタイトルと一緒に送られた動画。あのバッティングセンターでバットを持つ愛海の後ろ姿が見える。私もマナーモードにしていたスマホを開けて確認する。同じものが送られていた。

「ついにやったみたいだね」と、ブランコから離れた陽菜は私の隣に座ると動画を再生して私にも見えるように持ってきた。自分のスマホを閉じて彼女に寄り添う。二人で覗いた小さな画面の中で愛海が動いている。

「……」

 軽々とバットを振って、音を立てて球を空に飛ばす彼女。

 吸い込まれるように的に飛んで行った球。

 それを見ながら初めて一緒に行ったときの愛海を思い返す。

 記憶の中にある以前の彼女とは別人だ。闇雲に振っていた彼女のスイングはもうどこにもなく、落ち着きのある綺麗なスイングを見せている。

「――野球のことはよくわかんないけど、スイングが綺麗だね」

「うん」と、言いながら画面の中で喜ぶ愛海の顔を見つめる。

 あっという間に先に進んで行った彼女の笑顔。

 私はそれを、じっと止まったまま見つめていた。



「それじゃあ」

「また明日ね」

 陽菜と別れ、残り少ない家路を歩く。

 日が落ちると風はなくとも大分冷え込むようになった。少し前まであったはずの夏の匂いは完全に消えている。心を弾ませるようなあの香りと違い、今のこの澄んだ空気には肌寒さを与えると供にどこか物悲しさを感じさせるものがある。

 家に着いて玄関のドアを開けると、私を待ち構えていた静寂が包んでくる。

「……」

 誰もいない家に上がらず、靴を履いたまま俯く。閉めたドアにもたれかかって、頭の中で先ほどの動画を思い返していた。

 前に進む為。自分を直す為。最後まで突き進もうとする愛海の後ろ姿。

 見せてくれたホームラン。辿り着いたひとつのゴール。

 そんな愛海を私は……足を止めたまま見ていた。

 愛海は次のゴールへと向かっている。

 きっともう……すぐ近くまで来ている。

 私は……。

 私は何をしていた?

 どれくらい進んだ? 彼女に向かってどれくらい歩み寄った?

 私に時間はどれほどあった?

 決意して動いてから何をしていた?

 いつまで……いつまで捕まったままでいるの?


『おかえりなさい』


 疑問が頭の中で飛び交う中、私を出迎える幻の声が耳に入る。

「……」

 ゆっくりと、顔を上げて私を見下ろす影を見る。

 影は小首を傾げて嗤っていた。

 いつも見ないようにしていた不快な顔。

 話しかければ引き込まれてしまうと思い込んで、ずっと無視していた影。


「ねえ――」


 それに向かって、自ら声を掛ける。

 見つめた影は歪んだ顔をこちらへ向け続ける。


「――どうしたら……あなたは消えてくれるのかな?」


 影は何も答えないし私を引き込むこともしない。

 私によく似た顔に不快で汚らしい絵の具を付け、こちらへ見せつけるだけだった。

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