第20話(志穂編 後編)
真帆と別れ、私達は中心街の方へと向かった。愛海がお菓子もっと買うと言い出したのでモンキー・ホーレであれやこれやと買い揃えた。
パンパンに詰まったリュックを背負う愛海を後ろに乗せ、愛海の家へと向かってバイクを走らせる。
その途中、赤信号で停止しているときに愛海から突然肩を叩かれた。
「――バッティングセンター寄ってもらってもいい?」
一回だけやりたいと言い出した。丁度前を通るのでいいよと返事する。急にどうしたのだろうか?
「――旅行前に
「もう来ないかと思ってたわ」と砂羽さんは嬉しそうな顔をする。志穂も一回ぐらいやってけよーと言ったと同時に遠くで電話が鳴った。
「はいはい今いくー」と言いながら砂羽さんはのんびりと歩いて店の奥へと消えていった。
そうしてポツンと静かになって気づく。周囲には私達以外に誰もいない。
「――貸し切り状態だね」
「うん」
「マイバットじゃないけどいいの?」
「いいよ。仕方ない」
愛海は体を伸ばした後に2、3回ほど軽く素振りをしてからコインを入れた。誰もいないせいか以前と違って機械の音がよく聴こえてくる。
ネット越しに見つめた彼女の背中に余計なお喋りはない。
無言で身構えている。
「……」
愛海は以前のように変な掛け声を出すこともなく、黙ったまま飛び出たボールに向かってタイミングよくバットを当てる。マイバットじゃなくても一球目から綺麗な球を飛ばした。ホームランではないけれど、ホームラン並みに軽々とかっ飛ばす。
「……」
実に簡単に、サラッと球を打ち上げる。
驚きを超え、吸い込まれていた私は声を上げることも忘れていた。
それくらい呆然と見惚れていた。
そして胸の奥に嫌な感覚が走っていく。
大事な物を無くしてしまったような喪失感。
その意味もわからぬまま愛海の背中を見つめる。
二球目、三球目と同じように飛ばしていく彼女は私の存在など忘れてしまったかのように集中している。
そうしてノーミスで九球目まで打ち続けた後だった。
「――あ」と、声を出した愛海の動きが止まる。じーっと見つめる愛海の視線の先。球を出す機械が少し大人しくなる。十球目が出てこなかった。
「故障?」
「ううん。偶にあるんだよ」と、構えを解いた愛海はそのまま真っ直ぐに機械の方を見る。
「こういうときはちょっと待つしかないんだよね」
でも機械は球を出す気配を見せない。
「……」
「……」
そうして僅かな沈黙を挟んだ後に「――志穂」と私を呼ぶ彼女の声を聞く。
小さかったはずなのにハッキリとそれは耳に届く。
「ん?」
「私――もう絶対逃げないからね」
瞬間。時が止まったかのように音がなくなる。
……。
…………。
………………。
「うん……」
止まってしまった静寂を小さな声で割る。
大分返事が遅れてしまうほどに、彼女の声に動きが止められていた。
さよならを……言われたような気がしたのだ。
「ちゃんと見ててね」と前を見続ける愛海。
それに向かって、また遅れてしまわないようにと声を絞り出す。
「ちゃんと最後まで見るよ――」
押せば崩れてしまいそうなほどの声だと自分でも思った。
彼女の小さな背中が遠く感じてくる。
自分の声が届かないような気がして、だから――と今度は大きめの声を投げる。
「――」
けれどそこから先の言葉が上手く出せない。
目に見えない何かが言うことを押し留めようとしている。
「――だから!」
でもそれを無理矢理にでも振り払う。
もう一度、今度は時間を掛けてでも必死に声を引っ張り出して伝える。
「――だから、どんなに怖くても絶対……絶対逃げるな」
最後の声は震えていた。
でも愛海はそれに気づくこともなく、振り返ることもなく、ずっと前を見続ける。
「――もう怖くなんかないよ」
声が返ってきた瞬間だった。
タイミングを合わせたかのように機械が音を出して動き始める。
「少しも怖くなんかない」
静かだけど力強い声。
それを試すかのようにして機械は球を出す動きと音を立てる。
グッと脇を締め、左足を浮かして愛海は構える。
彼女の背中を見ながら私は……きっと打てないと予想してしまう。
でも愛海はそれを悠然と容易く裏切る。
一瞬の間の中で見えるバットを振る愛海の姿。
飛び込んできた球を正確に捉え、追い払うように空に向かって弾き飛ばす。
「……」
そうして周囲の雑音を真っ直ぐに切り払う。
「もうなにも怖くなんかないよ――」
静寂の中でもう一度、自分自身に言い聞かせるかのように言っている。
「――志穂がいてくれるからさ」
穏やかになった声は綺麗な球を出したことに一度も酔いしれることはなかった。
「志穂だけじゃない。郁美も真帆もいる。陽菜だってきっと見守ってくれてる」
「……」
続く球も愛海は少しも揺れない。
「――だから怖いなんて思うことがない」
自分の左手が丸くなって震えている。
わかった瞬間鼻先がツーンとなる。
右手は私と彼女の間を遮るネットを掴んでいた。
「志穂。私ね……綾に全部を打ち明けた後にさ――」
ラスト一球。
それも迷いなく綺麗に捌き飛ばす。ホームランと音声が流れた。
「――絶対、強がると思うんだ」
全てを打ち終わり、構えを解いた愛海は動かなくなった機械を見つめている。
コンと音を立てて、バットの先端が地面へと落ちた。
「違う――思うんだじゃなくて、絶対そうする」
ポツリ、ポツリと響く声。
「どうってことないよ。スッキリした。私……全然平気だよって、そう強がるんだ」
その度に震えた瞳がジワリと熱くなっていく。
「そんな私にね……志穂は絶対こう言ってくれるんだ――」
「……」
「――よくやったねって」
……。
…………。
………………うん。
「よく頑張ったねって、志穂はいつもの明るくて元気な声で私を励ましてくれるんだ」
そうだね。
……私なら絶対。絶対そう言う。
「わかってる。志穂がそう言って励ましてくれるって。だから私……逃げずに立ち向かえる。だからなにも怖いものなんてない」
嘘や強がりなんかじゃない。
その証拠に……私と違って愛海の声は少しも震えない。
「だからさ――」
これから彼女はこちらを向く。
「――そのときはいっぱい褒めてね」
精一杯の笑顔を私に向ける為に。
「志穂がいてくれるから、そうしてくれるってわかってるから、もう逃げずに立ち向かえるんだ」
やっぱりと、こっちを振り返って微笑む愛海の顔を見る。
あの朝焼けの中で見せた決意のように。
世界で一番美しい
そんな彼女に……私は悪いことをしてしまう。
「――え!? ちょっと……どうしたの!?」
ほら、驚いて慌ててる。
流れた瞬間から、隠さなきゃって思ってたのに。
機転の利かない自分を本当に情けなく思った。
心配させるからどうにかしないとって……気づかれる前にどっかへ逃げないとって考えてたのに……。
でも体が震えて、固まって顔を伏せることすらできなくなってしまった。
「大丈夫?」と愛海が駆け寄ってくる。ネット越しにおろおろと狼狽した顔で私を見る。ヤバイ、何か言わないと。
「ち、違う違う……なんか、えっとさ……成長したなって思ってさ……」
「えぇ?」と、愛海はキョトンとした顔。
「あ、あんなに恋愛でダメダメだった愛海がさ……こんなに強くなるから……それでなんか、感極まっちゃって……」
咄嗟に出た言葉。ええぇ!? と、驚く愛海の顔。
「な、なにそれ? そんなことで泣かないでよ! お母さんかよ」
「アッハハハ。ごめんごめん」と、笑って誤魔化すしかもうできることはない。涙はまだ止まることなく流れる。本当に困った。
「なんか……成長した雛鳥を……見てるっていうかなんというか……」
「何言ってんの。言っとくけど私の方が料理できるし、志穂より女子力高いんだからね」
ああ、だめだ。まだ本気で心配してる。不安にさせちゃってる。
ほんと……なにやってんのよ私。
ほら、愛海が困ってんじゃん。
「アハハ。ほんとだ。そうだね」
そう言いながらまだ出て来る涙を拭う。
できるだけ彼女を安心させてやる為にも笑った。もうそれしかできることはない。
「まったく志穂は――」と今度はプリプリと怒る。そしてこっちに来てハンカチを出すと「ほら、こっち向いて」と、カカトを上げた。
「志穂が泣いたのなんて小学生以来だからびっくりしたよ。しかもそんな理由で泣くから倍驚いた」
そう言いながら、私の涙を拭く。
態勢がキツそうなので少しかがんであげた。
私の方がおっきいのに、彼女の方がお母さんみたいだ。
そうして、愛海は私が吐いた嘘を信じた。
……。
……違うよ。
本当はそうじゃないんだよ……。違うんだよ愛海。
本当はね――悔しいんだ。
小さい頃からずっと私を支えてくれて。
ちゃんと私のことを見てくれて。
私を信じて頼ってくれる愛海が……。
ずっと……ずっと私と一緒に歩いてくれたあなたの選んだ相手が――。
私じゃなかったことが……すごく悔しいんだよ。
ずっと抑え込んでたけど、もう無理だった。
溢れて、止まらなくなっちゃった。
ごめん愛海。
大事な告白前なのに……こんなの見せちゃって。
驚いたよね……ごめんね。
……。
………………。
好きになっちゃって……本当にごめん。
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