第14話(真帆編)


 休日の午前に一人で街を歩くなんてのはいつ振りだろうか。

 以前はいつだったか記憶にない。

 中学の頃かそれよりも前なのか、それすらも憶えていない。

 お父さんに似ないインドアなせいか、休日は天気が良くても悪くても予定がなければ基本は家で一日過ごす。誰かに誘われない限り外に出ることなんてほぼない。

 そんな私が外に出て街にいる。

 欲しい物があって一人で外出している。

 志穂みたいに快晴の空に心を弾ませ、あてもなく家を出てバイクでブオオオみたい流れではない。例え今日が雨だったとしても出掛けている。

 中心街の駅から歩いて10分ほどにある目的地へと徒歩で向かった。欲しい物は近所のコンビニにもあるけれど、そこでは買えないのでワザワザ遠出している。

 辿り着いた先、見上げた一階建ての小さなショップの前には立札が置いてある。小さな黒板を取り付けたそれには聞いたことのない商品名が現在品切れですと、ピンク色のチョークで書かれてある。

 欲しいものはそれではなかった。

 スマホの時計を確認する。営業開始時刻から五分が経過していた。

 丁度いい。

 サッと入ってサッと帰ろうと、意を決してドアを開ける。

 ――うわっ。

 ドアの向こうで待ちかまえていたのは室内に充満する煙だった。

 一瞬ボヤでも起こったのかと錯覚してしまうほどのそれはボヤではなく、入ってすぐ横にあるカウンター奥にいる女性の口から吐き出た煙だった。

 茶色の棒を咥えたままこちらを見る女性と目が合う。口や鼻につけた銀のピアスに金髪。そして黒っぽい服装といかにもバンド活動してますって感じだ。

 店主ではなくアルバイトだろう。換気扇の音が回る中、女性は「いらっしゃいませー」と、見た目の印象にあった声を出す。

 愛想がないわけでもあるわけでもないその声と私を見てフフッと軽く笑った表情。見透かしたそれに物怖じしそうになるが、負けずに堪える。

 カウンターはジュエリーショップにあるような透明なショーケースを大きい物と小さい物をL字型に繋げて並べている。入口に近い方の端には色あせたレジが置かれてあった。

 ケース内には女性が口に咥えていたものと同じようなものが値段を添えて並べてある。

「――なにかお探しで?」

 ケースの中をじっと見ていた私に尋ねる。

 しまった。初めて入ったせいかつい色々と見てしまう。

 さっさと出ようと目的の物を言う。

「おひとつで?」

 コクリと頷くと女性は背後にある棚から手のひらサイズの箱をひとつ取ってカウンターへ置いた。

 金額を言われ、予めピッタリに用意してあったお金をカルトンに置く。

「丁度ですねー」

 透明のビニールに包まれた小さな箱を手にすると掴んだ瞬間フニッとした感触がした。

 ヒヤヒヤしたけど女性は黙ってお金を受け取る。クラスの子から聞いた通りだ。

「ありがとうございましたー」

 レジにお金を入れた女性はまた茶色い棒に手をつける。代金のやり取りさえ済ませると、もう接客態度は消えていた。その方がありがたいと黙って外に出る。

 早足で店からある程度離れると周囲を警戒する。誰にも見られてはいないはず。

 ――ついに買えた。

 ホッとする。そしてかばんの奥底にしまったそれを再確認するように覗き込んだ。間違いなくある。店を出た途端に葉っぱになるというまんがにほん昔話的なことになることはない。

 ――問題は場所か。

 街中は無理だし家の中は匂いの問題がある。家族には絶対にバレるわけにはいかない。

 やっぱり外しかないか。

 ふと、頭の片隅で欲羽山公園のことが浮かんだが、とりあえず今日は買うことが目的だったので次のことは後でゆっくり考えることにした。

 それよりもこれからどうするかを考えよう。

 午前中は友達と遊ぶと言って朝早くから家を出てしまった以上、後2、3時間くらいは潰さないと。

 とりあえず適当に歩くか。

 行ってみたい場所はあるにはあるけれど、年齢制限があるのでどこもまだ入れない。

 っていっても、後一年ちょっとだけどね。

 とりあえずその場所へと向かって歩く。

 もちろん入るわけではないので玄関口を覗き込む程度の位置までしか近づかない。ここからでは開いた自動ドアから漏れる音で店内の騒がしさがわかる程度だった。

 あと一年ちょっとなら、今入っても同じような気がするけど。

 入るか、と思いそうになるけれどやっぱりやめとく。バッグの中にはアレも入っている。店員に追い出されるだけならまだしも、通報でもされたら大目玉だ。

 子供らしくゲームセンターにでも行こう。

 普段は家でネット麻雀ばかりやっているけれど、ゲームセンターの有名なアレはまだ利用したことがない。家のパソコンとスマホのアプリでしかやったことないからゲームセンターでもやってみたいとは思っていた。

 いい機会だ――と思ったけど、やっぱりそっちもやめておく。一人であそこのゲームセンターへは行かない方がいい。

 中三の頃の話だが、私と郁美がそこで高校生くらいの男の子二人組からナンパされたことがあった。


『――悪いけど無理』


 郁美がそうキッパリと言って断ると、ごめんねと手を合わせ男の子達はあっさりと引き下がった。

 別にそのときのことがトラウマになったわけではない。

 そもそもああいう場所だと周囲には人も多いし、一言嫌だとはっきり言えばそれ以上のことは起こらないから怖がることなんてないのだ。

 それでもまた遭遇するのはウンザリだけどね。

 他の女の子だったら嬉しいことなのだろう。クラスメイトから男の子にナンパされたという話を耳にしたことは何度もある。どれも嫌そうに話してはいるけれど、本気で嫌がっている感じはしない。

 彼女達のほとんどは本当のところそれなりの出会いを求めている。単に声を掛けて来た男の子が彼女達好みのイケメンじゃなかっただけだ。

 私と郁美は完全に逆だ。

 イケメンだろうとなんだろうと出会いなんか少しも求めているタイプではない。

 他の女の子だったらキャーキャー言って飛びつくような話題にも昔から関心がなかった。


『あのさ真帆』


 ふと、中学の頃のことを思い出していた。

 郁美と二人で男子に興味ない的な話をしていたときのことだった。


『もし18になってもお互い誰にも恋しなかったらさ――』


 あのとき、二人である約束をした。

 私はハッキリと憶えている。

 でも郁美がそのときのことを憶えているかどうかはわからない。あれから郁美がそれに触れてくるようなことは一度もなかった。

 私もそうしようとは思わない。

 そう簡単に口にできるほど軽い話ではなかったのだ。

 今思うと、あれは本気だったのだろうかと疑ってしまう。

 別に嫌じゃなかったから約束はしたけれど、実際本当にそうなったらどうすればいいのだろうか。

「……」

 まあ、そのことは今はいいか。

 恋といえば愛海。今一番大事なのはそっちだ。

 もう少しで、彼女の恋の決着が着く。

 そこで終わるか、それともその先へと続くか。

 告白の決意を示してからもう大分経つというに、愛海はその先を何も言ってこない。

 修学旅行までもう一か月を切っているが愛海の準備はもうできているのだろうか?

 ……なんか不安だな。



 適当に街をブラブラしていると映画館の前を通った。そこにも入り口前に立札が置いてあるので覗いてみる。なんとレディースデイで千円。

 グッドタイミング。

 普段はツイてないのに今日はツイてるので迷わず入る。映画なんて誰かに誘われでもしない限り行かない。せっかくだし人生初のぼっち映画に挑戦してみる。

 これから上映される映画一覧を見てみると、丁度愛海が観たいと言っていたキンニクランド・サガが始まる10分前だった。

 これにしよ。

 ついでにチェロスも買っちゃうことにした。郁美と映画館に行く際、彼女は必ず烏龍茶とセットでそれを頼む。本人曰くその組み合わせがたまらないらしい。

 なので私も真似してみることにした。おかげで割引きデーでも映画館で二千円以上も使ってしまうわけだけど、偶には贅沢もいい。

 ……郁美ってやっぱボンボンだよね。

 売店の列の最後尾へと並んで、シナモンとココアのどっちにするかと考えていたそのときだった。


「――落としましたよ」


 男の声がした。

 周囲にあったはずの雑音を切ったように、その声だけが私に通る。

 思わず顔がそっちの方へ向く。少し遠くから届いた声であったものは、私に向けられたものではなかった。

「――あれ?」と、その光景を見て思わず声が出る。

 驚くべきことに綾がいた。

 綾ともう一人……誰だろう。知らない男がいる。

 男は大学生といった感じ。

 横顔からでもわかるその外見は簡単に言えば爽やか系イケメン。

 そんな男の人と綾が一緒にいる。

 男は綾に向かって手に持っている何かを差し出しながら笑顔を向けていた。

「……」

 見ていて思った。行った方がいい。

 ほんの少し目にしただけだったが、すぐに気づいて足を動かす。そして歩きながら感じてくる。嫌な空気が流れている。

 若干焦っていたせいであまり考えることなく綾のところへと近づいた。

 自分でも不自然丸出しだろうなと思いながらも「りんちゃん!」と綾に声を掛ける。

「ごめんね遅れて」と、やや大きめな声。

 正直、白々しくて恥ずかしい。

 でもそんなこと気にしてる場合じゃないと、思ったよりも長身の爽やかイケメンを見上げる。

「誰?」と、白々しいセリフを続けながら男と顔を合わせた途端、やっぱりと思った。

 笑顔を張り付けている男の顔に小さな敵意を見つける。

 顔面に邪魔すんなよという文字が浮かび上がっているのがわかる。

 だから私も顔に文字を浮かばせて男と視線を合わせ続ける。男の目には私の顔にこんな文字が浮かんでいるだろう。邪魔してるんだよ、と。

「すいません。ありがとうございます!」と、綾は少し大きな声を出すと私と男の間に割って入った。そして男から紙切れをさっと受け取って頭を下げる。

「……いいえ」と、そそくさと去って行く男。後ろ姿は静かに離れていくけれど、周囲の注目を浴びているので本当は走って行きたい気分だろう。

「真帆、ごめんね」

「いいの。それより大丈夫?」

「うん、ありがとう」と礼を言う彼女の手を見る。手に持っているのは二つ折りの紙切れだった。それは彼女が落としたものではなくて、男が予め用意したものだろう。

 綾はその紙切れを摘まんで持っていた。

 まるで汚物にでも触れているかのようなその手つき。そして、ありがとうと私に微笑んでいた彼女の顔。

「――今日は一人?」

 なるべく気にしない風を装って言うが、男が消えた後でもまだ嫌な空気は濃く残っているのがわかる。

「うん。偶には映画でも観に行こうかなと思って」と、彼女は近くにあったゴミ箱に紙切れを捨てた。中を開けることすらしなかった。

「一人で?」

「うん」と答える彼女の表情。いつも通りに見えるけれど……でも違っている。

 そもそもなぜ彼女は一人でいるのだろうか?

 記憶を振り返ってみても、今までに彼女が単独行動をしているのを見た記憶はない。陽菜とセットでいることが当たり前のように思っていた。

「私も今日は一人なんだけど、何観るの?」

「キンニクランドサガ」

「あ、グッドタイミング」

 たった今買ったばかりのチケットを見せる。すると彼女は見てわかるくらいに顔を輝かせた。

「一緒に観てもいい?」と本当に嬉しそうな顔をする彼女に言われ、一瞬ドキッとする。

「もちろんいいよ」と即答。断るつもりなんてなかったけど、そんな顔をされてしまえば誰も断らない。

 ちょっとびっくりしちゃったな。

 先ほどの嫌な空気はなんだったのだろうかと思う。

「席の場所教えて」

「うん。じゃあ一緒に行こう」

 私が取った席の隣の席を取るため、もう一度綾と一緒にチケット売り場へと並ぶ。

 とんだ偶然から綾と映画を観ることになった。

 ……愛海になんて説明しようか。



 映画館から出ると思わず振り返る。ビルの真上から太い線を描くようにして垂れるキンニクランドサガの垂れ幕を見つめた。

 ……すっごいおもしろかった。

 なんでもっと早く観に行かなかったんだろうと、インドアな自分を呪う。偶然とはいえ街を散策してよかった。

 綾はトイレに行っている。一緒に帰ることになったので映画館の前で待つことになった。

 映画観る前にも行ってたけどお腹でも痛いのだろうか?

 しかし出てきた彼女の顔はそんな風には見えない。そして「あ、ちょっと待ってて。ラインしないと」と綾は思い出したようにスマホを操作する。

「――家の人?」

「陽菜。真帆と一緒に映画観てたって送ってる」

「へー」

 まずい。それから愛海に伝わりそうだ。怒りと嫉妬で暴れられる前に愛海に連絡した方がいいかもしれない。

「ってか休日でもラインするんだね」

「うん。最近は多くなった。家にいるときとかは一日中してることが多いよ」

 なるほど。同じ仲良いでも全然違うな。

 私と郁美はあまり連絡を取り合う方ではない。休日にお互い家にいるときにラインするとしたら、大概五通以内で終わる。

 四六時中と言っていいほどライブ機能を使っておしゃべりしている女の子もいるけど、私達には真似できない。

「ごめんね」とスマホを仕舞う綾。

「全然いいよ」

 私も綾もお互いにやることはないので家に帰ることになった。話しながら並んで駅へと向かう。

 その途中でふと、彼女の横顔を見る。

 つい見てしまったせいか、私の視線に気づいてこちらに顔を向ける綾。

「どうかした?」と微笑む彼女。

「いや、二人でこうして歩くのって初めてだなと思って」

 咄嗟に思ってもいなかったことを出す。

「あーそういえばそうだね」

 でも嘘ではない。小中高と一緒だった彼女とは何度か接したことはあったけれど、遊ぶ機会はあまりなかった。

 それは互いに性格が合わないとか嫌っていたとかそういったわけではなく、単にキッカケがなかっただけだ。もしそれがあれば、きっと綾だけでなく陽菜とも二人きりで遊ぶことはあったと思う。

 考えてみれば小中高と一緒なのに、去年初めて知り合った志穂や愛海以上に私は彼女達のことを知らない。

 綾が一人で映画を観に行くことがあるとか。

 陽菜と頻繁に連絡を取り合っていることとか。

 綾が見せる暗い表情とか……。

「……」

 先ほど、男がどういう理由で声を掛けてきたのか。

 それは知る必要のないことだと思うし、綾も触れられたくはないはずだ。だから綾は先ほど話し掛けてきた男のことを少しも話そうとしなかった。

 これが彼女じゃなくて別の女の子だったとしたら。

 違っていたと思う。得意げになって詳細を語ってくれたに違いない。

 聞けばおそらく答えてはくれる。

 ……でもそうしてはいけないと思った。

 そう思うのはあの男に対して綾が向けたものを見てしまったせいだろう。

 誰がどう見てもわかるあの強い嫌悪感。

 あのマヌケな男は気づかなかったのだろうか?

 自分を優先させているせいで視えなかったのだろうか?

 隣を歩く彼女の横顔を一目見て、愛海の顔を思い浮かべてしまう。

 頭の中で、迷いが渦を巻き始める。

 愛海は綾に……想いを伝えていいのだろうか?

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