第13話(郁美編)


 店内に入って最初に会計カウンターの方に目をやる。

 ――いた。

 目で補足したのはレジに立つまなみんの姿。

 見た瞬間、ムムっと目を細めてしまう。

 バイト中の彼女を初めてみる。

 普段学校での雰囲気と大分違う。

 束ねた髪を後頭部でまとめるというシニョン型にして緑色のエプロンを装備している。清純派というラベルを貼れるほどのその出来栄えはメンズに対してかなりの攻撃力を持っているだろう。

 ――まなみんのくせに。なかなかやるな。

 彼女が夏休みにやっていた本屋の日雇いバイトは日雇いではなくなった。人手不足過ぎて週3か4の正規バイトに格上げされたのである。

 背広姿の男性にお釣りを渡し、接客スマイルを巻き散らすまなみん。

 普段の姿からは想像もつかないその姿に少し驚かされる。あの口から『ぬあー!』なんてセリフが出てくるとは思えない。

 レジに立っている今がチャンスだと、先に目的の本を探しにアウトドアコーナーへと向かう。

 そこで驚く。アウトドアコーナーは随分と本の量が多い。

 他の書店と違ってアウトドア関係に熱を入れているのか。そして地元の人達にもそう知られているからか、周囲には一人でキャンプか釣りするのが趣味ですって感じのおじさん連中がたくさんいる。

 ……なんか知らんが随分と横に太いおっさんが多いな。

 まなみんほどではないが小柄なあたしにはかなりの圧力。周囲の巨漢を押し退けなくていい場所にあればいいけどなと目を光らせると、思ったよりも早く平積みされている場所に目的の雑誌を見つける。

 ……案の定二人の巨漢の間にあるな。

 ちょっとすいませんねーと言いながら男二人の間に割って入り、一冊手に取ってパララットめくる。

「……」

 熱気のこもったプレッシャーが左右から伝わってくる。気のせいか、二人の巨漢はあまり距離を空けて退こうとしなかった。

 いい度胸だな。

 ちょっとしたことでセクハラモラハラパワハラスメハラとかなんとかいうこのご時世に、あたしという現役JK相手にプレッシャーをかけるとは……。

 なかなかの怖いもの知らずだな――と、思うのだがそんなことをしている場合ではない。今のあたしにはやるべきことがあるのでサッと雑誌を一旦元に戻すと、上から三番目にある同じ雑誌を抜き取り、まなみんのいるカウンターへと近づく。

 こちらの存在には気づかずに背中を向けていたまなみんに「これくださぁい!」と声を掛けた。明らかに作った感溢れる幼稚園児みたいな声に背中を向けている今のまなみんはめんどくさい客来たといった顔をしているだろう。しかしくるっと振り返った彼女がこちらへ向けるのは――。

「いらっしゃいませ」と、LEDライトをオンにしたような接客スマイル。お客様は神様仏様ですってのを全面的にさらけ出している。

 そのツラに向かって「よっ」と右手を挙げる。

「やっぱり郁美か。いきなりどした?」

 一瞬で接客スマイルは崩れ、声もいつもの調子となる。この変わりよう。

「これから休憩なんだろ? ちょっと表でろよ」と言いながら雑誌をカウンターへと置く。置かれた本とあたしを交互に見て意外そうな顔をする。

「そうだよ客だよ。早くバーコードあてろ」

 まさか客じゃない理由でカウンターへ来るとでも思っていたのだろうか。まなみんは「お預かりいたします」と言って本を受け取ると、他の人には聴こえないような小さな声を出す。

「表じゃなくて裏でしょ? なんで休憩時間知ってんのよ?」

「志穂に聞いた」

 本にバーコードを当てると、ポピンッと不思議な音がした。変な音だと思ったがまあそんなことどうでもいい。大事なのはこの本のタイトルを彼女がちゃんと見ているかどうかだ。


『初心者でもわかる みんなで楽しむ秋キャンプのコツ』


「キャンプでも行くの?」と言いながらまなみんは雑誌を袋に入れる。

「うん。行きたいんだよねー」

 心の中でみんなと、と付け足す。ふーんと言いながら雑誌の入った袋を丁寧にあたしに手渡す彼女の反応は極めて薄い。

 やはり忘れているか。

 夏休み。婆ちゃんの陰謀によりあたし一人だけがキャンプに参加できなかった。一人行けなかったあたしに同情し、まなみん達は秋にまた行こうと誘ってくれたのでそのときは嬉しくてヒャッハーとはしゃいでいた。

 そして二学期に入り、その日を今か今かと待ちわびていた――が、10月が過ぎたというのに一向にその話は発生する気配がない。

 まなみんの背後にあるカレンダーを見て確認する。間違いなくもう10月。何度見ても10月。誰がどう考えても秋に入った。

 それなのに誰もキャンプの話をしない。あのときの誓いはあたしが見た夢か幻だったのだろうか? いや、そんなことはない。確かにこの目で見た現実。単に周囲のやつらが忘れているだけだ。

 よくよく考えてみれば、メンバーは頼りないやつらばかり。

 アウトドア派だけど物忘れの激しいチンパンジーの志穂。

 おじさんがアウトドア派ではあるものの、本人は冷暖房の効いた家でネット麻雀するのを好むモグラギャンブラーの真帆。

 近い告白の日に備え、色々とセリフを考えたり妄想したりで一人キャーキャーしている目標物ターゲットしか目に入ってこない闘牛のまなみん。

 そんなまなみんの反応であたしは確信する。

 三人共あの日の誓いをきれいサッパリ忘れていると。

 このままでは完全に自然消滅と化す。こちらから切り出さなければと思い、こうしてあたしは一人ずつアクションを起こしているというわけだ。

 最初の一人目はまなみんにした。キャンプ雑誌を買いに行くついでで丁度良かったからという理由である。

 一言スマホで言えばいいのでは? と思うかもしれないが、こいつらはそれだけでは動かない。念入りに一人ずつ攻める必要がある。

「――あれ? 藤沼?」

 しかしそんなあたしの野望に邪魔が入る。まなみんと同じエプロンを装着した女の子が目を丸くしてこっちを見ていた。

「野沢か?」

 中学時代のクラスメイトだった。一目見てすぐにわかった。

「やっぱり藤沼だー。久し振りー」と、嬉しそうに手を振っている彼女とあたしを見比べるまなみん。

「まさかの知り合い?」

「中学三年間ずっと同じクラスだった」と説明する野沢。別の高校に進学した彼女を久々に見るが、見た目の印象は大して変わっていない。

「藤沼はあんまり変わってないな」と野沢も言う。相変わらずチビだなと遠回しに言われているような気がして一瞬イラっとくる。

「――ここじゃあまずいから、とりあえず裏口でね」とまなみんに言われ、一度店を出ると対面にあるコンビニへと入って紙パックのカフェオレとジュースを買ってから戻った。

 裏口へ回るとまなみんが長椅子に座って待っていた。レジに立っていたときと同じエプロン姿。青い秋空の下、日陰に守られた長椅子で大人しく座っている彼女は文学でも嗜みそうに見える。

「――趣味は芥川です」

「は?」

「とか言いそうな雰囲気がした」

「漫画しか読まないよ」

 文学少女ではない漫画少女に向かってジュースを投げ渡す。パッケージに青と赤のりんごが描かれている紙パックを受け取ったまなみんは「あざーす」と礼を言うと、ブスッとストローをさす。

 そこでギィと裏口のドアがいきなり開く。野沢が出てきた。

「私も一緒に休憩する」

「許可もらったの?」

「いいってさ」

 そう言いながら野沢はまなみんの隣に座った。また邪魔しに入るか。せっかくキャンプの話をしようと思ったのに。

「二人で何の話してたの?」

「――秋キャンプはいつがいいかなって話してた」とまなみん。意外なことにさっきの雑誌効果があった。

「紅葉も一緒に見たい」と、あたしは座る場所がないので壁にくっつけるように置いてあるダンボール箱の上に座る。座った感じ中に重い物が入っているのはわかったが、何かはわからない。

「それなら11月後半かな」

「ってことは修学旅行の後か」

「そうなるねー」

 修学旅行。

 その単語を聞くとつい反応してしまう。

 夏休みの終わりにまなみんの決意を聞いたせいか、最近はそれを耳にするだけで頭の中はイコールまなみんの告白日となってしまう。


『――修学旅行で綾に告白する』


 夏休み明けにその決意を聞いてから、もう一か月以上が経つ。

 あれからそれ以降の話をまなみんはしない。志穂だけは詳細を知っているのかと思えば、意外なことに彼女もその後は何も知らされていなかった。修学旅行までもう一か月を切っているが、どうするのだろうか。

 聞くかどうか迷っていると「あ、修学旅行といえば――」と意外な人物がその蓋を開ける。

「――上塚ちゃんってそのとき男子に告白するんだよね?」

 野沢のセリフに驚く。

 男子? え? どういうこと? と、まなみんの方を見ると野沢にバレない程度に口をすぼめていた。漫画のドラ〇もんがよくやるその表情はごまかしのサイン。

 ああ……そういうこと。

「うん。E君に告白するんだ」

 イニシャルかよ。

「そのE君の顔すっごい気になる」

 野沢はそのE君が女の子だとも知らずに本気で信じている。

「郁美はどんな男子か知ってる?」と聞かれ「いや、知らねぇし」ととぼける。知ってるなんて言えば色々聞かれてすっげー面倒なことになるのは目に見えている。

 ――口が裂けても女の子なんて言えません。

 どういう経緯で野沢とこんなやりとりする羽目になったのか知らないけど、厄介なやつと恋バナしてんなぁ……。

 野沢はそういう話が大好きで、言い方を悪くすればそういうのにうるさくてしつこい女子だったのは今でも憶えている。

「――本当に修学旅行のときに告白するの?」

 まなみんの恋に興味津々なご様子らしい。質問は続いた。

 まあ今どきの女の子らしいっちゃらしい(けどめんどい)。まなみんはストローを口に入れながらチラッと野沢の方を見るとうんと頷く。透明のストローからは、パッケージに描かれているような赤色でも青色でもない琥珀色の液体が昇ってくる。

「――そのときがいいなって思った」

 そこで裏口のドアが開くと、メガネを掛けた女性が出て野沢のことを呼んだ。はーいと慌てて中へ入っていく野沢。

 バタンとドアの閉まる音の後、シーンとなったのを見計らい「定番の学校じゃないんだな」と続きをあたしが引き継ぐ。

「学校でするのは嫌かな」

「ご利益あるところの方がいいんじゃないのか? あの水飲み場のところとかさ」

 先月、うちのクラスの子がそこで男子に告られた。有名な告白スポットらしいのだが、あたしは最近になってようやくそのことを知った。

「そういう場所って男女だんじょ限定のご利益でしょ? 私ら女女じょじょだからさー」

 女女と言われて一瞬何のことかわからなかった。

「漫画のタイトルが浮かんだぞ」

「昨日それ読んでた」

「また店長さんから借りたの?」

「うん。第一部だけ読んだ」

 さっき野沢を呼んだ人だ。漫画熱がすごい人だと聞いていたけど、イメージしていたのとは違って大人しくて真面目そうな印象だった。

 最近のまなみんはその店長さんからいろんな漫画を借りて読んでいる。店長さんはどんなジャンルでも分け隔てなく読むせいか、家の中には大量の漫画が至る所に積み上げてあるらしい。

「話し戻すけど、旅行中に告白とかそんなタイミングあるのか?」

 そんな時間があるようには思えない。自由行動はあるけど、そのときも同じ班の人と行動しなければならないから無理な気がする。綾は班どころかクラスも違った。

「正確に言うと旅行中じゃなくて、最終日の解散の後」

 言われて記憶を振り返る。

 数年前、当時国木の生徒だったちーちゃんを迎えに行った場所だ。

「――欲羽山ほしはやま公園?」

「うん。そこ」

「あーあそこかー」

 国木の修学旅行の最後はそこで解散するというのが恒例だった。

 欲羽山は県内一の広さを持つでかい公園だ。

 名前に山という文字が入っていて山っぽい場所ではあるけれど山ではない。市街地から車で10分ほどの場所にある緑いっぱいの静かな公園。告白の場所として選ぶのは中々いい選択肢ではある。

「確かにあそこなら大丈夫そうだな。人気のない場所なんてたくさんあると思うし」

「うん。来週下見に行くつもりなんだ」

 ――下見?

「え? 下見って告白する場所の?」

「そうだけど?」

「それ必要?」

「必要だよ。絶対見られるわけにはいかないからさ」

 女女なせいか、随分と慎重になっている。それならと記憶にある絶好のスポットを紹介してやることにした。

「じゃあ秘密基地を紹介してやろう」

「秘密基地?」

「小学生の頃にあたしと真帆がよく遊んでた場所なんだ」

 今でもはっきりと記憶にあるその場所を教えてやる。最後にそこへ行ったのは小学生の頃の話だけど。

「なるほど。良さげだったらそこにしようかな」とズーズズズとストローを鳴らすまなみん。

 そこで足音が聴こえ、あたし達は一斉に口を閉ざす。ドンっと衝撃音の後にドアが開いた。

「待たせてごめん」

 待っていないやつが帰ってきた。

 あたしと違っておかえりーとまなみんは普通に迎える。

 それから残りの休憩時間は全て野沢の追及ばかりとなった。



 まなみん達と別れ、本屋の駐輪場に停めてあった自転車に跨る。

 帰るかとペダルを漕ぎ、サーっと静かな風を切りながら進んで河川敷へと辿り着く。ここからしばらくは河を横に上流に向かって真っ直ぐ進む。あたしの家は河川敷沿いにあるので帰り道がわかりやすい。

 土手に上がり横を流れる河を見下ろす。いつにもまして青い河を見た後、ふと空を見上げた。

「……」

 ペダルを漕ぐ足が止まり、自転車に跨ったままのポーズでそれを見上げる。朝から青いそれは午後になっても褪せることがなかった。

 ぼんやりとそれを見上げていると、


『思ったんだけどさ――』


 野沢が最後にまなみんにした質問を思い出していた。

「――修学旅行に告るのって危険じゃない?」

 その質問に意味がわからず、あたしとまなみんはきょとんとしていた。

「え? どうして?」とまなみん。

「だってさ、フラれたらせっかくの修学旅行が最悪な思い出になるじゃん」

 おいおいと、あたしは野沢の顔を見た。

 やめてくれよ。

 イラっとしてそれを口に出して言おうとする。

 でもそれよりも先にまなみんの回答が出た。

「それはないかな」

 捌くような声と彼女の表情かお

「どうして?」

「だって何も言わない方が絶対嫌な思い出になるからさ」

 それを聞いて野沢は少し圧倒されたようだ。少しだけ言葉に詰まって、

「へぇー、言うねー」

 まなみんを見つめながら少し笑っていた。

「ふふふ」とはにかんだまなみん。

 そんなこと少しも気にならない。

 顔がそう言っているように思えた。



 本当は、こわいんだろうなと思った。

 女の子が女の子に告白するんだ。こわくないわけがない……こわいに決まってる。

 でもそれを笑顔と強い言葉でずっと退けてきた。誰に何を言われても、ずっとそうやってその気持ちを色褪せさせずに持ち続けた。

「……」

 見上げた空。彼女の意志。

 間違いなく、まなみんはゴールまで辿り着くだろう。

 それほど彼女の意志は固い。

 それに比べて――。

 あのチンパンジーはどうすんのかなと、まなみんを前にしておかしくなってしまうアイツのことを考える。

 中途半端で妙な動きばっかりしてるけど、本当に何もしないのだろうか?

 余計なお節介だからあたしも真帆も何も言わずに見守るようにはしたいけど、アイツには後悔はしてほしくないとは思っている。

「――あれ?」

 そして修学旅行ということであることに気づく。

 今気づいたけどアイツ風呂とかどーすんだ? 班も部屋もまなみんと一緒だよな?

 ……入れるのか? 好きな子と風呂に?

 アイツのことだから何も考えてなさそうだ。前日くらいになって気づいてフリーズしてしまうような気がする。

 これは真帆と対策を立ててあげた方がいいかもしれない。

 いろいろと大変なことになるなと思いながら、自転車を漕いで帰り道を走る。

 そしてまた、ふと空を見上げる。

 こっちの頭はごちゃごちゃとしているのに、空は雲一つない青さだった。

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