第34.5話(志穂編)


 パチッと目を開ける。

 視界の真ん中にあるのは和室の天井で、端には電灯がぶら下がっている。暗闇に慣れた目でこれを見つめるのは今日で何度目かわからない。

 違うなぁと、すぐにまた目を閉じる。

 ――あのときか?

 普段はゆっくりと動く頭をフル稼働させ、闇の中で記憶を再生させる。

 誰もいない映画館で一人映画を観ているかのように、席に座った私はボンヤリと真っ暗なスクリーンを眺める。

「……」

 けどなかなか上映は開始されない。当然だ。ただでさえ物忘れの激しい私が、過去の記憶を再生させているのだ。時間はかかるに決まってる。

「――上映開始までもう少々お待ちください」

 一人アナウンス風につぶやく。スクリーンを前にした私はウンザリしながらポップコーンを食べているだろう。

 キャンプの日から、暇さえあればずっとこれをやっている。

 天気の良い日があっても愛車と出かける気にもなれず、部屋を暗くしては記憶の再生を何度もはかっていた。

 夏休みの宿題はもう終わらせた。もちろん真面目にやってない。けど終わらせた。だからもう邪魔はない。

 ――ん?

 ようやく見つかった。こんなやりとりもあったなと、手に入った記憶フィルムを再生させる。席で足を組む偉そうな私はしばらくの間映像を眺めていると、あるシーンに差し掛かった瞬間ストップと止める。少し巻き戻して再生し、目を閉じた。

 そして数秒後に目が開く。これも違うなーと言うと、それから先を観ることもなく映像を完全に終了させた。

 はぁっと息を吐いた後、一体いつだったのだろうかとまた天井を見る。そこに答えが書いてあると思って見るわけではなく、偶々そこにあるから見ている。小さい頃からずっとそこにある天井は愛海以上の長い付き合いだ。

 部屋の戸を叩く音がした。

「――志穂。いるか?」

 父さんの声。そういえば今日は家にずっといたな。

 大丈夫か私? と、父親の存在すら希薄になりつつある自分の頭を心配する。

「んー」と気のない返事をすると、ガラッと戸が開く。半袖のシャツにハーフパンツと夏を満喫している恰好の父さんは、布団の上で大の字になっている娘を見つめる。

「……何かが見つからなくてだれてるって感じだな」

 一分もしない内に一発でわかった。すげぇ。

「なんでわかったの?」

 仰向けのまま、少しあごを上げて尋ねる。逆さまになった父さんが腕を組みながらうんうんと一人頷いている。

「父親だからわかるんだよなぁ」

「……はぁ、そっすか」

 父さんあるあるの謎解答。父親だからなんたらかんたら……。

「そんなことより今日の晩飯どうすんだ? どっか食い行くか?」

 上体を起こして部屋に飾ってある時計を見上げる。……もうそんな時間か。

 今日の食事当番私だったな。

 でも何か作る気力なんてない。父さんもそうみたいだ――とはいえ、外に出る気力もないわけで、かといって何も食べない日は作りたくなくて……。

「んー、あー、おー……にゃむにゃむにゃむにゃむ」と、ハッキリしない頭の中身を口に出して公開すると、なるほどなと返ってきた

「んじゃあ今から近くのセブン行ってくるから。着くまでに何が食べたいか連絡しろよ。じゃないとお前の分は買ってこないからな」

「あざーす。パパ大好き」

 こうした会話を以前愛海の前でやったら、何でそれで成立するのと驚かれた。我が家では至って普通の会話だというのに。

「無断で人のバイク借りたりさえしなければ俺も大好きだよ」

「ぐはぁっ!」

 見えない銃で撃たれたかのように、仰向けに倒れる。

「磨いたはずのバイクに足跡ついてたぞボケナスビ」

 そう言って戸を閉め、父さんは去って行った。

「やっちまったー」

 最後に父さんのバイク使ったのは……バイクの納車前だったか。あのときは浮かれてたから足跡なんて消そうと微塵も考えてなかった。

 何回か風呂掃除の当番押し付けられそうだなと思いながら、コンビニに向かって走る父さんのバイク音を耳にする。目的地までは片道10分くらい。その間に何買ってきてもらうか考えないと……。

 でもまあその前にと、バイクの音が完全に消えてからまた目を閉じて記憶を振り返る。あのときかなーこのときじゃないかなーと、朝からずっとやっているのがこの作業。

 なんだか、雲をつかもうとしているようだった。

 目に視えるのに……手に入らない。確かにあるのに、それがわからない。

 そんなものを探そうとしていたなんて言えばお前大丈夫か? とか父さんに言われそうだ。

 ほんと……何やってんだろうなー私。

 貴重な残り少ない夏休みは一日中記憶の回想ばかり。

 こんな休日の過ごし方は生まれて初めてだ。

 果たして夏休み中に区切りをつけられるのかどうか……。

 延長戦だけは勘弁願いたい。

 結局、新たに掘り起こした記憶も違った。いつなんだーと、頭を抱える。ずっと寝そべっているだけとはいえ、疲れてきた。

 少し脱線するかと明日のことを考えることにする。

 あいつ……明日本当に郁美に言うのかな。

 昨日いきなり愛海から電話が掛かって来た。出れるはずもなく慌ててラインを送って適当な理由で電話に出れないと断った。それからラインでやり取りすることでなんとかその場を凌いだ。


『郁美にも綾のこと話そうと思うんだけど、どうかな?』


 愛海の用件はそれだった。いきなり電話だったので緊急性のあるものかと思えばそうではないが、重要な相談ではある。

 キャンプの日。真帆にバレた愛海は郁美にもバレたらどーしよーとか言っていたので、どんな心境の変化かと思った。けど話を聞いてみた限りでは、それなりに考えた上での決断だったのでそれならいいと思うと返事した。

 本当なら電話で聞いてあげるべき相談なんだけどそのときは無理だった。

 今も無理だ。

 多分明日も明後日も。許せ。

 更に愛海は明日一緒についてきてほしいと無理な注文をしてきた。当然それも断腸の思いで断る。そして代役で真帆を推薦した。押し付けるような形になってしまったけど、でも普通に考えれば私よりも郁美の理解者である彼女の方が適任ではある。真帆なら喜んでついて行ってくれるだろうし。

 それにしても郁美か……郁美ね……。

 別に打ち明けることに問題はない。彼女も真帆と同じで理解はある方だと思う。

 そうじゃなくて……そーじゃなくてーええぇぇいおいおいおい。

 私も郁美に用があるんだよー。

 それもできれば早いうちに済ませたいというかなんというか。だから郁美がおばあちゃんの家から帰って来るときに会おうと計画していたというのに、どうしてこういうときだけタイミングが合うんだよコラ。

 私も含めて三人で明日一緒にとかいうわけにはいかない。愛海にも真帆にも会えないし会いたくない。

 今やつらと顔を合わせることは死を意味する。

 特に真帆。あんなことがあった後でやつと顔を合わすのは本当にキツイ。忘れろとはいったけど、向こうは当然忘れるわけがない。言葉には出さず、表情で言うという一番嫌なパターンでこちらに来そうだった。ニコニコした彼女の顔を思い出すと赤面する。

 キャンプの夜を思い出すだけで恥ずかしすぎて……死ぬ。


『熱くて……ドキドキしてた』


 うわあああああああああああああああああああー! と、原稿用紙一枚使うだけじゃ足りなくなるほどに叫びたくなる。

 代わりに枕を両手でギュウギュウする。そして壁に向かって思いっきり投げた。顔を両手で覆って嗚咽じみた声を出す。

にたい……にたくないけど……にたい」

 落ち着くまでに少しの時間を要した。



 ようやく頭が冷えて来たので明日のことを考える。

 明日会うとしたら、なんとしてでも二人にバレずに郁美と接触を図らなければならない。郁美を喫茶店に誘うと言っていたから会うのは午後。それも三時のおやつと考えて三時集合。おやつ食べながら話すだけなら、やつらが食い終わる時間プラス郁美の帰宅時間を予想するとなると……会えるのはおそらく夕方6時くらい。

 夕方道路混むから嫌なんだよなぁ……。

 でも郁美と二人で会話するにはそこを狙うしかない。行きと帰りの渋滞は我慢だ。

 ああ、でもその前に二人には内緒にしてくれって最初に伝えておかないとな……。

 なんか忙しい。こんな風に考えなきゃいけないのが面倒臭い。でもしないと目的は達成できない。

 今から連絡しとくか。

 簡潔な用件とあの二人には内緒ねっていう文章を考える。スマホを開いて、サササと文章を入力する。

 一通り入力が終わったので読み返すとなんかキモチワルイ敬語の羅列だった。しかも簡潔にしたつもりなのに文章がやたらと長い。

 内容を変更する――あ、でも人にお願いするわけなんだから敬語の方がいいのか。

 よし、とそこから更に試行錯誤を繰り返し、ようやく文章を完成させる。けど今度はこれを送ることに躊躇する。それくらいとっても頼みにくい内容なのだ。

 どうして私ってこういうお願いできないんだろう。郁美ジュース買ってこいとかだったらノータイムで言えるのに……。

 送るのを後回しにすることにした。今はまだ冷静じゃない。数時間後にもっかい見直してから文章を送ろう。

 なんでだろう。なんでこんな悩むんだろう。一人でウキーってなるし……。

 そもそもなんでこうなった? 何がキッカケだった?

 そこでパッと浮かぶのは愛海の顔。

 どういうわけか……私に好きな人ができたことを告げたあのときの愛海の顔が出て来る。

 そうかあれだ。愛海があんなこと言い出したのが全ての始まりだ。

 全部あのおチビのせいだ。

 愛海が――。


『――女の子なの』


 その瞬間。雲の中に入れていた手が何かを掴む。

 今の今まで一人悶々としていたのを忘れてしまうほどに、振り返った光景に目を奪われていた。肉眼は天井を見ているはずなのに、視界に現れる光景は全く別の場所を映す。

 朝焼けの下。あの丘の上にあるバス停。

「……」

 心の中の自分も何も言わなくなる。

 見つけられずに半ば諦め気味になって脱線していたことが思いがけない発見へと繋がる。

 掴んだものを目にした瞬間、訪れたのは理解だった。すぐにそうできるほどにそれは確実なものとなる。

 あのときだったんだと、得られた答えに納得していた。

 振り返った彼女の顔を思い浮かべた後、耳を澄ますようにそっと目を閉じてあのときの声を再生する。

 紅い光。真っ直ぐな瞳。怖くても恐れずに出した勇気。

 浮かべた映像、流れる彼女の声。

 それらの後に私は口を動かす。


 1,2,3――と。


 パチッと開いた目。相変わらずの見慣れた天井。

「……」

 もう寝っ転がることもないと上体を起こす。

 答えが出た。

 だからもうこの作業は必要ない。得られたものをしっかりと認め、今後のことを考えるという次の手順に移る。

 ……大変なことになったなぁ。

 ポリポリと頭を掻きながらそう思った。

 そのタイミングで耳に入ってきた父さんのバイクの音でハッとする。

 しまった! 買ってきてもらうものいい忘れた!

 今ここで夕飯抜きが確定。一気にだるくなって布団に引っ張られるようにまた仰向けに戻る。布団からおかえりなさいと言われるように包まれる(そして郁美に連絡することを忘れてしまったことに明日の昼頃気づくのであった)

 全部……アイツのせいだ。

 まなみーん!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る