第35話(郁美編)前編


「――というわけで私、上塚愛海は綾に絶賛恋活中なのです」


 客があたし達しかいない静かな喫茶店の中、まなみんから突然のカミングアウトを受けた。隣に座る真帆は黙ってニコニコしている。どうやら以前から知っていたようだ。

「――絶賛ってなんだよ?」

「……言葉の

「うわー! 死ぬほどつまんねー!」

「いや、今のは狙って言ったわけじゃないから!」と、まなみんは顔を真っ赤にして否定する。狙ってたな。

 今日、ばーちゃんの家から帰る途中で彼女から突然のラインを貰った。


『これからスイーツ食べに行かない?』


 目を光らせ、なにがあっても行くと即答。友達からの誘いはポケットマネーさえあれば基本断らない。しかも今はばーちゃんの家で蓄積された疲労と、持たされた大量の土産と着ている和服の所為でストレスがマックスに近づいていた。大噴火を起こさぬよう、リラックスの為に糖分が必要だと心が叫んでいたところだった。

 駅に着くと荷物を一旦コインロッカーへ預ける。荷物が多いせいでロッカー内がパンパンになってしまった。あとひとつだけなのだが納まるか難しい。

 うおおおーー! 入れぇーーー! 絶対300円で納める!

 JKの小遣いを守る為に最後の紙袋を無理矢理押し込み、なんとかロッカー内に納めた。急いで扉を閉めて鍵をかける。

 これでよし。紙袋には大事なものが入ってるとばーちゃんから言われたが、過去にそう言われて渡された物は大概ろくなものじゃなかった。だからいいだろう。

 一応後で文句言われたときの対策として、満員電車でギュウギュウされたというストーリーを考えておく。同情を買う為にも父親ほどの年齢の男二人にギュウギュウされたと言っておいた方がいいだろう。

 よし行こうと、待ち合わせ場所である駅の外へと向かった。

 草履を鳴らしながら構内を歩く。和服のせいで周囲からの視線が半端ない。あたしモテモテだなーとか勘違いしちまうよ。

 駅を出るとまなみんではなく、燦燦と輝く太陽の日差しが出迎えて来る。

 あっちー。

 思わず一歩だけ後退した。

「おーい。リアルお嬢様―」

 声のした方を向くとまなみんと真帆がいた。二人は並んで日陰に守られたベンチに腰掛けている。志穂の姿はなかった。

「誰がリアルお嬢様だ。目立つからやめろ」

 婆ちゃんの家は金持ちかもしれないけど、あたしの家は至って普通だ。

「志穂はどーしたんだ?」

「一昨日からずっと夏休みの宿題やってるから、今日は私達だけになった」

「あれま。まだ終わってなかったんだな」

 なんだよメイクチェックできないじゃん。あれ当てるの楽しいのに。

「全く手つけてなかったから、部屋に引きこもり中なんだって」

「それはやばいな」

 ばーちゃんの家に幽閉されてたからとはいえ、あたしでもちゃんとやったのに。新学期まで残りわずかだが果たして間に合うのだろうか?

「郁美の和服去年のと色が違うね。新調したの?」

 今年のも綺麗だねと、まなみんが私の着ている和服の模様を指さす。深緑の地色に花と蝶が描かれているこれは初めて着たものだ。

「わかんね。多分古いやつ」

 いつもばーちゃんが勝手に選ぶから、新しく買ったものか古いものなのかは全然わからない。高校生になってからサイズを測られたことがないから、多分古いやつだ。

 そもそも去年何色着てたっけ?

「よく去年の柄憶えてたな」

「だって綺麗だったし、あと色的に郁美に一番合ってるなーって思ったから」

「褒めてくれるのは嬉しいけど、あたしはどうも和服が苦手だからなぁ。似合っててもプライベートで着たいなんて少しも思わないよ」

「えー、もったいない」

「そんなことより早くパフェ食べたい。さっさと案内しろー」

 そう言って文句を言うまなみんの背中を無理矢理押して、喫茶店へと案内させた。



 そして店内の席に座ったと同時に、周囲を見回したまなみんは話があると言ってカミングアウトしたのである。

 好きな人ができて、相手は女の子であの綾だという。

 口から出た自然な感想は、ほえーだった。

 当初は志穂だけにしか言わない計画だったのだが、あたしが行けなかったいきなりキャンプのときに真帆にツッコまれてバレたのだという。

「――それでなんであたしにも言っとこうってことになったんだ?」

「真帆にバレたとき、真帆は応援してくれるって言ってくれたからさ。真帆がそう言うなら、郁美も同じこと言ってくれるだろうと思って」

 まなみんはたった今届いたばかりのパフェを受け取ると、いつものように写メを撮ることなく、スプーンを動かしパクパクする。随分と早いペースで食べ始めている。

「――まあ、確かにあたしも真帆と同じ応援派だな」

 身内に一人似たようなタイプの人がいる。まなみんが女の子好きになったって聞いても、驚きもしないし嫌悪することもない。

 ……まあ、まだ確定じゃないけどあたしも同じっぽいしな。

 チラっと笑顔の真帆を一瞬だけ見ると、すぐにパフェに視線を戻して一口パクる。

「いーんじゃねって思うよ」

 そう言ってやると、まなみんは恥ずかしそうに俯いてパクパクを続ける。

「――郁美は本当に全然気づいてなかったの?」と真帆。

「うん。少しも」

 本当にピクリともわからなかったけど、でも言われてみれば今までのまなみんの行動は不自然だったかもしれない。

 いや、気づくの遅すぎだろと自分で自分にツッコむ。

 どうにも昔っから、あたしはこうした恋愛要素には疎いところがある。いろんな予想を立てたりすることはあるけど大概外れる。

 相手が女の子だと聞いたときも、頭の中では別の予想を立てていた。

 これは当たってると思ったのになぁ……。

 口に出すかどうか迷ったけど、まなみんが怒るかもしれないからやめておく。

「――それに真帆が私と志穂はバレやすいっていうからさ、できれば今後は二人にそこをカバーしてもらいたいというかなんというか……」

「そんなにわかりやすかったのか?」と真帆の顔を見る。

「勘の鋭い人はすぐ見抜いちゃうと思うよ」

 ――ということは、綾本人が気づいてしまっている可能性もあるということだな。それはやばいな……。

「うん、おいしい」とあたしらよりも早めに食べ終えたまなみんは、おかわりくださいと近くを歩いていた店員に追加で注文した。

 見てわかるくらい顔が赤い。

 体中に熱を持ってしまっているからか、冷たいパフェで冷ましているようだ。さらっとカミングアウトしていたが、実はかなり緊張していたことがわかる。つまんないこと言ったのも、そうした緊張から出てしまったのだろう。

 お腹壊すなよー。

「ん!? やっぱこのキンキンストロベリーにする!」と、注文を変更しているまなみん。あたしと真帆は顔を見合わせ、互いに笑い合った。

 そこでスマホが鳴ったので、慌ててあたしは画面を覗く。てっきりばーちゃんかと思ったら志穂だった。


『愛海と真帆に気づかれるな』


 ……なんだそれ?

 とりあえず、言われた通り二人に気づかれないように返信すると、お願いがあるから後でちょっと会えないかという内容の返信が来た。

 志穂があたしにお願い?

 珍しい。



 まなみん達と別れ、真っ直ぐに帰宅する。喫茶店で長く過ごしていたせいで、思ったよりも帰宅に時間がかかってしまった。

 ばーちゃん家で溜まったストレスは予想以上に多かったようだ。つい話が盛り上がってしまった。癒されたのはいいが、おかげで着替える時間を失ってしまった。

 しゃーないかと、和服のまま待ち合わせ場所へと向かう。途中でご近所の人と会わないことを祈った。



 歩いてすぐにある河川敷は、だいぶ日が落ちているのでランニングや犬の散歩をしている人が多い。みんな真っ黒な影になって動いている。

 言われた通りの場所へ向かうと、階段に腰掛ける志穂を発見。

 夕焼けに照らされながら、志穂はぼんやりと河を眺めていた。

「……」

 長い黒髪ポニテが不思議なくらい目に留まる。

「おーい」と声をかけながら彼女の方に向かって歩く。

 そしてこっちを振り返ったときの、その表情を一目見た瞬間、おや? っと思った。

「お? まさかの和服バージョン」

 声はいつもと変わらない彼女から違和感を得た。

 ……なんか変だな。

「――ばーちゃん家からの帰りだからさ」

 正体不明のそれを引きずりながらも、普通に返す。

「そういえば去年もそんなときに会ったね」

 立ち上がった志穂は距離をとると、カメラマンがよくやる両の親指と人差し指で長方形を作ってその中にあたしを入れた。

「はーいポーズとってー。スマイルスマイルー」

 しょうがねーなぁーと、一度背中を見せ「いくぞー」と言った後、くるっと振り返ってからダブル横ピースとニカっと笑顔でポーズをとる。

 パシャリと、いつの間にか手に持っていたスマホで写メを撮った志穂。

「おい、マジで撮ったのかよ」

「うん。後でおっぱい大きくしたやつをみんなに送るね」

「頼んでもないのに盛るな。そして拡散するな」

 はて、違和感は気のせいか? いつも通りの志穂じゃないか。

「バイクないけど、ここまでどうやってきたんだ?」

「父さんの車。近くで用事があるからってことでついでに送ってもらった。1時間ぐらいしたらまたここまで迎えに来てもらう」

「なるほど――ってか宿題はもういーのか?」

「終わったよ」

「え? 一昨日から始めたんだろ? 随分早いな、早すぎるぞ――適当か?」

「そんな小学生みたいなことするか。ちゃんと工夫したよ」

 工夫?

 意味がわからなかったが、長くなりそうな気がしたので流すことにする。

「へーやるじゃん。頑張ったな」と適当に返す。

「でしょ? 本気を出せばこんなもんだよ」

「うん――で? 本題は?」

「にゅ?」

「にゅ? じゃなくてさ、頼みがあるんだろ?」

「ああ……えーっとその……なんていうかその……」

 俯くと急に志穂はもじもじとしだす。そして黙り込んでしまった。

「……」

「……」

 なんだこの沈黙?

「――おい。志穂が呼び出したんだろ? はやく言えよ」

「えーっと……ちょっとお願いがあって……」

「それは知ってる。その内容を言ってくれよ」

 なんか言い難そうな感じだな。しかもまなみんと真帆に内緒にした上でのお願い。

 なんだろう。想像つかない。

「――実は、女子力ちょっと上げたいと思ってて……」

 カァーカァーと、カラスの声が頭上で鳴った。

「……は?」

 おかしいのは気のせいじゃなかったようだ。

 何があった……?

「え、それでなんであたしなんだよ。そっち系はまなみんか真帆に聞くのが一番だろ?」

「……とある事情があって聞けない」

「とある事情?」

「……それも言えない」

 なんでだよと思ったが、とりあえず聞かないでおく。

「そうか、わかった――それで?」

「それで頼みっていうのが……ほら、私いつも郁美に見抜かれるくらい大雑把だからさ、ちゃんと自分でできるようになりたくて……。昔愛海から教えてもらったんだけど、いいかげんというかなんというか、とにかく中途半端にしか覚えてなくて。だからちゃんとしっかり初めから覚えたいっていうか……」

「???」

「――だから、郁美シスターに教えてもらえないでしょうかと……」

 そう言われて私の脳は一瞬の思考停止の後、インプットされた情報を正確に理解する為に情報の反芻を行った。

 郁美シスター。郁美シスター。郁美シスター。

 あたしシスター。あたしシスター。あたしシスター

 姉。姉。姉。

 ……千明ちあき

 理解したと同時に驚く。志穂の口から予想外の名前が出てきた。

「え!? ちーちゃんに!?」

 それだけで今度は迅速にその意味を理解する。大手化粧品メーカーに勤める姉を指名する理由はひとつしかない。

「――もしかして、ちゃんとメイク学びたいってやつか?」と、おそるおそる尋ねる。

「……」

 俯いたままの志穂は頬を赤らめてもじもじした後、目を瞑って静かにコクリと頷く。

 その仕草を見て固まった。

 はぁぁぁぁぁぁーーーー?

 長い髪を束ねたポニーテールがリスの尻尾のように見えたせいか、あたしよりも頭一つ分背の高い志穂が、小リスのように愛らしく見えた。

 誰だこの女の子……。

「お、おい! どーしたんだよ!? 今日は小動物に見えるぞ!? 何があった!?」

「う、うっさい! 私だってそんなときがあるんだ! いいからさっさとお前のねーちゃん出せバカ!」

「うおっ!」

 取り乱したせいかめちゃくちゃなことを言い出した。この世界で今日、姉をカツアゲされたのはあたしくらいじゃないだろうか?

 なんでこんなに冷静さを欠いてるんだこいつ?

「出せって今から教えてもらう気かよ。さすがに今日は無理だろ?」

「あ、いや、ごめん。つい……教えてもらうのは別の日で大丈夫っす。それで、できれば郁美シスターに会わせてほしいっていうか……」

「……なんで普通に郁美のお姉ちゃんって言わねーんだよ……」

 まなみんのカミングアウトといい、今日は色々起こるな。

「とりあえずうちに来い」

 丁度今、ちーちゃんは家でプレステ5をやってる。

「え、いいの?」

「うん。会わせてやるからパッと連絡先交換してきなよ」

 行くぞ、と志穂を従えて我が家に戻る。飲み物を準備するのが面倒なので、途中にある自販機で冷たいカフェオレを買ってやることにした。

 それにしても……ちーちゃんか……。

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