第24話(戸田自転車商会編)
頼まれたパンク修理を終えると、無意識にカレンダーの方に目を向けていた。
とうとう明日か……。
日付が赤丸で覆われている部分を見るとため息が出る。
明日はあのお嬢ちゃん納車日――なのだが、かなり気乗りしない。実のところ会うのが億劫だったりする。
面倒な客じゃない。多少変なところがあるぐらいで礼儀がないとかそういうわけではない。
じゃあ何が悪いのかというと、あのお嬢ちゃんの外見が問題だった。
ぼりぼりと頭の後ろを掻きながらこっぱずかしい話だなと思う。
本当に瓜二つだった。
当初は変な行動のせいで気づかなかったが、大人しくしているときの顔を見ると高校時代の同級生であった富岡美穂に似ていた。
――漫画みたいな話だ。
二十年以上も前の初恋の人。
そして鈴木という苗字でまさかという予想は当たってしまう。
信じられないことに富岡と鈴木の一人娘だった。どうりで似ているわけだ。まるで富岡が生き返ったかのようだった。
とはいえ完全に瓜二つかというと違う。
確かに見た目は学生時代の富岡と似ているが中身は全くの正反対。富岡は背は高かったが病気がちだったせいか、小さな花のような女子だった。
反面あのお嬢ちゃんはまるで鈴木の精神を富岡の体にぶっこんだかのような、元気溌剌という言葉がとても似合う子だった。
朝は新聞配達という体育系なアルバイト。休日には上塚さんとこの娘さんとバイクで走り回ったりしているという男勝りな行動。
元気なのはいいことだ。悪いことなんて何もない。だが彼女を見ていると俺の中の富岡に対するイメージが崩れてしまいそうだった。
こんなこと女房にもあのお嬢ちゃんにも口が裂けても言えない。間違いなく妙な勘違いを与えてしまう。
別にあのお嬢ちゃんに恋しただとかいうやましい気持ちはない。かつて好きだった女子は富岡だ。似ているからといってその娘に恋するような気持ちにはならない。俺には愛する女房もいる(これも口が裂けても言えない)
そうではなく、かつて好きだった女性に似たあのお嬢ちゃんを見ていると、どう接すればいいのかわからないのだ。
学生だった頃の俺と同じように顔を合わせられない。
普通にしていればいいのにその普通ができない。
そしてそれを見抜かれたくない。
明日が来なければいいのにとカレンダーを見るのはこれで何回目だろうか。客に対してこんな気持ちにさせられるのはここを継いでから初めてのことかもしれない。
なるべく平静を装い、さっさと終わらせるしかないと思った。そして鈴木とも顔を合わせないようにしなければ。
納車日当日。
「それじゃあ行ってくる」
「はい。行ってらっしゃーい」
笑顔の女房に見送られ目的地へと軽トラを走らせる。遠回りしたい気分だったがそんなことは思ってもしない。
約束の時間はお嬢ちゃんの学校が終わって帰宅している時間帯だ。バカ息子ももう帰っているだろう。今頃バイクでどっか行ってるに違いない。
何度も通ったことのある道なので遅れることなく到着できた。どういうわけかひとつも信号に捕まらなかった。おかしい。
「着いちまったか……」
誰にも聴こえない小さな声でつぶやきながら邪魔にならない場所に軽トラを停めて降りる。
まずはいるかどうか確認してからバイク降ろすか。
約束の時間に着いても不在にしている客は多い。インターホンを鳴らそうと家の前に近づく。
鈴木の家は古風な一軒家だ。隣接する駐車場にはピンクナンバーのスクーターが置かれてある。一人娘だからおそらく鈴木のものだろう。
PCXか。昔は大型乗ってたのに原付とは随分と落ち着いたな。
ハーレー! ハーレー! とバカみたいに騒いでた鈴木の声が脳内で再生される。今振り返ってみても学生時代の友達の中では断トツで変なやつだった。
小さな門に備え付けられているインターホンを押そうとしたとき、バンっと勢いよく玄関のドアが開いて驚く。例のお嬢ちゃんだ。
「……」
俺をじっと食い入るように見つめている。どうやら玄関前でスタンバイしていたようだ。俺だとわかると急に嬉しそうな顔を一杯に出す。
「――こ、こんにちは」
「お勤めご苦労様です!」
ズカズカと俺の前に来ると、気をつけの姿勢から深々と頭を下げる。
その際、ポニーテールの先が揺れた。
「……」
母親を意識して伸ばしているのか随分と長い。小学生の頃は短かった。
余計に意識しちまうな……。
「ちょっと待っててくれ。今から降ろすから」
「オナシャース!」
そう言って軽トラの傍まで近づいて来る元気娘。
失敗した。バイクを降ろしている最中彼女のキラキラした熱視線が異様に痛い。先に降ろしておけば良かったと後悔する。
「それじゃあ、一応説明するよ」
バイクの始動の仕方やブレーキ、メーターのことなど簡単な説明をしておく。
「はい鍵。失くさないように。不安ならうちのすぐ近くにある横田さんのところで予備のキーを作ってもらうといい」
お嬢ちゃんは両手で掬うようにして鍵を受け取ろうとする。僅かに両手がプルプルと震えている。傍から見ればまるで王様が奴隷に施しを与えているかのように見えるだろう。
「……それとコレ。うちからの納車祝い」
新品のバイク用グローブを手渡す。車体と同じバイクメーカーが製造したものだ。メーカーものだけあって作りはしっかりしている。普通に買えばこれだけで一万は軽く超える。
「ふおおおおおお! ありがとうございます! ありがとうございます!」
お嬢ちゃんは両手で受け取った赤と黒のツートンカラーのグローブを高々と頭上に掲げていた。
……頼むからその見た目で鈴木みたいなことするのやめてくれないか。
俺の中の富岡のイメージがどんどん崩れていく。見てくれはいいと思うのにとても勿体無く思った。
鈴木のやつ。ちゃんと娘のこと見てるのか?
頭に過る最後に出会ったときの鈴木の顔を思い出す。
そのせいか、さっさと帰ろうと思っていた気持ちが薄れた。
「――お父さんは元気にしてるか?」
気づけば、そんなことを口にしていた。
「え? ――あ、はい」
キョトンとした顔。急に父親のことを話されればそんな顔するのも当然か。
「いきなりすまん。君のお父さんとは国木の元同級生だったんだ。三年間同じクラス。ついでに俺の女房も国木だった」
「え!? そうなんですか!?」
客商売してれば昔のクラスメイトと会うことなんてよくあることだが、まさか鈴木の娘と会うとは思わなかった。
「父さんなら今家にいますよ?」
「いや、いい。これからすぐに帰らなきゃならないから。お父さんによろしくって言っといてくれれば」
急いで帰らなければならない用事なんてない。
顔を合わせるのに抵抗があるのだ。
「――それじゃあ。千キロ超えるか一か月経ったら初回点検に来るように。ウチにくれば初回はタダだから」
そう言って鈴木家を後にする。内心慌てていた。
少し車を走らせてからバックミラーを覗くとお嬢ちゃんは気を付けの姿勢から敬礼のポーズで俺の軽トラを見送っていた。
はぁっとため息が出る。
「見た目は富岡……中身は間違いなくアイツだ」
角を曲がり、最初に捕まった信号で停車していると目の前に女の子を連れた母親が歩いていた。互いに無言で歩いている親子を見ていたせいか、鈴木と最後に顔を合わせたときのことを思い返していた。
あれからもう大分経つな……。
そのときにあのお嬢ちゃんとも顔を合わせていた。あのときは小学生だったから向こうは少しも憶えてなんかいないだろう。
「――久しぶりだな」
商店街で娘を連れて歩いていた鈴木。
その顔を見て声をかけていた当時の俺は鈴木が喪服を着ていることに少しも気づかなかった。
……本当に配慮に欠けていたと思う。
「おお、久し振り」
落ち着いた静かな声。
いつものアイツには似合わないものを持って小さく微笑んでいた。
内心、そんな鈴木に動揺していた。
「ほら、挨拶しなさい」
そう言って娘にも挨拶させる。
大人しく小さなお辞儀をしたあの子。
当時は髪が短かったせいか男の子のようだった。
そして気づけば背中を見せて去って行くアイツを見ていた。
いつもガキみたいなアイツが魂を抜かれたように大人しくて、とても怖く思った。
それから帰ってすぐに富岡が死んだのを知った。
俺が声を掛けたあの日は富岡の葬式が終わった後だったのだ。
信号が青になっても動かないせいかタクシーからクラクションを鳴らされる。
慌てることなく、ゆっくりと車を発進させる。
そしてまた赤信号に捕まり、今度はハンドルに軽く額をつける。
ため息が漏れた。
吐き出したそれは自分の足元へと向かって行く。
じっと自分の足を見ながら、何やってんだ俺はと思った。
会っていたとしてもアイツは普通に笑ってくれるだろう。
いつまでも気にしてんのは俺だけだ。
本当にそうだと思う。
だがそれでも、未だに俺はあのときから鈴木と顔を合わせられないでいた。
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