第20話(陽菜編)後編


「いってきまーす」

 家を出て、毎朝一緒に登校する綾との待ち合わせ場所へ向かう。

 いいかげん綾にも言わないとな……。

 まだ綾には別れたことを打ち明けていない。

 去年彼女に背中を押してもらってアタシ達は付き合うことができたのだから、彼女には報告しなければ。

 ……でも恥ずかしいなぁ。

 付き合ったばかりの頃、おめでとうと綾から言われすごく舞い上がっていたのを思い出すとホント、顔がやけどしそうになるくらい熱くなる。一年ほどで終わらせてしまったのだ。応援してくれた彼女には申し訳なかった。

 ――でも今日会ったら言おう。すぐに言おう。

 ラインで伝えようか迷ったが面と向かって言おうと思った。真面目な調子で言えば彼女は困ると思うので、明るくサッパリ言おうと決める。



 ――しかしそれが、中々実行できない。

 別に言いづらい空気でもないはずなのに。隣にいる綾にサラッと言えない。待ち合わせ場所で会って一緒に登校している間は全く別の話ばかりしていた。

 あぁダメだ……なんか言い難い。

 もう教室まで辿り着いてしまう。引きずってるわけではないのにどうも言い難い……。

「――あのさ、綾!」

 もうさっさと言ってしまおうと思い、無理矢理声を出す。しかしこっちを見た綾の目を見た途端、

「……今年の花火大会一緒に行かない?」

 と、なぜか別の話題を振ってしまう。

「う、うん。いいよ」

 そこで金本君とは行かないの? と聞いてくれれば良かったのだが綾は何も聞かなかった。おそらく気を使って何も言わないようにしてくれているのだろう。

 ヤバイ。このままじゃどんどん言えなくなる……。

 案の定ズルズルとこの状態を引きずり、あっと言う間に昼休みとなってしまう。

「――陽菜。購買部行こ」

「ん、今日もパン?」

「うん。ハマっちゃった」

 鈴木さんからレア物パンを譲ってもらった日から、ここ最近綾はお昼をパンにすることが多い。

「米派じゃなかったの?」

「寝返った♪」

「おっと、まさかの裏切り?」

「うん。だから卒業までずーーっとパン」

「裏切り者め。後で後悔しても知らないよ」

「ほら、早く行こ」

 綾に背中を押され、一緒に廊下を歩く。一階の廊下を歩いているとき、ふと隣を歩く綾の横顔を見つめる。綾はアタシの視線に気づくと、「ん? どうしたの?」と少し照れた顔をする。

「いや、最近楽しそうだなーと思ってさ」

「え? 顔ニヤついてた?」

「いや、なんとなくなんだけどね。新しいお友達ができたから楽しそうにしてるなーって思えてさ」

「――うん、そうだね。あの二人と出会ってからは楽しいこと多いよ」

 そう笑って話す綾を見て自然な笑顔が出ることが多くなったと思った。

 両親が離婚して以来、どこか感情のこもっていない作り笑いをすることが多くなった綾だったけど、高校に入学してからはそれをすることが少なくなったと思う。綾に下心を持っていた男子に話し掛けられていた際に見せていた、あの冷たい目もあまりしなくなった。

 もう三年も前の話か……。

 そうして、そのときの彼女の顔を思い返してしまう。


『何度やっても落ちなくてさ……』


 中学を卒業する前。彼女の家の中で見た、あの壊れかかった瞳。

 偶に、ふとしたキッカケであのときの綾を思い出してしまう。もう思い出す必要なんてないはずなのに……。


『――もう、大丈夫だから』


 去年の夏、綾はそう言った。私の心配なんて必要ない。自分はもう立ち直っていると。そうして私に金本のところへ行くように背中を押してくれた。自分に構ってないで、ちゃんと自分の恋をしろと彼女から言われたのだ。

 だから……いつまでも昔のことを思い返す必要なんてないのだ。それなのにダメだなアタシとそう思っていると、綾が驚いた声を出す。

「うわっ。もう混んでる」

 購買部入り口の方を見ると、入口から二列編成で生徒達がみんな腕を組んで並んでいる。なんかラーメン屋の前で並んでる人達みたいだ。

「授業終わってすぐ教室出たのにすごいな」

 売店のおばちゃんが片手で警棒を振り回しながら、もう片方の手でメガホンを持って列を崩すな、割り込むなと声を張り上げている。

「ルール違反は一番後ろに並ばせるからねぇ!」

 パートさんなのにまるで体育の先生みたいだ。

 うげっ、うちのクラスの男子ももうあんな前に並んでる。

 さすが運動部。我先にと戦闘付近を制している。どうやったらあんなに前に並べるのだろうか。

 そして運動部で金本のことを思い出す。彼も購買部にはよく顔を出すんだった。もしかしたら近くにいるかもとおそるおそる周囲を警戒する。今のところそれらしき姿は見当たらない。

 ――ってか、いいかげん別れたこと言わないと!

 こんな状況で言うべきじゃないかもしれないが、このままではずっと言えなくなる可能性もある。今は周囲の騒音もあるわけだし、綾にしか聴こえない程度の小さな声でパッと耳打ちしようと動いた。 

「――あ、志穂だ」と、私が動いたと同時に綾が言ったのでまたもタイミングを失ってしまう。漫画みたいにズルッと滑りそうになった。

 ほんっと、タイミング悪いな……。

 綾の視線の先、列の最後尾に腕を組んで立つ鈴木さんがいた。昼休みになると彼女は必ず購買部ここに出没するということを以前本人が言っていたのを思い出す。

 ん? なんかイラついてるっぽいな。

 ここからでも彼女の体からは負のオーラが発生しているのがわかる。近づいて彼女の後ろに並ぶと、彼女はアタシ達の存在に気づいた。

「ウェーッス。お二人さん」

 振り返った彼女は気をつけの姿勢をして敬礼をするという挨拶をしてきた。綾も「ウェーッス」と敬礼して返す。ちょっと恥ずかしかったけどアタシも同じように返した。

 今日は上塚さんはいないのか……。

 おそらく教室で鈴木さんの帰りを待っているのだろう。

「志穂。珍しく一番後ろに並んでるね」

「今村が授業終わらせるの遅かったんだよ。ホンッと最悪」

 授業中にまたあの先生の余計な話が始まったようだ。鈴木さんがイライラするのもわかる。瞼が重くなりやすいからアタシもあの先生は苦手だ。

「今日は何買うの?」

「うーん……この順番だとたこやきパンとあずきコッペとコーヒー牛乳と三時のオヤツ用にメロンパンぐらいしか買えないかなー」

 鈴木さんは残念そうな顔をしている。さらっと包み隠さずに言ったが、随分とカロリーの高い組み合わせだ。国木のパンは一個が大きいのに、それを全部今日中に食べるというのだろうか?

 アタシらと同じ帰宅部でその細い体を維持できているのが不思議である。

「二人はどうすんの?」

 アタシも同じあずきのコッペパンと答える。綾は焼きそばパンにしたようだ。

「飲み物は何にしようかなー」と綾がつぶやく。

「綾、焼きそばパンなら今の時期だと冷たい牛乳かお茶系がいいよ。教室の冷房が効いてて寒いなら、個人的におススメなのがホットのほうじ茶かな。ハズれないのはやっぱり牛乳かもしれないけど、冷めた焼きそばパンとホットのほうじ茶が実は合うんだ。ちなみに小野関さんのコッペパンはど定番かもだけど、やっぱりコーヒー牛乳が一番だと思うよ」

 そう言い終えると鈴木さんは親指を立て、小首を傾げながら舌を出してウインクした。ペコちゃんみたいな顔をする。いきなりそんなポーズをしだしたので驚いた。さっきの敬礼みたいに真似すればいいのだろうか?

 どうすればいいのかわからず綾の反応を見る。

「じゃあホットのほうじ茶にしよっと」

 今度は普通に返していた。

 ――いつの間にか二人共、下の名前で呼び合ってるな。

 思った以上に二人の関係は良いみたいだ。おそらく上塚さんとも下の名で呼び合っているのだろう。

 三人共無事に(?)目的のパンを買い終えたので、教室まで一緒に戻ることにした。

「――そういえば、愛海から花火大会の話聞いた?」と鈴木さん。花火大会?

「え? 聞いてないけど」

「あら? 今日中に綾に声かけるとかなんとか言ってたんだけどなぁ。あのチビ助まだ言ってなかったのか」

 話を聞くと、チビ助こと上塚さんの提案で綾を花火大会に誘おうと計画していたらしい。メンバーには郁美と真帆も加わっているという。

 うーん。タイミング悪かったなぁ。

 するつもりはなかったのに、朝にその話をしてしまった。

「ごめんね志穂。誘ってくれるのは嬉しいんだけど、私達一緒に行く約束してるから……」

「あーいいよいいよ、突然だったし。まなみんには私から伝えておくから気にしないで」

 鈴木さんはサッパリしている。

 断られても気にした様子は少しも感じられない。

 ところで、なんでさっきは上塚さんのことをチビ助と言って、今度はまなみんと言い変えたのだろうか?

 疑問が解消されぬまま、それじゃあお先にと彼女はパンと飲み物を抱えて自分の教室へと帰っていった。

 ……更にアップルパイ追加してたな。

 綾もそれに気づいていたと思うが、お互いに何もツッコまずに鈴木さんを見送った。

 アタシ達も教室へ戻ってお昼を済ませると、次の授業が始まるまでのんびりと過ごしていた。特に話すこともないので、アタシは音楽を聴きながらさっきのお誘いのことをぼんやりと考えていた。

 上塚さんの企画か……。

 アタシも混ぜてもらってみんなで行けないかなと思った。去年はまだ金本と付き合う前だったので、綾と二人だけで行ったわけなんだし、今年は大人数で行った方が楽しめそうな気がした。

 それに……上塚さんにも近づけるし。

 綾に提案しようと、机を挟んで向かい合っている綾を見る。珍しく真剣な顔をしてスマホをいじっていた。

「ゲーム?」とイヤホンを外して尋ねる。

「ううん。アルジャン見てる」と、綾はスマホを操作しながら答える。大手通販サイトのArujan《アルジャン》か。

「珍しいね」

「うん。ちょっとどれにしようか迷っちゃって」

「ん? 何が?」

「これ」と 綾からスマホを渡されて画面を覗く。映し出されているのは、猫が輪っかにぶらさがっているキーホルダーだった。

「前から使ってたキーホルダー壊れちゃって」

「へーいいじゃんこれ」

 キーホルダーは全部で5種類。種類ごとに猫の模様が違う。キジトラ、黒白、茶トラ、黒、白とある。

「……確かに迷うな」

「キジトラか茶トラか、それだけで既に30分経っちゃった」

「うーん……アタシは黒白かな。一番人気は?」

「アメショー柄のキジトラ」

「なるほどなー。んーでもアタシは黒白かなぁ」

「陽菜も黒白かぁ。愛海と志穂も黒白がいいって言ってたんだよね」

 二人の名前を出され、花火大会のことを思い出す。

 しまった。つい脱線してしまった。

「ねえ。花火大会鈴木さん達と一緒に行かない?」と、唐突だが切り出した。これ以上横道に逸れるのは避けたい。

「いいけど。いきなりどうしたの?」

「いや、去年も二人だけだったしさ、今年は大人数で行ってみようよ。郁美と真帆にも久々に会えるしさ」

「うん。私は全然いいけど」

「よし、じゃあ決まり。早速鈴木さんに連絡しよう。実はアタシも鈴木さん達と仲良くしたいと思ってたんだよ」

「そうなの?」

「だってこのままじゃあアタシの綾が二人に取られて、アタシ一人ぼっちになっちゃうからさー」と、ワザと恥ずかしがるような素振りを見せて言うと綾は笑った。

「アハハ。いつから私って陽菜のものになったの?」

「小学生の頃に会ったときから綾はアタシのものだ――まあそんなことはいいからほら、急いで鈴木さんに連絡してよ」

「よしわかった。すぐにしよう」

「頼んだよー」

 鈴木さんはおそらくあの性格だからアタシがついていっても何も問題はないだろう。郁美は食べ物さえ奢れば懐くし、いつもニコニコしている真帆もなんとも思わないはず。

 上塚さんは何て言うかなー。

 男女問わず彼女の性格は人気があると聞くし、多分大丈夫だとは思う。

 そして昼休みが終わる頃、上塚さんからオッケーの返事が来た。みんなで楽しく過ごそうと言っていた。

 よし、とアタシは心の中でガッツポーズ。別の意味で今度の日曜が楽しみだ。

 こうして金本と別れたことをスッカリ言い忘れてしまったアタシは家に帰宅したのと同時にそれを思い出し、頭を抱えることとなるのだった。

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