第19話(陽菜編)前編


 目が覚めた……。

「あれ……?」

 いつもアラームが鳴ってから起きるのにスマホは何も言ってこない。

 やば! もしかして!

 ガバッと上体を起こして枕脇に置いてあるスマホを手に取る。鳴るまでまだ三十分もあることを確認しホッとした。かけ忘れたのかと思った。

 いつも鳴った後に起きるのに……。

 最近別れたばかりの元カレが夢の中に出て来たからだろうか。

「……」

 実にのんびりした夢だった。

 アイツと学校の屋上を散歩するという内容。

 ……まだ未練でもあるのかな?

 あんなにウンザリして別れた相手なのに、夢に出て来た彼とは至って普通にやりとりをしていた。

 多分、今までに一番良かったやりとりだったと思う。最後は悪夢になるなんていうどんでん返しの結末も起こらず平和に終わった。そのせいか目覚めは悪くなくて、むしろ良すぎるくらい。月曜の朝とは思えないくらいに。

 ドサッと、起こした上体を再びベッドに戻す。仰向けになって見慣れた天井をじーっと見つめる。

 別れて、もう一週間以上経ったのか……。



 ようやく別れようと決意した日の放課後。綾を先に帰らせたアタシは話があると言って金本弘毅かねもとひろきと会っていた。

 場所は校舎裏の水飲み場。

 本来なら部活動に励む生徒の為に造られたであろう設備。でも実際にはどの運動部の練習場からもほど遠い位置にある為、放課後に運動部の生徒が利用しているところはほとんど見かけたことがない。

 利用者もおらず人気もあまりないとなると、生徒達から愛の告白を行う場所として利用されるのは自然の流れなのかもしれない。

 ここで告れば絶対相手からOKが貰えるだとかそんな噂ができてしまうのもわかる気はする。

 そうなると、そんな場所で別れ話をしようとするのは大きな場違いということになるのだろうか。もっと場所を考えれば良かったのかもしれないが当時の私はここ以外の場所が思いつかなかった。さっさと終わらせたい。そんな気持ちが強過ぎたのだと思う。

 五分ほど待つと金本は現れた。

 面と向かって、余計な前置きはなしにサッと用件を話す。

「――そういうわけだから」

 言い切ってこの場を去ろうとした。

 人気のないことで有名な場所ではあるが、全く来ないというわけでもない。だから誰かに見られる前に去りたかった。金本も別れることには何も文句はないだろうし、すぐに納得してくれるだろう。

「――なんでそうなるんだよ」

 そう期待したアタシがバカだった。

 ここで付き合わなければ良かったのかしれないが、彼のありえないと言っているような顔が目についたせいか、ついイラっとして彼と向き合ってしまった。どうやらアタシの答えは彼にとって予期せぬことだったようだ。これまでに別れる雰囲気は何度も出ていたというのに。

 それともまさか……なんとかなるとでも思ってたのだろうか?

 ふーっと軽いため息を吐いた後にもう一度言ってみる。

「――だからさ、もうアンタのこと好きじゃないから別れようって言ってるんだけど?」

 今度はウンザリした目も向けてみる。

 フラれたことが、ありえないことだったのだろうか?

 背も高く顔も運動神経も良いとあって、同学年だけでなく先輩後輩からも熱い視線を送られている(かくゆうアタシも一年前には彼女達に混じって熱い視線を送っていたわけだが……)。そんな自分がフラれるわけがないと本気で思っているというのなら……本当に別れて正解だ。

「――どこがウンザリなんだよ」

 意味わかんねぇと本気で納得いかないといった顔。普段の爽やかな雰囲気は微塵もなく、怒った顔は随分と酷かった。

「そういうところなんだけど?」

 自意識過剰。

 自分に悪いところがないと本気で思い込んでいるところ。

 そして嫉妬深さ。

 アタシをウンザリさせた原因は多かった。

 廊下で彼の知らない男子と話しているだけで『誰あれ?』等と怒った口調で聞いてくる。中学時代のクラスメイトだと話すとホッとしたような顔をするので、そこまでならまだ可愛いと思える。

 しかしそこでは終わらない。「あいつ全然モテなさそうな顔してるよな」などと、余計なことを言ってくる。

 離れいるときは「俺のこと好きか?」というラインが何回もくる。付き合う前はそんなことをするようなタイプには少しも見えなかったのに、付き合って時間が経てば経つほど本性を見せるようになってきた。行動は落ち着く気配は少しも見せず、一年近く経とうとした頃には完全にアタシの熱を冷めさせるような状態にまでさせてくれた。

 付き合う前のアタシは大分彼を美化していたなと思う。恋は盲目というのは本当だと思い知らされた。アタシが惚れた男子は見た目は良くても、中身は少しも魅力を感じない人だった。

 どうしてもっとはやく別れなかったのだろうかと今さらながらに思う。生まれて初めての彼氏だったからか、ズルズルと不毛な状態を続けていた。なぜキッパリと判断できなかったのだろうかとこんな自分にもうんざりした。

「――そういうところって、どういうところだよ?」

 あー面倒だな。

「自意識過剰と上から目線なところ」と躊躇なく答える。

「どこが自意識過剰なんだよ! それに上からって、そんな上からだったか?」

「あーもう! 面倒だなぁ!」

 声を荒げるつもりはなかったが、そのしつこさにしびれを切らしてしまった。

「いちいち言わなきゃわかんないの? 十分自意識過剰だったし、上から目線だったと思うんだけど?」

 彼は口ごもった。しかし少し下を向きながらなにか考えている。何を考えているのかはわからないが今さら何を言ったとしてもどうにかすることなんてできない。

「それにアンタさ――」

 畳み掛けようと思った。この際だから言えることは全部言ってしまおう。

「――モテるんでしょ? よく自慢してたじゃん。他にも女の子いるんだからアンタのこと好きな子と付き合えばいいじゃん」

 そう言われそんなことはないと否定する。

 お前が好きだと言われたが、正直気持ち悪かった。

 俺はモテる。そう何度もモテ自慢を聞かされたのも原因のひとつだ。別のクラスの女子が落とした生徒手帳を届けてあげたら、目を輝かせて俺を見ていたと言ったり、同じ部の後輩から毎日のように連絡が来るなどと、中学時代の話も含めて何回も聞かされた。

 初めは冗談かと思って普通彼女にそんな話する? と、突っ込んだけれど、それで終わることなく彼は何度も続けてきたのだ。

 アタシが嫉妬するのを見たかったのだろうか。

 それを見て悦に浸りたかったのだろうか。

 結局最後まで嫉妬させるどころか、逆に気持ちをどんどん冷めさせているということに彼は少しも気づけていなかった。

「――それじゃ」

 今度こそは背中を向けてこの場を去る。

 また止められるのではないかと警戒していたがそうなることもなく、無事にその場を去ることができた。



 自室の白い天井を見て、ふぅっと軽い息を吐く。

 金本を見たのはそれが最後だった。幸いなことにクラスも違うのでそれ以降は一度も顔を合わせてはいない。

 あれからラインも電話もない。

 だからもう……アタシ達は完全に終わったのだ。

 別れたことは少しも後悔していなかった。だから夢に出て来たのも単なる偶然であって、心の奥底では気にしているというわけでもないと思う。

 気にしているといえば……。

 どちらかといえば金本とは関係のない、綾に新しくできた友達のことが引っ掛かっていた。

 金本と別れた日の翌日。一人で帰らせてしまったことを綾に謝ると、昨日は別のクラスの女の子に誘われて下校したことを話した。

 相手は以前購買部の帰りに出会った5組の上塚さん。話を聞く限りでは綾と相性が良かったらしく、連絡先まで交換し合っていた。

 なんか急接近だなぁと、以前購買部の帰りに上塚さんを見たときのことを思い出す。そのときの彼女は石のように固い表情をしていたせいか、綾から聞いた話とでは印象に随分とギャップがあった。

 しかも知り合ってまだ間もないというのに。別のクラスにいる子をわざわざ下校に誘いに来ている。それも一人で……。

「……」

 中学の頃の、とある女の子のことを思い出す。

 綾に好意を抱いていた子だった。

 好意というのは友達的なものじゃなくその……本気で女子が女子に恋するというガチなやつ。

 アタシが綾の幼馴染だったからだろう。ある日いきなりカミングアウトしてきたのだ。

 今でもそのときのことは憶えている。驚きのあまり頭が真っ白になったのだ。


 本気で綾が好きで。

 でも自分は女の子で。

 この気持ちをどうすればいいのかがわからない。


 そう相談され、混乱していたアタシはどう言えばいいのかわからなかった。


『――好きならさ、気持ちは伝えた方がいいんじゃない?』


 それぐらいしか言えなかった。情けないことにこのときのアタシは混乱した頭を落ち着かせるのにいっぱいいっぱいだったのだ。

 そういった恋愛はテレビや漫画の世界でしか聞いたことがない。テレビや漫画なら特になんとも思わなかったが、リアルでそれを目前にすると彼女の相談を冷静に受けてあげることができなかった。普段の彼女からはそんな印象が少しも見られなかっただけに尚更だ。驚くことに中学に入ってからずっと綾のことを想い続けていたのだという。

 それから彼女の話を何度か聞いてあげた。

 上手いアドバイスとかはしてやれなかったけど、一人で思い悩むよりかはずっとマシだったとは思う。当初は戸惑った。でも本気で恋する彼女を見て、応援してやりたいは思っていたのだ。

 ――でも結局。彼女は綾に気持ちを伝えられずに恋を終わらせてしまう。


『否定されるのが怖い』


 最後にそう言って諦めてしまったのだ。

 フラれるのがではなく、否定されることが怖いと。


 そんな彼女の背中を押してやることができなかった。

 常識が異質と見る恋。

 簡単に打ち明けられるものではないそれを好きな相手に打ち明けることは……とても怖いものなんだと思う。

 綾はそんなことはしない。きっと彼女を否定することはない。

 そう言いたかった。

 でもあのときの綾は……おばさんのことで心が壊れかかっていた。

 だから彼女の告白を受けたとしても、どこか冷たい目で彼女を見るのではないかとそんな不安が当時のアタシにはあった。

 そうしてあの恋は終わってしまった。

 それから彼女とは連絡を一度も取っていない。高校も県外の高校へ行ってしまった。

 綾はおそらく、彼女の恋を知らない。

 アタシも何も言うつもりはない。このままずっと彼女とのことは胸に仕舞っておくつもりでいる。

 今でも記憶にあるあのときの彼女の顔。

 綾に恋をしていた彼女の顔。

 思い返すとそれが上塚さんと似ている気がしたのだ。

 彼女のように小柄ではなかったけど、アタシの中ではあのときの彼女の顔が上塚さんと被ったのだ。

 勝手な決めつけだとは思うものの、一度浮かんだイメージはなかなかとれない。

 綾は気にした様子はない。そんな風に思っているのはアタシだけだろう。今の時点ではアタシの単なる勝手な思い込みになる。

 けど……もしかしてもしかすると。

 そこでスマホのアラームが鳴る。もう30分も過ぎた。

 準備するかと、起き上がって身支度を整える。

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