第17話(綾編)
家に帰り着くと陽菜からラインが着た。
『今日は楽しめた?』
夕方には帰ると言ったので、頃合いを見計らって送ってきたのだろう。
『うん。楽しかったよ。ケーキのおいしい喫茶店おしえてもらった』
そう返事してケーキの写メを送信する。既読はすぐに表示された。
『うわーおいしそー! 行きてー!』
『今度連れてってー』
『いいよ。でも一か月後ね(笑)』
『え!? なんで?』
『月一にしないと太るから(笑)』
『納得!!(笑)』
昨日の夜、陽菜から今日遊びに行こうと誘われていた。愛海から先に誘われていたので断ってしまったのだが、内心彼女のことが気がかりだった。
やっぱり。もう金本君とは会わないんだ……。
いつもなら週末陽菜は彼氏である金本君と過ごすことが多い。それなのにここ最近は毎週の様に私と過ごしていた。
陽菜は今日、何してたんだろう。
聞こうとしたがやめた。それはダメだと思う。
陽菜が三組の金本君に告白されたのは去年の夏。
バスケ部に所属する背の高いイケメンなので、周囲から羨ましがられていた。
去年の暮れまでは仲良さげにしているように見えたけれど、最近の二人は見てわかるぐらいにギクシャクしていた。
廊下で擦れ違うときも陽菜はとげとげしく、擦れ違った後の金本君は陽菜に何か言いたげな顔をしていた。
『――小野関さんって、金本君と別れたでしょ?』
一週間くらい前に別のクラスの子からそう尋ねられた。わからないと答えたが、尋ねてきた彼女はふーんと言うと、なぜか嬉しそうな顔をしていた。
そう断定できるほどにわかりやすかったのだろう。周りの女の子もそうなってほしいと思っているような話しをしだしたので、私は彼女達を無視してその場を去った。
先週愛海から下校に誘われた日。陽菜は放課後になるといきなり用事があると言ってすぐにいなくなってしまった。
真剣な顔をしていたので何をしに行くかは聞かなかった。
けど大方の予想は着く。陽菜は金本君に会いに行ったんだ。
どうするか決心が着いたのだろう。中途半端な内容で放り出してしまったものを陽菜は終わらせに行ったのだ。
陽菜は決断さえすればすぐに行動する。
多分……もう別れている。もし今日陽菜と会っていたら、彼と別れたことを告げていただろう。
「……」
そのとき、陽菜は泣くだろうか?
そんなタイプではないように思うが、ないとも限らない。いつも明るく強気な陽菜だって、泣くときはある。
それだけに、そうなってしまったらどうしようかと私は不安に思っていた。
……わからないのだ。
恋を終わらせた彼女をなんと言って救ってあげればいいのか……。
わかるはずがない。
こんな……こんな私が。恋を嫌うこんな私が……恋を失った彼女の気持ちを理解してあげることなんて、できるわけがない。
お風呂から上がってすぐにスマホを覗いてみるが、陽菜からのラインはない。もしかしたらラインで伝えにくるかと思っていたけど、そうならなかった。
月曜学校で……かな。
ドライヤーで髪を乾かしながら、どうすればいいのかと考える。もし直接口で言われれば、私は間違いなく何も言えなくなってしまう。
できることといえば、陽菜をそっと抱きしめてやるか、手を握って頷くだけのことしかできない。
そうすれば慰めてあげられるだろうか?
少しも心がこもっていない形だけの行為で彼女を救ってあげられるだろうか?
私は――彼女の悲しさをわかってやれない。だから彼女を救ってあげられる言葉が思いつかない。
でも話されたら、ちゃんと聞いてあげないといけない。陽菜は苦しいときに私を支えてくれた大切な親友だから。
今度は私が彼女を支えてあげないと。
あの女のことで落ち込んでいた私を励ましてくれたように、私も陽菜を励まさないと……。
あの女……。
そうしてあの顔を思い出しかけた瞬間。
ダメ!
そう自分の中で強く警告を発した。
いけない……。
一度取り出すと止めるのは難しい。このままではダメだと、気を紛らわせる為に戸締りをもう一度確認する。なるべく考えないように家中の窓を思い浮かべる。
――あそこも閉めないと。
一階を走り回った。全て確認し終え一階の電気を全て消し、最後にもう一度玄関を確認する。そして自分の部屋に逃げようと二階の階段を上る。
そして最後の一段を上ったところで足が止まった。
視線を感じ、そちらの方に顔を向けてしまう。
そこはダメ!
もう遅かった。階段を上がった右手の奥を見てしまう。
誰もいない部屋のドア。
あの奥……あの奥に、あの女がいる。
閉められたドアの向こうで、ドアを挟んで私を見ている。
蘇るあのときのあの女の声。家全体に響く女の声。
手摺にのせた手が震える。視界全体が歪み、周囲をはっきりと映さなくなる。乱れていく周囲の景色の中で、ガチャリと音がする。
誰もいないはずの部屋の奥からひとつの影が出て来た。
ゆっくりとこちらへ近づいてくる人の姿。
顔に渦を巻く、不気味な女。
長い髪のそれが誰かを知っている。
その顔に渦を作ったのは数年前の私だった。
忘れる為に。
二度と思い出さないようにする為に……あの不快な顔に渦をかけた。
それなのに忘れてくれない。忘れようとすればするほど頭にこびりついて離れない。考えないようにしようと過ごしても、いろんなキッカケがあの女の記憶を事あるごとに呼び起こす。
ああ、ダメだ。
顔を崩していた渦がなくなっていく。
段々と鮮明になっていく顔。
にっこりと微笑んでくる……私に似た顔。
『お母さんにそっくりね』
聴こえてくる誰かの声に鳥肌が立つ。
うるさい……。
女に背を向けてふらふらとした足取りで自分の部屋に逃げる。鍵を掛け、ベッドにうつぶせで倒れ込むと守る用にして頭を抱える。震える両手が体を揺らした。
掃除だ。明日は掃除をしないと……。
散々綺麗にしてきたあの部屋をもう一度洗わないと。
目を瞑り、自ら招いた闇の中で落ちないように自分を支える。
落ち着いて。忘れよう。忘れないと。忘れたい。忘れさせて、誰でもいい――誰か!
陽菜のことを考える。それでも消えない。志穂のこと。郁美ちゃんのこと。真帆ちゃんのことを考える。それでも消えない。
愛海――。
その瞬間、あの女の顔と愛海の顔が重なる。
恋をする女の顔。
私の――嫌いな顔。
「……」
いつの間にか深夜になっていた。
暗い部屋の中、カチコチと秒針を動かす時計の音を耳にする。頭がぼんやりとする。
……愛海。
まだ覚めない頭で最初に浮かんだのは、愛海の顔だった。
昨日一緒に街を歩いていたときに垣間見えた、愛海の私を見る目。
あれがあの女の顔に似ていたからだろうか……。
違う!
すぐに否定する。そんな風に考えてはいけない。あの女と愛海は違う。愛海は一緒なんかじゃない……愛海はあの女とは違う。
もうやめようと無理矢理体を起こす。少しふらつくけど大丈夫。歩ける。
部屋を出て階段を下りる前、あの女の部屋のドアをもう一度見つめる。
大丈夫。もう何もない。
もう平気だ。コレがお父さんの前で起きないようにしなければと意識掛ける。これ以上の心配をさせてはいけない。
さっぱりしてこようと顔を洗いに洗面所へと向かう、その途中にいきなり聴こえた外からの音が気になり、カーテンを少しだけ開けて外を覗き見る。
静かな雨が降り始めた。
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