第15話(志穂編)
世界がぼんやりとしている。
間違いなく寝不足が原因だ。バイクの納車日が決まってからというものの、興奮してなかなか眠れない日が続いている。学校やバイトにはちゃんと行っているが、睡魔に襲われているせいで何をしていたのか憶えていないことが多い(しかしなぜか配達はミスなく済んでいるし、事故ることもなかった)。
納車日までまだ日にちがあるせいか、暇さえあればネットで県内のドライブスポットを見ては一人ニヤニヤする日々が続いている。納車したらここへ行こうあそこへ行こうと楽しい計画は膨らむばかり。
今日は帰りに日帰り温泉のガイドブックを購入した。山奥の温泉を目当てにバイクを走らせるのもいいと思い、胸を躍らせながらページを開く。見るだけでドキドキわくわくが止まらない。小中の修学旅行一週間前のときのような気持ちになってしまう。
納車まで後一週間と15時間40分26秒……一週間と15時間40分23秒……一週間と15時間40分20秒。
呪いのようにそんな言葉が何度も頭の中に浮かんでくる。鼻歌を唄うかのごとく、洗濯中にいつの間にか口に出していたこともあった。
「――呪われてるね」
学校で呆れ顔の愛海からそう言われた。
「気持ちはわかるけどさぁ、ちょっとは落ち着きなよ」
私の目の下にある隈を消す為のメイクをしながら愛海は言った。彼女曰く、ニヤついた私が変な独り言をつぶやいて廊下を歩いていたこともあったらしい。
「今日はバイトないんでしょ? ちゃんと寝なよ?」
そう言った愛海は余程心配だったのか、わざわざ私を家まで送ってくれた。しかも絶対外出しちゃダメだからねと言って、夕飯まで作って冷蔵庫に置いといてくれるという優待ぶり。
「――それじゃあ私帰るけど、榎本さんからライン着たらすぐに志穂にもラインするから、起きたらちゃんと見てよ?」
何て言ったのかわからなかったが、とりあえず「うーい」と返事をして愛海が敷いてくれた布団に倒れる。バイクのことは絶対考えず、私の嫌いな古文についてひたすら考えろと愛海に言われたので、言う通りにする。
「清少納言は……いとバツイチなり……」
そうしたら本当にすぐに眠りに落ちることができた。
目を覚ましたのは0時を超える前だった。
お腹すいたー。
夕飯も食べずに寝ていたせいかお腹が鳴りまくっている。このまま眠ることもできそうな感じがしたが、どちらかというと満腹で眠りたいと思った私はムクリと起き上がる。愛海の手料理を食べに一階へと降りた。
学校から帰ってすぐに眠ったせいか体は大分軽く、視界もハッキリしていた。玄関の方を見ると自分の靴だけが置いてあるのが見える。
父さん今日もいないのか。
ここ連日仕事で家を空けることが多い。
昔からよくあることだ。小さい頃は寂しくなったこともあったが今では慣れ過ぎたのと無断でバイクを借りれるのだからラッキーと思うほどになっている。
――さて、なにがあるのかな。
シーンと静まり返った台所にある冷蔵庫の中を覗くと奥で光を放つお皿を見つける。サランラップに包まれるそれを見た瞬間、私の手は震えた。
こ……これはまさか……。
手に取った皿の上に盛られていたのは――
「オムラァーーイス!」
ハンバーーグ! みたいなノリでお皿を掲げる。私の好きなものランキングベスト5以内に入るものだ。
「まなみーん、ありがとうー」
独り言を言いながら愛海のお手製オムライスを電子レンジへ入れる。温めている間にスプーンや飲み物も用意した。
そういえば愛海が後で連絡するとかなんとか言ってたような……。
どういう理由で連絡すると言ったのかが思い出せないが、多分私の生存確認だろう。スマホは私の部屋に置きっぱだから後で確認するか。
レンジがピーっと音を立てたので、レンジからほかほかのオムライスを取り出す。
すっげーおいしそう。見てるだけでヨダレが出る。
食卓テーブルへと座り、テレビをつけるとムキムキ外国人のマイケルとジェニファーがやってる通販番組が流れた。
……これでいいか。
なぜかいつもマッチョの男女が出て来るこの番組の陽気な商品説明をBGMに、まずは一口とスプーンですくった卵とケチャップライスを口に入れ、咀嚼する。
「――うはー! おいしー!」
思わず口に出してしまうほどの威力。卵はふっくら柔らかく。ケチャップライスはムラがない。見た目はとてもシンプルなのに味は一級品。
できたてならもっとうまい。でもこれでもうまい。もう一口、二口とスプーンを持つ手が止まらない。
なんでここまで差があるんだろう。私のと全然違う。
あまりの美味さに涙が出てきそうになる。愛海はうちでごはんを炊いて作っていたが、私や父さんが作ったそれとは遥かに別物。炊き立てご飯で作ったときはケチャップライスがべちゃべちゃになってしまったというのに、愛海が作ったものは同じ炊き立てでもべちゃべちゃ感が少しもなく、米の一粒一粒が輝いていてそれを見るだけでも食欲が増す。
どうしてここまで違うんだろ?
どうしてこのケチャップソースいつもと味が違うんだろう?
どうしてこんなぷるぷるふんわり卵なんてできるんだろう?
様々な疑問が飛び交うものの、その都度うまいうまいうまいという言葉で疑問は潰されていく、こんなにおいしければもう他のことなんてどーでもいいやと思った。世界なんて終わったっていい。
スプーンを動かす手が止まらない。とてもうちの台所で出来上がった代物とは思えないオムライスはもはやお店レベル。
もし本人が今目の前にいたら、意地を張ってまあまあかなと素直になれなかっただろう。彼女がいない今だからこそ素直な感想が湯水のごとく出て来る。
そういえば愛海は中学の頃にオムライスばかり作っていた時期があった。どうしてそんなことをしていたのかが思い出せないが、一旦凝り出すとハイレベルなところまでとことんやり込むのは料理でも落書きでも昔から変わらない。
『次におススメするのはこれだよジェニファー。なんと! マッチョが引っ張ってもちぎれない高級ハンドバッグ!』
『うわぁーお! すごいわマイケル! アタシこんなのが欲しかったのぉ!』
テレビから流れる嘘くさいBGMが集中力をかき乱すほどうるさくなってきた。食事に集中できんと、テレビを睨み付けるとリモコンでその口を封じ、私は夢中でスプーンを動かし続けた。
「あ……」
そして気付けばもう最後の一口。
……もう、終わりなの?
一分以内に食べてしまったのではないかと、そう錯覚させられるほどの速さで食べてしまった。
「……」
最後の一口をゆっくりとスプーンで掬い、ゆっくりと口に入れ、そしてゆっくりと咀嚼し、ごくりと大切にしてきたものを飲み込んだ。
カランと、手から離れたスプーンが皿の上に転がる。
ゴクゴクゴクと麦茶をラッパ飲みし、プハァッと満たされた声が出ると、即座に立ち上がって冷蔵庫の中を再度確認し、台所の方も隅々までチェックした。
「ない……」
再びイスに戻った私は、空っぽの皿を前にして俯く。
「愛海……」
自然と彼女の名をつぶやいていた。
目を閉じると浮かんでくる愛海の姿。
我が家の台所で鼻唄を歌いながらオムライスを作る愛海。
微笑む彼女の横顔。耳にするだけで心地良い鼻唄と調理の音。
浮かんでくる想像とは裏腹に、目を開けたそこに愛海の姿はない。
あるのは暗い台所。目の前にある空っぽの皿。シンクに垂れた小さな水の音。外で凪ぐ静かな風の音。
それらが私の満たされない心をチクチクとつついてくる。
「ねぇ愛海――」
気持ちを逆撫でてくるそれらを吹き飛ばすように、ここにいない彼女へ向かって今しか言えない気持ちをつぶやく。
「なんでおかわりないのぉ……」
ぐったりとテーブルへと突っ伏す。カランと、私に当たった皿の上のスプーンが音を鳴らした。満腹でも腹八分目でもない。半分ぐらいしかお腹は満たされていない。
置いてあったオムライスは明らかに愛海サイズの量だった。普段から彼女の倍を食べている私には全っ然足りない。私の為に作ってくれたわけだが、これではむしろ物足りなさすぎて死ぬレベル。
やはり私達の息はどこかズレてる……。
今から愛海の家を襲撃し、無理矢理彼女を叩き起こして目の前で追加のオムライスを作らせたい気分だった。
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