第13話(戸田自転車商会編)
「――何やってんのあの子」
今さっき来たばかりの変わった客を見た女房は予想通りの質問を小声で投げてきた。
「……例のバイクの購入希望者」
「え? あの子が?」
「ああ」
女房はまたチラっと、店頭に置いてある車体を見下ろす学生服姿の客を見る。俺もそれに誘われるように見た。
バイクの前で突っ立ったまま一言も喋らない客は目を閉じると、涙を一筋流していた。
俺も女房もぎょっとした。
何があったんだよ……。
店の前で若い女が涙を流しているなんて、近所のやつらから勘違いされそうで怖い。ただでさえケンカ騒ぎを起こして嫌な目で見られているというのに。
誰にも見られてなければいいが……。
「あの子どうしちゃったの?」と女房。それはこっちのセリフだ。
店にいきなりやってきたのが女子高生だったので自転車でもパンクしたのかと思いきやまさかのバイクの購入希望者。自転車を全力で漕いできたらしく、ぜぇーぜぇーと肩で息をして汗だくだった。
おまけにバカ息子と同じ国木の学生。俺と女房の後輩でもある。
スマホでウェブに掲載されていたのを見て来たと言っていた。掲載したものは全て削除した気がしたのだがまだ消し忘れがあったようだ。
さて、どうするのかねとおじょーちゃんの方を見る。
さっきからバイク見たままああして自分の世界に入ること40分が経っている。いつまでやっているのかわからんが、そろそろ何かしらの動きをみせてもらわないと困る。
そもそも国木はバイク通学禁止ではなかったか? 認められるようになったという話はバカ息子から聞いた覚えもない。まだ続いているはずだ。
まあそれはどうでもいい。問題はちゃんと免許を持っているかどうかだ。
免許はなくてもバイクを購入することは可能ではあるが、まさか乗らないバイクを購入しに来たわけではあるまい。
多分免許は持っているだろう。問題はその免許で運転できるかどうかだ。あれは原付は原付でも原付一種の免許じゃ乗れないことをわかっているのかどうか確かめた方がいい。一種と二種の違いを知らない客も結構いたことを思い出したせいか嫌な予想ばかりが浮かんでくる。
とりあえず確認するか。
軽く咳払いをして俯いているお嬢ちゃんの背中に近づく。近づいてみて気づいたが結構背が高い。170ぐらいある。
「あーっと、お嬢ちゃん。泣いてるところ悪いんだが免許証は持ってるの――」
こちらに背中を向ける棒立ちのお嬢ちゃんの首がぐるりと回って真後ろの俺に向けられる。急に180度も首が回ったものだから「ひぃっ!」と情けない声を出して後ずさってしまった。
――え? あれ?
背中を向けていたはずのお嬢ちゃんはいつの間にか俺と向かい合っている。首だけ回ったように見えたのは幻覚だったか?
大の大人がこんな声を出したことにしまったと思ったが、お嬢ちゃんはそんなこと気にした様子もなく、真剣な顔つきでいつの間にどこから出したのか免許証をこちらに押し付けるように見せてきた。
「これ! 売ってください!」
視線の先にある免許証は間違いなくお嬢ちゃんのものだ。写真が苦手なのか写真の中のお嬢ちゃんはムスッとした顔をしている。そして免許証には小型二輪の文字。
――あれ? この子……。
「お願いします!」と、頭を深く下げるお嬢ちゃんにまたも驚かされる。いや、そんなことしなくていいだろうが。
まるで弟子にしてくださいと言われているかのようなその迫力に圧され、自分でもよくわからず店の奥にいる女房の方を見てしまう。
女房は真剣な顔つきで俺と目を合わせると、黙ってコクリと頷いていた。
この子に売ってあげなさい。光る女房の目がそう言っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます