第12話(愛海編)


 夏休みを目前に控えた授業はいつもより雰囲気が違っていた。

 クラスの大半が授業を受けるフリをしながらスマホを操作しては、ノートに何かを書き込んでいる。みんな夏休みの計画を立てているに違いない。

 わかりやすー。

 朝行われた席替えで運良く窓側の一番後ろの席をゲットした私は、早速教室内の早い夏休みモードに気がついた。

 ここでさえクラスのみんなをよく見渡せられるのだから、教壇の先生もみんなが何をしているかはわかってると思う。

 珍しく志穂もさっきからずっとスマホをいじってるし。

 新しい志穂の席は私の右隣から四つ前にある。私の位置からだと志穂の行動は筒抜けだった。

 ――髪伸びたなぁ。

 志穂の背中の上でポニーテールの先が揺れているのを見ながら思った。小中も短かった志穂が中学の終わり頃から髪を伸ばすようになった。

 ……おばさんを意識してるのかな。

 志穂のお母さんは今の志穂よりも髪が長かったのをよく憶えている。志穂と違って優しくて綺麗な私の憧れの人だった。

 まあ、志穂も可愛いけどさ……。

 本人の前では恥ずかしくて言えない。どちらかというと可愛いではなく美人に入る。年々おばさんに似るようになった。

 最初にそう思ったのは中学の頃。ふと見た志穂の横顔が死んだおばさんの顔と重なってしまった。

 見た途端。なんだかすごく不思議な気持ちにさせられたのを今でも覚えている。なんだか志穂が志穂じゃないように感じたというか……。

 しかしいくら面影が似て来ているとしても、やはり志穂は志穂で普段の彼女からはおばさんが持っていた儚げな感じは少しも出てこない。内面も段々とおばさんに似てくるのだろうかと思えば実際は逆で、どんどんおじさんに似て来るようになった。

 高校二年になった今、改めて普段の彼女を振り返ってみる。成長した彼女はやはり見た目だけはおばさん似だけど、中身は100パーセントおじさん似だった。

 色々と勿体無い親友だとスマホをいじり続けながら志穂を見る。そういえばさっきから何してんだろ。授業開始からずっとあれだ。珍しく真剣にスマホいじってる。

 夏休みの計画を立てているわけではなさそう。志穂が夢中でスマホを操作しているときは、欲しい物を探しているときぐらい。あいつはスマホゲームなんて全然やらない。

 多分バイクだろうなー。

 相変わらず難航しているようだ。志穂が恋してやまないって言ってたクロスカブとかいうバイク。確かにアウトドアな感じで見た目カッコイイかもしれないけど、志穂なら背も高いんだしもっと大きいのを買えばいいのに……。

 暇だから志穂に似合いそうなバイクをスマホで探そうかと思ったけどやめた。何を見せても彼女にはあれしか見えていない。一途な女の子には何を見せても意味がない。

 あーあ……退屈だなぁ。

 こういうときは落書きの続きをやりたい。けど今はできない。

 シャーペンをクルクル回す。やる気がないのではない。続きは描きたいけど、下調べがちゃんとできてないから描けないのだ。

 今描いているのは法隆寺。それの五重塔の一番上の屋根に突き刺さってる棒みたいなやつ。あれの詳細が知りたい。できれば屋根の瓦部分の拡大画像もみたい。

 スマホで検索してみても、求めていた画像はなかなか見つからない。学校か図書館にありそうな法隆寺の全てみたいな本を借りるしかなかった。

 結局、この時間は何もしないままボンヤリと黒板を見る。教壇の上に立つ先生は静かに文章を読みながら解説を加えている。けれどその内容を把握している生徒はクラスに半分もいないだろう。先生もそれは承知している。授業を妨害するような話し声が聴こえない限り、先生はほとんど注意しない。生徒がスマホをいじっていることも何とも思わないタイプなのだ。

 黒板を眺めることにも飽きてきた。今度は机の上にある教科書を見ながらボンヤリとする。

 そうしていると昨日郁美と真帆が言っていたことを思い出していた。


『榎本さんのお母さん。若い男と一緒に出てったんだって――』


 はぁっと、頭を抱える。

 余計な事聞いちゃったな……。

 志穂に言われた通り、これからは榎本さんと会ったときには顔に出ないように注意しないとなぁ……。

 ――ん?

 そこで私はちょっと待てと自分に言い聞かせる。

 考えてみたら私と榎本さん……まだ友達にもなれてないよね。

 購買部で会って、ちょっと話しただけ。それだけでそれ以上は何も起こっていない。あれから購買部でも見かけなくなったし……。

 ただでさえ接点なんて全然ないのに、なにを先に進んだ気でいたのだろうか。しかも知り合うキッカケ作ってくれたのは偶然とはいえ志穂だったし。

 私……何もしてない。

 これでは三年前と全然変わらない。今度こそは自分から積極的に動こうと思っていたのに、よくよく振り返ってみれば何もしていなかった。最初の決意はなんだったのだろう。

 このままではダメだ。何かしないと。

 そこですぐに思いついたのが放課後下校に誘うことだった。一緒に帰って、まずは連絡先を交換し合うところまでいかなければ。

 よし! 早速今日の放課後志穂と一緒に行こうと、そう思っていたそのときだった。


「ふぁっ!?」


 突然の大きな声。アンビリバボーというようなニュアンスの声が静かな教室内に響き渡った。体がビクっとなったのは私だけじゃないだろう。

 おそるおそる声のした方を見てみる。

 え――志穂?

 声を出したのはまさかの彼女だった。何があったのか、スマホを片手に固まっている。そしてようやく自分がそんな声を出したことに気づいて顔を上げる。しまったと思ってるような表情を出したけど、いや、遅いから。

 クスクスと笑い声が聴こえてくる。先生はため息を吐きながら両腕を組むと、

「――無課金でいいの出たのか?」

 と、軽く睨みながら尋ねる。スマホを持って固まる志穂が脂汗を垂らしているのが背中越しでも伝わってくる。

「……何の話っすか?」

 志穂の返事にドッとクラス中で笑いが出る。スマホゲームをしない志穂には全くわからないセリフだっただろう。

 先生は志穂から「後で取りに来い」とスマホを取り上げると、パコっと教科書を丸めたもので頭を軽く叩いていた。志穂は恥ずかしそうに赤面しながら殴られた頭をさすっている。見ているこっちも恥ずかしくなってきた。

 もー、なにやってのよ。



 授業が終わり放課後となった瞬間、志穂は物凄い速さで教室から出て行った。

「鈴木のやつどーしたんだ?」

「さあ」

 私も含め、みんなあ然としている。

 ……すごい慌てようだったな。

 どうしよう。これから榎本さんを下校に誘うのに一人じゃ不安だからついて来てもらおうと思っていたのに、声を掛ける暇すら与えてくれなかった。

 血相変えて走ってたな。

 たかがスマホを取り返しに行くだけにしては随分と焦っていた。とりあえず無事に取り返せることを予想してラインしとこうと思っていたその瞬間、志穂から返事が返ってきた。

 え? もう取り返してきたの?

 早! と、思いながら本文を見てみる。


『バイクミツカタイテクル』


 まるで宇宙人からのメッセージのように見える本文を見ながら授業中のアレはそういうことかと納得する。つまり志穂はこれからバイク屋まで全速力で向かったということか。そうなると私は一人で榎本さんを誘いに行かなければならなくなるわけで……。

「……」

 そうなってしまった途端、余裕が一瞬で消えて無くなる。

 志穂なしで言うにはハードルが高すぎる。

 ま、まあ多分……榎本さんも毎日一緒に帰る人いるわけなんだし。私が誘っても意味ないよねー。

 などと自然に思っている自分にハッとなる。

 これではいけない。一人で行かなければならなくなるとすぐに実行しない言い訳を考え出す。いままでに何度もやってきた自分の悪い癖だ。これがいつも失恋の引き金になったんだ。これはダメだ。もう無理矢理にでも行こう。

 自分に鞭を打ってぶっつけ本番で二組に行って榎本さんを誘うことにした。

 余計なことは考えない! 行動しよう!

 偉大な昔の映画俳優の名言をヒントにその答えを導き出す。そうだ。その通りだと足を動かしてズイズイ進んでいく。この時点で心臓ドキバクだ。緊張で上手く話せる自信なんてゼロだけど、もうなるようになれと自分に渇を入れる。

 こうして私は玉砕覚悟の精神で二組の教室へと足を踏み入れたのであった。

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