第11話(戸田自転車商会編)


 トラックの荷台からバイクを降ろしていると、ちょうど女房が帰って来た。

「どしたのそれ?」と、降ろした白のクロスカブ110を見ながらそう言った。

「この前言ってた守屋もりやさんとこのバイクだよ。今週中に引き取ってくれって言われたから今引き取りに行ってたんだ」

 守屋仙太郎もりやせんたろう。今年81歳の誕生日を迎える前に急死した大地主。80代とは思えないくらいの元気の良さで、この付近では知らない人のいない豪快なじいさんだった。

 最後に会ったのは三週間ほど前。自宅の広い庭をたった一人で掃除していた彼と縁側で一緒に茶を飲みながら話していた際、百二十歳まで俺は生きると豪語していたのを聞いてそうだろうなぁと思っていた矢先の話だった。

 病気ではなく事故死だった。山へ登り崖下を見下ろしていたところで足を滑らせて転落したのだという。実にあっけない話だった。

 その山に登った日の翌日は守屋さんとこの次男夫婦が遊びに来る日だった。駅に着いたにも関わらず、迎えに来るはずだった守屋さんと連絡が取れないことに胸騒ぎがしたらしく、迷うことなくその場で警察に連絡をしたという。

 家を尋ねても誰もいないということで行方不明事件として警察による付近の捜索が始まり、次男夫婦もいろんなところへ電話をかけては父親の行方を捜していた。 

 守屋さんが行方不明になったのを俺が知ったのはそのときだった。次男から彼の行方を尋ねられ、知らないと答えたときの悲しそうな声に俺も何かしなければと思って仕事の合間を縫っては彼を知っている関係者に電話を掛けたりと捜索の手伝いをしていた。

 そして捜索2日目。崖下で守屋さんの遺体は見つかった。

 守屋さんが付近の住民へ山に行くという話をしていたおかげか、獣に荒らされているということもなくすぐに見つけ出すことができた。

 残念な報せを聞いて悲しんだやつは多かった。妬まれることはあったかもしれないが、恨まれるようなことはしない人だったので葬式には多くの人が涙を流していた。

 遺体が見つかったと聞いたときから俺の頭はボンヤリとしていた。

 そのせいかそこから先の記憶が僅かしかない。いつの間にか葬式の会場で守屋さんとの最後の別れを済ませ、いつの間にか日常へと戻っていた。一連の出来事はたった一瞬のことのように過ぎていったせいか、まるで作り話のような感じがしてならなかった。

 日常へ戻ってもボンヤリ感は続いた。そのせいで仕事なんてする気になれなかったが、その日に限って朝っぱらから自転車のパンク修理の依頼が多かった。さっさと終わらせようと作業に入るものの手順が凄く悪い。これは時間がかかりそうだと思っていたところで守屋さんの長男から電話が入った。いらないバイクがあるから引き取ってほしいとのことだった。

 長男が言うには、守屋さんはいらない自転車や原付の処分はウチに任せるようにと遺言書に書いてあったらしい。

 俺は百二十歳まで生きる。そう豪語していた男は遺言書をわかりやすいところへ置いていたのだという(おそらく何かあったときの為に以前から準備してあったのだろう)。

 家族の誰も引き取らないで余った一台なので、遺言通りにお任せしたいと言われ、俺はそういうことならばと、もう行くこともないと思っていた守屋さんの家を尋ねた。

 家主のいない大きな家の中では息子さん達が右往左往していた。家の整理をしていたその光景を見て、どうにも心がざわついてしまう。

 別段おかしなことはない。彼らは死んだ人の遺品整理をしているわけだ。悪いことでは全然ない。

 ――けど。なんとも言えない気持ちになっていた。

 自宅の家具や家電等の遺品は息子さん達がほとんど整理していたが五台も所有していたバイクの内の一台だけが余ったという話を長男から聞きながら、複雑な心境でガレージへと向かう。

『あれです』

 そう案内された広いガレージで、このクロスカブがポツンと一人寂しく佇んでいるのを目にしたときは暗い所にいたせいか。なんだか主を失くして泣いているようにも見えた。

 おいおい……。

 そして驚く。まだ大分綺麗な車体だった。寂しく感じさせた印象とは裏腹に遠目からでも新品のような輝きを放っていたそれはウチで購入してから半年も経っていないせいもあるが、それにしたって近づいて見てもほとんど傷がなかったのには驚かされる。

 そして本当にコレを引き取ってしまってもいいのだろうかと息子さんに尋ねたが、迷うことなく構わないと言われたのだった。



「なんで息子さん達は引き取らなかったのかしら?」

 腕を組みながら車体をジロジロ見回す女房が言った。

「別のバイクは持ってったけど、これはいらないんだとよ」

 他のバイクだけで手一杯だったのだろう。地方と違って息子さん達は皆大都会に住んでいる。置き場所なんてそこまで確保できまい。息子さんからも大切にしてくれそうな人に安く売ってやってくださいと言われていた。

「もったいないわね。新車で購入したばかりでまだそんなに乗れてなかったんでしょ?」

「仕方ねーだろ」いいながら、ウチで新車購入してくれたときの守屋さんを思い出す。納車が楽しみだと語っていた。大事にするぞと言っていた通り、ガレージで見たコイツはしっかりと磨かれてあった。本当に大事にしていたのだ。

 ……いかん。涙出そうだ。

「いくらで売るの?」と話す女房は俺が泣きそうになっていたことに少しも気づいている様子はない。

「あー……そうだな。大事にしてくれそうな人なら安く譲っても構わないと言ってたけど、どんなやつが来るかわからんからなぁ」

 守屋さんの所有していたものだと考えると、どんな客でもいいということにはならない。めんどくせーやつには絶対売りたくはない。

けいにあげたら? あの子のバイク相当古いんだからこれに変えさせればいいじゃない」

「いらねぇって言うぞアイツ。去年買った40年ぐらい前のやつが相当気に入ってるらしいからな」

 今年高校生になったばかりのバカ息子は誰に似たのか昭和の古いバイクにご執心だ。レトロ感あるのがいいと言って今どきのバイクには全く興味を示さない。

「じゃあネットに載せるのね?」

 載せると変な輩が来そうだからあまり載せたくない……が、載せないと売る気ないのかと女房がうるさい。だからやるしかない。

「ちゃんと以前のオーナーが死んだってことも書いといた方がいいな」

「そうしたほうがいいわね。でも中古とはいえ、ほぼ新品なんだからすぐに売れるわよ」

 それは間違いない。知り合いで不動産やってるやつから聞いたが、今の若者はいわくつきの事故物件だろうがなんだろうが家賃が安ければそんなこと少しも気にしないらしい。

 バイクでも同じことだろう。前のオーナーが死んだ話など少しも気にしないはずだ(そもそも事故車ではないわけだし)。ネットに載せれば買い手がなくて困るというようなことはないはずだ。

 あっという間に売れちまうんだろうなぁ……。

 それじゃあ写真撮ってパソコンに移しとくわねと、女房がデジカメを取りに奥へと入って行く。足音を聞きながら俺はポツンと寂しそうな顔をする車体を眺めていた。



 ネットに掲載してから一日もしない内に何件か電話が入って来た。県外からもかけて来たやつがいる。安いだけあって電話は殺到した。

 現物を見たい。電話してきた客のほとんどがそう言ったのでいつでもどうぞと応えてやる。

 翌日。ぞくぞくと客は現物を見にやって来たわけなのだが、思った以上にろくでもない客が多かった。

 まず異常な安さを心配したのか、安くなったその経緯を聞いてくるのがほとんどだった。来店した客にいちいちそれを説明するのは面倒だったが、疑う理由もわかるので逐一説明してやった。

 それだけならまだいい。その後に厄介なことをしてくるやつが多かった。

 もっと安くならないかという値下げ交渉。前のオーナーが死んだということで勝手に事故車扱いしているせいか、やたらと態度が鼻につくやつが多かった。

 これ以上の値下げは受け付けないと言っているのにも関わらず、しつこく値下げを迫ってくるやつもいたので頭に来て追い返したこともあった。大分安く売っていてウチの儲けなんてゼロに近いというのに、なんであそこまで欲張るのか俺には理解できない。中には舌打ちするふざけた野郎もいたのでケンカ騒ぎにまでなってしまった。

「あんたが客相手にケンカなんてするから」

 近所の人から警察を呼ばれたことで女房からもそう文句を言われた。悪いのは向こうの方だぞとますます怒りが貯まる。

「商売人なんだから上手に売りなさいよ。客なんて誰でもいいじゃない」

 客の態度なんて気にせずさっさと売っ払っちまえという態度は結婚してから何度も見せられているが、その度に内心イラついていた。商売人の嫁としては正解なのだとは思うが、多少の人情も持っていないというのは理解できない。

「どうせウチの儲けなんてわずかなんだからさ」

 そう愚痴をこぼされる。できる嫁で信頼できるところはあるが、こういうところは何年経っても合わない。

 結局俺がケンカ騒ぎを起こし過ぎたせいでバイクは売れずに残った。あまりにもムカつく客が来るという理由からウェブに掲載していたものも削除したせいもある。電話が殺到した当初はすぐに売れるだろうと思っていたが、今はさっぱりと来なくなった。おかげで女房にチクチクと非難される日々が続いた(いいかげんほっとけと、俺は完全に無視を決め込んでいる)。

 客を選んでいたら売れるものも売れないというのもわかっている。だがこの車体だけはそんなに軽い気持ちで売りたくはなかった。

 今売れなかったとしてもそれでいい。この客になら売ってもいいと思える日が来るまでいくらでも待つ気持ちでいた。店内のスペースだってそれなりにある。困ることなんか少しもない。

 ――明日、信頼できる知り合いに聞いてみるか。

 知り合いにカブ好きなやつが何人かいる。そいつらに話せば喜んで引き取ってくれるかもしれない。

 業務終了時刻になったので店を片付けシャッターを閉める。そして店内の電気を消そうとして、ふともう一度件のバイクに目をやった。

 ――やっぱ悲しそうだな。

 あの家のガレージだからああ見えたわけではなかった。ウチに来て他のバイクと並んでいても悲しそうにしている。

 なんとかしてやらねばと、犬猫の里親を探すような気持ちになっていた。

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