第10話(志穂編)
「それじゃーねー」
「また明日―」
郁美、真帆の二人と別れた帰り道。私と愛海はしばらく互いに何も話さずにいた。
「――まだ気にしてるの?」
バイク置き場に着いてから尋ねてみる。遊んでいるときの愛海は極力顔に出さないようにしていたが、少し落ち込んでいるのがなんとなくわかった。
「なんか余計なこと聞いちゃったなって思って……」
本人がいないからって、ああいうこと聞くのは良くなかったねと愛海は言う。
「……仕方ないよ。別に悪意があったわけでもないんだしさ」
「そうだけどさ……」
「それに今回じゃなくてもいずれ別の形で知ることだったとは思うよ。だから榎本さんの前では顔に出さないように気をつけよう」
愛海の背中を叩いてやる。うんと頷く愛海だったがそれでも表情は晴れない。おそらく今日一日が終わるまで、この状態は続くだろう。
けど明日になれば気持ちを切り替え、いつも通りの顔ができるのが愛海だ。だからこれ以上は何も言わなくていい。
ほら、帰るよと彼女のヘルメットを渡してやる。
スクーターの音を響かせながら、河川敷沿いにある原付専用道路を走っている。行きも帰りも利用するこの道は思ったよりも利用する者は少ない。おかげでこの直線道路をのんびりと走ることができる。
昼は熱くて辛いだけの道も今は気温が下がっているのと日差しが弱いせいか、走行は苦ではなかった。
夕暮れの河川敷には犬の散歩やランニングをする影がチラホラと浮かんでいる。日の沈んだ空に赤黒く染められた雲が浮かんでいるのが見える。昼には一つも見えなかったはずの雲は、空を占拠するようにその姿を現していた。
「ねぇ――」
前を見ながら愛海に尋ねる。今走っているこの区間は三十キロ制限があるので低速で走行しなければならない。つまり今なら声も届きやすい。
「――何であの二人には榎本さん好きになったこと話さなかったの?」
4人で遊ぶことになったとき、私はてっきり二人にも話すのかと思っていた。
「二人には話さないかな」と愛海は即答し「――っていうか話せない」と付け足す。
「なんで?」
「そう簡単に言えないよ。志穂みたいに長い付き合いじゃないと言えない。二人とはまだ知り合って一年だし、それなりに理解しているつもりではいるけど……でも、だからといってそう簡単に言えることなんかじゃないよ」
「じゃあ、決着がついても言わないんだ?」
「うん。志穂にしか言えない。もしこれが男の子を好きになったとかだったら、普通に言えてたんだとは思うけど……そうじゃないからさ」
「あのさ――」
「前見ろー」
ほんの少しとはいえ、後ろを振り向いたせいで愛海に軽く背中をパンチされてしまう。これはイカンと運転に集中。
けど、どうしてもまだ聞きたいことがあった。
どうして好きになったの?
さきほど言いかけたけど遮られてしまった言葉。
今聞かなければならないことではない。
愛海の家に着いてからでも聞けばいいことではある。
けど……そのときに本当にそれを聞けるかどうか自信はなかった。今でなければ聞けないような、そんな気がする。
「志穂はさ――」
突然、愛海の口が開く。うっかり振り返らないように前をぐっと見つめる。
「――榎本さんを見たときにどう思った?」
「どう思ったって?」
「第一印象。正直に言って」
「……お嬢様みたいだと思ったかな。なんか私達とは違うような気品っていうの? そんなものがあるように感じた」
「郁美と真帆も同じこと言ってたね」
「愛海もそうだったの?」
「第一印象は違うかな――」
少しの間を置いて愛海はそのときのことを話す。榎本さんと職員室で初めて出会ったときのことだった。
「――正直に言うと、一目惚れだったんだ」
口調の真剣さに、冗談は挟めない。
「中二の頃に男子に恋したときと同じ感覚がしたの。三秒くらいだったと思う。その間、ずっと榎本さんに目を奪われてた」
――三秒間。
それは恋をした時間だと愛海は話す。
その間ずっと愛海は榎本さんに見惚れていたらしい。
目を奪われ、そして心が奪われた時間。
「榎本さんがいなくなった後も、ずっと頭から離れなくてさ――」
そのとき自分が何をしていたのかさえ忘れてしまうほどに、恋する相手が頭から離れられなくなる。学校が終わって家に帰ってもその人のことを心は追い続ける。
そう話す愛海の声を私の耳は一文字も聞き漏らさない。
人に恋をするという感覚。妙にその話が私を引き付けていたせいか、愛海の言葉ひとつひとつが頭に強く響いていた。
「――本当に恋してるかどうか少しだけ考えたりもしたんだ。時間が経って冷静になれば、ただ榎本さんに見惚れていただけで、これは恋じゃないんじゃないかって思ったの。でも違うんだよ。何回自分に尋ねても変わらないの」
「……」
「――私、本当に恋してるんだよ。榎本さんに」
そこから愛海は何も話さなくなった。
私も何も言わず、互いに真っ直ぐ前を見る。
視線の先。遥か遠くにある赤かったはずの空が紫へと変わっていく。どこを見てもあったはずの赤色はもう僅かしかない。
黙ってそれを見つめていた。赤い光の残滓が微かに残った僅かな時間でしか見ることのできない美しい空を帰り着くまでずっと。
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