第9話(志穂編)
「榎本さんなら知ってるよー」
郁美は五段重ねのアイスの一番上にある抹茶アイスを齧りながら答えた。
よく五段も食べるな。
見てるこっちがお腹を壊しそうになる。夏によく食べるものとはいえ、一度に五段もアイスを食べようと思うのは郁美ぐらいしか見たことがない。
去年同じクラスだった郁美と真帆は榎本さんとは小学生の頃からの知り合いだった。クラスは違ったけれど、何度か遊びに行ったこともあるらしい。高校に入ってからもたまに話すこともあるという。それを知った愛海は二人に榎本さんのことをさりげなく尋ねていた。
多分だが、今榎本さんに彼氏がいるかどうか知りたかったのだろう。
「小学校も同じだったけど、そのときは一度も同じクラスになったことはなかったよね?」
真帆が郁美に尋ねる。
「そうそう。でも何度か遊んだことはあるよ。見た感じはお嬢様って感じだけど、ふつーに氷鬼とか警泥やってたし。運動神経良くて頭もいいから結構最後まで残ってた記憶がある」
郁美と真帆も榎本さんに対して抱くイメージは同じだったようだ。小学生の頃からそんな雰囲気を漂わせていたとは……。
――というか榎本さんが氷鬼とか全然想像つかない。ピンチのときはバリア張ったとか言うのかな?
「本当のお嬢様じゃないんでしょ?」と愛海。
「あたしらと同じ普通の家だよ。でもみんな最初は勘違いするよね」
なんたって超美少女だし、と二段目のラムネアイスを食べ終える郁美。彼女が食べているアイスは色が全て違っている。上から緑、水色、紫、茶色、オレンジとなっている。
「凄いモテそうだよね。カッコイイ彼氏とかいそう」と言う愛海。私からしてみれば白々しいが二人はどう思っているのだろうか? 見た感じは疑っているようには見えない。
――っていうか二人には榎本さんを好きになったこと言わないのかな?
「性格もいいし男子に人気はあるとは思うけど彼氏はいないんじゃないかな? 中学時代もそんな話全然なかったし――だよな? 真帆」
「うん。なかったと思う。近づこうとする男子はいっぱいいたみたいだけどね。でも難しいみたいだよ。中学の頃同じクラスの男子が榎本さんって独特のオーラがあるから近づきにくいって言ってたし」
オーラがあるから近づきにくい?
「――えっと、つまり未だにその榎本オーラを打ち破る猛者はいないってこと?」と私が尋ねる。
「なんだよ榎本オーラって」と郁美が笑う。その拍子に残り二段のアイスが落ちそうになったがなんとか持ちこたえた。
「榎本さんと付き合った男子はいないと思うよ。本人も男子には興味ないんじゃなかったかな?」
ほえ? 男子に興味ない?
それは朗報じゃないか。そう思い愛海の方を見ると目が星になってキラキラと輝いていた。
ポーカーフェイス! と、肘でつつくと愛海は慌てていつもの表情にスッと戻る。まるで文楽の人形だ。
「――榎本さんといえば、可哀想な話あったよね。ほら、お母さんが消えちゃった話」
……え?
突然の話に愛海と私は一瞬硬直する。消えちゃった?
「え? どういうこと?」
おそるおそる尋ねる。私の頭の中では、女性が宙に浮かぶ円盤から射出された光線によって空へと引っ張られていくところをイメージしていた。
「行方不明とかじゃなくて、お母さんが若い男と浮気していなくなっちゃったって話なんだ」
「……マジ?」
「マジだよ」
しまったと頭を抱えそうになる。それは聞いてはいけない情報だった……。
愛海は面食らっている。ただ恋人がいるかどうかを聞きたいだけだったのに、余計なことまで聞いてしまった。
「中二の頃だったかな。いつの間にかそんな話が流れてきたんだよな?」と郁美は真帆に確認する。
「うん。最初はみんな嘘だと思ってたんだけど、それが広がり始めてからは榎本さんのお母さんの姿もパッタリと見かけなくなったし、本人も学校休んでたから、みんな本当なんだってわかっちゃったんだよね」
「そうそう。一か月くらい来なかったんだよ。榎本さん人気あったから同じクラスの子達が心配してたんだけど全然連絡取れなくてさ。みんなもう学校に来なくなっちゃうんじゃないかって思ってたんだ――」
「――でも戻ってきてくれたんだよね。いつも通りの笑顔で何事もなかったようにして。それで周りのみんなも噂のことには触れないようにはしてたんだけど……」
真帆がそう言葉を濁す。その先を予想した私は聞いてみた。
「誰かおもしろがって聞いたやつがいたんだ?」
「……そうなんだよ」と不快感を露わにした郁美。
「ホント不思議だよなー。そういうやつってなんでそういうことするんだろうな」
「榎本さんは何も悪くないのにね」と真帆も嫌そうな顔をする。
どんな人かは知らないけど二人がかなり嫌っているのがわかる。まるでそいつを目の前にしているかのような不快感の表し方だ。
「でも榎本さんって凄いなって思ったのがさ、そのとき少しも隠そうとしたりせずにサラッと普通に答えたんだってね。自分のお母さんが若い男と一緒に消えちゃったこと」
あたしだったら絶対キレるなーと郁美が言って真帆も頷く。
「……榎本さんって――」
ずっと口を閉ざしていた愛海がようやく口を開く。
「――強い子なんだね。私だったら、そんなことがあったらもう学校行けなくなっちゃうと思う……」
愛海は私の方をチラッと一瞬だけ盗み見る。私に気づかれないようにしているつもりなのかもしれないがバレバレだった。
多分、愛海は母さんが死んだときのことを思い出している。
こんなときに何を思い出しているのだろうか。
もう昔の話だし、それに榎本さんとは同じ母親を失ったでも状況が違うよと暗い顔を見せる彼女に言いたい気分だった。
「……」
「……」
「……」
「……」
会話の糸がプッツリと切れたせいか、みんな無言になってしまう。周囲の音まで消えたかのように完全に途切れてしまった。余計な話をし過ぎた。
このままではせっかくの休日が台無しだ。
何か別の話題をと思っていると、突然真帆が「パックんちょ」とこの沈黙を破ってくれる。
郁美が残していた最後の溶け掛けアイスをほったらかしにしていたのを狙い、思いっきり齧りついたのである。
「おいコラ!」と、怒る郁美。
「溶けて無駄にするくらいなら、私が食べるでござる」
怒る郁美とは裏腹に、真帆は口の周りを汚しながら噛り付いたアイスをおいしそうにむしゃむしゃと食べている。
そのやりとりに私と愛海は噴き出して笑った。
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