第8話(志穂編)
「あっつい……あついよー」
燦々と照り付ける太陽がスクーターに跨る私の体をジリジリと焼いている。夏の広い空は太陽の白い光が雲を押し退け、空を支配していた。
目的地へ向かっている最中、私の頭の中では魚が網の上でじっくりと時間をかけて焼かれる様が浮かんでいた。
魚はこんな感じ――いや、これ以上か。
今度焼き魚を食べるときはいつもより深く味わって食べようと心に決める。
赤信号で停車している最中にハンドルを握る自分の両腕を見てみる。今日だけでだいぶ焼けてしまっているだろう。慌てて家を出たせいで日焼け止めを塗るのを忘れていた。こんがり焼けているであろう腕を停車中だけ裏返し、内側の白い部分を焼くようにする。
早く青になってくれーと、心の中で念じる。
今は愛海のいる待ち合わせ場所へと向かっている。事前に決めていた待ち合わせ時間は一時間以上も前で大遅刻だった。
うっかり二度寝をしたのがいけなかった。
次に目を開け、ぼんやりした頭でスマホを覗くと、丁度愛海からスタンプが送られた。サングラスを掛けたニワトリが目を光らせながらリボルバーをこちらに向けるスタンプだったので、青ざめた私は慌てて家を飛び出した。
ようやく『オアシスハウス望月』へと辿り着く。バイクを停めておそるおそる店内へと入った。
――いた。
店内の飲食スペースに愛海はいる。テーブルの上に突っ伏しており、頭頂部がこちらに向けられている。傍にはピンク色のゴーグル付きヘルメットが置かれてある。
う、キレてる……。
私の目に映る彼女は紫のオーラに包まれている。
そろりそろりと近くにある自販機から貢ぎ物としてビンコーラを二本買い、栓を抜いてからこっそりと近寄る。そして彼女と向かい合うように椅子へ座った。
「遅い」
コーラを愛海の前に置いた瞬間、突っ伏したままの彼女はそう言った。
「……さーせん」
「さーせんじゃない! ちゃんと謝罪しろ!」
ガバっと顔を上げる愛海に対し、私は深々と頭を下げて「二度寝しちゃった」と正直に遅刻の理由を言った。
「大変、申し訳ありませんでした」
「せっかく早めに着いてスムージー飲もうと思ったのにー!」
「いやー申し訳ねーだ」
「もうぜっったい凄い列になってる! 今並んだら
腕を組んで目を三角にする愛海。完全にこっちが悪いので謝る以外にすることはない。頬杖をつき、少しだけ首を傾げて微笑む。
「ごめんね、まなみん♪」
「ぬあー! まっすますイライラするー! そのあだ名やめろって小3の頃から言ってんだろ!」
頭を抱えて怒り狂う愛海。これはスイーツ奢らないと許してくれないパターンだ。
今日は別のクラスにいる
愛海は昨日、待ち合わせ時間よりも少し早めに着いて今話題のスムージーを飲みに行こうと誘ってきた。
「せっかく楽しみにしてたのにー」
「ほんとごめん。今度なんか奢るから」
約束だよー? と言って、愛海は立ち上がると腰に手をあててビンコーラをぐいっと飲む。
「ふーうまい!! じゃあ少し早いけど待ち合わせ場所にいっとこっか?」
「そうだね。次も遅刻するわけにもいかないし、そうしよう」
「うん――って、ちょっとまて。メイクしてないけどいいの? 街だよ?」
「まあ仕方ないよ。遅刻した自分の所為だし」
「――しゃーないなぁ、貸してやるよ。ちょっと待ってて」
時間もあるでしょ、と愛海は座り直すとバッグから化粧道具を取り出す。
「え? ここでするの?」
「家戻るまでの時間まではないし、誰もいないから大丈夫だよ。化粧水くらいは付けたよね?」
「いや……その、あの……」
「やってねーな? 普段からちゃんとやれって言ったじゃん」
「いやーちょっと慌ててたもので」
「じっとしてて――」
「え? い、いいよ。自分でできるって」
「だーめだめ。遅刻したんだから罰として私にやらせろ。ほら、じっとして」
「……遅刻の恨みとかいって落書きしないでよ?」
「だーいじょーぶ」
サラサラと、手馴れた手つきで愛海は私の顔を作っていく。
愛海にメイクしてもらうのはこれが初めてではない。元々メイク自体愛海に教えてもらったのだ。高校生になる前の春休みに愛海は突然化粧道具を持って家へとやってきたのである。
あれはびっくりしたなぁ。愛海先生のメイク講座だとかなんとか言いながら、ほぼ強制的にメイクの仕方を覚えさせられたのだった。
いつの間にかどこかでそんなもの習得してきたのか。私に教える前に実の弟を実験台にして何度も練習してきたらしい。
その話を知り合いの美容師に言ったら『愛海ちゃんに愛されてるね』とか言われ、なんだか気恥ずかしかった。
……そういえばあの人どうしてるのかな?
実家のことでしばらく国木を出るとか言って、それから顔を合わせていない。小さい頃から私の髪を切ってくれる美容師さんでもあり、母の学生時代からの親友でもあった。
――母の葬儀の会場で誰よりも泣いていた人だった。
「……」
いかん。今はそんなこと考えるなと、私の顔を作る愛海に話し掛ける。
「ねぇ?」
「んー?」
「化粧道具貸すのって嫌じゃないんだ?」
「嫌いな人じゃなければ全然いいよ」
「そーなんだ?」
「ん? もしかして抵抗あった?」
「いや、そういうわけじゃないんだけどさ、なんとなく聞いてみた」
ふーんと愛海はどうでも良さそう。黙々と手を動かし続ける。
「……」
また会話がなくなってしまった。
こういうときの愛海は真剣な顔をしてこっちを見るせいか、どうにも落ち着かない。せめて会話で紛らわそうとはするものの、見ての通りで会話は続かなかった。
ああ……なんか気まずい。
「よしできた。ほれ、みてみ」
ようやく終わったと、ホッとして携帯鏡を受け取って自分の顔を見る。
おほっほー。すごい。人の顔にメイクとかよくできるなー。
「――っておい。何も異常なしかよ」
「落書きすんなって自分で言ったんじゃん」
「いやー実はちょっと期待してたんだけどねー」
「そんな勿体無いことするか。化粧道具で遊べるほど現役JKの財布に余裕なんてないわ」
「ほら、終わったんだし行くよ」と手を引っ張られる。
クーラーの効いた店内から炎天下の外へ出た途端、強い日差しが待ち受けていた。早く秋になってほしいとギンギンに煌めく南中高度の太陽を軽く睨む。
「そういえば例のバイクってまだ見つかってないんだっけ?」
父さんから(勝手に)借りた黒いスクーターを見ながら愛海は言った。例のバイクとは私が今購入を考えている小型バイクのことである。ホンダのクロスカブ110という日本では誰もが知っているスーパーカブというバイクの姉妹車種だ。
「まだ探し中」
「人気あるから中古でも高いんだっけ? どれぐらいするの?」
「総額30万以上は約束されてる」
「うわー高い」
「排気量110だし、人気のバイクだからそんなもんだよ」
「これはダメなの? このバイクおじさんから貰えばいいじゃん。普通にカッコイイいいし、志穂にも合ってると思うけど?」と、父さんのスクーター(ホンダのPCX125)を指差す。
「これ父さんのお気に入りだから絶対無理。頼んでも乗らせてくれないやつなんだから。今日みたいに父さんが家にいないときしか乗れないんだよ」
「――え? そうなの? 初耳なんだけど勝手にいいの? 私いつも後ろに乗せてもらってるけど、おじさんに悪くない?」
「うん。だから見つかったときは一緒に謝ろうね♪」
「共犯かよ! ひっど!」
「アハハ。冗談だってば、そのときは一人で怒られるよ」
「……いや、私も一緒に謝るよ」
「大丈夫大丈夫。二人乗りしてることなんて絶対バレないから」
はぁっと、愛海からため息を吐かれる。
「いや、バレるでしょ。おじさんが大切にしてるなら絶対バレる。だから私もしっかり怒られる。ゲンコツでもなんでも貰う――」
そして私をビシッとなぜか小指で指差し、ニヤリと小悪魔的に笑う。
「――そして貰った分だけケーキ奢ってもらうぜ」
勝手に共犯にされたことに対する報復宣言がきた。
「よし、準備万端」
ヘルメットを被った愛海がバイクの後ろへ跨る。このヘルメットはバイクの後ろに乗るためだけに彼女が大手通販サイトのArujan《アルジャン》で買ったものだった。私が免許を取ってから一年後に二人乗りができるようになったと聞いた途端、後ろに乗せると一言も言っていないのにも関わらず、彼女は購入してきたのである。
「それじゃあ行きますか」
街に向かってスクーターを走らせる。二人乗りができるようになってからは街までバイクで行くことの方が多い。
「バイクでもあっついねー」
走行しながら話すものだから、愛海の声は少しだけ大きい。
確かに夏は早朝か夜でなければ快適な走行は望めない。日中は汗もかくし強い日差しのせいで日焼けもしてしまう。
20分ほどかけてようやく街へと辿り着く。駐輪場にバイクを停めて待ち合わせ場所へと向かう。
約束の時間10分前だったが、既に郁美と真帆は早めの到着をしていた。
そして二人がこちらに気づく。おーいと私が手を振りながら近づくと、郁美も真帆も私を見ては互いに顔を見合わせてニヘヘと笑い合っていた。
なんだ? と思いながら二人の前に辿り着く。
「志穂。今日愛海にメイクしてもらったろー?」と郁美に言われる。
「……なんでわかんのよ」
会って一秒で見破られた。なんで?
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