第6話(志穂編)
「――だからこの前ブルベリがひとつしかなかったんだ」
「そーゆーこと」
「なんで教えてくれなかったのよー」
「そりゃ聞かれなかったからねー」
昼休み。愛海と購買部までの廊下を一緒に歩きながら、今朝のことを説明する。
全て聞いた後の愛海は朝と同じふくれっ面だった。
「しかも自己紹介し合ってたのに忘れるなんて、信じらんない」
「昔から暗記科目苦手なのはよく知ってるでしょ?」
「あんな美少女を一度でも見たら、普通忘れなくない?」
「う……」
確かにそうだと頷ける。
しかし顔は忘れていない。名前を忘れただけだと言い訳しようとしたが、言っても白い目で見られるだけなので言わなかった。
購買部へ着くと、驚くべきことに榎本さんがいた。パンを買う列の最後尾に一人で並んでいる。
まじ……?
慌てて肘で隣に立つ愛海をつつく。
「チビちゃん。ターゲットいるよ」
「……」
返事がない。
チビと言ったのに怒らないところから、まさかと思って隣を見てみる。
あちゃー。
見てわかるくらいに棒立ちで固まっている。恋愛中の愛海がよくやるフリーズだ。さっきまで『また購買部へ来るかもしれないからチャンス!』だとか言って強気でついてきたというのに。
恋愛だとここぞというときに動けなくなるんだよなー。
さてどうしたものかと思っていると、私に気づいた榎本さんが軽く手を振った。それを見た愛海は硬直が解けたのか、急に慌て出す。
「と、どうしよう! 手振ってくれたよ! ねえ! 目も合った! どうしよう!」と、私の袖を引っ張る。
「落ち着け。私に振ったんだよ」
まるでアイドルのコンサートを観に来たみたいだ。行ったことないけど。
「とりあえず後ろに並ぼう」
愛海にだけ聴こえるように言うと、彼女の手を引いて榎本さんの後ろへと向かった。愛海は心の準備がとか言っていたが、今行かなければ榎本さんの真後ろには並べない。ここは背中を押してでも行く。どっちにしろパンも買いたいので並ぶしか選択肢はない。
「今日もパンにしたんだ?」と、並んで早々に榎本さんにスマイルで話しかける。
「うん。先週食べたのがすごくおいしかったから、今日も同じものにしようと思ってたんだけど、残念ながらもう終わっちゃったみたいね」
「あれが毎日販売されてたら、激太りして大変なことになるよ」
そうだね、と榎本さんは笑う。レア物パンの販売が先週で終わってしまったことに気づいていなかったみたいだ。
……いかん。
どういうわけか私も緊張してきた。不審に思われないように平静を装って話しているのだが大丈夫だろうか。榎本さんの表情を見る限りでは問題はなさそうに見える。
まあ私のことはどうでもいい。
おい、と肘で隣のおチビをつつく。ちらっと横目で見てみると顔が無表情だった。またフリーズしている。再凍結したな。
このままでは何も進展しない。せっかくのチャンス(愛海にとっての)なので、無理矢理だがこのポンコツを紹介することにした。
「――紹介するね。こっちのおチビはクラスメイトの上塚ちゃんでーす」
パン、と軽く愛海の背中を叩いて前に出す。ハッとしたような顔をしているので、おそらくフリーズは解除された。
「鈴木さんと同じクラスなんだ? 榎本です。よろしく」
相変わらずの眩しいスマイル。そんな顔で愛海を見つめないであげてほしい。このままでは彼女が石化してしまう。
石化光線に耐えられるか、それとも固まるか。勝負の見せどころである。
行け! 強気で! と、私は愛海の背中をもう一度叩く。
「あ、どうもー。上塚愛海でーす」
まるで漫才やる前の挨拶みたいだ。
いくら緊張で頭真っ白とはいえそれはない。しかもチビって言ったのに怒らなかった。言われたことにすら気づいていないくらい今の愛海には余裕がない。
愛海が弱すぎるせいか、状況はだいぶ悪い。
「――職員室で何度か会ったことあるよね?」と榎本さん。
愛海の寒い対応を微塵も気にした様子もなく、会話のボールをスマイルと一緒に投げてくれる。何ていい子なんだ。
「――うん。職員室で何度か会ったね」
それに比べてこの対応。オウムかよ。
ツッコミたくなったがやめた。愛海は返事をするのにも窮している。
そういえば、二人がいつ出会ったのかをまだ聞いていなかった。今の話からすると職員室で初めて顔を合わせたっぽい。
「上塚さんもよく購買部に来るの?」
「うん、毎日来るよ!」
このままではダメだと思ったのか、無理矢理明るめの声を出す。購買部のパンは太るから絶対買わないと言っていたような気がするが……。
緊張して適当なこと言い出し始めちゃってるな。
それにしても榎本さんは随分と社交的だ。自ら話題を振っては愛海と打ち解けようとしてくれている。
見た感じ奥手そうなのに……。
私からしてみれば橋渡しをしないで済むので有難いことではあるが、愛海にとってみればそれがフリーズ要素にもなっている。好きな人からグイグイ来られれば当然かもしれないが、こんな状態がいつまでも続けば今回の恋も何も進展せずに終わってしまう。
パンを買い終え、教室に戻るまで榎本さんと三人で会話したが、やはり愛海はいつも通りにできずにいた。フリーズはしなくなったものの、返事がぎこちない。私との会話のときだけ本調子だ。
「――
二年の廊下へ戻ってバッタリ出会ったのは、先週榎本さんと一緒に購買部へ来ていた女の子だった。前も思ったが背が私と同じくらい高い。どういうわけか三組の教室から出てきた。
――てか、榎本さんの下の名前綾っていうのか。
綾、榎本綾――うん、いいね綾。合ってる合ってる綾。
「もう用事はいいの?」と、榎本さん。
「うん。ごめん一緒に行けなくて」
「今日は二人が一緒だったから平気だよ」
私に気づくと彼女は「鈴木さん。この前はありがとう」と軽くスマイルする。背が高く髪が短めなせいか、スポーツ少女といった印象を受ける。夏が似合う女の子だと思った。
「どういたしまして」と返した私は、そこで思い出す。
そういえば、先週彼女とも自己紹介してたんだった。
苗字が思い出せず、冷や汗が出る。
愛海のフォローを期待したが、黙ってニコニコしているだけだった。
「――それじゃあね」
と、榎本さんは合流した女の子と二組へ戻って行く。バレずに済んだとホッとした私は隣を見てみると、愛海が手を振りながらうっとりしていた。
「顔に出てるよ」と注意する。
「うん。知ってる」
わかっているのかいないのか、二人を見送るとフラフラと教室に入っていく。そして私の席に着くと「うひゃー」と言って机に突っ伏してしまった。
「ああー可愛いー。ヤバイヤバイ」
顔を真っ赤にデレデレしている。
机を挟んで対面に座る私は、その姿を見ながらパンとコーヒー牛乳を平らげた。愛海は興奮し過ぎたせいかお昼休みが終わるまで、何も食べずにデレデレと過ごしていた。
「およ? 上塚ちゃんどしたのー?」と、すぐ近くにいた同じクラスの女子がその様子を見て興味深そうに覗いている。
「春が来たからさ」と答えてやると「満開だねー」と言って、彼女は愛海の頬を人差し指でツンツンする。
「ちっちゃなネコみたいで可愛い」と彼女にいくらちょっかいを出されても、愛海は気にしていないのか怒ることなくデレデレする。
はあ……。
ため息が出る。先行きが不安だ。
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