第5話(志穂編)


 榎本さんと知り合ったのは先週のことだ。

 昼休みに購買部のパンを買いに行ったときのことなのだが、ここで少しわが国木くにき高校の購買部について話しておく。

 国木の購買部は地元民だけでなく、県外の人からもその名を認識されているほどの知名度がある。

 国木高校といえば? と聞かれれば間違いなく誰もが購買部のパンだと答える。それもそのはず、国木のパンは学生パンとは思えないほどにその質の高さと味のうまさに人気があり、多くの(元)生徒達から絶賛されているのだった。

 それは地元の新聞やローカルTV等で取り上げられるだけでは収まらず、超有名な県民性を紹介するバラエティ番組やグルメ雑誌にも取り上げられるほどの人気っぷりであり、パンを目当てに国木を受験するという学生も少なくなかった。

 かつてここの生徒であった卒業生も購買部のパンを思い出の味としているものが多く、あのパンがあったから学校へ行けた、あのパンがあったから〇〇君と付き合えた、あのパンがあったから東大に受かった等と、卒業生達の原動力になっていたことが多かった。

 そして彼らの同窓会が開かれる度に、卒業生達は会場で特別に用意されたパンを食べては青春時代を思い返し、涙するというのが伝統らしい。そして彼らは皆口を揃えて現役生に対し、青春の味を大切にしてねと涙ながらに訴えるのであった。

 それほどの人気があるのなら、一般向けにも販売されているのではと思った人は何人いただろうか?

 驚くべきことに、それほどの話題性を集めているというのにも関わらず、製造会社は国木の学生にしか販売しないというスタイルを数十年に渡り続けているのであった。もちろん多くのテレビ局や雑誌社はパンを製造する業者にその理由を問い合わせた。しかしどこも門前払いで一言も回答を得られないままで終わらされてしまい、未だに謎の多い国木高校のパンとして語り継がれている(そのせいか一部の地域では宇宙人が製造している等といった都市伝説まで勝手に作られていた)。

 話題性溢れる国木のパンは味と質だけではない。一番肝心な値段もリーズナブルという優しさに溢れた設定のせいか、毎日の昼食をパンにしている学生も多い(私もその一人だ)。  

 品数も豊富で生徒に飽きさせない為の工夫が凝らされており、中でも特に製造に手間暇をかけているパン達が学生たちの間で大人気であった。

 それは一年の中で期間限定でしか販売されないレア物パンと呼ばれている。

 まずは男子に人気のこっぺぱんにすき焼き風味の肉と玉ねぎを挟んだすき焼きコッペパン(量が多いので一部の女子は手が出せないが、私はいける)

 県内にある全国的にも有名なブランド豚を使用したとんかつマヨネーズサンド(これは量もカロリーも高いが、私はいける)

 そして私だけでなく多くの女子生徒の心を悩ましているハニーフルーツホイップとブルーベリーブレッド(男子にも人気だが、女子の間に入って買う勇気のある男子は少ない)。

 以上の四つが毎年の生徒大好きランキング上位を常に占めているのであった。生徒からは四天王パンと呼ばれているそれは製造には結構な手間のかかるものらしく、年四回の一週間限定でしか発売されない。

 そして先週が今年一回目のレア物パンの販売週間だった。発売されたのはブルーベリーブレッド(以下ブルベリとする)である。

 このブルベリこそが私と榎本さんを引き合わせた。

 レア物パン発売の発表は発売一週間前から昇降口近くにある掲示板にて告知される。毎週それをチェックしている私は先週の月曜から毎日昼に二つ以上購入しては、至福の昼休みと放課後を過ごしていた。

 そして最後の発売日を迎えた金曜の昼休み。いつものようにあの手この手でほぼ強引にブルベリを三つも確保し、満面の笑みで教室に戻ろうとしていたときだった。

 購買部の前で榎本さんと出会ったのである。同じクラスの子と一緒にブルベリを求めて訪れたらしいのだが、ひとつも買えなかったらしく二人揃って残念そうな顔をしていた。

 いつもの私ならそんな光景を見ても、これが現実だと思うだけでその場を立ち去る。しかしどういうわけか榎本さんの愛らしい顔に貼り付いた悲しみの表情が、(イカサマを使い)三つも欲張って買ってしまった私に罪悪感を抱かせた。

 結果、抵抗はしたものの見えない圧力に負けた私は、初対面の彼女達に苦労して買ったブルベリをひとつずつ差し出したのである。最初は遠慮していた彼女達だったが、私を助けると思って受け取ってくれと言われたことに押され、代金を支払って引き取ってくれた。


『――ありがとう』


 いきなりの私の出現に少々戸惑ってはいたものの、榎本さんは笑顔で対応してくれた。ブルベリを初めて食べると言っていたが、そんなことは言わなくても遅い時間に購入しに来た二人の姿を見れば、ベテランには一目瞭然だった。


『私達いつもお弁当だから、パンを買う機会なんて全然なくて――』


 噂の味を知りたくて、二人共今日は弁当を持って来なかったらしい。


『――二組の榎本です。あなたは?』


 そうだった、と頭を抱える。

 あのときに自己紹介してた……。

 なんで忘れた? あんな印象深い人と知り合ったというのに……。

 首を傾げたくなる。女の私から見てもすっごく可愛いと思える顔立ちなのに……。

 しかもただそれだけじゃなくて、言葉では表現できないオーラというかそんな魅力も持っている。それなのに、どういうわけか名前だけは忘れていた。

 暗記科目不得意だからか……。

 ブブっと私のスマホが振動する。授業中なので先生に見つからないように確認すると、また愛海からだった。実はさっきからスマホに愛海のお怒りスタンプが送られてくるのだ。めんどくさいので昼休みにちゃんと説明すると返信する。

『了解』と、ニワトリが親指を立てたスタンプが送られてきた。

 私の席から左斜め四つくらい前の少し離れた位置にいる愛海の方を見ると、スマホをいじることはやめてノートに何か書き出していた。授業を受けているフリをしておそらく絵を描いているに違いない。嫉妬して怒っているのかと思ったが、なんだか嬉しそうにしている。


『――女の子なの』


 横顔を見ていると、またあのときの彼女を思い出す。

 紅くて強い――あの瞳。

 なんか変な気分になる……女の子を好きになったと言われれば、当然なのかもしれない。

 でもまあ、その……ね。

 最初は信じられなかった私でも、好きになった相手を見た今なら本気だというのもわかるような気はした。榎本さんは容姿だけ見ても男子だけでなく、女の子も惹きつけるほどの魅力がある。

 愛海も内面に問題がある(本人の前では言えないが)とはいえ可愛い顔をしている(これも本人の前では言えない)けれど、榎本さんと比べるとまたそれは違う。

 同じ可愛いではない。別次元というかなんというか、あれが真の美少女ってやつなのかと思えてしまうのだ。

 何が違うって、まずあの体中から溢れるオーラが凄い。人間じゃないのではないかとそんな錯覚さえして神格化までしてしまいそうなほどだ。

 うーむ。

 両腕を組んで下を向き、一人唸る。傍から見れば問題がわからなくて考えているようにしか見えないだろう。目線の先、机の上にはシャープペンシルと筆箱と真っ白なノートがある。どれも少しも動かそうという気になれない。

 少し顔を上げ再び愛海を見る。真剣な眼差しでノートに鉛筆を走らせていた。

 今愛海が描いているのは法隆寺だろう。少し前に姫路城を描き上げたので次は法隆寺を描き上げてみせると言っていたのを思い出す。富士山から始まった無駄にクオリティの高い愛海の落書き世界遺産シリーズは高校入学の頃から続いている。

 呑気に落書きなんてしているけど、これから一体どうするのよ?

 小さい頃からずっと愛海と過ごし、彼女の恋愛イベントが起こる度に私は後方支援を担当していたけど、今回は何をすればいいのだろうか?

 相手が女子となると色々と難しいんじゃ――いや、むしろ同性だから近づきやすくていいのか。すぐ友達関係にもなれるし接近はしやすいか……。

 でもそこからどうやって恋人になるまで持っていくのかな。異性じゃなくて同性だし。

 女の子同士か……。

 そこでざっとクラスを見回してみる。同じクラスなのにほとんど話したことのない女の子は何人もいる。彼女達の中にも、愛海と同じような子がいるのだろうか。隣のクラスにも上の学年にも下にもいるのだろうか。

 ……なんだかみんなそうなんじゃないかとさえ思えてきた。愛海からあんな告白を受けてからというものの、頭がどうにもこんがらがっている。


『――女の子、好きになった』


 なんだろう……この複雑な感じ。

 愛海の決断は本人が悩みに悩んだ上での告白だ。人によっては一生誰にも言えないまま終わることもある。そう簡単に言い出せることなんかじゃない。

 そんな彼女の決断を、私は受け入れられないのだろうか?

 嫌悪感はないはずなのに、なにか心の中でモヤモヤとするものがある。それが一体何なのか、その形がまだ見えてこない。

 そのせいで頭がこんがらがっている。きっといきなりのことだから、私の中で上手く整理できていないだけだ。まだ愛海の告白を聞いて一週間も経っていない。何日かすれば、このモヤモヤ感もすぐに消えてくれるとは思う。

 余計なこと考えるのはやめよう。

 今はどんな形であれ、愛海の新しい恋を応援してやるべきだ。以前と同じようにやれるだけのことをやってやるだけでいい。

 よし、と自分の中で踏ん切りをつける。

 教壇の上の時計を見ると、もう時刻はチャイムが鳴る五分前になっていた。結局この時間、真っ白なノートを眺めるだけで授業は終わってしまった。

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