第4話(志穂編)
ぜえぜえと、学校の正門前にある長くて急な坂道を自転車を押しながら上って行く。この坂道をバイクで走りたいと毎日思う。
「なんでうちの学校……バイク通学、禁止、なの、よー」
他の生徒も私と同じように立ち漕ぎを諦め(私は最初からする気はない)坂を上っている。みんなも汗だくで同じようにヒーヒー言っている。
「根性、ねぇぞ、鈴木ぃー」
しかし中にはコイツのような例外もいるのだ。今私の横をクラスメイトの男子が通ったのだが、毎朝立ち漕ぎでこの長い坂を上り切っている無駄にチャレンジャーな脳筋野郎だ。
「うっさい。こけろ」
やつの行動は理解に苦しむ。脳筋の思考わからーん。
中学の頃からずっと一途に帰宅部を続けてきた私には生涯理解できない存在だ。
ああ、体が重い……。
寝不足のせいか坂がいつも以上にキツく感じる。
――そう。寝不足なのだ。
いつもならバイトが終われば家に帰って愛しい布団で登校時間になるまで寝ているというのに、またあの変な夢を見ると思ったからか少しも眠れなかった。
普段の姿からは想像もつかない艶っぽい愛海。またアレが出て来るのではないかと思うとなんか眠れない。
気にするなと思えば思うほど気にしてしまい、余計に眠れなくなってしまった。夢の中の話とはいえ、あの大人の階段を軽く三段ぐらい飛び越えたような雰囲気は今思い返すだけでもゾッとする。
正夢じゃないといいけどな……。
学校で愛海と顔を合わせるのが少し怖くなってきた。昨日の今日でいきなり大人の階段を上ってしまうわけではないので心配ないとは思うが……。
そんなことを考えている内に坂を上り切る。考え事をしていた方が案外早く着くなと新たな坂道対策を思いつく。
学校の駐輪場に自転車を停め軽く汗を拭いてグチる。
「あー眠いし汗かくし、ホント最悪」と心底ウンザリをそこらへんに飛ばしながら校舎へと入る。
そして下駄箱を通って教室に向かおうとしたそのときだった。
「――おはよう。鈴木さん」
聞き慣れない声に反応し、振り返った先にいる彼女を見た瞬間私の体は硬直した。
この前の――。
笑顔で私に挨拶をしてくれたのは、先週購買部で知り合った女の子だった。後輩でも先輩でもない。同じ学年ではあるが別のクラスの彼女。
不思議なことに彼女を目にした瞬間、体にまとわりついていた眠気とダル気は一瞬で消えて無くなる。それぐらい彼女の存在は特別なのだ。
人に見えるが人じゃない別の……神々しい生物。
夢の中の愛海を悪魔とすれば彼女は天使と称するに相応しい。今にもその背中から純白の翼でも生やしそうな美少女から朝の挨拶をされた。
その存在感に思わず後ずさりそうになる。
白い花、白い羽だとかそういった白という表現がとてもよく似合う清潔感溢れるその容姿。そしてその清楚な顔立ちには、私と違ってひとつも汗が浮き出ていない。とてもじゃないが学校前の坂道を上ってきたとは思えなかった。彼女専用のエスカレーターかワープゾーンがあるのではないか、それとも本当に人間ではないのではないかと変な想像ばかりが浮かんでくる。
「――お、おはよう」
僅かな間の後に慌てて返す。そしてひとつの問題が浮上した。
まずい。名前なんだっけ……
外見の印象は強いので顔は覚えているのだが名前がわからない。どこのクラスかすら憶えていない。思い出せ思い出せ思い出せ思い出せ。
なんだっけ? 山なんとかだったような川なんとかだったような。
並んで一緒に廊下を歩く彼女の名前を必死に思い出そうとする。背中や脇に嫌な汗が流れてきた。
「――この前はありがとね」
夏のひまわりのような笑顔でお礼を言う彼女。やめてくれ。眩しすぎてみれない。
この笑顔が自分の汚い心を外に引っ張っているようで怖い。
慎重に話を合わせながら教室までの廊下を一緒に歩いたが、結局最後まで名前を思い出せなかった。
「じゃあね。鈴木さん」
笑顔で手を振った彼女は自分の教室へと去っていく。急いで彼女に気づかれないように物影にしゃがんで隠れ、彼女が入った教室の入り口にあるプレートを見上げた。
――二組の人か。
そこでハッとする。ようやく思い出した。確か本田さんだ。
そうだそうだ。良かった良かったと安心していたそのときだった。
「おいコラァ!!」
「うおぉっ!」
背後からのいきなりの大声に心臓が跳ねた。振り返って見上げると腕を組んだ愛海が怒りの形相で私を見下ろしている。
「びっくりしたぁ、なにいきなり……」
背が低い割に声だけ大きいのは昔から変わらない。どういうわけかお怒りのご様子だ。
「なにいきなりじゃないわよ! 昨日は『いや、知らないと思う』なんて言っておきながら今並んで楽しげに話してたじゃん! なんで嘘ついたの!?」
え……?
愛海はフンっと腕を組んで鼻息を荒くしている。『いや、知らないと思う』の部分だけ両手を上げてアホ面になっていたので、普段の私ならそこでゲンコツを喰らわしているところだが、それどころではなかった。
「――え? ちょ、ちょっと待って――」
二組の教室を見る。当然そこにはもう先ほどの彼女の後ろ姿はない。愛海の方を振り返る。
「――あ、あの人が……あの……なの?」と、うっかり名前を出さないように愛海に尋ねる。
「あの可憐な乙女がそうだけど?」
可憐な乙女。その表現は当たっている。なんていうかお嬢様といったような感じというかなんというか……。
おそるおそるまた二組の方を見る。
『――え、榎本さん。二組の……女子』
愛海の告白を思い出しながら嘘でしょと頭を抱える。
――あれが愛海の!?
「どういうことか説明してよ。どっからどう見たって超親密にしてたじゃん」
ギャーギャーと愛海の声がするが今の私は混乱状態なので何を言っているのかわからない。
「ああーもう先生来た。後でちゃんと説明してもらうからね」
愛海は担任の先生がこちらに向かって来るのを見て、ふくれっ面のまま教室に入っていく。私もそれに続いた。
あれが……あれが……。
ふらふらと席に座った私は榎本さんの顔を思い浮かべていた。
どんな人かと思ってみればのっぺらぼうでもないし(当たり前だ)男っぽい女子でもない。普通の女の子――。
いや、違う。普通じゃない。
あれは……正真正銘の美少女。
肩までの毛先が少しカールしたゆるふわな髪。この世の美を全て集めたかのような整い過ぎてる綺麗な顔。びっくりするほどの白い肌と体のパーツに悪い部分なんて何一つないと断言してもおかしくない容姿だった。
おまけに化粧なんてほとんどしてなさそうに見える。芸能人でもあんな女の子はなかなかいない。
あれが愛海の……好きな人。
――っていうか名前本田じゃなかった。全然違った! あっぶな!
朝のHRは頭の中が大分ゴチャゴチャしていた。当然担任の話など一文字も耳に入ってこなかったのであった。
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