第2話(志穂編)


「志穂。私ね――女の子が好きなの」


 遠いのか近いのかよくわからない場所にいる愛海が、隣に顔の見えないのっぺらぼうの女子と手をつないで私を見ている。周囲は真っ暗なのに、どういうわけか二人の姿だけはよく見えた。

 のっぺらぼうの女子は微動だにせず顔をこちらへ向けている。すっげー怖い。

 あれが……榎本さん?

「ほ、本気で言ってんの……?」

 尋ねた私の動揺に愛海は冷ややかな目をする。

「どうかしたの志穂? 大丈夫?」

 志穂らしくないなぁと、こちらの動揺を読み取って薄く微笑む。なんだこの愛海らしくない余裕な態度と私の身は竦む。

 そして私と同じ位置で向かい合っていたはずの二人はいつの間にか遠く高い位置から私を見下ろしていた。

「――え、だ、だって今まで男子だったじゃん! それがどうして急に女の子になったの? 意味わかんないんだけど!?」

 愛海から恐怖に加えて妙な色気を感じてくる。

 それに負けじと大声で対抗するものの、愛海は相手にするまでもないと言った風に何も答えない。静かな動作で隣ののっぺら女子と顔を見合わせ、僅かに微笑む。

 そしてのっぺら女子の首に両腕を回し、ゆっくりと体を密着させた。

「え……?」

 サーっと、血の気が引く。

 恥じらいを少しもみせない手馴れた動き。

 密着する二つの体は男女ではなく、女と女で見つめ合う異質な形。

 小芝居じゃない。どっちが男役だとかそういったものでもない。

 彼女達は――どちらも女だ。

「――ちょ、ちょっと!」

 やめさせようと、二人の所まで足を急がせる。

「榎本さん……」

「上塚さん……」

 こちらのことなどお構いなしに、二人は互いの顔をゆっくりと接近させる。距離が離れているのに熱い息遣いがこちらにまで届いてくる。

 愛海は少しも戸惑う様子を見せない。

 むしろ恍惚とした表情をのっぺら女子に向けている。

「ちょっと待って! 唇ないのにどうやってすんの!?」

 ツッコミながら夢中で駆けだす。しかしどんなに足が速くても間に合いそうになかった。9秒58のボルトでも無理だと足を止める。手の届かない私には二人に向かって強く叫ぶことしかできることはない!

「バカーーー! 早まるなーーー!」

 私の声に反応した愛海はゆっくりとこちらを向く。そして軽く微笑んでからこう叫び返した。

「コーケコッコー!」

「は?」



「――あ?」

 見慣れた天井。伸ばした手。何度も繰り返されるコケコッコー。

 それらで全てを理解し、上体を起こして鳴き声を連発するスマホを止める。相変わらずうるさいコケコッコーは去年誕生日プレゼントだと言って愛海が私のスマホに送ってくれたものだ。

「……夢オチか」

 ふぁーっと、乾いた口から欠伸が出る。

 時刻は午前二時半。

 こんな時刻に現役JKが目覚ましをかけることなどまずない。むしろこれから寝るのが大半だろう。バイトでもない限り、起きる時間帯ではない。

 クーラーを消し、起き上がってフラフラと移動して準備を行う。準備と言っても洗面所で軽く顔を洗って動きやすい服装に着替え、乱れた髪を結ぶ。それだけで終わりだ。

 ――長くなったなー。

 鏡に映る自分の姿を見ながら結んだ髪先を少しつまむ。しばらくほったらかしにしていたので結構伸びた。そろそろ美容院行った方がいいか。

「でもめんどい」と、鏡の中の自分に言ってから洗面所を出る。

 玄関に置いてある免許証と小銭の入ったコインケースをポケットに入れると、小さな声で「いってきまーす」と言って外へ出た。

 あっつい。

 玄関開けてすぐにむあーっと嫌な熱が襲い掛かってきた。ここ連日続く猛暑は真夜中にまでその影響を広げているせいか、外に出るだけで汗が出る。夜でも熱中症で運ばれる人が多くなる理由も頷けた。

 空を見上げてみる。真っ暗な空に雲が少しも浮かんでいない。暑いけど天気はいい。

 自宅の駐車場に置いてある自転車に乗って走り出す。

 まだ眠気が体から抜け切れてないせいか、走行中にも欠伸が出た。うっかりすると寝たまま走行しそうになる。

 車通りの少ない道をフラフラと危なっかしく走る。この時間帯では当然人は見かけない。見えるのは夜の街を徘徊する猫や違法駐車の車とコンビニの明かりぐらい。毎晩見るその光景を素通りして進んでいくと、バイト先の新聞屋へと辿り着く。

「おはようございまーす」

 新聞屋の前でバイクの荷台に新聞の束を積み込んでいる配達員へ挨拶する。おはようと野太い声が返った。

 自転車を邪魔にならないようにその辺に停め、中へ入ると他の配達員が黙々と作業をしていた。挨拶の後、タイムカードを押して私も彼らと同じ作業に取り掛かる。

 薄汚れた軍手。新聞紙の束。折り込みチラシを用意した後、新聞紙に一つ一つチラシを挟む作業を行う。それが終わると今度はチラシの入った新聞を配達順に並べ、バイクの荷台と前カゴに積み込む。これで準備は終わり。

 今日はチラシの枚数が少ないので新聞の厚みはかなり薄い。

 積んだ新聞紙の数だけ重くなったバイクを押して車道へと出ると、キックでバイクにエンジンをかける。一発でかかったエンジンから出す独特な音を響かせながら、配達区域を目指して夜の町をトコトコ走っていった。

 後ろも前も車のない静かな道路を独占したような気持ちで走ること10分。私の担当区域へと到着する。新聞屋では十区と名付けられているこの区域は警察署を囲むようにして家が立ち並んでいる住宅街である。

 最初に警察署へと新聞を届ければ、後は普通の家ばかりが続く。

 家と家を繋ぐ道は基本原付一台がギリギリ擦れ違えれるほどの狭い道が多い。しかも横からいきなり猫が飛び出してくることがあるので、ゆっくり運転しなければならない。

 この区域は街灯が少なくて暗い道が多い。家の並びも複雑なので最初は憶えるのに苦労させられたが、今では帳面を開かずに配達できるのでスムーズに進む。ボーっとしているとたまに目的の家を素通りしてしまうこともあるが、間違いはすぐに気づくし時間のロスも大したことはない。

「――よし、終わり」

 一時間ちょっとで最後の家を後にする。見上げた空が少し明るくなってきている。バイトは終わったが、真っ直ぐ帰らずに寄り道することにした。

 今日も行ってみるかと、配達区域を出て次の目的地へと向かう。

 住宅街を外れ、田んぼの多い道路を走って行くと、こんな早朝の時間帯でも騒がしい明かりのついた建物がポツンと見えてくる。

 あれは『オアシスハウス望月』という二十四時間営業のドライブスルーだ。年中無休で休みなく毎日同じ光と音を垂れ流している。ちなみに父さんのお友達のお店らしい

 建物を囲む広い駐車場に車は一台も停められていない。入口前にバイクを停めて中に入る。店内は自販機やビデオゲーム、スロットがいつも通りに動いているだけで人影は全くない。周囲を見回しても私だけで店員すらもいない。

 小さい頃から何度もここを利用しているが、店主の姿はまだ一度も見たことがなかった。父さんはよく見かけると言っていたが本当にいるのかどうか疑わしく思えてしまう。

 自販機でペットボトルのコーラを買って外に出ると、すぐ近くにある丘を目指してバイクを走らせた。頂上に広い公園のあるその丘は坂の下と坂の中間地点に家が並ぶ住宅街でもある。

 ――今日も期待できそう。

 ゆっくりと坂を上りながら日が昇る方角を見つめる。まだ遠くの小さな山に隠されているせいでその姿は見えないが、赤い光はもう目に見えていた。

 丘は上までは上り切らず、途中にある屋根付の小さなバス亭で停まる。そこでエンジンを切ってバス停の裏へと回れば、柵状の手摺の先に街を見下ろせる景色が広がっているのだ。

 手摺の左側には下へ伸びる階段があり、坂の下にある住宅街へと続いている。

 この階段を下って少し歩けば愛海の家だ。

 ――今日は来てない、か。

 コーラを飲みながら階下の先を見下ろす。愛海の姿が今にも出てきそうな気がした。おーいと、朝っぱらから大きな声で手を振る彼女の姿が浮かぶ。

 私がバイトを始めてからというものの、愛海はバイト終わりの時間帯を狙ってここで待ち伏せしていることが偶にある。私が来ない日もあるので一言スマホで連絡すればいいものを、どういうわけか彼女は何の連絡もなしに突然やってくるのだった。

 今日も来ると思ったんだけどなぁ。

 昨日の愛海はバス亭のベンチに座って私を待っていた。

 いつもなら。そのまま軽くトークするだけで終わる彼女との時間。

 それが昨日は内容が大きく違っていた。


『――好きな人、できたの』


 前回の失恋から三年が経ってからの、愛海の新しい恋。

 それが始まることはいいことだと思う。

 けど――。


『女の子なの……』


『――え、榎本さん。二組の……女子』


 今年一番――いや、愛海の起こした出来事の中で一番驚いた。

 さっきのような夢オチじゃない。確かに現実で彼女はそう言っていた。



『――二組の……榎本さん?』

 愛海の告白を聞いた後、少しの間呆然としていた私。ようやくそれが解けるといつの間にかそう尋ねていた。

『うん……知ってる?』

『いや、知らないと思う。――てか本気なの?』

 真剣な表情で『うん』と返ってくる。

 そのときの愛海の瞳が脳裏に浮かぶ。

 強い決心が窺えるあの瞳。今でも私の脳裏に焼き付いていたせいか、昨日と同じ鮮やかさでこっちを見ていた。

 それからどうなったか。愛海は逃げるように去って行った。私はどうしたか。ただぼー然と彼女の後ろ姿を見ているだけで終わらせてしまった。

 それから家に帰って寝て、起きて色々やっている間、ずっと愛海に何があったのだろうかと考えていた。連絡を取ろうと何度か思ったものの、どうにもそんな気になれず、何もできないままで昨日という一日を終わらせた。


『女の子なの……』


 ……何があったんだろう?

 今まで好きになっていた相手が異性だった愛海が、ある日突然女の子を好きになる……。

 そんなことある?

 振り返ってみても、十年以上の付き合いの中で愛海にそんなところは少しもなかった。見ないようにしていたなんてことはない。少なくとも、私の前ではそんなことを思わせるような場面はなかった。愛海が上手く隠していたというわけでもないと思う。そんなことができるようなタイプじゃない。

 ……どんな子なんだろう?

 女の子だけど、男らしいタイプとか?

 筋肉女子、男装女子、etc……。

 浮かぶ限りのキーワードを並べてみる。どれを選んでもそれに該当する人は学年にはいなかったと思う。

 榎本さんと言っていた女子。

 どんな子なんだろ? 名前は聞いたことあるような気もしたが結局誰かはわからなかった。顔を見れば思い出せるかもしれないけど、多分話したことすらないはず。

 二組の女子って言ってたな。

 一度覗きに行ってみるか。一目見れば、愛海が好きになった理由もわかるかもしれない。

「……」

 なんだか不思議な話だ。まさか親友の好きになった男子を見に行くのではなく、女子を見に行くことになるなんて……。

 同性愛なんて、テレビの中だけで自分とは無縁なものだと思っていたけど、こんな身近に起こるなんて想像もつかなかった。

 ……なんだろう、なんか変な気分。モヤモヤするっていうかなんていうか。

 とりあえずこの後学校で本人をとっちめてもう一度話を聞こう。今度は詳しく説明してもらって、それから先のことを考えるか。

 いつの間にかコーラを飲み干していた。ということは愛海は来ない。帰るかと空のペットボトルをゴミ箱へ入れてバイクを走らせる。

 家へ帰り着いた頃、今日見上げたはずの朝焼けを思い出そうとしたが、なぜか少しも思い出せなかった。

 記憶に残っているのは、昨日の紅い光に照らされた愛海の顔だけ。

 なぜかそれだけはどんなに時間が経過しても頭から離れなかった。

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