第一部

第1話(志穂編)

「志穂。私ね――好きな人ができた」


 遠い朝焼けを背に、幼馴染の上塚愛海かみつかまなみはそう言った。

「……」

 突然の告白に、私は何も言わずじっと愛海を見つめていた。

 あ然としていたのではなく、前に愛海が同じことを言ったのはいつだったかをボンヤリと思い返していたのだ。

 ――確か中二の夏だったな。

 あれからもう三年が経ったのかと、そう思っていると愛海は私の表情を見て何を勘違いしたのか、

「本当だよ! 本当に本当!!」と慌てて言う。

「いや、別に疑ってないんだけど……」

 私達の間でこういうことはよくある。

 小一の頃からの長い付き合いだというのに、愛海とはこうして噛み合わないことが多い。以心伝心なんて言葉は私達の間にはうっすらとしか存在していないのだ。

「――誰なの?」

 尋ねた私は三組の男子(名前は忘れた)ではないかと予想する。少し前に愛海が校内で生徒手帳を落としたことがあったとき、それを拾った彼がわざわざ教室まで届けに来てくれたことがあった。


『爽やかでカッコイイ』


 そう言って愛海がはしゃいでいたのを記憶している。

「……」

 おっとダンマリだ。

 予想通りというか、愛海は恥ずかしそうな顔を見せると俯いてしまった。

 これも記憶している。以前の恋もその前も愛海は初めて相手の名前を言い出すのに少しのインターバルを要する。私に恋愛相談を持ち掛けるのは初めてのことではないというのにいつも時間がかかるのだ。

 だから待ちの姿勢に入ることにした。

 ここは無理矢理聞き出すべきではない。言い出し辛いことだろうし、例えここまできて言い出せなくなってしまったとしても私は構わない。

 お好きなペースでどうぞ。

 咥えている棒付きキャンディーを舌の上でコロコロと転がしながら、彼女の隣に立った私は彼女が背にする朝焼けを見上げる。

「……」

 愛海は俯いたまま。私は見上げたままで無言の時間が少しだけ流れる。

 半分以上溶けた飴をボリボリとかみ砕き、今日は一段と綺麗だと思っているところで愛海は黙って私から離れて行く。

 ――言い出せなかったか。

 目で追った愛海の後ろ姿。そのまま帰るのかと思いきや、愛海はくるっと振り返る。手を後ろに組んで正面から私を見据えた。

 そして小さく息を吸って吐いた後、意を決した表情を向ける。


「――なの」


 ようやく開いた彼女の口から出た言葉に、私の思考は急停止を踏む。今度はあ然としたせいで咥えていた棒を落としてしまった。

「――え? 何て、言ったの?」

 愛海の顔を真っ直ぐに見ながら、おそるおそる口にする。

 聞き間違いかと自分の耳を疑った。それか何かの冗談。


 でも――目にした愛海の表情は冗談を言っていなかった。


 ふと三年前の愛海を思い返す。

 そのときの愛海もこうだった。

 好きな人の名前を口に出したときの赤く染まった頬。いつも伸ばしている背筋を少しだけ緩め、手を後ろに組んでこっちを見つめるその姿勢。


 そして彼女の――赤い瞳。


 それは愛海が恋をしたときにしかみせない色だった。

 それを持って、あの頃よりも愛らしい表情と仕草を私に見せてくる。


「――女の子なの」


 もう一度同じ告白をした。

 流れたその声。聞き間違いではない。確かに彼女はそう言った。


「――え、榎本さん。二組の……女子」


 そうしてその赤い瞳が以前よりも強く私を捉えていることに気づく。

 彼女の告白を聞いた私は少しの間、呆然と彼女を見つめていた。

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