STAGE12

 ――話は少し遡る。

 アナイア=ディスカスとの会見から、明けて翌日。朝一番で隊長の呼び出しを受け、出向いたクリスに申し渡されたのが四週間の休暇であった。

 前代未聞の守護騎士辞任宣言と、間違いなしの大手柄である黒幕の確定。クリスの処遇をどうすべきか、隊長を含めた上層部が頭を抱えるのも当然といえた。決定までことを公にできない以上、宙に浮いたクリスの身柄を隊舎にこれ以上とどめるのは周囲の不審を買うことになろう。表向きは休暇という形で、自宅謹慎を命じられたというのが実際のところだった。

「とはいえ、休暇は休暇だ。字面どおりに受け取ってかまわん。しばらく家にも帰っておらんだろうしな、せいぜい羽を伸ばせよ」

 形式的な書類のやり取りのあと、騎士隊長がクリスを送り出したその台詞の、どこまでが本音だったかは知らないが――

 実に二年ぶりに帰省したクリスを待ち受けていたのは、両親はじめ二人の兄、使用人にいたるまでの館中の人々による熱烈な歓迎と、

「来月うちで夜会を催す。最近はおまえはすっぽかしてばかりだからな、今回は出んとは言わせんぞ。逃げたら勘当するから覚悟しておけ」

との、父チャールズの脅迫であった。

「今回は、お断りします。私は遊びに帰ったわけでは」

「遊びに帰ったんだろうが。『休暇』なのだろう」

 間髪入れずに切り返した父親の、確信ありげな目の色に、クリスは言葉を飲み込む。

 考えてみれば、文官とはいえ間違いなくフェデリアの重臣のひとりである父が、末娘の突然の『休暇』の裏事情に少しなりと通じていないはずはない。その父がこうもきっぱりと言い切る以上、騎士隊長とのあいだで何らかの了解が取れていることは想像に難くなかった。

 要するにクリスがいまさらなにを言おうと、帰省を承諾した時点で夜会への出席は確定しているというわけだ。

「……判りました。出ます。でも、いったいなんの夜会ですか? ずいぶん大掛かりなようですが」

「忘れておるのか?」

 白髪になりかけた眉を片方上げて、チャールズ=グレン=スタイン国務卿は呆れたように娘を見返した。

「お前の十八の誕生日の祝いだよ、クリスタル=リーベル」



(どうしてこんなことになってるんだ……)

 ――というのが、細剣レイピアの腕なら同期トップとの呼び声も高いフェデリア騎士隊の紅一点、クリス=スタインもうすぐ十八歳の、偽らざる胸のうちだった。

 彼女が立っているのは生家スタイン邸、その広大な屋敷の中でも常には控えの間として使われる簡素な一室である。いや、そうだったはずなのだ――以前までは。

 だが久方ぶりの帰省二日目の現在、室内を占めるのは目にもあざやかな色とりどりの布、布、布。そして、実に楽しげにそれらを一枚一枚手にとっては披露しているのは、クリスの母マリアティーザ=フィアであった。

「ほぉら、ごらんなさいな。このレース、ユーマから取り寄せた極上品よ。こちらの青に合わせたら映えそうではなくて?」

「…………」

「ああ、こっちもいいわねぇ。この茜色! あなたの髪に似合いそう。それともこのシャンターナ織のほうがいいかしら?」

「………………あの、母上」

 ほうっておいたら永久に続きそうな母の言葉を遮り、クリスは苦虫をかみつぶしたような顔で問いかけた。

「なんですかこれ?」

「なにって、決まっているでしょうクリス」

 クリスの困惑など先刻承知という顔で、にっこりとマリアティ-ザは微笑む。

「来週の夜会であなたが着るドレスの生地よ。あなたはどれが気に入って?」



 秘書の制止の声も聞かず、靴音高く執務室に駆け込んできたクリスを、スタイン家当主チャールズ=グレンは待ち構えていたかのようにゆったりと構えて迎えた。

「どうしたクリス。そんなに慌てて」

「どういうことですか!」

「そう闇雲にどういうといわれてもな。なんの話だ」

「しらばっくれないでください。次の夜会にドレスを着て出ろとは、いったいどういうことなんです」

「どうもこうも。そのままの意味だ。年頃の娘がドレスを着て夜会に出ることの、なにがおかしい? 皆していることだろうが」

「私は、しません! 約束したはずでしょう、覚えてらっしゃらないのですか!!」

 苛立ちのままに、クリスは重厚なマホガニーの執務机に両の手を叩きつけた。

「約束か」

 国務卿は右の目の下に皺を刻んで、娘を見返す。

「確かにな。だが、破棄したのはおまえだろう」

「……え」

「おまえこそ、覚えていないか。あのときおまえはどう言った?」

 威厳ある声で問われ、クリスははっと目を見開いた。


『騎士になります』

 両親の前でそう宣言したのは、三年前のことだ。

 十五歳の誕生日を迎えたとたん、両親が口うるさくなった。フェデリア貴族の娘にとって、社交は楽しみであると同時にほかの有力貴族とのよしみを結ぶための責務でもある。だがクリスはかたくなに夜会に出ることを拒み続け、暇さえあれば剣術と乗馬の稽古に励んでいた。

 そしてある日、王宮主催の舞踏会をすっぽかして遠乗りに出かけるにいたって、父親がとうとう切れた。帰宅したクリスを邸内の一室に軟禁すると、男服に乗馬用具、練習用の木剣など一切合財を処分しようとしたのだ。

 しかしクリスも負けてはいなかった。三階の部屋の窓から壁と庭木をつたって脱出し、間一髪で運び出される直前の愛用品を取り返すと、その足で父親の書斎に怒鳴り込んだ。

『おまえが自分の義務を果たさずに遊んでいるからだ』

 これまでは許してくれていたのに、どうしていまさら――かみつくように抗議したクリスへの、それが父親の返答だった。

『遊んでなどいません!』

『では、なんだ? 貴族の娘が男のなりをしてそんなものを振り回して。なんの役にもたたんだろう』

『――役になら。立ちます』

 ふとクリスが表情を変えた。顎をひいて、不敵に笑む。

 そして言った。

『騎士になります。フェデリアの騎士として、立派に務めを果たしてご覧にいれます。それでいいでしょう?』

 その場の思いつきで、舌にのせた台詞ではなかった。初めて剣を握ったときから、それがクリスのたったひとつの望みだった。言ったところで反対されるだけだからと、ずっと胸に秘めていはしたが。いつの日か、自分の力で入隊許可証を勝ち取って、そうして両親に報告するつもりでいたのだ。

 愛娘の開き直った態度に、グレン国務卿はしかし思いがけなくもやりと笑った。『ならばそうしてみせろ。ただし、一年しか待たんぞ』――ひとときも躊躇もなく言い放った父に、これははめられたかとクリスは後日憮然としたものだったが、それからは夜会におとなしく出席するようになり、同時にそれまで以上の訓練を積んだ。そして半年後、約束どおりフェデリア騎士隊への正式入隊を決め、それを境にクリスは化粧とドレスを脱ぎ捨てたのだった。


「騎士として務めを果たすと言ったな?」

 唇を噛むクリスに追い討ちをかけるように、国務卿は低く深く重ねて問う。

「……はい」

「ならばいまのお前はなんだ。守護騎士を辞めると? それでいて騎士としての扱いをしろと? 身勝手もいいかげんにすることだ、クリスタル=リーベル」

 クリスは声もない。

 あまりの自分の甘さに、口を開けば涙がこぼれそうだった。

 守護騎士を辞めるという決心に、偽りなどない。幼いころからのたったひとつの夢も、傍にいたいという自分自身の望みも、巫女本人の懇願の声も。なにもかも捨てて。諦めて。それでも良かったのだ。それでエアリアスの身を、危険から遠ざけることが出来るのなら。

 あの銀髪のうつくしいひとへの想いを自覚してなお、クリスの答えは変わらずそれだった。護りたい。どんな手を尽くしても。たとえもう一生、言葉をかわす機会すらないとしてもだ。

(なのに私は、こんなにも甘い)

 なにとひきかえに得たものかも忘れて、権利だけを欲しがっている。甘やかされたわがまま娘と変わらない。

(やっぱり、あのひとのそばにいる権利なんてない――)

「すみませんでした。……戻ります」

 かすれた声でそれだけ告げると、クリスは俯いたまま一礼し、父親に背を向けた。

 その背に声がかかる。

「クリス」

「……はい」

「見ているだけではなにも手に入らんぞ。欲しいものがあるなら、あがけ。自分の力で奪ってみせろ。指をくわえて自分から引き下がるような娘に、育てた憶えはない」

 クリスは歩みを止めた。肩越しに、振り返る。

「……なんのお話ですか?」

「さあな。心当たりがないのならば、良い」

 行け、と国務卿は手を振る。もう一度軽く頭を下げて、クリスは執務室を退いた。

 重い樫の扉を閉めながら、口の中でぽつりと呟く。

(欲しいもの)

 自分はいったい、なにが欲しいのだろう――

 それすらも、もう、霧の中のようだった。

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