第9話 プロキシマ・ケンタウリの海

 帰ったら、もうお母さんが家にいた。

 びしょぬれの夏希を見て、お母さんは、また転んだのってブツブツ言ったけれど、なんて答えたらいいかわからなかった。

 ケンタさんのこと、説明なんかできないしね。

 もごもごと言い訳して、とにかく自分の部屋にとびこんだ。ドアをしめてホッと息をはく。

 ポシェットから鈴を取り出すと、あちこちドロがついていた。

 ティッシュできれいにふきながら、連れ帰っちゃってごめんねって話しかけたけど、ケンタさんからの反応はなにもなかった。

 もしかしたらおこっているのかな。

 それともまさか、もうエネルギーが切れちゃったとか。

 心配しながら夕食を食べて、お風呂に入って、髪をふきながら部屋に戻ると、ケンタさんは鈴から出て窓のところにちょこんと座っていた。

 赤い背中がカーテンのはしからチラチラ見えて夏希の沈んだ気持ちにぱっと明かりがともる。

「あのね……ケンタさん。ごめんね、連れて帰ってきちゃって。仲間の人、雨が上がったら掘り出しに行こう。明日はシャベル持って行くね」

 極彩色のケンタさんの体に、ぴかぴかの光が走った。

 エネルギーはまだあるみたい。

 昼間のケヤキを思い出したけど、あれはなんだったんだろう。

『いいえ。これで良かったのです』

 ケンタさんは礼儀正しく答えてくれた。顔はカーテンのすき間の外に向けられたままだったけど。

 夏希もカーテンを引いて外を見た。

 青見神社を囲むサクラが、強い風にあおられて大きくゆれていた。

「心配だよね、仲間の人」

 ぽつんと言うと、ケンタさんはようやく首を回して夏希を見上げてくれた。

『ワタシたちは水の星から来たのですから、雨がふるくらいではどうもありませんよ』

「あっ、そうだね。お魚みたいに水の中で暮らしているんだっけ?」

『はい。地球の魚とはだいぶちがうようですが』

 もっともワタシたちは機械ですけどねって言ったケンタさんが、笑ったような顔をした。

『陸地がないんですよ。大きな氷の島はありますが』

「そんな星なのに、ケンタさんは水の外に出て、なんにもない宇宙を飛んできたの? すごいよね。もしかしたら地球に来てびっくりした?」

『驚きました。生命は水の中にしかいないと考えられていたのに、こんなに豊かな生命が地上にもあふれているなんて、と』

 ケンタさんは、ときどき窓の外を見ながら、ぽつりぽつりと話し始めた。

 ケンタさんを作った人たちは、どちらかと言えば魚よりもを貝がらを背負ったイカやタコに似ていること。

 海の中に何百本も氷の柱がたっていて、その中に住んでいること。

 ところが人口(イカ口?)が増えて、食料が行き渡らなくてこまっていること。

「だから他の星を探していたの? みんなで地球に来たらいいじゃない」

 夏希はなんとなく思いついたことを口にした。

 でもケンタさんは顔を窓の外に向けたまま答えなかった。

 

 

 その夜、夏希は不思議な夢を見た。

 どこまでも続く水の中だった。青くて暗い海。

 白い氷の柱がいくつもいくつもたっていた。

 夏希はその間をくるくると泳いでみた。

 他にだれもいない海。

 無人の水中都市。

 それなのにどこかでリーンリーンと鈴の鳴るような音が聞こえた。

 その音に引っ張られるように水の中を滑るように泳いでいく。

 と、氷の柱にたくさん並んだ窓の一つに明かりが見えた。

 (いた!) 

 目が痛いくらいの白い部屋の真ん中に、ケンタさんの鈴があった。

 まわりをたくさんの……プロキシマ・ケンタウリ人が取り囲んでいる。

 確かに貝がらをせおったイカに似ている。

 でもスーパーでパックになっているイカとちがって、どの人も中から色とりどりの電球で照らしたように光っていた。クリスマスイルミネーションみたいにピカピカ。

 あんまりヘンな姿に笑いそうになって、あわてて口に手を当てた。

 みんな、鈴のような声でしゃべっていた。リーンリリリリって短い音が響きあって、なんだか興奮しているようだった。

 しばらく見ていると、急に地響きがしていっせいに泡がたちのぼってきた。

 ズーンズーンってお腹の底に響くような音。

 ふり返って息をのんだ。

 大きな氷の柱が根元から折れていた。それもいくつも。いくつも。

 中の人たちがいっせいに、窓から外に出てくる。何人かは、あたしの体の中をすり抜けていってびっくりしたけど、そのおかげで、そうかこれは夢なんだって気がついた。

 夢なのに、あたしはこわくなって窓から離れようとした。

 でも残されたケンタさんが気になって、もう一度窓からのぞき込む。

 中は泡がうずを巻いていてぜんぜん見えなかった。

 声を張り上げようとしたけど、夢の中だからか、水の中だからか、声はのどから出てこない。

 何があったんだろう。地震だろうか。ケンタさんは大丈夫なんだろうか。

 ゆれる柱の窓につかまっていると、大きな、あたしの何倍もあるような大きなプロキシマ・ケンタウリ人が、あたしの顔くらいある大きな目でじっとこっちを見つめていた。

 え? 見えてるの? 夢の中なのに。

 その人はたくさんある足の一本を持ち上げて、あたしの頭にその足をのばした。

 夢だから、やっぱり素通りしちゃったけど、人の声が、ううん、イメージが頭の中に流れ込んできた。

 干上がっていく海。

 くずれていく氷の柱。

 沈んでいく人々。

 そして、なんだろう……ミサイルみたいなものが水を切り裂くように向かってくる。

 衝突。

 また崩れ落ちる氷の柱。

 こわい。こわかった。昨日の台風よりも。きょうの大雨よりも、もっと。

 大きなプロキシマ・ケンタウリ人は、まぶたのない大きな目をギョロッと動かして、たくさんある足をふって見せた。

 ここから離れろって言ってるのかな。

 なにが起きているのかわからないまま、あたしは窓から手をはなした。

 たちまちケンタさんの鈴があった氷の柱が遠ざかる。

 たくさんの泡。

 暗くなっていく海。

 そのとき、たった一つ折れなかった氷の柱が真っ白に光り輝いた。きっとケンタさんがいた建物だ。

 まっすぐ見ることもできないほどまぶしい。

 周りの水が煮えくりかえったように泡だって、氷の柱は海底からゆっくり上へ上へとのぼっていく。

 まるでロケットみたい。

 なにがあったの? ケンタさんはどうなるの?

 でもあたしはその答えは知っている。知っているはず。

 だって、ケンタさんは――。



 耳が破れそうな大きな音に、夏希は目を覚ました。

 飛び起きて窓のほうを見る。よかった。ここは自分の部屋で、夢の世界じゃない。

 窓の外が、昼間かと思うくらいに光って、ほとんど同時にまた大きな音がした。

「かみなり?」

 こわごわカーテンを開けようとしたら、ケンタさんはまだガラスに鼻をつけるように外を見ていた。

「ケンタさん、かみなり、こわくないの?」

『こわくはありません。こわいという感情がないのですから。あれは大気中にたまった電気が地表に流れる現象ですね』

 ケンタさんは疲れたように言った。心なしか極彩色の体がすすけて見えた。

「そうなの? よくわかんないけど、昔はかみなり様っていう神様が落としているって言われていたんだよ」

 夏希は上の空で答えて窓を開けた。

 やっぱり。ツバサも窓から顔を出していた。

「ねえ、いまのすぐ近くだよね?」

 雨はもうほとんど降っていなかったけど、夏希は大きな声で聞いた。

「ああ。落ちたのは川の向こう側。たぶん下原地区」

 そう言ってツバサは腕をのばして指さす。

 黒っぽく見える青見神社の木立の向こう。天青川を超えたそこは確かに下原地区だ。その一角に火がついていた。

「火事? たいへんじゃない」

「ぼくの思っているとおりなら、人に被害はないよ。近くに家はない。あれは、立野家の観音堂だ」

「えっ?」

 夏希はケンタさんを見下ろした。

 それじゃあ、ケンタさんの仲間は? あそこにいるはずなのにどうなっちゃったの。

「どっちにしても、いまぼくたちにできることはなにもないよ」

 夏希の疑問に答えるように、ツバサが静かに言う。

「窓をちゃんと閉めて寝ろよ」

 言葉づかいは冷ややかだったけど、どうしてか声の感じはやわらかい。

「朝になったら行ってみようよ。ケンタさん連れて行きなきゃ」

「そうだね。行って、確かめよう」

 ツバサの部屋の窓がビシャと閉まる。

 なんだか自分が閉め出されたみたいな気がした。

 ツバサ、どうしちゃったんだろう。また何か考えこんでいるのかな。

「大丈夫だよ、ケンタさん。朝になったら一緒に行こうね」

 窓のレールにはさまりそうになっていた小さな狛犬を手のひらにすくい上げ、つくえの鈴の横にそっと寝かせた。

 昼間手に乗せたときよりも、なんだか熱を持ったみたいにホカホカとあったかい。エネルギーが少ないって言ってたけど大丈夫かな。

 ケンタさんは、イカに似たプロキシマ人が作り出したロボットかもしれないけど、やっぱりそんな風にはわりきれないよ。

 ふわっとした小さくてヘンテコな狛犬。

 一緒にいると少しだけいつものこわがりが引っこむみたい。

 ケンタさんはこんなに小さいのにたった一人で星を渡ってきたんだもん。あたしよりずっと勇気があると思う。だからかな。

 でも三百年も探していた相手にもうすぐ会えるってときにこんなことになるなんて。

 そう思うと、夏希の胸はつまりそうになる。

 窓の外は暗い。まるで夢で見たプロキシマ・ケンタウリの海のように。

 かみなり雲はもう行ってしまったのか、それっきり光も音もなかった。

 ときおり風が窓をゆらす以外、静かな夜になった。


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